第百五十六話 天敵
7450年2月22日
呼吸をすることすら忘れ、俺は走った。
剣の能力を使うべきか、まだ我慢すべきか、頭にはそれしかない。
使うとして、今使って効果がありそうなのは半径五㎞以内の敵対生物の注目を集めるって奴になるんだろうが、さっきから迷い続けている割には使用を決断できない。
敵対生物の定義が不明だからねぇ。
これから膾にしてやろうとしているドラゴンは、俺にしてみれば倒すべき敵で、明確に“敵対している”と断ずることが出来る。
だが、ドラゴンにしてみればどうなんだろうという考えを消し去る事ができないためだ。
何しろ、ドラゴンは俺を見たこともなければ聞いたこともないだろうし、俺という存在、言い替えれば屠竜という武器の存在を認識なんかしているとは思えないからだ。
まぁ、これについての解釈は以前ミヅチから色々と聞かされ、語られていたが、そのどれもが納得できる部分もあったし、納得の行かない所もあった。
一度くらい試しておけば良かったよね。
でも、べグリッツから半径五㎞以内にも魔物はいるだろうし、万が一にも変なもんが出てきちゃって、死人なんか出たりした日には取り返しがつかないし……。
とは言え、この状況だとまさに後悔先に立たずって言葉の通りだ。
パン。
小さな銃声が聞こえた。
脳内に展開されるミヅチの【部隊編成】による位置関係から推測するに、発射したのは皆から少し離れているベルかズールーだと思われる。
若しくは彼らとは別方向に移動を始めたグィネかも知れない。
皆が戦っているであろう広場まで直線距離にしてあと七、八〇mを切っている位置でこの聞こえ方だと、サイレンサーの性能はかなり落ちていると言っていいが、居留地の外にまでは聞こえないとは思う。
銃口の真正面で聞いたのでもなければ。
ああ、サイレンサー付きっぽいからグィネではないかな?
何にしても、まだ犠牲者は出ていないようだし……。
あの角を曲がれば広場までは五〇mもない。
おまけに直線で道が通じている筈だ。
「奥様っ!」
「ズールー! 集中して!」
ズールーとベルの叫び声が聞こえた。
距離と、建造物がある割には結構よく聞こえた。
屋根にでも登っているのか?
脳内に展開する【部隊編成】ではミヅチとトリスが瞬間移動でもしたかのように位置を変えたのがわかった。
【部隊編成】は切れていない。
ミヅチも、トリスも無事だ。
怪我くらいはしているかもしれないが、死んでいないことだけは確かだ。
角を曲がると広場が目に入った。
勿論、一番目を引くのはでかい青トカゲだ。
道の脇に建つ家のせいで視界が制限されているから上半身(?)しか目に入ってねぇけど。
【 】
【男性/11/6/7449・ブルードラゴン】
【状態:刺創・割創・切創】
【年齢:0歳】
【レベル:10】
【HP:2261(3214) MP:496(621)】
【筋力:48】
【俊敏:30】
【器用:40】
【耐久:42】
【特殊技能:赤外線視力】
【特殊技能:魔法抵抗20】
【特殊技能:低位魔法無効】
【特殊技能:電撃吐息】
【特殊技能:咆哮タイプⅢ】
【特殊技能:恐怖の霊気タイプⅡ】
【特殊技能:地魔法Lv.4】
【特殊技能:水魔法Lv.4】
【特殊技能:火魔法Lv.4】
【特殊技能:風魔法Lv.4】
【特殊技能:無魔法Lv.4】
うげ。
とんでもねぇな。
しかしながら、想定していた通りそれなりに戦えてはいるようで、少し安心した。
ああ、俺が見たのはHPの数値くらいだ。他を見てる暇なんかないよ。
……が。
すぐにショッキングな光景が目に入ってしまった。
ラルファ(長い金髪と【部隊編成】ですぐにわかった)に対してドラゴンが野太い腕を振り上げている。
瞬間的に目が大きく開いたことを自覚した。
ドラゴンまではあと一〇〇mはあるだろう。
走りながら大きく息を吸い込んだ。
「くおおっ!」
あれはロッコか?
ロッコが盾でドラゴンを殴りつけた。
ラルファを殴ろうとしていたドラゴンの邪魔をするためにそうしたんだろうが、大した邪魔にはならなかったようで、ラルファは殴り飛ばされてしまった。
あの体勢であのタイミングだと剣は振れないから仕方がないが、盾で殴りつけることが出来ただけでも大したものだ。
なお、ラルファも怪我くらいはしただろうが、死んではいない。
少しだけ近づいたからか、視界が広がってくれたおかげでミヅチとトリスが倒れているところが目に入った。
奥歯を噛みしめるとぎりっと音が鳴った。
野郎、ぶっ殺してやる!
