第百四十一話 それぞれの思惑
7450年1月28日
デーバス王国の王城ガムロイに隣接する、ダーリンス宮殿。
そこで開かれている緊急御前会議の席上でジュール・ダンテス公爵は苦々しい面持ちで口を開く。
「あまりご無理を仰らないで下さい、殿下」
「しかし、あれだけ多くの証言からドラゴンが現れたのは真実だと……」
軍部省で副大臣の要職に就いているアレキサンダー・ベルグリッドは爵位も職位も年齢も上であるダンテス公爵に粘り強く食い下がっている。
現時点でアレクがダンテス公爵を上回っているのは唯一、王位継承権の順位だけだ。
「それについては調査隊の帰還を待ってから判断すべきだとの結論に達している筈です」
経済全般を管掌する大蔵大臣であるダンテス公爵は線の細い三十代半ばの男だが、若いころから優秀だと評されており、二年前から大蔵大臣に就いていた。
この年令で大臣とは些か極端だが、若くして副大臣となっているアレク同様に出自の家格を問われる事の多いデーバス王国ではままある人事だ。
そのダンテス公爵がきかん坊をなだめるような口調で正論を説く。
因みにこのダンテス公爵の長女とアレクは十年以上前から婚約中であり、今年か来年には結婚するものと見られている。
国王であるアゲノル・ベルグリッド公爵が招集し、アレクの叔父である宰相、ランナル・ベルグリッド侯爵を議長とした緊急御前会議はこの日も殆ど進展がないまま時間切れとなる様相を呈している。
なかなか進展しないのは、意見が大きく二つに割れて平行線を辿っているからだ。
アレクが主張しているのは「ドラゴンが他の村を襲わないうちに退治すべきである。従って退治は可能な限り早い方が望ましい。最大戦力を投入して一気にケリをつけるべきだ」という、かなり積極的な意見である。
対して、ダンテス公爵が主張するのは「そもそもドラゴンが現れたというが、流言飛語の類ではないのか? 本当にドラゴンであれば戦力投入も吝かではないが、ワイヴァーンなどドラゴンに似た魔物である可能性も否めない。戦力を動員するのであれば完全な偵察を行い、適正な数を算出すべきだ。そもそも大きな戦力を動かすには資金が必要であり、無駄金になる可能性は減らしたい」というものである。
御前会議に出席している面々は、その内心ではダンテス公爵の主張する慎重な意見への賛同が多く、アレクが主張する積極的な意見への賛同者は三分の一程度だ。
しかし、先年のコミン村占領作戦を企図し大勝利で飾ったアレクは、自らが所属する軍部省の中だけでなく、宮廷内での発言力も高めており、彼に対する追従などもあって現実に口にされる意見は半々というところであったのだ。
そんな折に法務省の大臣であるソルモンヌ伯爵が少しだるそうに挙手をする。
その拍子に、彼の顔の下半分を白く覆う長い髭がふるふると震えた。
老年に差し掛かったドワーフにしてはあまり強い質の髭質ではないようだ。
「この会議ももう二日目です。そろそろ結論を出しても良い頃合いではないですかな?」
議長に指名された伯爵は、もう飽き飽きという気持ちを隠そうともしていないが、その声音だけは重々しい。
そして、目を細めて伯爵の発言を聞いていた国王も決断を下すべきだと考えたようだ。
「アレクよ。そなたの思いは分かる。だが、大蔵大臣の意見についても検討すべきではないかな? 公爵が言うことは間違いではないように思えるのじゃが?」
デーバス王国において、国王の発言はそれなりに重んじられるが、あくまでそれなりでしかない。
ベルグリッド、ストールズ、ダンテスの三公爵家の合議制に近く、国内では最有力の貴族であるということが理由の半分近くを占めている。
なお、軍部省の大臣と共に隣のカンビット王国との国境付近で開かれている軍事境界線を巡る交渉に出掛けているために今回の御前会議には外務大臣を務めるロルモート・ストールズ公爵は出席していない。
「は――」
返事をしながらアレクは先日来、彼を取り巻く皆で話し合った事を思い出す。
それは今を遡ること一週間前。
タンクール村から命からがら逃げ帰った者達から続々と齎される情報がある程度集まり一定の信頼を置けるレベルにまで達した頃――。
親衛隊の本部でアレクを中心にドラゴンについて話し合いが持たれていた。
