第七十五話 進水 2
前回の後ろ半分の話です。
前回の話の題名もこれに併せて変更しました。
7449年初秋
デーバス王国の南中央部に天領として広がる西ミヨイテ地方。
その海岸沿いにある大都市ベンケリシュ。
そこから東に一〇〇㎞ほど進んだところに人口二〇〇〇人あまりのカルネリという港街がある。
カルネリの主産業はあまり大きくない規模の沿岸漁業と近所の漁港などで使用する小型船の建造である。
しかし、ここ暫くは沿岸漁業に向かう漁船の出港も激減しており、新造船の進水も全く行われていない。
一年半ほど前、王都ランドグリーズから王子殿下の親衛隊を呼称する集団がやってきて、王家発行の委任状を盾にカルネリを治めるハモール男爵から人民の徴用権を強引且つ合法的に奪い取ったのだ。
やってきたのは親衛隊と言いつつもその実は王都の守備を司る猛虎騎士団から人員を引っこ抜いて再編成された精鋭二個中隊であり、デーバス王国において治安維持や警察組織として非常に高い実力を誇る部隊であった。
カルネリの街が抱えていた船大工は全員、加えて働き盛りの漁師なども大部分が肉体労働の作業員として親衛隊に徴用されてしまう。
彼らに与えられた仕事はまず、砂浜ではない海岸の一部、それも水深の深い海岸の傍を大きく掘り返すことであった。
掘り返す深さは水面下四mを言い渡され、最初の二ヶ月ほどは成人している村民の殆ど全員が駆り出される程の大工事となった。
非常にきつい労働だったが、賃金は充分に支払われ、また遅配なども一切無かったことからハモール男爵や船大工、漁師達も大きな不満を抱える事はなかった。
とは言え、全く問題が無かったという訳でもない。
ここで行われている工事の一切について街全体に厳しい箝口令が敷かれたばかりか、違反者は幼子に至るまで例外なく即決裁判による死罪になると申し渡されたのだ。
そればかりか、カルネリの街の北部を東西に通るダヅーン街道は農民に偽装した親衛隊員達によって厳しい監視下に置かれ、街の住民は商家も含めて近隣の街や村に出向く際には必ず偽装した親衛隊員を伴わなければならないと言い渡されたのだ。
漁業は縮小し、造船業も休業となってしまったばかりか、生活必需品に類する商品の仕入れにまで影響が出てしまった。
賃金が払われても碌に買い物も出来ないのでは意味はない。
当然、ハモール男爵を始めとして親衛隊に抗議する向きもあったが慇懃無礼にあしらわれて黙殺されてしまった。
尤も、最低限必要な食料品などは定期的に親衛隊自らが王都などから輸送して来て、そこそこ適切な価格でそれを商家に卸したりしていたので不満が爆発するには至っていない。
そして去年の初夏頃、王都から上級親衛隊員の徽章を付けた若い女がやってきた。
女はその年齢に見合わないリーダーシップを発揮すると親衛隊員達や作業員にテキパキと指示を飛ばし、僅か二ヶ月ほどで近隣の丘を一つ丸裸にするくらいの勢いで木材を切り出させた。
それと並行して、いずこから仕入れたのか、よく乾燥した板材や角材も大量に運んできた。
これらの材木には松脂などが染み込ませてあり、船の建材であろうことはカルネリの船大工なら一目で判ったが、その量が尋常な物ではないことに船大工達は驚愕する。
切り出させた木材は二、三年は適当な場所に放置して乾燥させた上に同様の加工を施した上で使うのだという。
人々はいつかの時のように何十もの軍船を作るのだろうと噂をしあったが、その噂が街の外にまで漏れることはなかった。
秋頃にはその木材を使って、海岸近くに掘った穴の中で船の建造が始まったのだが、まず作られた船台の大きさにハモール男爵を始めとして船大工達は驚きを隠しきれなかった。
海岸近くに掘った穴が、僅か一艘の船の建造ドックであったことをここで初めて理解したのだ。
