第七十四話 ミヅチ
7444年5月28日
『……』
黙り込んだ俺を装備の確認が終わった椎名が真剣な顔で見つめている。
『別になにか咎めようなんて思ってませんよ。秘密にしたいのであれば誰にも言いませんし、ただ不思議だっただけです。言いたくなければそれでも良いです』
椎名は静かにそう言った。そして、
『でも、私を信用して貰えないのはちょっと……その……寂しいです。……あれから十六年も経っていますから、無理はないですけれどねぇ。でも、私はついさっき思い出したんですよ。だから昨日の事のように覚えています。セクステン社のアポの待ち合わせに向かう途中でバスに電車が突っ込んできたんですよ。でも、同じように現実の昨日の出来事も覚えてるんですよ』
と言って、悲しそうに微笑んだ。
『……はぁ……お前ならいいか……仕方ねぇ、種明かしだ。誰にも言わないと約束しろ』
俺が頬を掻きながらそう言うと、椎名の顔がパッと明るくなった。
『勿論ですよぅ。二人だけの秘密ですね。ええ、誰にも言いません』
確かにそうだが……お前に言われると嫌な感じだよな。
俺は椎名の目を見ながら言う。
『【魔法習得】ってやつだ。文字通り魔法を覚えたり『平気で嘘をつく人ってのはサイコパスの気があるらしいですよ。私を誰だと思っているんですか? 今更私を、ダークエルフの“一位戦士階級”、椎名純子、いえ、“静寂のミヅチ”をそう簡単に謀れると思わないで下さい』
! こいつ……やはりたった一人で迷宮に入っているのは変だと思っていたが、只者ではなくなっている、と言う事か?
“一位戦士階級”とか“シジマノミズチ”とかはよく知らんが……。
しかし、サイコパスってお前……。
あながち間違いでもないだろうけどな。
初めての時こそ少し心は乱れたがミュンの為と自分を言いくるめ、この前輝く刃の連中を殺す時なんか全く躊躇はしなかった。
まぁそんな事気にしてたらこれから先戦争一つ出来やしない。
解ってるさ。
大体、それを言ったら世の中の英雄は全員サイコパスだしな。
俺もそれを望んでいる。
オースだろうが地球だろうが二足歩行し、頭に手足がある生き物を魔物だろうとなんだろうと平気で殺せる奴らはどこかおかしいんだろう。
それは椎名、お前もな。
迷宮にいるくらいなんだからな。
『……』
『……』
数秒間沈黙が続いた。
『なぜ嘘だと言い切れる? 俺がお前に嘘を吐いて何かメリットが『ありますよ、沢山。あと、何度も言いますが私が川崎さんのことをあまりよく知らない、と思わないで欲しいものですね。あまり見くびらないでくださいよ。何度同行営業をして貰ったと思っているんですか? 川崎さんは営業で嘘を吐くとき、必ず相手をしっかり見つめます。以前言っていたじゃないですか、嘘を吐くとき、その時だけでも自分も騙すように覚悟を固めてるんだ、って』
……。
『八年もずっと貴方の傍で働いてきたんです。ずっと貴方を見ていました。私を騙そうとしても無駄です。椎名純子の気持ちと、ダークエルフとして十六年間過ごしてきた観察力と洞察力が合わさって、多分今の私はほぼ確実に嘘が見破れます。言わない、という選択でも結構ですが、嘘は、私に嘘だけは吐かないで下さい。私も貴方には、いえ、貴方にだけは絶対に嘘は吐きません』
……貴方、か。
そう呼ばれたのはどのくらいぶりか。
ふと美紀を思い出した。
『ごめんなさい。多分見破れるのは貴方限定です。でも、もう私の気持ちはさっき告白してしまったようなものです。魔力切れから立ち直ってから、昨晩何を言って何をしていたか思い出して余りに照れくさすぎたので変にテンションあがっちゃってあんなふうになっちゃいましたけど……。