『……それで、ドラゴンってのは、普通はどんくらいでかいんだ?』
バーンズがアレクに尋ねた。
『昔、ダート平原で倒されたベルゴーフロクティは二〇m以上もあったと言われているな』
アレクは家庭教師だった宮廷魔術師から聞いた伝承を思い出して教えてやった。
『今回の奴は?』
今度はミュールが尋ねる。
『今まで受けた報告を纏めると、どうやら五m程度らしい』
アレクではなく、セルが答えた。
『えぇっ!? そんなに小さくても敵わなかったの? 敵も千人以上いたんでしょう?』
信じられない、という感じでアルコが隣に座るセルの顔を見上げながら言った。
『おいおい、五mの生き物って無茶苦茶でかいぞ』
セルはアルコを窘めるように言った。
『そうですよ。迷宮に出てくるケイブグレートボア並みかそれ以上です……アルコちゃんにもわかり易く言うなら、サイを一回り大きくした感じですかね? まぁドラゴンはもっと細いでしょうから体重はずっと軽いと思いますけど。一度くらいは見てみたいですね』
ヴァルはうんうんと頷きながら言う。
アルコも迷宮に入った折に一度だけ出会った事のあるケイブグレートボアの記憶を思い出した。
『あ、そっか。五mってあれよりも大きいのか……。でも、倒せるじゃない?』
それでもアルコは食い下がる。
『そりゃあ、でかいっつっても所詮は猪だしな。でもドラゴンは空飛ぶんだぞ』
ミュールが肩を竦めて言う。
『攻撃方法も突っ込んで来るくらいしかないし。こっちにはレーンも居るし』
バーンズも肯定するが、アレクはレーンが居なかったらどうなるのだ?と思った。
見た感じだと彼の発言についてはツェットも苦々しく思ったようだ。
『ところでドラゴンだけど……やっぱり火とか噴いたの?』
たまたま王都に戻って来ていたために参加できたクリスが興味津々という感じで言ったのでアレクはつまらない考えを止めた。
『火は噴かなかったらしい。代わりに雷っぽいものを噴いたって……』
『雷? ライトニングボルトじゃなくって?』
レーンが割り込んできた。
『いや、口を開けてそこから雷のようなものを放ったと……』
アレクはクリスからレーンの方へ視線を移しながら答える。
話題はドラゴンの戦闘能力や、本当に居るなら見てみたいとかそういう方向に移り始める。
『ところで皆、何か忘れてないか?』
それまで黙って話に耳を傾けていたツェットが初めて口を開いた。
ツェットにしてもドラゴンを見てみたいと思っていたのは確かだが、誰もが重要な事を忘れていて、それに触れない事に苛ついたのだ。
『忘れてるって?』
『何を?』
皆は口々に尋ねる。
『重要なことだ』
『勿体つけるなよ』
『そうだ。何を忘れてるって?』
ツェットはそれまで組んでいた腕を解き、テーブルに並べられたカップに手を伸ばした。
『レベルアップだ』
『……』
ツェットに言われて全員がハッとした。
『やっぱり全員忘れてたか。俺達がレベルアップするように、全ての生き物がレベルアップするだろう、という結論だったはずだ』
『確かに。魔法の特殊技能に代表されるようにレベルは「ある」という……』
『そうだ。だからこそ俺達も死刑執行人の真似事だってしてるんだったな』
『じゃあ、ドラゴンも……?』
『当然そう考えるべきだろうな――』
『どうにかして、ドラゴンをロンベルト側に誘導できないかな?』
『いい案だが、どうやって?』
『無理だよな……』
『タンクールに一番近いのはどこだ?』
『東のキンケード村だな。一〇kmくらい離れてる』
『次は?』
『デナン村だ。西に一〇kmくらい』
『北のロンベルトの村は?』
『当たり前だがこっちの村よりはずっと遠い。偵察だと一五kmは離れているそうだ』
『ドラゴンが勝手に向かうかどうか、賭けとしては分が悪いわね』
『俺がドラゴンでも近い方から襲うだろうよ』
伝承ではドラゴンはとてつもなく強力な存在だと言われている。
尤も、一介の冒険者集団によって倒されたので、騎士団や宮廷魔術師の中から実力者を選りすぐれば充分に対処可能だろうとも家庭教師は言っていた。
アレクが持っていた前世からの記憶でも家庭教師の意見は妥当なものだと思えた。
勿論、本物のドラゴンなど見たこともないが、コンピューターゲームくらいは嗜んでいた。
