第百四十四話 コンプレックス
7450年2月10日
「行くんですか?」
サージは馬の鐙に足を掛けたフィオの背中に声を掛けた。
「ああ。世話になったな」
背後に向けて答えながら、フィオは鐙に掛けた足に力を込めると愛馬の背に跨った。
「何度も言いましたが、今から行っても……それに相手は……」
まだ声を掛け続けていることから、サージには相当な未練が残っているようだ。
「ふ。何度も言ったが、着いて即戦っているとは限らないだろう? 現在の位置だって何週間か前の情報だと言ったのは君の方じゃないか」
フィオの傍ではグレースやエセルもそれぞれ馬に跨っている。
彼らは退治して得たワイヴァーンの鱗を売った金で全員分の馬を購入したのだ。
フィオ達三人は四日前にサージと会い、アルがダート平原に現れたドラゴンを退治しに行ったという話を聞いていた。
ラーメン屋でラーメンを啜り、バルドゥッキーに舌鼓を打っていたところに駆けつけてきたサージと久しぶりに顔を合わせ、お互いに懐かしくも微妙な気持ちに浸りあったのも束の間、僅か二日違いでアルがドラゴン退治に向かったと聞いてフィオは臍を噛んだ。
すぐに追いかけたかったのは山々だが、その時三人は馬を一頭しか持っていなかったために、とても追い付けそうには無かった。
それでもフィオはただ一頭の軍馬で追いかけようとしたのだが、グレースから「一人だけで行くなんてとんでもない」と強硬な反対にあってしまった。
「絶対に止せ」では無かったのには幾つか理由がある。
剥製となって店の装飾と化しているドラゴン退治の話を聞いたグレースとエセルだが、結局サージはドラゴンと直接鉾を交えた訳ではなく、戦闘の現場を見た訳でもない。
退治したアルから聞いたことを話したに過ぎない。
つまり、又聞きである。
又聞きであるためにドラゴンの強さに対して正確な想像が出来なかったという事もあったが、何よりフィオ以下三人には複数のワイヴァーンを倒したという自信があった事も大きかったのだ。
それだけフィオの強さに対する信頼感が高かったとも言えるだろう。
また、アルに対するコンプレックスについてフィオは語る事はなかったが、今までの道中で聞いていた断片からそれに感づいていたグレースはもとより、エセルもドラゴン退治には賛成だった。
尤も、エセルの方はワイヴァーンの鱗を実家に渡してしまっていたため、それ以上に金になりそうなドラゴンの鱗が欲しかったという直接的な事情もある。
勿論フィオも「無理に付いて来る必要はない」と言っていたが、それ以前にフィオが言った言葉を聞いて、グレースとエセルの二人は一緒に行くと言って聞かなかった。
フィオは「彼と対等に口を利くために、胸を張って肩を並べるために、正念場に駆けつけたい。それを以て修行を終える」と言ったのだ。
その言葉こそが最大の原因だったのかもしれない。
なお、サージが購入していた馬や、商会で配達用や仕入れに使役していた荷馬についても購入を打診されたが、頑として販売は断っていた。
そういう訳で、鱗を現金化して馬を購入するまでアルを追うのは諦めざるを得なかった。
馬を購入するまでの間、サージは何度も「無駄だからやめろ、危ないからやめろ、足を引っ張りかねないからやめろ」と説得を続けたが、フィオは耳を貸さなかった。
サージは思い余って「ドラゴンは魔法の武器じゃないと傷つけられない」とまで言って引き留めようとしたが「囮くらいは出来るだろうし、自分たちの固有技能を使えば倒す一助になるだろう」と、こちらも頑として譲らなかった。
仕方がないので「アルは魔法の蹄鉄を使っているから、どう頑張っても絶対に追いつけっこない」とまで言いそうになったがこれは言わなかった。
そして、結局馬は購入され、フィオ達はアルを追って出発するところだ。
遂に諦めたのか、サージは「せめて途中まで送らせてくれ」と言って、自分の馬を用意させた。
その間に部屋まで戻り、【力の腕甲】を装着し、模擬戦用の木刀や木槍を用意した。
当然、本身ではない木製のものでも、長物は目に留まる。
だが、サージはそれらについて何を聞かれても黙っていた。
そして、ロンベルティアを囲む耕作地から更に数㎞も離れた林の中の街道上で三人に声を掛けた。
『フィオさん。貴方は私の恩人です。私は、貴方には本当に感謝しているんです。だからこそ、その恩人をみすみす危険な場所に行かせたくない』
サージは三人の注目を浴びる。
『今ここで、馬を降りて俺と勝負してくれ。そして、俺が勝ったら、アルさんの後を追うのは諦めて……』
『そんなところじゃないかと思っていたよ。なぁ?』
フィオの言葉にグレースとエセルも頷いた。
彼女らも見え透いたサージの目的には気が付いていた。
