転舵
二時間後、帝国軍第五戦列竜騎兵旅団は壊滅的被害を受けていた。交戦開始時三一艦を数えた戦列艦は第三四一任務群の猛攻を受け僅か二隻を残すばかりとなり、それも連邦軍駆逐艦部隊の追撃を受け全滅しようとしている。
旅団長レネンカンプ少将は見捨てられた怨嗟を絶叫し、旗艦と運命を共にした。
星系外縁へと直進していた輸送船団は連邦軍巡洋艦戦隊の追撃を受け、こちらは一隻残らず撃沈された。
一方連邦軍本隊から分離されて帝国軍を追う駆逐艦部隊は帝国軍の前方に回りこみ包囲しつつあった。二手に分かれた駆逐艦が戦場を迂回しつつその快速を活かして敵前方に回り、背後から続く巡洋艦群と共に挟撃する姿勢を取ろうとする。
帝国軍側ではこの間に数隻が機関不調で速力を落としたがエルヴィンは無視した。彼らは追撃してきた連邦軍巡洋艦の集中砲火で瞬く間に撃沈されたが、司令部要員が護衛に防護艦を派遣することを進言しても一切無視して落伍艦を見捨てた。
誰もがエルヴィンの作戦指揮を疑い始めていた。敵に損害をほとんど与えられぬまま、数十隻の艦船を喪った。助ける方策があったはずの味方を、エルヴィンは眉一つ動かすことなく敵の砲火に晒して見捨てていく。
このまま生きて帰っても、師団長が職に留まれるとは思えない。幕僚たちがそう考え始めた頃、戦術テーブル上では敵の艦列が延びきっていた。
最も後方にいるのは戦艦群だった。その前を巡洋艦が進み、両翼の駆逐艦は帝国軍の前方へ回り込もうとしている。速い艦ほど遠くへ出た結果、互いを支援できる距離から離れつつあった。
「両舷全速! 左三点一斉回頭! 正面砲戦用意!」
ここ十分の間戦術テーブルを凝視していたエルヴィンが突如声を張り上げた。
通信参謀が顔を上げ、慌ててオペレーターを指差す。
「レーザー回線接続!」
「左三点回頭!」
「左舷方向の敵艦隊に突撃。奴らを粉砕しろ!」
そう言われて初めて、参謀たちは司令官の意図を理解した。
速力差が、ここで連邦軍に牙を剥いた。
帝国軍の艦首が左へ振れた。大きく反転することなく、前進を続ける敵駆逐艦の後背を主砲の射界へ収めていく。連邦軍の巡洋艦はまだ追い付ききっておらず、戦艦群はさらに遠い。
この宙域全体の兵力は連邦軍の優勢だった。だがこの一瞬、この空間では逆転していた。
「全艦全火器使用自由! 三十分で敵を壊滅させろ!」
エルヴィンの叱咤はやや非現実的だったが、長きに渡る鬱屈を強いられてきた帝国軍将兵にとって、またとない反撃の機会には十二分な追い風だった。
「師団各艦へ伝達。全砲門開け!」
参謀長が即時に命令として伝達させる。
「本艦も砲撃してよろしいですか」
艦長ミュラー中佐がエルヴィンを見て問うた。小さく頷いてエルヴィンは許可を示す。敬礼して艦長は砲術長を呼んだ。
「主砲一番から三番、射撃戦用意!」
「了解! 一番から三番、エネルギー装填」
「熱源捕捉、狙点解析!」
「試し撃ち方用意!」
「測距儀より解析値共有」
「重力スタビライザー起動」
「方位一八一-〇一」
「距離六〇。測的よし」
「射撃準備よし」
「試し撃ち方始め!」
「撃て!」
ザクセン級の五〇・八センチ衝撃光線砲の砲口から無音のままにパルスレーザーが発射された。撃ち出された光弾が光速で虚空を飛翔し、緑色の矢となって連邦軍の駆逐艦部隊に襲い掛かる。そのほとんどは虚空に吸い込まれていったが、一発が命中して一隻が爆発炎上した。
「修正目標〇〇-マイナス〇・二」
「戦列槍騎兵旅団、全艦突撃!」
帝国軍は持てる全ての兵装を動員して反攻に転じた。連邦軍の駆逐艦部隊は単独で後方から敵に撃たれまくる格好となった。宇宙海戦において強力な主砲を備えた宇宙戦艦の火力は絶対的な戦場の支配者である。数において劣る敵駆逐艦部隊に帝国軍は戦列艦の主砲火力全てを叩きつけた。
連邦軍駆逐艦部隊は反転をしようにも角度的に急激な減速を要し、巡洋艦部隊もすぐには救援に駆け付けられない。速力を保ったままに態勢を整えるために、後背を敵に晒しながら遁走する他なかった。
「何というざまだ!」