それらではせいぜい中ボス程度の扱いであり、勇者が率いる数人のパーティーでコテンパンにのされる存在でしかなかった。
しかし、新たな生を受けて二十余年、本物の魔物を見て、殺し合いをした経験すらある今、優れた魔術師なしではどうにもならないであろうことは想像に難くない。
僅かの間に大切な事を再認識したアレクは国王への返答を続ける。
「――確かに、大蔵大臣のご意見は理解できます。しかし、その間にもダート平原の民は悪逆なドラゴンに蹂躙されているやも知れないのです! それを思うと私は……!」
アレクは父である国王の問いに答えながら苦々しい思いを抱いている。
――クソ。ドラゴンが強くなる前になんとかしなきゃいけないのに、歯がゆいな……。
「発言をお許しください」
部屋の隅で警護に就いていたセルが、突然声を上げた。
本来ならとても許される事ではないが、ここにいる全員が三公爵の跡取り且つ外務大臣の長子であるセルの事は認識している。
遅かれ早かれいずれは彼もこのテーブルに就くべき有資格者なのだ。
今はたまたま星の巡り合わせの問題で王族親衛隊長を拝命しているに過ぎない。
「……許す」
国王は少しだけ考えたあとで許可を与えた。
「は。では僭越ながら……。確かに大蔵大臣のお考えはご尤もです。先年の大勝利によって、我が国の財政は一時的に一息つくことが出来ましたが、所詮は一時的なものです。恒久的な体質改善には至っておりませんので、余計な出費は戒めるべきです」
セルが話し始めて注目を集めるとアレクは目を瞑ってそれを聞き始めた。
「……皆様もご存知の通り、ダート平原はとても地質の良い土地です。タンクール村の陥落はそこに住まう民草の生活が破綻したのみならず、今後収められるであろう税についても、その減少を意味します」
セルは謹厳な表情を保ったまま、直立不動の姿勢を貫いて話している。
「それがロンベルト王国に奪われた件については慚愧に堪えませんが、そのロンベルト軍をドラゴンが打ち払った事、その一点についてだけは喜ばしいことです」
その視線は斜め上空に固定され、全く動じない。
「ここで忘れてはならない点は一つだけです。そもそもタンクール村は我が国の領土です。北はロンベルトめに押さえられておりますが、東西及び南側にも我が国の村があります。そこに被害が出てしまっては税収は更に減ってしまうでしょう」
元々ダート平原内に切り拓かれた村々は開発途上にあるという性格が強いため、大して多くの税は取られていない。
従って、この場にいる者たちにはそちらからの視点は少し新味を感じさせた。
「そして何より、我らはこのデーバス王国を導く貴族です。領地に住まう民の生活を安堵しないで何が貴族でしょう! タンクール村を襲ったのがドラゴンであるとかないとかどうでも宜しい! そのドラゴンを倒すか追い払えばタンクール村は再び我らが領土に戻り、王国軍もその威信を取り戻せます!」
いつの間にか王国軍が威信を失ってしまったかのように誘導されているが、先の攻防戦でタンクール村を失陥してしまったことは確かであるし、多くの者が虜囚となっていたにもかかわらず、ドラゴンの襲撃によって逃げ出せた事実もある。
ダート平原の最前線を守る軍隊としては結局力不足であったことは否めないだろう。
尤も、ダート平原に切り拓かれた村を巡る争いにおいては両国とも勝ったり負けたりなのでなんとも評し難い。
ドラゴンにおいては何をか言わんやである。
言及し難い問題であったため、誰もが口にしていなかったに過ぎない。
「それを、僅かな費用を惜しんで守備隊の増援すらなかなか出さねばタンクール周辺の村を治める領主や民草はどう思うでしょう!? そう、我々に見捨てられたと思っても責められますまい!」
セルの言う通り、過去には隣の村がロンベルトに占領され、守備隊ごと寝返った村すらあったのだ。
その逆も然りだが。
「村のすぐそばでドラゴンが暴れている。次に襲われるのは自分の村かも知れない。しかし、本国はなかなか増援を送って来ない。私がロンベルトのダート平原を担当する将軍ならさっさと使者を送って恭順を促すでしょう。守備隊を送ってやるから頼りにならぬデーバス王国など見限ってロンベルト王国に忠誠を誓え、と!」
部屋には朗々と響くセルの声以外に咳払い一つ聞こえない。
