「裏百四十五話」
ピクリ、と震えるような身じろぎをしてゴルゾーンドクーリはゆっくりと目を開いた。
彼の感度の良い聴覚に、ここ暫く聞いていなかった大量の獲物が発する音を捉えたのだ。
――これは……多い。多いぞ。
この地に来た時もかなり多くの獲物がいたが、今回はそれをも上回るようだ。
かなり大きな群れが三つ、そして、それらと比べると小さな群れが幾つもいる事も判る。
――そう言えば、腹が減ったな……。
ぐうっと首を伸ばし、周囲を見回した。
ゴルゾーンドクーリが眠っていたのはタンクール村の広場だ。
その広場を越え、居留地を囲む柵よりも更に外側に、大量の獲物が発する気配がした。
気配にはカチャカチャという金属の音が混じっていることに気が付く。
――己を殺しに来たのか? 餌の分際で……。
金属は武器や防具など、戦闘用の道具に使われることの多い素材であることは既に理解している。
同時に、剣や槍の穂先、胸甲などそれらの金属の一部は光を反射して美しく輝くのでとても気に入っていた。
――……ふむ、学習できないのか? ヒトという奴は存外バカが多いんだな……。
近付いてくる気配の数はかなり多いようで、ゴルゾーンドクーリは遮蔽物の多いこの場所は虐殺を愉しむのに不向きだと判断した。
広場の周囲に建っていた建造物や村内に残されていた刀剣や鎧など、ピカピカと輝く綺麗なお宝を集めて作った、そこそこに居心地の良くなった寝床を壊したくないという気持ちもある。
――まずは距離を取った方がいいか。
大きく伸びをすると翼を拡げた。
そして、強靭な後ろ足で大地を蹴ると羽ばたいて少し高度を上げる。
――これは……! ハッハッハ! わざわざお宝を運んできてくれたのか?
村の居留地まで指呼の距離に詰め寄っていたデーバスの兵士達が装備する武具を見て、ゴルゾーンドクーリはほくそ笑んだ。
どういう訳か、北の方には人っ子一人いないのが不思議だったが、ヒトの集団が南からやって来たのであれば北に空きがあるのも頷ける。
――北の耕作地で迎え撃つか。
ゴルゾーンドクーリは少しだけ北に飛んだ。
・・・・・・・・・
――ぐっ……! 奴らも多少は学習したようだな。
多数の魔術師から釣瓶撃ちにされる攻撃魔術を無効化しながら、ゴルゾーンドクーリは心中で毒づいた。
今までに二百匹以上も殺しているが、ヒトの数はその何十倍もいる。
そして、多くの犠牲を出しながらも未だに士気は高く保たれているようで、前回とは異なり退く素振りも見せない。
それには理由がある。
一つは圧倒的な数を揃え、その大部分が正規の騎士団員で構成されている事だ。
指揮官の号令一下、素早く隊列を組み、望み通りの速度で突撃や方向転換、退避が出来る部隊はそれだけで強い。
また、自分達は徴用された烏合の衆ではなく、辛い訓練を乗り越えてきた実力者であるという自負があるのも士気の向上に寄与している。
もう一つは恐れていた咆哮があまり大きな効果を及ぼさなかった事である。
ダンテス将軍が率いる討伐部隊は、デーバス王国でも白鳳騎士団に次いで実力が高いとされる黒狼騎士団を中核にしているが、それでも半数近くは咆哮の影響を受けるだろうと予想されていた。
事実、タンクール村が襲撃された際に命からがら逃げ帰った者達は口を揃えて「村人や駐屯していた守備隊のうち、半数くらいはドラゴンが上げた咆哮一発で無力化された」と報告していた。
報告者の中には守備隊の者も居れば、村の住人だったという者も居たし、ロンベルト側の軍隊にも影響を受けた者が居たとも報告していたため、咆哮が及ぼす相手について、何らの基準はないであろうと思われていた。
そのため、ある程度咆哮の影響を受けることを覚悟をして部隊を編成してきたのだが、実際に影響を受けたのは徴用されてアーバレストの運び手となった者達や、騎士団に所属している者でも比較的年齢の低い従士が多く、全体の三割程度だったのである。
咆哮の影響を受けるのは四割、下手をしたら五割にも達するかも知れないと予想していただけに、デーバス軍にとって、これは嬉しい誤算だった。
そして極めつきは、幾人かが持つ魔法の武器によって、いかな強大なドラゴンとは言えども確かに傷つけられることが判明した事も大きい。
襲撃から逃げてきた者の中にはロンベルトの指揮官連中がドラゴンに抵抗していたところを見た者も居た。
呆れるほどの武勇を誇っていたロンベルトの武者達でも、ドラゴンには碌に傷を与えられなかった。
しかし「我が軍にはそれが可能な者が居た」というのは大きく士気を高める事になっている。
・・・・・・・・・
――くそ。なんだあの武器は!?
