第百四十三話 本音?
7450年2月4日
午後三時。
王城ロンベルティアの中を歩くアルは抜けるような青空を見上げ、恨めしそうな目をした。
――畜生! 姉ちゃんやマルツが人質になることくらい覚悟はしてたが、いざ面と向かって言われる事がこんなに口惜しいものだとは……!
口をへの字に曲げ、明らかに機嫌が悪そうな表情をしたアルを見て、すれ違う者は君子危うきに近寄らずを実践し、あからさまに近寄るのを避けている。
――それはそうとして、俺と姻族関係を結ぶことを諦めていなかったとはな……。
アルは暗い表情のまま薄笑いを浮かべた。
――姻族になることが目的なんだから、公にされている庶子じゃないとダメか。ジーベクト……レファイス……フォーケイン……他は……男ばっかりだし無理か。さて、誰が……。
アルは庶子一人ひとりの顔を思い浮かべる。
一番年長のノイルーラ・ジーベクトはアルよりも三つ年上。
二番目のヨリーレ・レファイスはアルと同い年。
一番下のミマイル・フォーケインはアルよりも三つ年下で未だ十代である。
それぞれ結婚に当たって年齢的な障害は全く無い。
外見も全員が水準を満たしていると言っても良いだろう。
アルにしてみれば誰でも良かった。
どうせ愛情など欠片も持っていないし、親愛の情すら湧いたこともない相手であるからだ。
アルは苦虫を噛み潰したような表情で歩き続け、馬止に繋いであったウラヌスの手綱を引きながら城の正門に近づいていく。
表情は既に平静なものになっていた。
――バストラルの顔くらい拝んで行くか……。ドラゴンを退治しに行くと言ったら行きたがるかな、あいつ……。
あとは入城する際に預けた武器を返して貰うだけだ。
「お預かりした武具はこちらです。お確かめ下さい」
城門に備えられた番屋内から係が屠竜やナイフを渡してくれる。
ステータスを確認しつつそれらを身に着けながら、アルはふと城門の外に目をやった。
――ん? あれは……?
城門の外には旧知の者達がいて、アルに視線を注いでいた。
バルドゥックの冒険者集団、黒黄玉の面々である。
先日、アルと会ったばかりのネルもいるようだ。
――そう言えば、アンダーセンの姐ちゃんも庶子……公じゃないし、流石にトウが立ちすぎてる。ダメだろうな。っつーか、こんなガキじゃ向こうが嫌か。でも、なんでここに? しかも大荷物まで……?
荷車やそれを引く荷馬もいるようだ。
荷車には行李や荷袋も積まれている。
アルが城門から出ると、アンダーセンが一人で進み出てきた。
「やぁ。これはアンダーセンさん。本日はお日柄も良く……」
アルは当たり障りのない挨拶を口にする。
が、アンダーセンはアルが全て言い終えるより前にアルに跪いた。
「アンダーセンさん?」
「リーグル伯爵。私は先日、女爵位を頂戴し、ドレスラー伯爵領ダスモーグの太守に任命されました。伯爵閣下におかれましては、そう遠くない将来ドレスラー伯爵号を授与されると聞き及んでおります。以後、どうかお見知り置きを……」
これにはさしものアルも驚きを隠せなかった。
「は? 女爵? え? ダスモーグ?」
目を大きく開いて跪くアンダーセンの頭を見つめるアル。
だがすぐに表情が歪む。
因みにダスモーグはドレスラー伯爵領内で領都のデバッケンと一・二を争う大きな街である。
また、侯爵位を授与されてダート地方全土を手中に収めるか、ドレスラーの伯爵号を受けるまでアルにはドレスラー伯爵領については何の権限もない。
――あの国王、庶子だけでなく別の首輪まで……。
城門の前に広がる広場はかなり大きな面積を誇っているが、それでも手綱を引いた男に跪く女の構図は目立つ。
「ふぅ~。立って下さい」
「は」
立ち上がったアンダーセンはアルよりも一〇㎝程背が低い。
視線を合わせるため、自然とアルは彼女を見下ろし、アンダーセンはアルを見上げた。
「どういうつもりです? ……いや、どういうつもりか?」
アルの口調は厳しいものになった。
「伯爵閣下のご想像の通りだと思いますわ」
アンダーセンは涼しい顔で答えた。
それがアルの癇に障る。
「迂遠な言い方は止せ。私の監視を引き受けたな?」
「あら? それなら今まで通りではありません? 閣下もご存知だと聞いておりますわ」
「誰から?」
「今は亡き緑色団のリーダーから」
「……」
「ご納得いただけたようで幸いですわ」