「……勿論、そんな甘言に乗らず、駐屯する守備隊や従士隊で対抗しようとする向きもあるとは存じます。いえ、領主達も誇りあるデーバス貴族なのですから、むしろその方が多いでしょう。ですが、それでは彼らに死ねと言っているようなものです!」
目を閉じたままアレクは薄笑いを浮かべた。
――役者だな、セル。
古来、強力な勢力の攻撃を受けて滅んだ国は、尽く末端を見捨て、切り捨てることが出来なかった政体である。
こちらが攻勢に出ている時は末端に至るまで大事にし、守勢に回った際には容赦なく切り捨てる。
国家を治める大原則とも言える。
そして、アレクから見てセルはそれが理解出来ない器ではなかった。
――俺にはとても言えなかった。だが、お前のお蔭でバカは炙り出せたようだ。焚きつけるか。
「我が国は過去、ダート平原に巣食う悪鬼、ベルゴーフロクティを打倒した実績のある、謂わば正義の国です……」
セルの長広舌はまだ続いているが、アレクとは意見を違える閣僚の中に数人、心を動かされたかのように目つきを変えた者をアレクは見逃さなかった。
因みに、国王もその一人である。
御三家とも言われる三公爵家の者、ましてや新進気鋭の若者達に、デーバス王国は甘い。
・・・・・・・・・
ガルへ村の領主の館の客間で、ズールーは館の主人に報告と要請を終えていた。
「確かにお伝えいたしました。念の為、来月の一〇日までにデバッケンに入っておいてください。宿はどこでもいいそうですが、ファイアフリード閣下や奥様とは現地で場所を確認し合って欲しいとの事です」
そう言うとズールーは床から立ち上がって頭を下げる。
「……分かった。俺もベルも今度こそきっちりと役に立つさ」
トリスはギラリと目を光らせながら答えた。
「それは私もです。あの時の醜態は忘れたくても……では」
ズールーも薄笑いを浮かべて返事をする。
アルはドラゴン出現の報告を受け、王都からの召喚に応じる際、はっきりと言われた訳でもないのに退治を申しつかることを予想していた。
そして、領地の中でも肉体レベルが高いであろう者を先に送り込み、現地で合流すべくズールーを使者に立てていたのである。
ズールーがアルから聞いているドラゴン退治のメンバーは、アルの妻であり、アルに次いでレベルの高いミヅチを筆頭に、ゼノム、トリス、ベル、ラルファ、グィネである。
それにズールー自身を加えたメンバーで当たろうと考えていた。
なお、現在のところラルファとグィネの二人は、ベージュ村の検地に当たっているところらしいのでこれから向かう。
彼女らと共にウィードまで戻ってゼノムと合流し、そこでミヅチの到着を待ってデバッケンへと赴くのだ。
今の所、ミヅチの部隊編成はアルとの間でしか使われていない。
感想欄にてご要求いただきましたのでデーバス側の転生者について簡単に纏めてみました。
■アレキサンダー・ベルグリッド(アレク/アレックス)
転生前の名前:???
固有技能:???
初出:幕間第五話
■センレイド・ストールズ(セル)
転生前の名前:木内義男(32)
固有技能:超回復
初出:幕間第五話
■レーンティア・ゲグラン(レーン)
転生前の名前:研堂阿矢子(66)
固有技能:魔法習得
初出:幕間第七話
■アラケール・カリフロリス(アルコ)
転生前の名前:手塚雪乃(17)
固有技能:性技
初出:幕間第十六話
■ミューネイル・サグアル(ミュール)
転生前の名前:戸村勇吾(35)
固有技能:耐性(麻痺)
初出:幕間第十七話
■ズヘンティス・ヘリオサイド(ツェット)
転生前の名前:沼岡清悟(40)
固有技能:予測回避
初出:幕間第十九話
■ヴァルデマール・ナバスカス(ヴァル)
転生前の名前:二見大介(30)
固有技能:耐性(腐敗・吸精)
初出:幕間第二十三話
■ヘクサー・バーンズ(ヘックス/バーンズ)
転生前の名前:光瀬健二(29)
固有技能:技能無効化
初出:幕間第二十六話
■アーニク・ストライフ(アーク)
転生前の名前:光瀬良一(34)
固有技能:変身
初出:幕間第二十七話
※転生前の弟とよく入れ替わっている。
■クリスティーナ・ハニガン(クリス)
転生前の名前:矢沢郁子(61)
固有技能:磁力体
初出:幕間第三十一話




