第百六十五話 質問
活動報告での予告通り、今回はすごく短いです。
俺が返事をしたと同時に美紀の皮を被ったリルスは急速に色を取り戻した。
『なぜわかったの?』
深い失望の色とともにリルスは言った。
「答える必要が?」
俺は誰ともなしに問う。
だが、誰も返事をしてくれない。
まぁいいか。
『……もしやと思ったのは最初に魔術でそのお姿を拝見した時です。転生して肉体が変わったのにほくろの位置や形はそのままでした。でも、私はあなた、様が美紀だと、美紀がオースに生まれ変わったのだと信じたかった……。一時は、昔の姿を懐かしんでほくろの位置をそのままに作ったんだろうと思ったことさえあります……』
リルスは小さくため息を吐く。
『……ほくろねぇ。元の私の体にはほくろがなかった。多分、遺伝子改良か何かで種族としてほくろを除去した歴史でもあったのかも知れない……。ほくろ自体について、何の知識も持ってなかったと言ってもいいわ。だから転生してほくろが出来ていたのを見て驚いたことはあるけれど、家族の体のあちこちにほくろがあったのを見て安心したくらいだったわ。私と同時期に転生した人もほくろがどうとか、誰も言わなかったし……そっかぁ、これ、そのままじゃないのかぁ』
残念そうな声音だった。
なんだかほくろだけで見破ったのかと言われたようで、少し悔しくなった。
『それだけではありません。ほくろの位置を変えられるなら、髪の色だってごまかす必要はないでしょう? ……リルス様なら、亜神様ならばその程度のこと、造作も無いはずです』
最初に見た時は総白髪のような真っ白い髪だった。
今は日本人のような真っ黒い髪をしている。
ミヅチからダークエルフは黒髪が美しい事になったと聞いていたから、矛盾しないように今回は黒くしたのだろう。
俺に指摘されたからか、リルスは苦笑いを浮かべると髪の色を変えた。
彼女の髪の色はみる間に濃い焦げ茶色になる。
『これが本当の私の髪の色』
『そうですか……』
他に言いようがない。
『顔も戻す?』
『いえ……それはやめて下さい。本音を申し上げると、もう少しそのお姿を目にしていたいので。でも、もしわがままを聞いていただけるのであれば……若い頃でなく、今の美紀の顔にすることが可能であればお願いしたいです』
言いながら、自然と笑みが浮かんだ気がした。
リルスは、確かに美紀を騙っていた。
だけど、俺に助言を与えてくれたことも、ミヅチを助けてくれたことも確かだ。
あ、俺もミヅチも記憶に封印を受けていたことも確かで、それでえらい迷惑を被った。
今となっては、俺の方は大した事なかったと言うことも出来るだろうが、ミヅチの方は大迷惑もいいところだ。
とは言え、ミヅチは「記憶に封印があったから戦士階級の修行に耐えられた」とか言っていた事もあるけど……まぁ、あれは少しでも俺の精神的な負担を軽減しようと思って言ってくれた言葉でもあるからなぁ。
『ごめんなさい。今の顔は無理。でも、あなたの記憶にあった一番新しい顔にすることはできるわ』
リルスは少し申し訳無さそうな感じで言った。
『では、お願いできますか?』
リルスは一度だけ俯くとすぐに顔を上げた。
それを見て、思わず息を呑んでしまう。
そこには、肌の色まで含めて完全な美紀が立っていたからだ。
恐らくは俺が事故死する当日から数日前の姿だろう。
長い間、その姿を目にすることはなく、美紀の姿については既に俺の記憶もあやふやになっていた。
しかし、中年を迎えた美紀の顔を見て、急速に記憶が蘇る。
毎日のように交わしていた、ある日の日常の会話まで思い出された。
『ん、んんっ。あ。あ~。声はこんな感じね』
ああ。在りし日の美紀の姿だけでなく声まで全くそのままだ。
身に付けているものはともかくとして。
『……ありがとうございます。でも、その顔でその格好はちょっと……ですので、やはり若い頃に戻っていただけますか?』
苦笑を浮かべながら言った。
自分で望んだことなのに、少しだけ申し訳ないと思うが、このくらいの要望は言ってもいいだろう。
