第百六十四話 勧誘
昼間にあれだけ多くのモンスターを殺して精神的な興奮もあった。
俺にしてもミヅチにしてもあれだけの数の敵を、たったあれだけの時間で殺したことなどなく、初めての経験だ。
自分で言うのも何だが、精神的な疲れはともかくとして興奮が抜けきらないのも無理はないと思う。
加えて、来年くらいには国王の娘の一人を娶らねばならない事もあった。
ミヅチには俺の長子を生んで欲しいと思ったし、ミヅチも当たり前のようにそれを望んだ。
頼りになる部下達も近くにいるし、周囲の脅威は滅した後だ。
精神的な疲れも、肉体的な疲れもある程度抜けた。
そう思って致す事はある意味で自然なことだろう。
俺とミヅチは一つに溶け合うようにお互いを貪りあって、何度も絶頂を迎えていた。
魔力が切れた訳ではない。
にもかかわらず精神のタガが外れてしまったかのように、求めあったと言っても良いだろう。
当然だが『鞘』なんか持ってなかったしね。
それでも昼間の疲れは抜けきっていなかったのか。
痺れるような快感の残る体を絡ませ、高まった鼓動の静まりを待ちながら、いつしか二人で目を閉じていた……。
……筈だった。
しかし……。
ふと気が付いた時には、真っ白い空間に漂っている感覚。
見回しても何も目に入らない。
思わず大声で妻の名を叫ぶ。
『ミヅチ!!』
口が動く感覚はある。
声が聞こえた感覚もある。
だが、俺の声はこの真っ白い空間全体から湧き上がるように響いたように聞こえた。
わかっちゃいるが、思わずまた自分の体を見る。
が、いつかと同じように、何も見えなかった。
そう、俺の体も視界に入らない。
ただ白い空間があり、そこに浮かんでいるだけの感覚。
そして、目に映らないだけで手足はある感じ。
ただ、手を動かして体の別の場所を触ろうとしてもできない。
時間の感覚もない。
ここに来てどのくらい経ったろうか……?
数十分とも数分とも数秒とも思える時間が過ぎた。
知ってるぞ。
俺はこの空間を知っている。
そろそろかな?
「お待たせしましたか?」
男とも女とも判断のつかないような声が響いた。
『ほらな』
俺の考えも響いた。
「ふふ。また会いましたね。アレイン・グリードよ」
向こうも俺の事を覚えていたようで、名前までスラスラと言われた。
『ご無沙汰しています』
何年ぶりだっけ?
「もう少しで二一年ぶりになりますね」
ああ、もうそんなになるのか……。
『それはそうと、何用でしょうか?』
……それとも、これは夢なのか?
「いいえ、夢ではありませんよ」
まぁ、夢でこんな場所……今更だよな。
「そうですね。ところで今回は少し特殊な件で話があります」
『特殊な件、と申しますと?』
「グリードよ。そなたは我ら神の眷属になる資格を得ました」
『ふぁっ?』
あんですと!?
っつーか、俺、なんかしたっけ?
「我らに直接仕えてみる気はありますか?」
一体何の話だ?
『どういう意味でしょう?』
「言葉の通りです」
『えーっと、神官になれということでしょうか?』
今更神社務めをしろと?
いや、勿論ばかにする訳じゃないんだけどさ。
俺にはやらねばならんことがあるのよ。
「違います。我ら神々の直接の下僕となり、昇神を目指さないかという提案です」
……。
…………。
「私が言っている意味が理解できませんか?」
いや。言葉の意味は理解できる。だからこそ固まっちまっただけだ。
『それだけだと答えられません。判断材料が少なすぎて……』
「判断材料? ……ああなるほど、そういうことですか。これは私としたことが、うっかりしていました……このところ色々と立て込んでいたものですから。ああ、こっちの話です」
忙しそうなのね。神様って。
「ん。忙しいとかどうだとか感じ方は神々によって異なるのでなんとも。ま、それはそうと、少しはそなたにもきちんと理解して貰う必要があるのは確かです……説明しましょう」
『そうしていただけると助かります』
「先程も言いましたがそなたは定命の軛から外れ、不定命の肉体に進化する事でこの世界に大きく関わることが出来るようになります」
『不定命……イモータルってやつか』
「ほう? よくご存知ですね。識っているなら話は早いです。今回はイモータルになりませんか、というお話です」
『簡単に言うと、不老不死になれるってことですよね? で、その見返りとして神に仕えろ、と?』