船体の建造が始まるのとほぼ同じくして建造ドックの海側の水面下の掘り下げ工事も開始され、年が明けて暫くすると、今度は王都から宮廷魔導士を名乗る女性が来て掘り下げたばかりの海底に魔法で作った大きな岩盤を沈めた。
また、同時にドックの壁も同様の岩盤で補強されたばかりか、背の高い岩盤がドックを囲うように配置されたことから内部を覗くことすら難しくなった。
因みにドックを掘った際に出た土砂についてはドックを囲う岩盤の外側に積み上げるように言い渡され、ぱっと見ただけだと単なる土の丘にしか見えなくなってしまった。
そして時は流れ、全長三〇m、全幅五・五mにも達する巨大な船が作られた。
船には三本のマストの他、船首には長さ四mにも及ぶバウスプリット(ジブという三角帆を張るための棒。ジブなどの縦帆があると進路の切り返しによって風上にも進みやすくなる)を備え、船尾には甲板の舵輪と連動する巨大な舵まで備わっていた。
船上構造物はマストと舵輪を除けば手すりすらまだ碌に出来上がっていないし、船内についても大まかにしか出来ていないが、船体は完成したのだ。
・・・・・・・・・
「この船を“フジ”と命名する! 名付けよ!」
この日のために王都から来たアレキサンダー王子が高らかに宣言すると、用意された渡り板をおっかなびっくりと言った様子で神官が渡り、甲鈑に触れて何やらモゴモゴとし始めた。
神官はすぐに王子の下に戻り、恙無く命名の儀式が終わったことを報告する。
うむ、と返事をした王子は船首側面からドックの上にまで伸びていた支綱を銀色に輝く斧で断ち切った。
支綱には上等なワインボトルとフォアマストの上部に取り付けられていたくす玉とが繋がっており、ワインボトルは船体に叩きつけられて割れ、くす玉からは多様な色に染められた小さな紙や布片が吹雪のように舞い散った。
それと同時にドックと海を隔てていた丈夫そうな岩盤を王子が睨みつける。
岩盤に向かって手を伸ばし、気障な仕草で開いた手を握ると、宮廷魔導士によって作り出された厚さ一m、幅八m、高さ六mほどの岩盤にビシリという身の毛がよだつような嫌な音を立てて大きなヒビが入った。
何か特殊な魔術でも使ったのであろう……か?
列席してた親衛隊の幹部らしき人物やハモール男爵が思わず椅子から腰を浮かせかけてしまう程だ。
落ち着いた様子で貴賓席のど真ん中の椅子にふんぞり返っていたストールズ公爵家の公子が低い声で「浮足立つな、みっともない」と言わなければこの場から逃げ出していたであろう。
続いて何か大きくて硬いものが岩盤をドンと叩くような鈍い音が響く。
ひび割れは更に広がり、その隙間から海水が染み出し始めた。
ある程度まで割れた時点で音は止んだが、既にひび割れからはかなりの勢いで海水がドック内に流れ込み始めている。
小一時間もするとドック内に流れ込んだ海水面はひび割れた岩盤の外に広がる海とほぼ同様の高さまでになっており、その頃には“フジ”はドック内でぷかぷかと浮かんでいた。
海水が流れ込むまでは船の甲鈑に対してそれなりの角度で下っていた渡り板は、今では緩い上り坂となっている。
「乗ってもいいか?」
貴賓席の端に振り返った王子が尋ねた。
「勿論。どうぞ」
上級親衛隊員の徽章を付け、“フジ”の建造指揮(彼女はギソウインチョウと自称していた)を執っていた女はにっこりと微笑んで答えた。
フジは帆船の種別ではバーケンティンとかスクーナーバークという種類です。
三本マストの先頭(フォアマストと言います)には横帆を張り、真ん中のマスト(普通は一番高いマストで、メインマストと言われます)と一番後ろのマスト(ミズンマストと言われ、普通は一番低いマストです)には縦帆を張る形です。
また、文中にある通りフォアマストからバウスプリットに掛けてはジブと呼ばれる三角帆を縦帆として張ります。
縦帆が多く、ある程度操船が楽で操船要員が少なくて済むのが特徴です。
なお、横帆もあるので風向きが良ければそれなりの速度も出ますので貨物船などにも向いています。