「それで、雁首揃えて大荷物を抱えてどうする気だ?」
「任地までご一緒させて下さい」
ここで漸くアンダーセンは懐に手をやり、国王署名の任命書などを提示した。
「その意味を解って言っているのか? 後ろの奴らも?」
アルにしてみれば、ドラゴン退治への参加希望だと考えたのだが、これは現在置かれている状況を鑑みるに無理もないと言えるだろう。
「彼らは私の家臣となります。私の決定に異を唱えることなどございませんわ」
「彼女も?」
アルはネルの方に視線を向けて言った。
「彼女とは?」
「ネイレン・ノブフォムだ」
「直接お尋ねになられますか?」
「勿論」
アンダーセンはネルを呼びつけた。
ネルが傍に来るまでアンダーセンは意味ありげな視線をアルに注いでいる。
――なんだよ、その目は……。
ネルがアンダーセンの脇に立った。
「君は冒険者として稼いで、バルドゥックで治療院をやりたいと言っていたね?」
「ええ」
「ならなぜ彼女に付いて行く?」
アルの質問を受けて、ネルはアンダーセンを見た。
アンダーセンは頷く。
どうやら話す許可を得たようだ。
「いずれは貴族になれる可能性が高いと聞いたからです」
「……ほう? 貴族にね。……知らないといけないので言っておこう。この度、アンダーセンさんは女爵位を得たそうだが、この国では女爵だと貴族の任命は出来ないぞ」
アルはデーバスという言葉は敢えて使わなかった。
「それは知っています」
「知っているなら何故信じた?」
「言わなきゃいけませんか?」
ネルはアルではなくアンダーセンに尋ねた。
「どちらでもいいわ。言わなくても不利にはならない筈よ」
「では、言いません。もう戻っても?」
「いいわ」
――勝手に許可すんな! って、俺が彼女に命ずる権利はまだ無いんだった……。
戻っていくネルの後ろ姿に視線をやったままのアルにアンダーセンは顔を近づける。
「感謝して欲しいくらいですわ。お仲間を売らずに匿っているんですから」
今度こそアルは目を剥いてアンダーセンを見た。
「それと、もう一つ。陛下は生まれ変わったのは閣下だけではないとお考えです。既にご存じかも知れませんけど」
アルの目がすっと細くなる。
同時に急に思い出したようにウラヌスを振り返って首を撫でた。
姿勢を戻すが、顔と体は太陽の方を向いてアンダーセンには斜めになっていた。
アルの目に薄い魔術光が灯っていたが、アンダーセンがそれに気付くことはない。
「それを私に言うのが不思議だな。娘なのに」
「あら? 今はどう取られているか存じませんが、私の忠誠は閣下にのみ捧げられますわ」
「冗談は止せ」
「なぜ冗談だと? 私はダスモーグの太守。忠誠は陛下ではなくてドレスラー伯爵にのみ注がれるべきでしょう?」
「おためごかしは止めろ……」
「本音です。女爵位は父親からの最後の贈り物くらいにしか思っていません。そうじゃなきゃここまで言う道理はない事は……」
「狙いは何だ? 何を命じられている?」
「ドラゴンとの戦い方の解明。閣下の領地経営について不備はないかの調査。不備を見つけた場合、それを閣下にはご報告せずに陛下の手の者に報告すること。閣下の政治的な弱点の調査、という所ですね」
「他にはないのか?」
「ありませんわ」
「……」
「因みに、ドラゴンとの戦い方は閣下のご許可が頂けるのであれば正直に報告いたしますが、そうでないなら報告内容についてご相談を」
アルは思わず正面から彼女を見たが、すぐに姿勢を戻した。
「また、もしも領地経営について不備を見つけた場合、まず閣下にご報告します。政治的な弱点についても然りです。ご指示が頂けるのであれば欺瞞情報を報告します」
「……」
「それともう一つ。彼らもドラゴンの事はまだ知りませんわ。まぁ、遅かれ早かれ近づくにつれ、知るでしょうけど。だからドラゴン退治への同行は私一人か、せいぜい数人だと思っておいて下さい。足手まといにだけはならないように注意しますのでご許可下さい」
「……」
「最後に、娶るならミーム、ミマイル・フォーケインにしておいた方が良いと思いますわ」
「何故……?」
「父から聞いているからに決まっているでしょう?」
「そっちじゃない。三人のうちで何故彼女なんだ?」
「お忘れ? 彼女は私に心を開いているからです」
アルは項垂れるように目を閉じた。
――何故ここまで喋る? 何故一切の嘘がないんだ?