「っ!」
一・二歩走って小さなジャンプを行い、背中部分に風魔法を使った。
ごっ!
瞬間的に加速したためか、耳元で風を切る音がする。
背中を強烈な風のハンマーで叩かれたかのようなショックに骨がきしむが、無理矢理に姿勢を整え始める。
「貴様っ!」
ラルファが殴られたからか、ゼノムの叫び声が響いた。
ドラゴンまであと八〇mはある。
その声を耳にしながら、俺は右手の屠竜を引き、少しだけ左手を突き出すようにしつつ、それでも前傾姿勢を保って、蒼いドラゴンの右側から突っ込む。
あと六〇m。
ドラゴンは後ろ脚だけで立ち上がったような格好だが、頭を下げつつも今度はゼノムを殴ろうと右腕を振り上げている。
いや、違う。
ドラゴンの額に魔術光が凝集するのが見えた。
広場に突入した。
……やはり魔法を使うか。
魔法を使う前に右腕を振り上げるとはな。
振り上げた右腕に対してゼノムに気を割かせ、少しでも集中時間を稼ぐための狙いなんだろうが、トカゲの癖してなかなかにいいセンスをしてやがる。
俺も魔法で、と思ったが、【特殊技能:魔法抵抗】を思い出してやめた。
あと四〇m。
何より風魔法に乗っている姿勢を崩したくはない。
ドラゴンの額に凝集した魔術光はあっという間に散り、魔術弾頭は発射された。
あと二〇m。
あの集中速度、流石に速いな!
いや、地下で膾にしたあいつもかなりのものだった。
だが、次はねぇ!
まずはその両腕を貰う!
「ぬあっ!」
ドラゴンの右腕を斬り上げた。
外見から想像していた通り、剣から硬い感触が伝わってくる。
太さは四〇㎝近いし、堅牢そうな鱗だか皮膚だかに覆われているうえ、骨太でもあるようだから当然だ。
が、構わずに思い切り斬り上げる。
ラルファを殴り飛ばした右腕を、肘のあたりで切断した。
「りゃあっ!」
そして左腕に向かって斬り下ろす。
これも切断してやった!
その瞬間。
「がっ!?」
俺の体に大きな衝撃と鋭い痛みが走った。
・・・・・・・・・・
ライフル銃を構えていたズールーは、やっと到来した絶好のタイミングで引き金を引いた。
彼にしてみれば中々隙を見せなかったドラゴンが見せた大きな隙だ。
彼の位置はほぼドラゴンに正対しているため、横腹はなかなか狙えなかったのだ。
それが、ドラゴンが僅かに斜めを向いたことで横腹が見えた。
見逃す訳にはいかない。
彼の位置からちらりと見えた横腹に対して必中のタイミングでの射撃である。
そのタイミングだけは見逃すまいと、【部隊編成】からも意識を切り、ドラゴンの一挙手一投足だけに集中していた。
バーン!
引き金を引くと同時に、ズールーは信じられない光景を目にした。
それが実る刹那の事だった。
満を持して放たれた魔法の弾丸はドラゴンの横腹ではなく、いきなり飛び出してきたアルの腰を撃ち抜いたのだ。
――そんな……!
ズールーは思わずライフル銃を取り落とす。
彼の視線の先では血液を撒き散らしながら地面を転がっていたアルがやっと止まったところだ。
「ごっ、ご主人様ぁぁごあああぁぁぁっ!!」
立ち上がると同時に【瞬発】まで使うと、屋根の高さも顧みずに飛び降りた。
・・・・・・・・・
なんだ!?
一体何が!?
何に!?
と思う間もなく、予め使っていた誘発の魔術によって、半ば強制的に意識が魔術へと振り向けられる。
完全治癒の魔術だ。
地面を転がったせいであちこち打ったようだが、そんなもの以上に大きな怪我をしている。
痛みはケツ、と言うか、腰だ。
洒落にならないくらい痛いが、右腹をえぐられた時程じゃない筈だ!
多分だけど!
多分だけどね!