まさかこんな日が来ようとは、お釈迦様でもごぞ、違ったか。
「理解は近いですが、違います。ま、それでもそう大きく離れている訳ではありませんから、いいでしょう。あと、ここまで来て後出しは嫌なのでそなたが興味を持ちそうな事については予め言っておきましょう……」
イモータルという存在について、手短に説明が行われた。
それによるとイモータルは己が仕える神から直接力の供給を受けることで、外傷を負うなどダメージによる死亡以外に死ぬことはなくなる。
病気や毒などに対して無敵となり、老いもしない。
それに加えて、食事や睡眠、果ては呼吸すらも必要がなくなるという。
尤も、大抵のイモータルは精神的な充足や欲求、習慣などからそれらを自ら絶つ者は稀だそうだけど。
わかりやすく言うと、イモータルの肉体は日本や中国などで俗にいう“仙人”に近い。
そのかわりと言っては何だが、イモータルとなる際に任命(?)される主人とも言うべき神の手助けをしなければならない。
ここでは“手助け”と表現したが、要は仕える神の手足となって働くということである。
“手助け”とは言っても大抵の場合、地味で面倒な仕事が割り振られる。
例えば、自分の仕える神が生態系を司る神だったとしよう。
ダート平原の到るところにはトマルという草が生えているのだが、ある時このトマルが増え過ぎてしまった。
この時、神がダート平原の生態系がトマルによって破壊されそうだと思ったとする。
神は「わが眷属よ、ダート平原に生えるトマルの数を現在の半数にしろ。だが、他の生き物に傷を付けることはまかりならんし、減らすトマルの位置は平均的になるようにしなければいけない」と自らのイモータルに命じるのだ。
命じられたイモータルは何とかしてトマルを減らさなければならない。
方法についてまで指示された訳ではないので、トマル専用の除草剤を作ってもいいし、自らの手でトマルを一本一本引き抜いてもいい。勿論、専用の魔術があるなら(多分、恐らく、まず間違いなく無いだろう)それでパッと片付けても問題はない。
この場合、「他の生き物に傷を付けることはまかりならん」という条件があるため、恐らくは一本一本手で引き抜くしかないと思うけど。根の間にいる菌類や葉っぱの裏にひっついている虫とかまで傷つけずにトマルだけを狙い撃ちするなら他の方法はまず無理だろうからね。
仮にトマルだけを処分するような除草剤や魔術があった(作れた)として、一定面積のトマルを全滅させてはいけないからだ。
何百年かかるか分かったものではないが、それでもやらなければいけないのだ。
とんでもないよな?
でも、悪い面ばかりという訳でもない。
今のトマルを減らす件を取ると、仮にトマルを半分にするのに三〇〇年かかったとする。
その場合、次の仕事までのインターバルも三〇〇年“以上”はくれるのが通例だそうだ。
しかも休み中は仕える神に反しない限りは何をやっていてもいい。
遊んでいても、冬眠するように地中で埋まっていても、食っちゃ寝の日々を過ごしていたって構わないそうだ。
やったぁ! バルドゥックの迷宮探索よりも休みが多いね!
って、アホか。シラケ鳥が飛ぶような光景しか浮かばねぇわ。
まぁ、今のトマルの例はあまりにも、あんまりにも極端だけどさ。
とにかく、面倒なことを押し付けられるイモータルは神にとって手下に欲しい存在だという。
なので、新たなイモータルが生まれると神々の間でもいろいろな形で争奪戦が展開されるんだって。そこらへんはイモータルにはあんまり関係ないのでどうでもいいけど。
こうして神の“手伝い”をするうちに段々と神性を身に着け、いずれ昇神に至り本物の神となれるそうだ。
雑草抜いてるだけじゃダメだろうけど。
因みに、サボタージュしても構わないが、神から供給される力はその間どんどんと減るのであまりお勧めはしないとも言われた。
サボる手下に力を分け続けるくらいなら、自分で使った方がマシだとでも言うことだろうか?
それはともかく、イモータルとなっても今までに得た記憶や知識などは保たれるそうだ。
しかし、肉体からしてかなり上位の全く別の種族になるようなものなので、以前に取り組んでいた仕事などに対する執着心はあっという間に薄れてしまうという。
ゾウリムシが人間になったとしたら、今まで抱いていた目的だの欲求だの(と言うべきものがあるとして)、どうでも良くなるであろう事に近いのか?
