第七十六話 ゆっくりでも着実に 1
7449年9月21日
二人のダークエルフが執務室を出ていった。
ところで残暑が酷い。
今の気温は体感で三〇℃くらいはあるんじゃないかね?
空はよく晴れており、高く上がれば涼しそうだ。
ふむ……。
ρ=PM/RT
F=ρVg
何を考えているのかというと、この部屋の温度が何度以上になったら部屋ごと上空へ飛べるのかということだ。
……部屋の体積はあんまり大きくない上に建物が重いので数万度は必要になる。
尤も、部屋自体はそこまで膨張しないだろうから飛ばないけど。
部屋ごと飛ぶとか冗談はさておいて、そろそろ出来上がる頃だ。
何がと言うと、バークッドから引っ張ってきたダイアンたちに命じていた特別製のゴム引きの布のことなんだけどね。
ゴム引きの布のゴム面は炭を混ぜてしまえばうまい具合に真っ黒になる。
夕暮れ時や明け方、どこかの空に黒い玉が浮かんでいても、完全に見落とされるようなことはないだろうが、気付かれる可能性を減らすことは出来る、んじゃないかな?
簡単に言うと、俺は予てからゴム引き布を使って熱気球を作ろうと計画していた訳だ。
ウィードの北にあるウィード山とゾンディールの北にあるバシュケル山、そしてべグリッツの南にあるベロス山。
それぞれの山頂とまでは行かなくても中腹あたりから上空へ飛ばしてやればこの西ダート地方は疎か、俺の領外やデーバス王国領となっているベロス山の南側やダート平原の南を視界に収めることが出来るだろう。
当然視力の問題もあるので高い場所から見たとしても地平線のあたりなんかはよくわからないとは思う。
だが“オースと地球がほぼ同じ大きさの惑星である”と仮定した場合、高度一〇〇〇mから見える地平線までの距離は一二〇㎞近い。丘に阻まれたとしても俺の領内の大抵の場所なら一〇〇㎞はかたいだろう。
ま、よく見えるのはそれらの三分の一くらいまでの距離なんだけど、それでも充分だ。
詳細な地形はわからずとも、どのあたりにどの程度の丘があり、それが木に覆われているか、川はどのあたりを流れているのかが判るのはでかい。
グィネはべグリッツに来る前にウィード山の南側中腹まで登って見回していたというが、べグリッツの街を含め、領内最北のヘンソン村以外の全ての集落を視界に収めることが出来たと言っている。勿論、領地の南、デーバス側の村なんかもね。
それをもとにざっくりとした地図も作っていた。
まぁ、森や丘に隠れてしまう部分も多いから実際に傍まで行って見なければ細かい部分が不明なので線路のコース決めには二次資料的な価値しかなかったんだけど、それでも国王から貰っていた西ダート地方の地図とは比較にならないほど正確な地図だった。
ぶっちゃけて言うと線路のコースを決めるような、本当に正確な地図が必要ないのであればこの地図だけでも俺の領内についてかなりの地形を把握できる。
ほとんど丸裸に近いと言ってもいい。
ところどころ川の流れている場所が不明だったり、小さな道なんかは森に埋もれて全く分からないことの方が多かったりもするのが玉に瑕だ。
が、しかし、大きな街道や川などは途中が途切れてしまっても大体想像で補えるし、町や村の距離は正確だし、耕作地なんかも半分以上は判るから戦略的な計画を立案するには地図の内容としては充分すぎると言っても過言ではない。
あ……そう言えば……。
ハロス村が作っていたという隠し畑……。
急いで地図を引っ張り出す。
……描いてない。
俺が貰っているのは簡略的な地形と村や街の位置、ウィード山の中腹から見えたという川と道の位置しか記入されていない白地図に近いものだ。
うーん。
グィネはああ見えて結構ちゃっかりと自分の利益を確保する口だ。
詳細な地図とともに報告のあった隠し畑は、遠くから見て空き地なのか耕作地として開墾された場所なのかの判別は出来ないだろうが、「その場所に森はない」という事が判るくらいには広い面積だ。
二〇haくらいあるみたいだしな。
少なくともグィネが「森ではない開けた場所がある」ということに気が付いていない可能性は低い。
苦笑が漏れた。
あいつ、隠し畑らしいものがあることに気が付いていた上で、向こうから言うまで黙ってたのかな?
言って来なければどうしていたのだろう?