『君の固有技能は確か……。ふ。私も固有技能は使わん。後で不公平だと言われたらたまらんからな』
フィオはそう言って馬から降りた。
彼が下馬するのを見て、グレースとエセルも続く。
『では、魔法もなしにしましょう。後で不公平だと言われたらたまりませんから』
嘯くとサージも馬から降り、フィオに木剣と木槍のどちらを使うか尋ねた。
『君と同じものでいい』
『では、槍を。最初に確認しますが、先にいいのを二回入れた方が勝ちです』
『わかった』
三m程の木槍を手にした二人は、穂先の間を二m程取った。
『良い面構えだな……』
サージの顔を見てフィオが評する。
『フィオさんこそ。あれからかなりの修羅場を踏んで来た事が解ります』
『ほう? それが解るようになったか? 大したものだ……シッ!!』
フィオは足を滑らすように鋭く踏み込んだ。
『っ!!』
だが、サージの方の反応も素早かった。
突き出されたフィオの穂先を跳ね上げつつ右後方に一歩。
そしてすぐに続けて一歩下がる。
構える姿勢はそのままだ。
その動作は完璧な流れで繋がっており、フィオも追撃出来なかった。
穂先の距離は殆ど変わっていない。
『一対一ってのはあんまりやってないんで、あれなんですが……その程度ですか?』
『言うじゃないか……私も剣の方が得意なんだが、その程度か?』
フィオもサージの言葉が挑発だと気づいた。
サージの額に汗が浮かぶ。
フィオの顔から表情が消えた。
雰囲気が変わったことはサージにも理解できる。
『シュアアァッ!!』
『イエエェーーッ!!』
二人はほぼ同時に前進し、槍を突き出す。
そして、互いの穂先は弾き弾かれ、突きの軌道を占領しようと争いあった。
ガッ!!
ゴッ!!
硬い木の柄がその身を削り合う音が木立に響く。
グレースとエセルはその様子をじっと見詰めているが、心の中では驚きを隠せなかった。
二人共槍には多少の覚えがある。
グレースはフィオと共に過ごし、魔物との実戦で鍛えられた数年間。
エセルは更に長い間、村の従士隊で修行を積んできた。
その二人をして剣の方が得意だと言うフィオには敵わない。
だが、目の前の猫人族の男はフィオと全く互角に立ち回っている。
お互いに有効打はまだ一つもない。
それどころか、相手の体にすら届いていない。
数十合も突き合い、弾き合って、なお決着はつかない。
仕切り直そうというのだろう。
どちらともなく、バッと距離を取り合った。
『はぁっ、はぁっ……』
『ふうっ、ふうっ……』
木槍を握った男達の吐く息の音がグレース達の耳に届く。
知らず、グレースは拳を握っていることに気が付いたが、更に強く握り込むとフィオの横顔を見つめた。
油断なく厳しい顔つきでサージを睨みながらも僅かに楽しそうな表情を浮かべている。
どうやら男達も呼吸を整え終わったようだ。
『はっ!!』
『ふっ!!』
そして、再び壮絶な削り合いが始まる。
拳を固めてじっとフィオを見詰め続けるグレースの横で、エセルも固唾を呑んで二人の模擬戦に注目していた。
フィオの方は高度な技を繰り出す事もあるが、サージの方は泥臭い動きを続けている。
どちらかと言うと、攻撃の手数はフィオの方が多く、サージの方は防御する事が多い感じがする。
しかしながら、エセルにはどちらが優勢だとの判断は付けられない。
――あの人……凄い。基本が出来てるんだわ……。
サージは碌に技を持っていない。
だが、バランス感覚が鋭いのか、身体能力が高いのか、なかなか体勢を崩さない。
フィオが繰り出すどんな攻撃も粘り強くいなし、時に根が生えたようにどっしりと構え、時に瞬間的に移動したかと見紛うほど素早いステップを見せ鋭い突きを放っている。
サージが見せているのはエセルも知っている基本の型が数種類だけだが、たったそれだけをどれほど積み重ねてきたのかと思わせるほど、全ての動作に一切の無駄がなかった。
再び二人は距離を取り、呼吸を整え始めた。
こうなると、どちらのスタミナが先に尽きるのか、どちらが先に集中力を失ってしまうのか、どちらが先に乱れた呼吸を回復出来るかが勝負を決めるかと思われた。
そして、一向に勝負はつかないまま更に時間が経過した。
『ぜぇっ、ぜぇっ……さ、流石は騎士ですね……やはりフィオさんは……』
『ぜぇっ、ぜぇっ……き、君の方こそ大したものだ……あの時まで武器すら握ったことのない農奴だったと言うのに……』
『ありがとうございます。ですが、もう完全に確信しました』
『何をだ?』
『次で決めます! イエァァッ!!』
迸るような気合いと共に、サージは目を疑うような速さ、且つ、今まで見せなかった動きで突進した。
――低い姿勢からの浮き上がるような突き!それが奥の手か!?だが!