アルには訳が分からなかった。
・・・・・・・・・
7450年2月5日
午後四時。
デーバス王国ベルグリッド公爵領の北西に位置するジノブーグ子爵領ではどんよりと低く垂れ込めた分厚い雲が太陽の光を遮っている。
そのとある村にある広大な空き地でデーバス王国黒狼騎士団を中心とする大部隊は足を止めた。
先月の半ばに現れ、タンクール村を襲ったドラゴンの討伐部隊だ。
「よし、野営の準備をしろ」
黒狼騎士団を預かる将軍、アクサル・ダンテス伯爵は本日の行軍はここまでとの決を下した。
その表情には、王都からの長い道のりを急進してきたことによる疲れも浮かんでいる。
それもその筈だ。
彼が王命を受けて王都ランドグリーズを発ったのは一週間前の事だった。
王都を出た時は三〇〇人の精鋭で構成された部隊であったが、今では通り道に駐屯していた騎士団から引き抜いた人員も合わせて、合計で三倍近い八〇〇人にまで膨れ上がっているのだ。
道中で合流した輜重部隊も入れればその数は一〇〇〇人を大きく上回っている。
そして、この先に駐屯する緑竜騎士団とダート平原内に駐屯する黒狼騎士団の部隊も合一し、最終的には正規の騎士団員だけで二五〇〇、総員で四〇〇〇人もの大部隊でタンクール村に巣食う暴虐な悪竜を退治する事になっている。
可能なら余勢を駆ってロンベルトの開発村の一つや二つも陥したいところではあったが、先方もドラゴンに備えて防備を固めていることが予想されることに加え、あまりに急拵えの作戦のため、長期間に亘る補給計画も練られていないために、これは断念せざるを得なかった。
「ここまでは計画通りか……部隊の合流についてもよく考えられていたし、あのお坊ちゃん、見掛け倒しからは程遠いな」
大蔵大臣を務めるダンテス公爵の従兄弟に当たるダンテス将軍は床几に腰を下ろし、お茶を含みながら独りごちた。
「は? 何か?」
彼の独り言を耳にしたらしい側仕えの騎士が尋ねたため、将軍は「なんでもない」とだけ返答し、後のセリフを口に出すことは無かった。
――しかし、僅か一日でこれだけの合流計画を立て、遺漏なく実行できるように各地に早馬を飛ばし、手筈を整える事が出来るとはな……。一人だけではこうは行くまい。余程切れるブレーンも持っていると言う事か。
徴兵によって集められた士気と練度の低い兵士を排し、正規の騎士団員だけで構成されている精鋭の野戦部隊はきびきびとした動作で立ち働いている。
野営の準備を整える部下たちを見渡して、将軍は頷きながら思考を続ける。
――ふ。流石は次期国王と言ったところか。そうでなくては仕え甲斐も無いというもの……。
・・・・・・・・・
7450年2月6日
ロンベルト王国の首都、ロンベルティアに三人の旅の冒険者が訪れた。
彼らは魔導具を扱う店と、高級な武具、特に鎧を製造する鎧鍛冶の商会の場所を聞いた。
そして、聞いた中で一番手近な鍛冶屋へと向かう途中。
鼻孔をくすぐる懐かしい香りに抗する事は出来なかった。
ほろ苦い面持ちで看板に書かれた名を見上げる一人。
彼の後ろでは二人の女性が楽しそうに、いやがうえにも高まる期待を言葉にしている。
そうしているうちに彼らが店に通される順番が来た。
店の奥の壁に飾られている剥製はとても目立ち、店に入れば気付かないなどと言うことはあり得ない。
「……そうか。店主がな……」
看板を注視していた男は感心したように店員に言うと、ラーメンを注文した。
「私、麺硬め」
「あ、私は少し柔らかめで」
女性達の注文に目を細める男。
男の腹の虫が大きな音を立てた。
・・・・・・・・・
7450年2月10日
ダンテス将軍率いる青竜討伐部隊は目的地であるタンクール村の南西に位置するデナン村に到着した。
この時点で、デナン村の住民は全て南方への疎開が完了しており、村にはドラゴンを見失わないために配された数十人の偵察部隊が居るだけである。
「ドラゴンは未だタンクール村にあって、移動しておりません」
偵察部隊の隊長からの報告によると、ドラゴンはタンクール村を襲って暴れまわると、翌日には村の真ん中でとぐろを巻いて動かなくなっているらしい。
まるで、冬眠でもしているかのように身動き一つしていないという。
――時間に余裕が無いわけではなさそうだが、やるなら今か……。
偵察の結果を聞いたダンテス将軍は肚を決めた。
「明朝、日の出と共に前進し、タンクール村耕作地を臨める場所まで行く。今日は体を休め、ここまでの移動の疲れを抜け。体力の回復を優先させるんだ。一人一杯までなら飲酒も許可する」
そして、見張りだけは怠ることの無いように、と指示をすると領主の館に引っ込んで寝てしまった。
・・・・・・・・・
ゴルゾーンドクーリは身じろぎをした。
周囲には腐臭も漂い始めているが、蒼い竜はそれを意に介すことなく再び眠りに落ちた。
だが、その眠りはかなり浅くなっているようだ。