精神的にも新しく生まれ変わるような感じだろうか。
次に、イモータルになるに当たってのメリットとデメリットだが、幾つかは説明に含まれている。ここでは前述した内容に含まれていない事を話そう。
まずメリットだが、肉体が強化されるに伴って魔力も増大する。どのくらいかはそれぞれによって異なるらしいから正確にどうとは言えないが、少なくとも数倍にはなるという。
また、使用した魔力の回復速度も非常に高まる。
更に、魔術のストックというものも出来るようになる。
これは、行使した魔術を発動しないまま保持できる能力で、必要になったらすぐに使えるものだ。
暇な時にでも使い溜めしておき、いざとなったら解放するだけで即座に魔術行使が可能になる。
その際には精神的な疲労もない。使い溜めの際に疲労しているからだ。
そして、今持っている【固有技能】に近い能力を新たに一つ授かる。
最後にデメリットの方だが、レベルアップや加齢に伴うような肉体の成長は(減衰も)とまる。
それ以外は既に述べた説明のままだ。
「解りましたか?」
「大体は理解できたと思います」
多分ね。
あと、ついでに日本語で喋るのもやめた。
この空間に響く俺の考えは日本語ではなくラグダリオス語だしな。
「では、どうでしょう? イモータルになることを選びますか?」
日本語で喋るのをやめたことについては特に問題はないようだ。
「その前に、一つお尋ねしても?」
「関連することなら、どうぞ」
「仕える神は自ら選択可能なのですか?」
「……ある程度は希望を聞き入れられますが、仕えることになる神は一柱ではないことが多いです」
へー。
何柱かで共有される感じかねぇ?
「……希望する神がいるのですか?」
「いえ、別に。聞いてみただけです」
「……!」
何かが俺の体を吹き抜けていったような感覚。
「……リルスが接触していたか」
空間の雰囲気が変わった。
それまで穏やかな感じだった白い空間は、何かが波打つような感じで少し重苦しい雰囲気となった。
「……例の……まぁ、重大な違反と言う程のことは……おっと、アレイン・グリードよ。少しそのままで待っているように」
空間の雰囲気がもとに戻った。
しかし、違反?
……そう言えば。
――亜神は本来、定命者には関わっちゃいけないの。一方的に覗いたり、指示したり、殺したりしてもいいのだけど、会話はダメ。余計な情報を与えちゃうからね。なんとかバレないようにしてるけど、本当にもうそろそろまずいの。
美紀がこんな事を言っていたっけ。
どうもバレたっぽい。
でも、何でだろう?
俺、変なこと言ったかな?
先程までの会話を思い返してみたが思い当たるフシはない。
強いて言うなら仕える神は選べるのか聞いたくらいだけど。
あのあと妙な沈黙があったし。
と、すぐに目の前に三つの光の塊が現れた。
そして、最後に俺の目の前には一人の女性が俺に背を向けた状態で姿を現す。
女性の肌は濃い紫色をしており、その背中からは皮膚を突き破るように大きな蜘蛛の足が八本生えている。
腰よりも長く、尻の辺りまで伸びる髪は白髪の一本すらない真っ黒い色をしていた。
太ももの中間くらいまでの丈の長いブーツを履き、二の腕から指先までを覆う長手袋もしている。
胴体にも何か身につけているようだが、長い髪と蜘蛛の足でよくわからない。
女性はすぐに眼の前の三つの光の塊に土下座でもするかのようにひれ伏す。
顔を見ようとどうにかして回り込みたいが、全身が固められたかのように身動きが取れない。
何か喋ろうにも口も動かず、唸ることすら出来ない。
考えたことも、今までは空間全体から湧き上がるように響いた筈なのに、何も聞こえない。
三つの光は不規則な明滅を繰り返す。
ひれ伏した女性の肩が震えたり流れるようにしなだれ落ちる髪が揺れる。
背中の蜘蛛の足もたまにピクリとしている。
しかし、それも俺の感覚では数十秒程。
女性はゆっくりと立ち上がるとこちらを振り向いた。
左目の斜め下の泣きぼくろ。気味の悪い薄い紫色と化した唇の右下にも特徴的なほくろがある。
体には短いスカート付きのレザーアーマーを身に着けている。
レザーアーマーとブーツは濃い紫色に染まり、表面は特殊な薬品でも使って磨かれたような艶がある。
完全に振り向いてくれたので鎧のデザインもよく分かる。
胸ぐりが大きく開いて体にピッタリとフィットするかのような、艶めかしいデザインで実用性のかけらも見受けられない。
強いて利点を挙げるなら、手足の動きを阻害する要因がないので動きやすそうだと言う程度だろう。
ありゃレザーアーマーじゃなくてレザーコルセットだな。
おっぱいの形も丸わかりだし。
おかげで胸の中心の三角に並んだほくろもわかる。
既に予想はしていたが、女性は美紀の顔をしていた。
先の尖った耳を除いて。
『美紀か!?』
俺の声が白い空間に木霊する。
美紀の姿を目の当たりにしてしまったからか、日本語だった。
同じ意味をラグダリオス語で表すと「ミキナ!?」になる。
美紀は何も返事をしないし、俺の方を向いたまま身動き一つしない。
先程味わったのと同様な、何かが俺の体を吹き抜けていくような感覚。
それが連続し始めた。
だが、俺はそんなことには構わずに思い切り目を見開くようにしながら近づいた。
今度は動けた。
近くまで寄るが美紀は全く動じることもなくそのまま前を見つめて立っている。
昔の、若い頃の美紀が立っている。
肩に手をかけようと思わず手を伸ばすが、こちらは相変わらず感覚だけで何も目に映らない。
そのせいか、少し冷静になれた。
さっきまで俺はミヅチを抱いていた。
その手で、今更美紀に触れるなど……。
美紀は何回か結婚をしたとも言っていたし。
頭の何処かで警鐘が鳴る。
だけど……。
それでもこいつは美紀だ。
ミヅチの記憶を覗いたことで俺の転生を知り、必死に俺を探してくれた美紀だ。
現界する時間が減ることすら承知で、魔力の限界まで俺を探し、帰郷したミヅチを援護してくれた美紀だ。
そうじゃなきゃ何の得にもなりゃしない面倒なだけの事、誰がすると言うんだ?
