第百四十五話 撃退
7450年2月11日
午前一〇時。
タンクール村の南の森。
日が昇る頃から降り始めた雨は一時間ほどで止み、今は雲もだいぶ減って良い天気だ。
デーバス王国黒狼騎士団を中核とするドラゴン討伐隊は村の東から南、西にかけて村を半包囲するかのように布陣していた。
討伐部隊は大きく三つに分けられている。
村の南にはダンテス将軍が率いる一五〇〇人からなる討伐本隊があり、東西両翼には約八〇〇の部隊が展開する。
加えて、両翼と本隊の間には荷車の上に固定された弩砲を備える数十人程度の小部隊が幾つか展開している。
――よし、準備は万端だな……。朝はどうなることかと思ったが、すぐに止んで良かったな。
ダンテス将軍は、腕を組んだまま床几の上で薄く笑った。
彼は右翼部隊からの布陣完了の連絡を待っているところである。
――しかし、移動式アーバレストを持ち出してくるとはな……。
ダンテス将軍はアレキサンダー王子から授けられた策を思い浮かべながら組んだ腕を解き、口髭を撫でた。
ドラゴン退治の現場における作戦や方針は指揮官である将軍に委ねられていたが、作戦に採用可能な策として、荷車にアーバレストを載せ、一〇人の屈強な兵士がそれを引いて一斉に接近し、適当な距離で槍を放つという案を伝えられていた。
基本的には待ち伏せ兵器であるアーバレストに機動性を持たせるという、この方法自体は新味のあるものではない。
過去に何度か同様の兵器が作られた記録もあるし、実際に運用されてもいる。
だが、射出間隔が大きいアーバレストを戦闘中に移動させるという利点は殆どないために、通常の戦争に於いては役に立たない事が多い。
移動中・移動後を問わずほぼ無防備である事に加え、人手が割かれる事が大きなマイナス要因だからだ。
防御施設を備えた拠点攻略戦などで相手の飛び道具の直射距離外から強力な弾体を発射可能であるという利点もある為に全く廃れた訳ではないが、曲射による散布射撃には滅法弱いのでこれを装備している攻撃部隊は少ない。
どちらかと言うと、攻撃を受ける側である拠点内に装備されている方が有効なくらいだ。
尤も、それすら最初から要所に設置しておけば事足りるが。
今回は、人相手の戦争ではないので弱点とされる曲射も受けないであろうことから、その貴重な移動式アーバレストが二〇門も用意されていた。
また、王子やその親衛隊長が愛用する物など、魔法の武器も幾つか貸与されている。
本隊に所属する唯一の移動式アーバレスト部隊には、【サンダラー】という銘を持つジャベリンが王家から貸与され、必殺の一撃になるだろうと言われていた。
加えて、左翼部隊と右翼部隊に所属する豪傑と言われる二人の兵士にも【スカーミシャー】という王子が所有する魔剣と【ピアシング・スピア】という親衛隊長が所有する魔槍がそれぞれ貸与されている。
どういう訳か、王子は渋る国王を説き伏せてこれらの魔法の武器を軍に渡していた。
通常なら直接剣を交える事のない将軍クラスが持つ程度で、前線に出るような者は例え所有していたとしても高価で貴重な魔法の武器は携行しない。
だが、今回は人を相手にする戦争ではなくドラゴン退治である。
戦闘の混乱で一時的に亡失したとしても回収可能であろうし、敵に奪われてしまう可能性も極小と言える。
従って騎士団の部隊長など、裕福な貴族などは家宝になっている魔法の武器などを持参しているケースも多いのであまり不自然ではない。
ダンテス将軍も黒狼騎士団の将軍職に就いた事で、ダンテス本家から【ジャスティス・ブレード】という貴重な魔剣を貸与されていたが、今回はその魔剣も彼の腰に提げられている。
右翼部隊から布陣が完了したとの知らせが到着した。
「よし。行くか……。馬を持て! 出撃するぞ!」
ダンテス将軍は立ち上がると兜の面頬を下ろしながら叫ぶ。
・・・・・・・・・
デーバス王国の王城ガムロイの一角にある親衛隊詰め所の奥の部屋。
そこそこ広い面積の割に、今は五人しかいないので閑散としている感じも受ける。
『そろそろ始まったかな?』
細かい字が書き込まれた書類に目を落としながらセルが言った。
『予定通り進行出来ていたなら今頃だ』