川崎さん、私は貴方の事が……好きです。生まれ変わって以来のこの十六年、忘れていたことはどうしようもないのですが、私は、貴方の事が、大好きです。事故が原因で生まれ変わったことが理解できて……奥様がいらっしゃらない事が理解できたから口にできた……できることです。私は、何年も前から貴方が好きでした。せめて……せめてそんな女に嘘は吐かないで下さい。お願いします』
……。
『なんで黙ってるんですか? 私の気持ちにはとっくに気が付いていたでしょう?』
『知ってたよ。そりゃあ……。気がついてない訳無いだろう?』
お互い大人だし、俺は結婚して家庭を持っていた。
とても口には出来なかったんだろうし、俺もいちいち確認なんかする訳がない。
椎名は俺の言葉を聞くと目を瞑って少し顔を上に向けた後、涙を流した。
『良かった……。伝わってはいたんですね。ちょっと……これは……嬉しいものですね』
そう言って俺を見つめた。
嘘は吐けないだろう。
こいつとは損得抜きで付き合ってきたんだ。
勿論男女の付き合いではないが。
一度大きく息を吸い込んで口を開いた。
『技能の名前は覚えないほうがいい。あとで説明するが俺は他の転生者には【魔法習得】で通してるから。もう神様には逢ってるだろうからわかってると思うけど』
俺がそこまで言うと椎名は、
『転生者! なんか格好いい呼び名ですねぇ。まぁ言い得て妙ですけどね。あと、ごめんなさい。神様に逢ったのは確かですが、実はその時のことあんまりよく覚えてないんですよねぇ……。私が覚えてるのは事故で死んだ人がオースに生まれ変わったことと、自分の固有技能の使い方、あとは私が大きな問題を抱えていて、それを何とかするのに神様が少しだけ手を貸してくれたらしいってことくらいですね。ちなみにこの大きな問題ってのは多分私の記憶喪失のことだと思っています』
と言った。
『そうか。覚えてないのならしょうがないけど、転生者は他の人よりも成長度合いが高い。これは『ああっ、それは何となく覚えてました』
あ、そう。
『……肉体レベルが上昇するときに魔力なんかが上昇するんだが、その上昇度合いが高い、という事だ』
『肉体レベル?』
『いいからしばらく黙って聞け。教えてやんねぇぞ』
『スミマセン』
ほうほうと頷きながら聞いていた椎名はシュンとして謝った。
『とにかく、この肉体レベルを上昇させるにはいろいろと経験を積む必要がある。……生き物を殺したりとかな。おそらくほぼ確実に一定量貯まるとレベルアップだ。俺の固有技能はこのレベルアップのし易さのボーナスで今では多分他人の三倍くらいのスピードで成長出来る』
『……』
なに、その目は? ひょっとして疑ってるの? 誓って嘘は言っていない。
『……』
俺も椎名を見つめ返す。
『……で?』
くそ。
『何が?』
ちょっと面白いのですっとぼけてみる。
『それだけじゃ説明できませんよね? 続きがあるんですよね?』
言い逃れは許さない、という目つきだった。
あ、ダークエルフもエルフだけに瞳はトリスみたいにちょっと歪んでるんだな。
俺はちょっと声音を変えて言う。
『ああ、もう。相変わらず面倒な奴だな。だけどお前、これを聞いたら後戻りは出来ないし、させない。裏切りは許さないし、他言も許さない。一生俺に縛られると思え』
椎名はそれを聞くとまた涙を一筋零して口を開いた。
そして、その顔は笑っていた。
『あは、何言ってるんですか。私が川崎さんが不利になるような事をしたり言ったりすると思いますか?』
……。
『そんなの今更です。でも、それを聞いたら余計知りたくなりました。一生貴方の傍に居られる、ということなんですよね? それとも川崎さんは私が裏切ると思っているんですか?』
……。
『どうなんです? 答えてください』
『……思わない』
ちょっと、こいつをこんなに信頼していたのかと再確認して癪に障る。
俺の答えを聞いた椎名は嬉しそうだ。
『なら、私がどこかに行ってしまっても裏切ったとは思いませんか?』
少し考えてから返事を口にする。