「アレイン・グリードよ。そなたは目の前の女性が誰だか判りますか? もう少ししたらまた尋ねますのでその時に答えてください」
わかるに決まってるだろ!
ん?
そう言えば、俺の考えが響かない。
さっきは声が出た。
時間の猶予を与えたということは、よく考えろということだろうか?
そして、声を出すことが許されたということは、何か聞いてもいいということだろうか?
『美紀!』
かつて愛した女の名を呼んだ。
美紀には俺の声が聞こえたらしく、辺りを見回しながら『武雄さん?』と返事をした。
『どこにいるの?』
美紀は続けて問いかけている。
イントネーションも平滑な日本語でだ。
『ここだ! お前の目の前にいるぞ』
俺も答える。
『見えない……』
美紀はおずおずとした様子で手を伸ばしてくる。
思わずその手に俺の手を重ねたが、俺の手は目に見えないまま美紀の手をすり抜ける。
『俺の方はよく見える。とんでもない格好をしてるな、お前』
喋っているうちに少し笑いを含んだ声音になった。
『え? そう? でもこれ、私が持っている中で最高の魔法の鎧だし……』
そ、そうなんか……。
魔法の鎧と聞いて、つい鑑定しようとして気がついた。
鑑定できない!
いや、鑑定が使えないんだ、これ。
『ところで、時間制限があるらしいから手早く答えてくれ。まず、ここがどこかわかるか?』
『わからないわ。でも!”#$&’(様に……「了解いたしました」
禁則事項で言っちゃいけない事らしいな。
『すまなかった。どうやら俺はイモータルとかいう存在になれるらしい』
俺の言葉を聞いた美紀は一瞬だけ目を大きく開くと心から俺を祝福するように微笑んだ。
昔、プロポーズをした時、大きな仕事を決めた時、会社で昇進した時なんかに俺に向けてくれた、愛情が溢れるような表情そのままだ。
懐かしさのあまり涙腺が緩む感覚がしたが、涙は溢れない。
神とは言え、人前で涙を零すところを見られなくてよかった……。
相変わらず何かが俺の体を吹き抜けていくような感覚は続いている。
『おめでとう。貴方ならきっと辿り着くと思っていたわ……』
と、美紀は身に着けている物共々急速に色を失い、石像のように動かなくなった。
『おい!? どうした!? 美紀、美紀っ!?』
少しばかり狼狽える。
「さて、アレイン・グリードよ。改めて問います。そなたは目の前の女性が誰だか判りますか? よく考えて答えて下さい」
……。
…………。
………………。
……………………。
美紀は彫像にでもなったかのように固まったままだ。
俺の中には既に答えはある。
だが、それをそのまま口に出していいものだろうか?
いや、嘘を吐いたところで意味はあるまい。
まして、相手は神だ。
俺の嘘なぞ、もうせんお見通しだろう。
だが、今この空間に俺の考えは漏れ出していない。
ええい、ままよ!
「彼女は……」
言い淀んだ。
だが、覚悟は決まった。
「彼女は……リルス様です。リルス・ズグトモーレ様」
僅かな沈黙の後、再び声が響く。
「それだけですか?」
「それだけです」
俺の体を吹き抜ける何かの勢いが僅かに強くなった気がした。
「本当に?」
神ってのは疑り深いな。
「え~、よく覚えていませんが、聞いた話が本当なら、何百年とか何千年前に転生した人だった筈です。聞いた話が確かなら、元はオースでも『地球』でもない星の出身だと……」
「なるほど、わかりました。それでは最初の質問に戻ります。そなたは我ら神の眷属になる資格を得ました。我らに直接仕えてみる気はありますか?」
イモータルか……。
人によっては魅力的なんだろう。
「いいえ。ありません」
きっぱりと答えた。
イモータルになる条件は幾つかグループ分けされています。
そして、グループ毎には定められた複数の条件があります。
それを全て達成、と言うか、クリアしないといけません。
アルはそのうちの一つのグループに設定されている条件を満たしました。