『そう? じゃあ戻すわ』
リルスは若い頃の美紀の顔で微笑む。
『話を戻しますが、美紀ではないことを確信した最大の原因は先程あなた様が我が身にかけてくれたお言葉です。イモータルになることが出来ると申し上げた時、あなた様はおめでとう、と返して下さいました。美紀ならそのような事は絶対に言いません』
これについては何故か自信がある。
『なぜそう思うの?』
俺の言葉を聞いて、リルスは少し不思議そうな顔をして尋ねた。
『私の記憶をご覧になられていたのでしょう? 私には夢があります。イモータルになることで、その夢が中断される可能性がありますから。そうなると、私に付き従って来てくれた者たちを中途半端なまま、放り出すことになってしまいますので』
美紀ならまずそういった事について考えて、思い至ってくれる筈だ……と、思う。
まぁ、ゾウリムシから人間になった存在がいたとして、ゾウリムシ時代に抱いていた夢に拘る奴もいないだろうし、ましてや亜神とか言ったら俺の夢だ何だなんて、理解すらしてもらえるかどうか……。
美紀がリルスのような亜神になったとして、彼女にとって俺の抱いている夢なんか取るに足らない小さなものだろう。
だけど、美紀は常に相手の身になって考えることが出来る女性だった。
彼女が持つ数ある美点の中でも、それはとりわけ大きな物だと思っている。
彼女なら「おめでとう」ではなく、「やることはやったの?」とか「もう夢を叶えたのね?」という確認から入ると思っただけだ。
それが良い事なのか、あまり良くはない事なのかは置いておいて、イモータルになるタイミングを選べない(今置かれている状況から言って、選べないというのは多分正しいだろう)以上、俺が早まった判断を下す前に美紀なら必ず確認、と言うか、俺の頭を冷やそうとしてくれる。
まぁ、俺に対する愛情などとうに薄れていたのであればそうでなく「おめでとう」と言う可能性も否定はできない。
だけれども、それならばそもそも俺に助言なんかする訳がない。
『そういうこと……。これは勘違いしていたようね。失敗したわ』
リルスは美紀の顔で残念そうに言った。
でも、神様とかいっても八百万もいるとなると、完璧からは程遠いんだな。
唯一絶対の神、などという存在はないんだろうから、当然と言えば当然なのかも知れん。
『それはそうと、あなた様が美紀ではないなら、なぜ……』
そこでリルスはまた彫像のようになってしまった。
時間切れってとこかね?
今まで成り行きを見守るだけだった三つの光が明滅するように言葉を発する。
「そなたがイモータルにならないという決断をした以上、もうこれ以上話す必要はないでしょう。ですが、一方的に呼び出しておいてそなたに何の益もないというのもあんまりです。イモータルたる資格を得た事と相まって一つ褒美を授けましょう。何か聞きたいことはありますか?」
褒美って質問かい。
まぁ、考えようによってはバカでかい褒美だけど。
「質問は一度だけです。それがいかなる質問でも必ず返答します」
ありゃ、すげーなこれ。
知りたい事なんか腐るほどある。
たった今も増えたばかりだしな。
例えば、つい今しがたリルスに尋ねようとした、彼女が美紀ではないなら、なぜ俺に助言なんか与えてくれたのか? ミヅチの記憶を根こそぎにするほど見入っていた理由は何なのか、とかでもいい。
だけど、こんな時に聞くこと、聞かなきゃいけない事なんかあんまりない。
例を挙げるなら……そうだなあ……例えば集積回路(LSI)の製造方法を尋ねたとして、技術的に高度な内容だろうし、一度くらい聞いたところでとても覚えられないだろう。
はたまたこの世の真理を尋ねたところで、答えは多分一日じゃ終わらない程長いものになるだろう。
「今の私にとって、一番のおすすめの質問は何でしょう?」
答えなんかいらない。
三つの光はさざめくように光る。
笑ったのかも知れない。
「さて、順位をつけるのは難しいですね。過去にはそなたの他にもイモータルとなることを蹴った者もいますが、そのような問いは貴方が初めてです」
そう?