ツェットが凱旋順路を決めるための市街図にチェックを付けながら答えた。
『あ、その通り、バンダー商会が本店改装工事を始めたばっかだ。迂回させたほうがいい。……それにしても本物のドラゴン、見てみたかったな……』
ミュールが未練がましそうな声を出す。
『あれだけの人数に魔法の武器てんこ盛りだ。流石に負けないだろうし、俺は剥製でも見られればいい。ドラゴンにしては小さいらしいからな』
アレクが凱旋式典で述べる予定の祝辞の文面を練りながら答えた。
『できた。これでいいかな?』
アルコが去年の親衛隊の会計報告を書き終え、セルに渡しながら言う。
そして、桃水の入ったコップに手を伸ばしながら『でもドラゴンだよ。どんなふうに飛ぶのかとか見てみたいよね……』と言った。
『ん。一応チェックする。ソロバン頂戴』
セルはアルコに手を伸ばしながら答え、算盤を受け取る。
『そりゃ俺も見たかったけど今回は仕方ない。一匹いたんだ。いずれまた、どっかで出てくるだろ? その時に見ようぜ』
今まで見ていた書類を脇にどけ、会計報告書の束を目の前に置いてその手前でソロバンを傾けると五珠の下に人差し指を動かして全ての五珠を上に上げた。
彼らも通常使われている形式の算盤ではなく、日本式の物を使っているようだ。
・・・・・・・・・
ロンベルト王国ドレスラー伯爵領の領都デバッケン。
そのある宿で数人の男女が額を突き合わせていた。
「アルさん。まだ遠いですね……」
昨日、一番最後に到着したミヅチによって【部隊編成】に加えられたグィネがアルの位置を感じて言う。
「ああ、移動速度も遅いみたいだし、こりゃ到着には相当かかりそうだな……」
後頭部を掻きながらロッコがぼやく。
彼は検地中であったラルファとグィネを呼びに来たズールーが彼女らに声を掛けている所を盗み聞きし、自分も魔法の武器を所持していると言って無理やり付いてきたのだ。
勿論、カームにのみ事情を話した上でだが。
カームは魔法の武器を所有していないことからズールーとロッコだけでなく、ラルファ達にも参加を断られ、臍を噛んだまま見送ることしか出来なかった。
とは言え、カームにはシャドウ・ドラゴンの咆哮は忘れることなど出来ない恐怖と共に記憶に刻みつけられており、僅かに安堵していた事もある。
本人は決して認めないであろうが。
なお、ロッコの参加について盗み聞きされたズールーやラルファはそれぞれミヅチやゼノムから叱責を受けたが、元々接近戦ではかなりの実力者である上、魔法の武器を持っていること、加えてレベルも最後に別れた時点で二一とかなり高かったことからなし崩しに認めざるを得なかった。
尤も、ミヅチは元日光出身者を加える事についての利点も考慮してはいた事もある。
「軍隊を引き連れているのかも……」
飲んでいたお茶のカップをテーブルに戻しながらベルが言った。
「こんな事ならここまで急がなくても良かったかも知れんな」
笑いながらゼノムが言う。
「すみません。最悪の場合、昨日今日には到着する可能性があったので……」
ゼノムの表情は先の言葉は冗談であると物語っているが、ミヅチは改めて詫びた。
予想や経緯はどうあれ、無駄足を踏ませたことは事実だからだ。
「気にしないでくれ。それより、手はずを確認しよう。ラルファ、こっちに来い」
ゼノムはズールーと一緒に武具の手入れをしていたラルファを呼びつけた。
そして、もう一度、ミヅチによってアルからの指示が全員に伝えられる。
アルが合流するまではドラゴンについて情報収集に努める。
これは当然として、問題はアルとの合流前にダービン村を含むロンベルト領が襲撃を受けた場合だ。
アルがそよ風の蹄鉄を使って一時間程度(約三〇~四〇㎞)の距離まで接近しているのであれば合流を目指す。
デバッケンとダービン村との距離はおおよそ五〇㎞。
早馬なら数時間で駆けて来ることが出来る。
アルが以前斃したシャドウ・ドラゴンなら二〇分と掛からないで飛んで来られるという、正に目と鼻の先である。
尤も、王都からの急使によると、現れたドラゴンはそこまで大きくはない事が判っているし、彼らもデバッケンに到着して以来、ドラゴンについての情報収集は行っていたので、大体の大きさや姿形は掴んでいる。