サージの行動に目星をつけ、同様に姿勢を低く取りながらフィオは勝利を確信した。
『ッズエエェイ!!』
フィオが突き出した槍はサージの槍と交錯し、鋭い擦過音を立てる。
長時間に渡る模擬戦で握力が失われたのか、サージは槍から右手を離してしまった。
フィオから見てサージの槍は大きく右側に打ち払われた格好だ。
――今!
素早く槍を引き戻しながらフィオは目を疑う。
サージの右手が腰に伸び、べルトに挟んでいた小枝を引き抜いたのを見たのだ。
――ふ。確かに槍だけを使うとは言っていなかったな。
瞬間的に引き戻しかけた槍を手放し、フィオはサージをも上回るような速度で踏み込んだ。
そして、小枝を引き抜いたサージの右手に左手の手刀を叩き込んで払うと同時に、更に体勢を低くして水面蹴りを放った。
蹴りは見事にサージの足を払ったかに見えた。
だが、サージはその行動を読んだかのように飛び上がると左手の槍を振ってきた。
咄嗟に転がることで、辛うじてその攻撃を躱し、槍を蹴り払って立ち上がるフィオ。
サージの体勢は、槍を手放さなかったことで若干崩れたままだ。
いち早く体勢を立て直したフィオは何も持たないままの手で、サージにナイフを突き入れる動作をする。
それを認めたサージは、少しだけ残念そうな顔をして姿勢を戻した。
『この模擬戦は私の負け、ですね……』
自ら負けを認めたサージを労おうとフィオは口を開きかけた。
『でも、勝負は私の勝ちです』
フィオは目を見開いた。
が、すぐにサージの言わんとする事を了解する。
グレースもエセルも勝負はフィオの負けだと認めているような表情をしていたからではない。
『……確かにな。君と決着を付けるのにこれだけ時間が掛るようでは……な』
『お分かり頂けたようで、何よりです……ああ、疲れたぁ!』
サージは手に持っていた木槍を地面に置きながら大の字になる。
その隣に腰を下ろしながら、フィオは手の甲で汗を拭った。
『ドラゴンってのは凄いんだな……』
『ええ。私も行きたい、今度こそ役に立つからって言ったんですが、アルさんは首を振りました。まだレベル……そのレベルじゃないと言いたかったんでしょう』
『そうか……』
『ま、それも仕方ありません。私はスローターズに入ったのも遅かったですし、私が入った時にはスローターズは実質的にバルドゥックでナンバー・ワンでした。頑張りましたが、たかが数年程度ではとても追いつけやしません』
『……』
『でも、いつかは私だって役に立ってやる、と思って稽古も続けてますし、今でも迷宮には入ってるんですけどね。ああ、すみません。ありがとうございます』
サージはエセルが差し出してくれた、ボロ布一歩手前のハンカチで汗まみれの顔を拭った。
余裕のある生活を営めるようになっているにもかかわらず、未だに稽古を続けていると聞いて、フィオは感心すると同時に、納得したような顔をした。
『そうは言っても私なんかまだまだです。多分ですが、本気で相手をされたらアルさんやミヅチさんは疎か……ゼノムさんやラルさん……秒殺だな。トリスさん……ベルさん……ズールー……勝てるビジョンが浮かばねぇ……はは。どうにかこうにかいい勝負が出来そうなのはグィネさんかなぁ……』
『……そんなにか?』
フィオの顔に驚きの色が浮かんだ。
『ええ。でも、そんな人達でもアルさんともう一人、マルソー以外は恐ろしくて動けなかったんです。尤も、動けたとしてもドラゴン相手に何が出来たかは甚だ疑問ですが』
『……』
『アルさんは役立たずの私達からドラゴンを引き離して戦わざるを得なかった。あの人だって無敵じゃない。マルソーまで失った上に大怪我をして……それでやっと勝てたんです』
『うん……』
その話についてフィオは聞いていたが、事ここに至ってやっとドラゴンの強大さに想像がついたようだ。