『……多分思わないだろうな。何か理由があると思うだけだろうし、お前が自分から秘密を漏らすことはないだろう』
『拷問されて口を割るかもしれませんよ?』
『そりゃ仕方ない』
『十六年も会っていなかったんですよ。そこまで信じちゃっていいんですか?』
『駄目なのか?』
『駄目なわけありません! そんな……簡単に信じちゃって……馬鹿じゃないんですか?』
『馬鹿なんだろうな』
『馬鹿ですね』
『ああ、馬鹿だ』
『愛しています』
馬鹿はお前だ。泣くな。
『俺は愛してないよ、残念ながら』
笑いながら言ってやる。
『知ってました……でも、今言わなくても……』
俺は大きな溜息を一つつくと、口を開いた。年貢の納め時だろう。
『電車の事故で俺は一人小僧を助けた。その子の分の固有技能も貰ってる。これも名前は覚えるな。纏めて【魔法習得】で覚えとけ。……その実態は物の本質を見抜く力だよ。ステータスオープンの拡張に近い。だから、お前の名前がミズェーリット・チズマグロルってことも判るし、お前の肉体レベルは一〇で元素魔法の技能レベルは全部四、無魔法は五、経験値まで判る。筋力や俊敏はおろか、HPやMPといった生命力や魔力も数値で判る。ついでに言うと【部隊編成】の細かい能力まで判ってるよ。まだ打ち身が残ってることもな』
ついに告白してしまった。
俺の話を黙って聞いていた椎名だが、だんだんとその表情が驚愕に染まっていったのが高速度撮影のようにわかった。
今は目と口で三つのOを作っている。
『なにそれすごい、じゃない、キモい。ずるい。ひどい』
『……言われると思った。全くもってズルしてるようなもんだけどな』
『でも私の名前はミズェーリットではないです。“ミヅェーリット”です。ヅではなくミにアクセントを置いてください』
ズとヅで発音は微妙に違うのがラグダリオス語だが、ああ、そうですか。
『はいはい“ミヅェーリット”な。“ミリー”でいいのか? それとも“リズ”か?』
『出来れば“ミヅチ”と呼んでください。あと、川崎さんのお名前も教えてください』
忘れてたな。
『“グリード。アレイン・グリード”だ』
『では、“アル”ですか?』
『そうだけどさ……』
『なんですか?』
『お前に愛称で呼ばれるのはどうもな……』
『小さいことを気にしないでください。そんなことでは出世できませんよ』
『……』
『取り急ぎ確認したいことは確認しました。あとは安全を確保してからゆっくりと聞かせてもらいます』
『……ああ』
釈然としない。
『安心してください。私の技能レベルをご覧になったのならお分かりでしょうが、私は強いです。戦闘力五三万です。必ず出られます』
『あ、そう』
俺は更に三回変身した位だろうけどな。
『では、ちょっと失礼します』
そう言ってミヅチは俺の頬に触れた。一瞬だけグンッとミヅチがアップで迫ってきた気がしたが、気のせいだった。だが、これが部隊編成なのだろう。ミヅチがなんとなく身近に感じられる気がする。
『……良かった。上手くいきました。アル……嫌われていたら失敗していましたから』
馬鹿。
『俺は心が広いんだ。どんな事があってもお前を嫌う訳が無いだろう? 行くぞ』
『はい!』
立ち上がり二人で歩き始めた。
地上を目指して。
・・・・・・・・・
意気込んで歩き始めたものの、部屋はあまりに広く、灯り程度では光源から三〇~四〇m程度の範囲をどうにか照らせるだけだ。
通路の入口は疎か、壁一つ見えない。
歩けど歩けど無味乾燥な地面が広がっているばかりだ。
『まっすぐ歩けているかも怪しいな』
俺がそう言うと、
『確かにそうですね。ちょっと二手に別れましょうか』
ミヅチはそう言うとしゃがんで拾った石にライトを掛けた。
お互い肩ごしに振り返って同じ方向に光が見えればほぼ九〇度の角度で別方向に向かっていることになるし、【部隊編成】で大体の距離と方角も判る。