三つの光は相変わらずさざめくように光り続けている。
「……なるほど。それもいいでしょう。では言います。今のそなたに一番お勧めする質問は“なぜ今のタイミングでズグトモーレが出てくる必要があったのか?”ということです」
え? それ?
なんで?
そりゃまぁ、幾つも質問することが許されるならいずれは尋ねるかも知れないけど、よりによってそれ?
優先順位、低くない?
一個しか聞けないならもっと大事な事あるんじゃ……?
「では、これで。ああ、一度イモータルとなるハードルをクリアしましたので言っておきますが、もし今後、思い直したとしても、もう一度同じことをしてもだめですよ。イモータルになりたいと思ったのであれば、別のことに取り組んで下さい」
いや、芋タール……イモータルとかあんま未練はないねん。
・・・・・・・・・
7450年2月23日
腰に少しばかり重い感じが残っているが、良い目覚めだった。
外はまだ真っ暗だ。
なお、昨夜の出来事はミヅチにも話せないでいる。
もう少し整理してからにしたい。
せめて俺の中でだけでも、リルスが俺に助言を与え、ミヅチを手助けしたという理由について、なんらかの結論が出せる程度になってからでないと、言ったところで単なる報告以上にはならないと思うし。
とは言え、ミヅチの意見も聞いてみたい気もするが、何となく、イモータルにならなかった事を責められ……る事もあるまい。
相手がミヅチじゃなくてロッコだったら思いっきりバカにされる気もするが。
そんなことを考えながら昨日出した土壁の内側をランニングし、言おうかどうしようか悩みつつシャワーを浴びる。
そして、迷っているうちに皆もランニングを終え、黒黄玉や見張り以外の王国軍の連中も目を覚ましてしまい、しっかりと朝飯まで食い終わってしまった。
そして今、俺達殺戮者は朝から全員でくそったれなオブジェの解体に精を出している。
黒黄玉の連中には居留地内の死体から魔石を採取して貰っている。
と言っても、居留地内にある死体の殆どが中心に聳えるオブジェの傍なので探し回る手間だけは大してかからない。
なお、王国軍の面々は北の土壁の切れ目に立つ数人の見張りを除いて居留地の北に転がる死体を一箇所に集めて貰うという重労働を受け持ってくれた。
彼らの人数も大したことはないので、本格的な作業については援軍が到着してから開始されるけど、耕作地に転がっているのはデーバス軍の遺体ばっかりだから、遺体の財布については仕事の対価として好きにしてくれと言ったからだろうけど。
因みに、なんでこんな朝っぱらから上級貴族である俺が聳え立つ糞に関わっているかと言うと、オブジェを構成する死体の中にゴムプロテクターを着た死体が紛れているのを発見したからだ。
それを見てピンときたんだよ。
よく考えたら、ファイアブレイズ司令官はともかく、ヴァルさんや第一騎士団の人はバークッドのゴムプロテクターを身に付けていた。
仮に腐乱していたとしても判別くらいは出来る筈。
そう思ってトリスなんかと一緒に適当な布をマスク代わりに碌でもない作業に精を出していたのだが、その考えはどうにも甘かったようだ。
まず、当然ながらドラゴンの巣を解体しなければならないのだが、そのメインの材料は人の死体だとは言え、結構頑丈に作られていただけあって外周を崩すのも一苦労だった。
そして、作業の合間に休憩を兼ねて村中を見て回った際に、ドラゴンのトイレとも言うべき場所を見つけてしまったのだ。
そして、本物の糞の山の中に未消化のボロボロのプロテクターの残骸を発見してしまった。
ウンコの中には、魔石も残されているかも知れない。
それとも、消化されてしまったのだろうか?
仕方がないのでそちらの方は申し訳ないがズールーに任せ、俺達は吐き気と戦いながらオブジェの解体に戻った。
すると……。