少し落ち着いた。
思い返せば銃声が響いていたような……。
ベルかズールーの射線上に飛び出しちまったか。
「ごっ、ご主人様ぁぁごあああぁぁぁっ!!」
という、忠実な奴隷頭の声が聞こえた時には最初の完全治癒が効果を発揮し、痛みも幾分和らいでいる。
ま、でも、あと何回か掛けたいよね。
っつーか、掛けなきゃとても動けんよ、これ。
だが、両腕は切り落としてやったんだ。
みんな、せめて……せめて一〇秒は持ちこたえてくれ!
地面に倒れたまま、無意識に左手を患部に持っていく。
「ギオオオオオオォォォォォッ!!!!!」
耳を塞ぎたくなる程の絶叫がする。
両腕を切り落とされたドラゴンが痛みに耐えかねて叫んでいるのだろう。
巨大な重量級の生物が地面を踏み、暴れるような音もするが、そっちを見る余裕もない。
バーン!
俺の頭が向いている方のかなり近いところで轟音が鳴り響いた。
近いからかも知れないが、この音はライフル銃じゃない。
ピストルの音だ。
グィネか……。
まぁ、ドラゴンが大きな声を上げていた所だから多少は紛れたかも知れないが、黒黄玉はともかく、より近くまで迫っているはずのアンダーセンには聞こえてしまった可能性がある。
そう思った時には二回目の完全治癒が効果を発揮したのがわかる。
「アルッ! 無事かっ!?」
ゼノムの声が聞こえた。
「ぐっ、あつ……」
が、まだ痛くて答える余裕はない。
勿論、大声で何か指示を飛ばすなどとても無理な相談だ。
ここに至って漸く気が付いたが、弾丸は俺の右腰の後ろの方から入って、左腰の前の方に抜けていったらしい。
射出口である左腰の前の方がぐちゃぐちゃになっている感じがする。
腰骨まで砕かれたんだろうなぁ……。
ぶぁさっ!
何か大きな布のようなものが一気に広がった感じの音がする。
パリパリパリィ。
空中放電のような音がした瞬間、まずいと思って剣の能力を解放しようとしたが、治癒魔術に精神集中をしていたこともあって、間に合わなかった。
だが、俺は何のダメージも受けない。
ホッとしつつ、思わずキャンセルしてしまった完全治癒を再度使う。
三回目の完全治癒も効果を発揮した。
これでかなり良くな……まだ充分に痛ぇよ……。
よく考えたら射入口に加え腰骨を砕いている射創管、そして射出口と治癒魔術の対象となる大きな傷が三つあるんだから……そんな事より集中集中。
誰かが走ってくる音がする。
これは、ズールーか?
・・・・・・・・・
一分もすると俺は完全に回復し、ミヅチやラルファ、ベル、トリス、グィネなど怪我をしたメンバーに治癒魔術を掛け始めていた。
何しろ、俺は一秒弱の集中時間で完全治癒を使えるのだ。
俺の鎧は腰のパーツがほとんどだめになっていたので、物入れとベルトだけ残して他は全て外している。
広場にはドラゴンのものらしい腕が一本と尻尾の先が転がっている。
なんでも、ドラゴンは弱々しいブレスを放ったあと、腕の一本を咥えると飛んで逃げたそうだ。
広場の端まで行って、逃げていくドラゴンを見ているロッコによると、もうかなり小さくなっているが、まだ見えるらしいから一㎞程度しか離れてはいないだろう。
地下でぶっ殺したあいつと比べると結構遅いのな。
大怪我してるからかな?
とは言え、あまり時間的な猶予はない。
俺の傍で地べたに這いつくばっているズールーを見る。
言いたい事は幾つもあるが、そんな事は後回しだ。
「アル、あのさ……」
「すまん、今は時間が惜しい。緊急事項以外は後にしてくれ」
何か喋りかけたラルファを制し、大きく息を吸い込むと口に指を当ててピーッと大きく口笛を吹いた。
俺が倒れている時に聞いたドラゴンの咆哮が特殊技能の【咆哮】ではなく、苦痛の声だとしたら【恐慌(小)】であったウラヌスは恐慌状態から回復していてもおかしくない。
と言うか、回復していてくれないと追い掛けることさえままならないから、今度こそ剣の能力に頼らなきゃならない。
頼るとしてもどうなるか分からないし、あんな物騒な能力、出来れば一生使いたくはないんだが、今回ばかりはな……。
「ミヅチ、王国軍は傍にいるか?」
「村の北の森でキャンプを張ってる。人数は全部で四〇人くらい。でも一〇人くらいはタンクール村にあるっていうドラゴンの巣の監視に行ってるはずよ」
「偵察部隊か……」
「そうね」
「話は?」
「友好的にしてる。ドラゴン退治を申し出たら大歓迎だったわ」
馬が駆けてくる音がした。
無事だったか。
「皆、ご苦労だった。俺はすぐにドラゴンを追う。皆は馬が回復し次第タンクール村方面に向けて出発しろ。ドラゴン退治に合わせてタンクール村を確保する。グィネ、皆の先導を頼む」
格好をつけて言うと、愛馬の足音が近づいてくる方を振り返る。
と、駆けて来たのはウラヌスじゃなかった。
アンダーセンだ。
ありゃ、あの声は特殊技能の【咆哮】でもあったのか?