戦力を分散してしまう事になるが、それは致し方ない。
ライトのかかった石を持ち、二人で別方向へと進むことにした。
・・・・・・・・・
十二分くらい歩いた頃か、俺の頭に「集合せよ」「焦るな」という言葉が浮かんだ。
既にミヅチとはかなり距離が開いている。
なぜ十二分かというとライトの効果時間と使用回数から推測しているに過ぎない。
何か見付けたのか、何かあったのだろう。
遠くの方にぽつんと小さな光が見える。
【部隊編成】によるとその光、ミヅチまでの距離はだいたい四二〇mという感覚だ。
お互いそれなりに罠を警戒しているから速度は分速三〇m強というところだろう。
迷宮の通路を進む時と比較すると早く脱出しようという焦りもあるからか、かなり早いペースだ。
ミヅチが持っているであろう光に向かって一直線に進行方向を変えた。
元来た道を走って向かえば安全で早いだろうが、全く同じ道筋を辿れる自信がなかった。
「焦るな」と言う事は敵襲でもないんだろうし、ゆっくりと安全を確認しながら向かえば良いだろう。
首尾よくミヅチと合流したが、なんの変哲もない、元は鎖帷子であったろうものと、ボロい鞘に入った長剣が一つ転がっていただけだ。
価値は双方とも大した事はない一般的な品だった。
『アルさん。これ、見てください』
うん、見てる。
【鑑定】もしたし。
だけど、今の状況で大騒ぎするようなものじゃない。
鎖帷子の方は持って帰れれば金貨の一枚以上の価値はあるから大金と言えなくもないが、たった二人しかいない状況で大荷物を抱え込むのは得策ではない。
『これがどうしたんだ?』
『剣が抜かれていません。見たところ鎖帷子も時を経ているだけで、穴が空いたりしてる訳では無い様です。錆は着ていた人が死んでその死体が原因で出来たと思われます。傷らしい傷がないですし戦闘で殺されたのではないのでしょう』
確かにそうだ。
だとすると、死因はなんだ?
『恐らく餓死ではないでしょうか? この部屋はあまりに広すぎます。魔法が使えないのであれば同じ場所をぐるぐる回っている可能性すら有り得ます』
そうだな。
『そこで考えたのですが、フレイムかファイアー系の攻撃魔術を使います。普通に使えば射程は六〇m程はありますので、角度を変えて何本か飛ばせば六〇m以内に壁があれば判るでしょう。いきなり攻撃魔法を使ってアルさんを驚かせたくないので呼んだんです』
下手に魔物を呼び寄せてしまう事を考慮して派手な攻撃魔術で調査する事を断念していたのだが、明かりを持っていれば一緒という考えもあった。
万が一魔物の襲撃があった場合、ライトのかかった石を思い切り放り投げ、一目散に逃げるという案をミヅチが提案してきたから採用しただけだ。
『ああ、お前が胆を決めたのなら、俺がやる。俺の魔法の射程はお前よりある。それに……っと』
フレイムジャベリンを作りミサイルを付加して飛翔させた。
無魔法レベルMAXの見せ所だ。同じMP消費で効率を一〇倍に出来る。
勿論無魔法の分だけなので威力が上がる訳じゃない。
フレイムジャベリンミサイルは火魔法レベル三と無魔法レベル六の九MPを使うのが一般的だが、俺の場合、同じことを三・六MPで実現できる。
同じ九MPを使うのならスピード(加速力)を五倍、射程も五倍にだって出来る。
勿論無魔法は〇・六MPのまま、弾頭をでかくして威力を上げたっていい。
今回は威力より射程が重要だけどね。
あんまり遠くまで飛ばしてもどうかと思うので適当に三~四倍くらいでいいか。
二〇〇m近辺で周囲を一周旋回させた。
火の投げ槍は一度も見えなくならずに旋回した。
少なくとも周囲二〇〇mには何も無い。
正面に戻ってきた所で誘導を解除し、正面にすっとばした。
慣性で更に数十m飛翔したところで地に落ちて消えた。
多分二五〇mちょっとは飛んだんじゃないか?