『フィオさん。アルさんに対する気持ちについて、これでも少しは理解出来ているつもりです。剣の腕が、魔法の腕がどうのって……わた、俺も悔しいんです。子供みたいですが、やっぱり俺も男ですから……特に騎士団なんかに居たんなら……魔物がいる世界ですし、しょっちゅう戦争もあるから……解らんでもないです』
『……』
グレースもエセルもサージの言葉に耳を傾けている。
『日本人的な道徳観がどうの、教育方法がどうのってのも、フィオさんの意見だって納得がいきます』
『そこまでは言ってないと思うが……』
『見てりゃ解りますよ。悔しかったんでしょう? 正騎士と言やぁ、オースなら、この国ならどこに行っても大したもんです。しかも平民なのに入団四年で正騎士に叙されるなんて並大抵じゃない。ま、農奴のまま大した事なんか何もしなかった俺に言われても、でしょうけど』
『そんな事は……』
フィオは苦い笑みを浮かべた。
『いいですって。本音で話しましょうや。そんな、言わばエリートなフィオさんにしてみれば、下っ端の貴族だとは言え既にそこそこの商会を構え、冒険者としても大成功。転生した日本人を何人も周囲に侍らせているアルさんを見れば相当に悔しかったんだろうなぁって思います。嫌味くらいしか言えなかったんだろうなって……。転生前の年だってアルさんはフィオさんの半分くらいだった筈ですし……あれ? 九〇超えてたんですよね。あ、これ、言っちゃまずかったですか?』
『大丈夫だ』
しかし、サージは「エメラルド公爵クラブ迎賓館」の話だけはすまいと思った。
言えばブーメランにならないとも限らない事は置いておいても、そういうのは男同士の秘密にすべきなのだ。
『そんな人が将来独立して自分の国を作る、なんて聞いたらそりゃ面白くないですよ。現実性のない夢物語だと言うのも無理は無いと思います。あん時ぁ俺も、ちょっとそれはどうなんだ、って思いましたもん』
サージはやっと上半身を起こし、エセルにハンカチを返そうとした。
そして汗に濡れたハンカチを見直して「後で洗ってから返させてください」と頭を下げる。
『でも、なんだかんだ言ってあの人が凄い人なのは確かです。結局今では西ダートの上級貴族、それも伯爵になってんですから。お蔭で女房共々、俺も一〇年前の俺が聞いたら信じられない暮らしですよ。アルさんにどういう気持ちを持っていたって結構ですが、あの人は着々と実現しています。それがどうした、という向きもあるかも知れませんが、碌な展望もないままに商会をやるよりは俺は良かったと思っていますし、実際にあの人の元で貴族に叙された人も大勢居ます』
『そうか。貴族にな……』
『ええ、ドランでブイブイ言ってたっていう、愚連隊みたいな奴らもすっかり更生……させたと言ってもいいでしょう。あ、これ話すの初めてでしたっけ?』
『ああ、初耳だ』
フィオの表情はいつしか苦い笑みからほろ苦いそれに変わっていた。
『話を戻しますが、この前も言いましたけどロリックさんも士爵になって……ラッド村の領主になってます。貴族になったのは元日本人だけじゃない。日光のメンバーもカーム姐さんやビンスさんが士爵になってます。あ、ジンジャーさんもか……あの人のお蔭で皆は変わりました。それは確かです。それに、アルさんは元日本人だとかそうじゃないとかで差別はしません。それについても色々な考えもあるでしょうけど、あの人はオースにしっかりと根を張るつもりです』
『そう言えば、日本人の自分は既に死んだと言っていたな……』
サージはフィオの雰囲気が柔らかくなったのを感じた。
『でも、ま。そういう細かい話は後にしましょう。今夜は俺に奢らせてください。女房も紹介しますよ。今朝になってようやく悪阻も少し楽になったとか言ってましたから。ね?』
サージはズボンの汚れを払いながら立ち上がった。