モンスター博士のミヅチによると、まだ幼く、従ってレベルも大したことがないであろうと予想されている。
アルもミヅチに「俺と合流前に被害が出て、確実に斃せると踏んだのであれば斃してしまっても構わない。だけど相手の力量は慎重に見極め、必ず俺に暗号で連絡すること」と言っていた。
とにかく、現時点ではまだ新たな襲撃があったという報告も無く、タンクール村からの移動も確認されていない以上、アルの指示の確認はすぐに終わった。
「やることもないし、体を鈍らせないように模擬戦でもしようか? 郊外まで行けば迷惑にならないだろうし」
トリスが提案したことでミヅチ以下、久々に顔を合わせた殺戮者の面々は移動することにした。
・・・・・・・・・
――くっ……。これがドラゴンか……。
ダンテス将軍は焦っていた。
戦況は思わしくない。
死者は既に全軍の一割にも達しようかという大損害を受け、咆哮によって無力化されてしまった者は更に多い。
戦闘可能な者の数は、当初の六割も残っているかどうかという大惨事だ。
そもそも輜重部隊から選別した、移動式アーバレストを引く者達の多くが最初の咆哮でへたりこんで震え、殆ど使い物にならなかった事も予想外だった。
また、総勢で一〇〇名近くにも上る攻撃魔術を使える者達も当初こそそれなりに機能したが、あっという間に攻撃魔術を無力化されてしまった事も大きい。
しかしながら、正騎士団員で固められた左右両翼の突撃部隊や本隊は大きな被害を出しながらもまだまだ充分に機能している。
ドラゴンの方も飛んで移動することも多いが、地に降りて肉弾戦をする事も多かったのも救いだった。
今は村の北側に広がる耕作地で戦闘が行われている。
なお、電撃によるブレス攻撃は確かに大きな脅威であったが、どうやら扇状に吐ける角度自体はそれ程大きくは無いようで、集団に向かって吐かれれば確実に被害は出てしまうものの、吐く前に必ず大きく息を吸い込むので、そこを見計らって攻撃する事でブレスを上空に吐かせるなど、今では一度に数十単位の被害を出すことも減っている。
――有効なのは魔法の武器のみ、か……。
攻撃魔術が効かず、通常の武器では傷付ける事さえ適わないドラゴンだが、魔法の武器での攻撃は効果が認められた。
肉弾戦によって傷を負わせる事が可能だ、という事実は部隊の士気を大きく向上させた。
しかし、その魔法の武器による攻撃も頑丈な鱗を貫通出来ない事も多く、深手を負わせるには至っていない。
それがダンテス将軍の心に影を落としている。
――殿下の仰る通り、こいつだけは退治するか追い払わないと……!
ドラゴンの強大さは嫌という程理解した。
その上で、こんな化物を放っておくことなど出来ない、と将軍は思った。
何しろこれだけの戦力で当たっても細かい傷を付けるだけで精一杯なのだ。
今回の退治行動の目的は一に退治、二に国外、すなわちロンベルト側への追い払いである。
王子は可能な限り追い払うのではなく退治してしまえと言っていた。
――退治したいのは山々ですが、人の力で斬り付け、突く以上、鱗の防御力を突破するのは至難の業ですよ……人の力では? そうか!
彼の指揮下である本隊には魔法のジャベリンを備えた移動式アーバレストがある。
――貴重な魔法の武器を失うかもしれませんが、斃す方法はこれしか残されていません……!
ダンテス将軍は苦労してベテランの兵を集め、正式に騎士団に所属する兵士としては不名誉なアーバレストの引き手として再編成した。
そして、自ら前線に近づくと兵士たちを鼓舞し、指揮を執った。
「撃てっ!」
果たしてアーバレストから放たれた【サンダラー】は深々とドラゴンの胴体に突き刺さった。
「ギオオオオオオオオオオッ!!」
今までとは全く異なる苦痛に塗れた絶叫を放ち、ドラゴンは飛び上がって手当たり次第に電撃を放つ。
そして、兵士たちがあまり分布していない北の方へと飛び去っていった。
飛び去りながら、突き刺さった【サンダラー】を咥えて引き抜き、落としたことが確認されたため、将軍は直ちに回収の為の人員を派遣した。
次回は少し短めの話なので火曜か水曜あたりにアップします。