尤も、村から隠し畑までまではかなりの距離があるから単なる空き地だと思っていた可能性もあるけど……。
まぁいいや。
最初にこの地図を貰った時に隠し畑っぽい場所があったか聞かなかった俺が間抜けなだけだ。
ちょっと納得が行かない気もするが、俺の立場としてはこう思っておいた方が健康的だろう。
グィネのことを考えながらダイアンに割り当てた工房に使いを出す。
今は気球の風船部分の素材として、俺の要求通りにある程度高い温度になっても耐えられるような新式のゴム引き布製造作業の大詰めらしい。
あとどのくらいで完成するのか確認したかった。
今までバークッドで作っていたゴム引き布の布部分は、村で作っていた綿花をもとにドーリットの街にある紡績を生業としている商会で木綿の布に仕立ててもらっていたものを使用していた。
しかし、布の厚みが薄いためにある程度の温度に曝されるとゴム部分の劣化が激しくなることが判っていたのだ(丈夫にするために木炭や硫黄を混ぜているとは言え、柔軟性を担保するためにその量が少ないことも大きな原因である。なお、ゴム引き布に使われる木綿は一度水にさらして縮んだものを使用しているので、布部分が濡れても縮むことはない)。
その為、帆布のようにかなり厚手の布を使用して作った方が良いんじゃないかと意見していた。
幾つかの試作品が届けられていたが、残念なことにどれも俺が想定する基準を満たしていなかったのだ。
暫くして帰ってきた使いは試作品のゴム引き布を持ってきていた。
……ぶ、分厚いね。いつも以上に。
今回届けられた試作品はかなりの厚みがあった。
が、その厚みから想像するよりはずっと軽い。
難題を突きつけられて困ったダイアンは布を二重にすることを思いついたようで、ゴムを塗る便宜上の表面は今まで通りの薄手の木綿布を使い、内側にももう一枚布を貼り、その隙間にワタを詰めてキルトのようにすることを思いついていた。
勿論、その分多少重量も嵩んでしまうがアイデア自体は素晴らしいものである。
ちょっと重いので想定していたほどの重量を吊り上げるのは難しいかもしれないが、なぁに、風船部分を少しでかくしてやればいいだろうし、そうでなくともゴンドラに乗る人数を減らせば済むだけのことだ。
最低限、ゴンドラにはグィネと俺、もしくはミヅチのどちらかが乗れればいい。
もっと軽くするなら、ゴンドラは廃して気球を操作する俺かミヅチ、観察員のグィネを縄で吊るすという方法もある。
最悪の場合、上空での滞在時間は短時間で良しと割り切ってグィネ一人を風船から吊るし、気球内部の空気が冷えたら勝手に降りてくるのを待ってもいいのだし。
ま、何はともあれ今晩あたりこの布の実験をしてみよう。
・・・・・・・・・
「ん……。わかった」
ラルファが頷いた。
「この分ならゾンディールの方は今月中には……いける?」
そして、グィネに確認している。
「ん~、出来ればその前にベロス山? でしたっけ? 一度あの山に登って見てからじゃだめですか?」
グィネはコートジル城の南に聳えるベロス山に登ってみたいと言う。
「うん。予定よりだいぶ早いし、それからでいいよ」
返事をしたあと、言い忘れに気がついた。
「でも、山の向こう側はデーバスの領地だ。出来ればこっち側の坑道の周囲くらいまでを行動範囲と考えておいてくれ」
それだけではない。
山の奥地にはコボルドやゴブリンなどを始めとして、色々なモンスターも確認されているし、危険はいっぱいある。
まぁ、モンスターに殺されるようなことはないとは思うけど、今、越境するなどしてデーバスを刺激したくはない。
ベロス山中で越境したところで気付かれることなんかないとは思うが、念のためね。
「ああ、ゾンディールの方を見るだけのつもりですし、山奥になんか行かないですよ」
グィネにも俺の心配が理解できたのだろう。
にっこりと笑って領内側である北の中腹までにしか行くつもりはないと言われた。
「解ってるならいい。あと、ハロス村にあったような隠し畑な。他にも似たようなのは見なかったか?」
忘れないうちに確認しておこう。
「えへへ……やっぱり気が付かれちゃいました?」
グィネはぺろっと舌を出して言う。
髭面でそんなことされても可愛くないわ。
「……気が付いてたなら最初に言って欲しかったよ」
少しばかりねっとりとした目つきで睨んでやる。
「ゲーヌン士爵が黙っていたならあの場では見逃して、アルさんの耕作地ということにしちゃうつもりだったんですけどね。向こうから白状したんだし追徴で課税するくらいで勘弁してあげればいいかなって思って……」
む?
そういうつもりだったのか……俺の……。
俺はてっきり、後でゲーヌン士爵を強請るとかするつもりかと思ってたわ。
なんか……すまん。
「え? 気が付く? え?」
ラルファは何の事か解っていないようだ。
「あのハロス村の隠し畑ね、ウィード山からも見えてたんだよね。でも、畑かどうかまでは確信が持てなかったから、傍に行って確認するまでは話せないかなぁって思ってたの」
グィネが簡単すぎる説明をした。
しかし、ラルファはそれである程度理解したようだ。
「知ってたなら言っといて欲しかった……」
ラルファも俺と同じ感想のようだ。
まぁ、気持ちは解る。
「そうしたら、上手く交渉してアルに黙っとくかわりにアガリの一割とかさぁ!」
俺もグィネも、そう言って皮算用を始めたラルファを湿った目つきで眺めるしか出来なかった。
「……そしたら、年ン百万とか取れたかも……あれ? 何よ?」
発想が完全にヤクザ者のそれだ。
まぁ、俺の前で言うくらいだから本気じゃない、冗談だとは思うけど、な。
なんか、真夜中に何時間か気球に吊るしてやりたいと思う。