『み、ミサイル……それに射程の延長まで……相当魔法のレベルが高いんですね……私も魔力と魔法の技能には自信があったんですが……これは……なんとも』
ミヅチが驚いていた。
そりゃそうだ。
射程の延長自体は無魔法に二倍三倍のMPを突っ込めばいいだけだが、ミサイルは無魔法が六レベル必要なんだ。
だから姉ちゃんも騎士団の入団試験で驚かれ、その魔法の技能だけで合格できたのだ。
『ただ飛ばすよりは余程ましだろ。あと、俺たちは同じ場所をぐるぐるなんて絶対に回らない。こうすればいい』
手に持った石に再度ライトを効果時間の持続ではなく、延長に魔力を注ぎ込んで掛けた。
持続の方がMPの効率は比べ物にならないほど良いが、その間別の魔術を使うときに面倒だ。
灯り自体の見た目は何も変わらない。
通常の百倍の魔力、一〇〇MPを使って効果時間を一〇倍にする(攻撃魔術以外は追加したMPに比例して効力は上昇しない。平方根で上昇していくのだ)。
これで五〇分は持つ。
『通常のライトより一〇倍くらいの時間光っている。で、こうだ』
普通のファイアーボールを使った。
一〇〇mを飛び、更に慣性でもう少し飛んだあと、地面に落ちて破裂した。
燃えた石が飛び散って赤く輝いている。
一〇分やそこらはまだ光を感じられるだろう。
『あそこまで行って、もう一度ライトの石を置く。二点間の延長線上を進めば多少ずれるかも知れないが五〇分間はほぼ直進出来るはずだ。あとは効果時間が切れる前にまたライトを使ってもいい』
そう言って進み始めた。
『……はぁ。自信なくなるなぁ、もう。一体どんだけ魔力に余裕があるんですか?』
『お前の十倍はカタいよ。だから安心して付いてこい』
『じゅっ、十倍……どんだけですか、私の魔力量だってそれなりに上位のはずなんですが……』
ミヅチは肩を落としている。その時だ。
『あっ、悪ぃ。ちょっとうんこしたくなっちゃった』
『……もぅ、仕方ないですね。あっち向いてますから早くしてください』
ラルファじゃないが、出物腫れ物所嫌わずってね。
昼飯食ってからいい時間だし、仕方ないだろうよ。
さっさと出すもの出して水魔法でケツを洗い、さっと乾燥させて鎧下を引き上げ、プロテクターを付けた。
この間僅か三分だ。
こんな芸当、金属鎧や重ね札の鎧なんかじゃ無理だろう。
因みに出したブツにはどんぶりくらいの土を出して埋めた。
『待たせたな、さぁ進もう』
『……早いですね。プラ、いやゴムの鎧ですか……』
『ああ、軽くて丈夫、着脱も楽だし水洗いも出来る。いいだろう?』
『はぁ』
『なんだ? 興味ないのか?』
『そんなことありませんよ。でも、今はここから抜け出すのが先決です』
『ま、それもそうだな。ところで、お前はいいのか?』
『何がです?』
『トイレ』
『アルさんが寝ている時に少し離れた場所でしました』
『そか』
こいつにはラルファ以上に気を使う必要がない。
美紀とは別の意味で古女房のようなもんだ。
・・・・・・・・・
一時間近く経過したろう。
先ほど三個目と四個目の長期ライトの石を落としている。
ファイアーボールを適当に連発しながらちまちま歩いてもう二㎞程だろうか。
俺のMPは六八〇〇を少し切ったくらいだ。
餓死者を見付けたのでモンスターは殆どいないだろうと思われたためミヅチとここまでいろいろ話してきた。
転生してからの人生など、話のネタが尽きる事はない。
ようやっと前方に壁が見えてきた。
壁は斜めに右側が手前で左側が奥のほうに伸びている。
さて、どうしようか。
『おい、迷宮初心者。壁伝いには行かないぞ。この広さから見て考えられることはあんまり多くないけどな。俺はこんなにでかい部屋は初めてだが、このクラスの部屋を一つ知ってる。円形をしていた。俺が心配していることを当てられるか?』