幾人かが持つ魔法の武器は、ゴルゾーンドクーリにとって非常に嫌な攻撃であった。
受けた傷は全て大したことがない軽いものであったし、攻撃の大半は靭性が高いうえに剛性をも兼ね備える強靭な鱗で弾いてはいる。
が、稀に鱗の防御力を突破してきた攻撃については、何をどうしても無効化出来ないことがイライラをつのらせる。
そして、無効化出来ない以上、当然の如く痛みはある。
大した痛みではないため、生命の危機を感じる程では無いにしても。
更に、最悪に忌々しいのは、それらの武器が放つ輝きにどうしようもない魅力を感じてしまうことだ。
――欲しいな……。
あれを敷いた寝床の寝心地は、きっと物凄く良いに違いない。
自らを傷つけることが可能な物であれば、この丈夫な体にも適度な刺激を与えてくれそうだ。
今日まで使っていた寝床も悪いとまでは言えず、むしろ湿地にいた頃を考えるとかなり良いものであると言えたが、なんだかふわふわするばかりで気持ちの良い寝相を探すために何度となく寝返りを繰り返していたのだ。
最良の寝相については未だに見付けられていない。
――邪魔だ!
片方の翼だけを大きく振り、高速で回転しながら尻尾を叩きつける。
たったこれだけで数人の上半身が血煙と化した。
その側で怯んだような顔をして凍りついたように動きを止めてしまった獲物に腕を伸ばし、力のままに握り潰そうとした。
そこへ馬に乗った武者が突撃してきて腕を弾かれてしまった。
武者の反対側では、あの忌々しい武器を使う獲物がなかなか通らない攻撃を放ち続けている。
――ちっ、邪魔されたか。
そうしながらも少しずつ息を溜める。
ブレス攻撃をするべく一気に大きく息を吸い込むと、タイミングを読まれて邪魔されてしまうので、タイミングを読まれ難いように工夫したのだ。
それすらも何度も繰り返しているうちに読まれてしまうようになったが、隙を突くことで効果的に吐けることもある。
ある程度溜まったところで素早く息を吸い込み、雷と共に吐き出した。
馬に乗っていたムカつく獲物が纏めて何匹も死ぬ。
その有様は、相変わらずゴルゾーンドクーリに大きな愉悦を感じさせる。
・・・・・・・・・
そういった事を何度も繰り返すうちに、獲物達の動きも鈍くなってきた。
――おいおい、やっとノリノリになって来たのに、もう疲れたのか?
“傷を受ける可能性”はゴルゾーンドクーリにとって非常に良い刺激になっていた。
勿論、傷を受けてしまえば痛いので嫌だが、その事自体が彼に更に白兵戦技術を工夫させる結果になっていた。
右腕を振り回しながら左の翼だけを羽ばたかせる。
眼の前の獲物に噛み付くと見せかけて片脚で強く地面を蹴り、側面にいた獲物に突っ込む。
ブレスを吐く時も少しだけ飛び上がってやれば、まず邪魔をされることもない。
尤も、地上で吐くのとは異なって、空中でブレスを吐くと薙ぎ払うようにしても二・三匹しか倒せない事もままあるのであまり爽快感はない。
やはり地上に降りて思い切り吐くか、腕や口の中で蠢くように抵抗する獲物の感触を確かめながら殺す方が性に合っている事を再認識した。
今では色々な動きを試すようにまでなり、獲物の集団に確実な出血を強いている。
このままのペースで獲物を減らせるのなら、昼過ぎには全滅すら出来そうだ。
左腕に掴んだ獲物の頭を噛み千切り、クチャッと頭蓋骨を噛み潰す。
飛び出した脳髄を啜るようにして、単なるカスと化した頭蓋骨だけをペッと吐き出した。
こういう事をするとそれを見た獲物はそれぞれ面白い行動を取ることに気づいたのだ。
ムキになって無駄な攻撃を仕掛けてきたり、急激に顔色を変えて何かを叫んだりする。
――フッフフフ。ヒトって奴は全く良い反応をする。
その余裕が命取りになったのであろうか?
獲物の集団の動きが少し変わった事に気づくのが遅れた。
「撃てっ!」
どこかから獲物の一匹が叫ぶ声が聞こえた。
――はっ。また弓って奴か?
ゴルゾーンドクーリは全く頓着しない。
今のところ、獲物たちが使う飛び道具にはあの忌々しい武器はなかった。
あったとしても、大した傷を受けないであろうことは想像に難くない。
しかし……。
「ギオオオオオオオオオオッ!!」
今までとは比較にならない痛みを脇腹に感じた。
――何だ!? 痛い! 痛い! 痛い!
苦し紛れに弱いブレスを吐き散らしながら、ゴルゾーンドクーリは初めて危機感を覚えた。
【雷鳴】という名の武器は、その名に反して雷袋を持つ生物に対してダメージが増すのだ。
それが強烈な勢いでゴルゾーンドクーリの脇腹に突き刺さり、今まで感じたことのない苦痛を与えていた。
――アアアッ! これはまずいぞ!?
獲物としか認識していなかったヒトに対し、いや、他の生物に対して初めて脅威を覚えた。
――ひとまず、安全なところに……!
ヒトがやってきた方向とは反対方向を目指して飛んだ。
翼を動かすたびに痛みを与えてくる忌々しい武器は、飛びながらなんとか引き抜いて捨てた。
勿論未練はある。
だが、今はそれどころではない。
とにかく安全な場所に行って傷を癒やさなくてはならない。
全てはそれからだ。
まだ魔法には慣れていないので今回は使わなかったが、傷を治す魔法についての知識は得ていた。
――今に見ていろ、ヒトめ!