ウラヌスは当分だめかぁ……仕方ない。
それにしても味方の誤射を受けて地面に転がるという無様を見せないで済んだのは幸運だ。
今日はツいてるな、俺……いいじゃんか。こうでも考えないとやってらんねぇんだよ。
アンダーセンが傍まで来た。
皆は彼女の顔を見て驚きを隠せない。
彼女の事はまだ話してないし、そらま、そうだろう。
だが、今はそれどころじゃない。
「アンダーセン。馬を貸して、貸せ。そのかわり、特等席で最高のショーを存分に見せてやる」
彼女が何か言う前に、強引に手綱を奪い取る。
「仰せのままに」
反論一つせず、さっと地に膝をついて畏まるアンダーセンを見て、全員が目を丸くした。
彼女に替わって騎乗した俺はミヅチに目をやった。
「例の奴、今から使う。どうなるかわからん」
「ん」
ミヅチはすぐに気が付いてくれたようで、頷いた。
「最悪、一時間くらい厳しい状況になる。その場合アレを使うかどうかはお前の判断に任せる」
アレというのが銃だということも理解してくれたようだ。
「この居留地を守ることに固執せず、最善の方法を……馬がいるか。まぁいい。できるだけ皆でなんとかしてくれ。あと、遅れて黒黄玉の連中も来る。新入りもいるからな」
「わかったわ」
頷くミヅチに微笑む。
と、畏まる獅人族を思い出した。
……こいつも放っておくわけには行くまい。いや、暫く放っておこうとも思ったんだけどね。
なんか見てられない程に縮こまったまんまだしさ。
畏まったままのズールーに目を向けた。
「おいズールー」
「はっ!」
忠実な奴隷頭は臣下の礼を取ったまま返事をした。
よく考えたら、こうなった責任のうち大部分はズールーな気がする。
俺が戦闘不能にならなきゃあんなトカゲ野郎なんか今頃木っ端ミジンコだった。
「……」
ふつふつと湧き始めた怒りを飲み込む。
済んだことを言っても何の解決にもならない。
そして、俺は一度や二度の失敗でズールーを見限るなんて事もしない。
「失点は自分で取り返せ」
「は、ははぁっ!」
ズールーは頭を上げることもなく答えた。
な、何だよ皆、そんな目で俺を見るな、アンダーセンが見てるだろ!?
くそ、こいつらにも何か言ってやらなきゃ……あ、そうだ。
「それから皆、さっき言ったのと状況が変わった。ドラゴンを倒したあと、足が回復するまではここで待機する。その時は結構大きな戦闘になる可能性が高い。だが、その後タンクール村を分捕る計画に変更はない。多少の怪我くらいしてもいいが、死ぬな」
皆はニヤついたような表情のままだ、くそぅ。
「ゼノム。グィネと皆の馬の安全を見てくれ。ミヅチ、あとは任せた。危険かもしれないから王国軍も呼び寄せておけ。それから皆への説明も頼む。じゃあな!」
何となくいたたまれなくなったので、さっさと切り上げることにした。
馬にムチを入れると南側の耕作地を目指して走らせた。
王国軍のキャンプとは反対側だし、ドラゴンが逃げた方向でもあるし、丁度いい。
広場から出る辺りで屠龍の能力を解放する。
エメラルドグリーンの刀身が、カッとまばゆい光を放つ。
同時に、剣から何か熱く、ドス黒いものが俺の体に流れ込んでくるような気がした。
これは……!
ゴルゾーンドクーリがアルに切り落とされた腕を一本だけ咥えて逃げたのはリコネクションの魔術か使えるからではありません。
本音を言えば両方の腕と尻尾も咥えて行きたかったのですが、口が一つしかないからです。
また、お宝を見逃すのは惜しいという感情もありますが、それ以上に大きな危機感を感じたこと、思わぬ大怪我を負ってしまったために安全な治療場所を求めての退却となりました。