『知れたことです。迷宮の一つの階層がまるまる部屋になっているということでしょう?』
『その通りだ。じゃあどういう風に動けばいいか解るな?』
『迷宮の中心に転移水晶があるはずです。もし円形であれば壁から直角にまっすぐ歩けばいつか辿り着ける筈です』
『そうだな。尤も、迷宮の階層まるまるじゃない可能性だって充分に残されてる。何も見つけられないまま反対側の壁に到達したら、今度こそ壁沿いに歩くぞ』
『わかりました』
壁を背にして歩き出そうとしたが、この壁が本当に外周なら直径一〇㎞程、周囲は三一・四㎞あるのだ。
本当に直角になっているのか確かめるため、ミヅチを離れさせ、壁から二〇〇mくらい離れる。
壁に正対し、ライトニングボルトの魔術を壁に向かって放つ。
電撃は一直線に壁に向かい、跳ね返る。
正確に俺に向かって戻ってくればほぼ直角と考えていいだろう。
俺の魔術の射程はライトニングボルトを普通に使った場合、通常八〇m程度の射程を八〇〇mまで延長出来るが、流石にそれだと遠すぎる。
射程は五倍くらいで充分だ。
これでも本来消費MPが一二のところを一〇で済むのだ。
何度か撃ち直して角度を微調整する。
……これでいいだろう。
見事に俺の目の前までライトニングボルトは反射してきて消えた。
この位置か。
同じ位置から炎の壁を壁に向かって一直線に使う。
射程の延長はしない。
効果時間の延長にしておいた。
これで一〇〇秒くらい燃えている筈だ。
だが、これで壁に対してほぼ垂直な直線が引けた。
ここに長期ライトの石を置き、真っ直ぐに進んでから更に長期ライトを置けば炎の直線が消えても長期ライトの石の二点間の直線は壁に対してほぼ垂直と見做しても問題あるまい。
・・・・・・・・
予想していた通り、ここは何層かは知らないが、まるまる一層を使った大きな部屋なのだろう。
空きっ腹を抱えた俺たちは、三時間弱を経過した時に直径一〇〇m程度はあろうかという円柱のような壁の外壁にぶつかった。
ここまでに昔の餓死者のような装備品も幾つか見た。
ぐるりと一周するには最悪の場合更に三〇〇m以上を歩かなければならないと思われる。
どちらともなく壁に背を預けて小休止の姿勢を取った。
『この壁の向こう側に転移水晶があるのでしょうか?』
ミヅチが不安そうに聞いてきた。
『ああ、多分な。なかったら俺もお前も……水だけはなんとかなるから持って一週間。その間に何とか他の手段を見つけなきゃならん』
『お腹減りましたね』
『……水しか飲んでないしな……』
『二人だけですからね……』
『そうだな』
リュックサックを放り投げたのが今更ながらに悔やまれる。
『タンパク質が摂りたいです』
ライトに照らされたミヅチが舌舐めずりをした。
背筋がぞくっとするような淫靡な動きだった。
『そりゃ俺も肉は食いたい』
『アルさんはタンパク質出せますよね?』
先割れた舌先だけが唇から突き出てぱくぱくと短いはさみのように動いている。
器用だな。
『は?』
『出せますよね?』
そんな魔術知らん。
『そんな便利な魔術あ……てめー殺すぞ、黙ってろ。っつーか、お前、結構変わったな。それともこれが素なのか?』
『ちょっとアダルトな冗談を言っただけじゃないですか。雰囲気を和らげようとしただけですよ』
残念そうに言うな。
俺は背中にそびえる壁を掌でぴしゃりと叩きながら、
『そろそろ行くぞ。どっかからこの中に入れるだろう』
『は~い……もう休み終わりですか……はぁ』
気持ち悪い色の肌で膨れっ面をするな。
『五分も休めば充分だ。文句言うな』