ショックレーは戦況を呪ったが、彼の率いる戦艦部隊は戦場まで時間がかかる。巡洋艦部隊も未だ敵を射程に収めていない。戦艦、巡洋艦の艦砲の支援なしに単独で迂回した快速艦は帝国軍の総反撃を前に一隻また一隻と撃沈されていった。敵を後方から一方的に射撃する帝国軍の損害は少ない。
速力差で分断され、火力差によって破砕される。連邦軍はエルヴィンの即興の罠に嵌まった。部下の抗命という想定外の事態を、エルヴィンは逆に利用したのである。
ショックレーは不利を悟った。彼に限らず幕僚たち皆が帝国軍に主導権が渡ったことを認めざるを得なかっただろう。連邦軍は敵の目的を見抜けなかった。輸送作戦を阻止することに意識が向き、兵力劣勢の帝国軍を相手に兵力を分散して自ら数的劣勢を作り出していた。
「迂回部隊、損耗率五〇パーセントを超えました」
帝国軍の局所的数的優位を前に連邦軍の駆逐艦部隊は瞬く間に瓦解した。熱源デコイで欺瞞しようにも光学観測可能距離内に入った帝国軍の射撃精度は高く、七面鳥撃ちのように駆逐艦が刈り取られていく。
「敵駆逐艦は組織的戦闘力を喪失したな」
エルヴィンの見立ては参謀の誰にも諮らず彼一人の勘に等しい。
「次は敵主力を叩く。全艦反転、一斉転舵!」
艦種が異なる艦隊を一斉に転舵させるというのは並大抵の難しさではない。だがこの時は帝国軍も艦列が開き、互いの間隙を縫うようにして半径八〇万キロ以上の大きな弧を描き回頭を開始した。
「これで後方の敵巡洋艦に背後を襲われます」
回頭すれば自然と敵に追いつかれる。宇宙戦艦の生命線そのものの推進器が集中する艦尾を敵の砲火に晒すという選択は、宇宙艦隊戦において最悪の下策に等しい。
だがエルヴィンの策は既存の戦術に当てはまるものではない。彼の感覚においてはこの敵前回頭は敗北でなく勝利への道筋を啓くはずだった。
「背後に構うな。速力を落とさず回頭を続けろ」
反転が終わるまでに敵巡洋艦の追撃で五隻が戦列から脱落した。それでも命令は撤回されなかった。そして帝国軍艦隊が大回りの回頭を終えた時、連邦軍の戦艦部隊が単独で彼らの正面にいた。まるで示し合わせたかのように敵戦艦群は主砲の射程圏内に入った。それがエルヴィンの即席の方程式の解であった。
「敵艦隊が反転、加速! 我が隊に向かってきます!」
「敵は戦艦群を狙っている! 駆逐艦を戻せ!」
帝国軍の主力が一斉転舵してきた。この時ショックレーが掌握している駆逐艦は一隻もいない。彼らは半壊した状態で駆けつける途上にあった。連邦軍は今やばらばらに分断され、その数的優勢は失われていた。敵魚雷の攻撃に対して対空防御や近接戦闘の要となる駆逐艦なしに連邦軍は帝国軍主力との決戦を強要された。
「目標敵戦艦! 全艦全速、突撃!」
「第五戦列竜騎兵旅団の仇討だ!」
経緯を考えれば倒錯した扇動ではあったが、帝国軍にとって友軍の復仇戦であることに違いはない。
戦列艦が主砲を撃ちまくりながら旗艦ケーニヒに続いて連邦軍艦隊に突っ込んでいく。戦列艦より快速の防護艦は帝国軍の前衛に立ち、全ての亜光速魚雷を惜しみなく発射し始めた。
連邦軍の戦艦群と巡洋艦群の間へ帝国軍主力が入り込んだ。巡洋艦は背後から撃ち続けたが、敵艦の向こうに味方艦隊が存在するのだから容易に発砲できない。
帝国軍の主力の突撃を真正面から受けた連邦軍戦艦群は、今や数刻前の帝国軍第五戦列竜騎兵旅団の悲劇を、被害規模を数倍して被ることとなった。
宇宙戦艦は少々の被弾をものともしない重厚な装甲で防御している。だが繰り返し被弾すれば艦が機能不全に陥ることは当然だった。戦闘、航行に不可欠な放熱フィンは剥き出しで、そこに直撃を受ければ航行すら不可能になる。連邦軍艦隊は帝国軍の攻撃を前に損害が積み重なっていった。
「“ミナスジェライス”被弾! 戦列を離れる!」
「“ヒュウガ”通信途絶!」
「第一三四戦艦戦隊全滅!」
連邦軍の数的優位はもはやなく、作戦でも負け、主導権は明らかに帝国軍の側にある。
「見ろよ! 一方的だろ!」
エルヴィンはアウグスタに向けて声を張り上げた。この一か月ばかりの鬱屈を目前で脈動する光芒が全て奪い去っていた。その表情は初夏の陽光そのもののように輝いていた。
アウグスタは背を向けた。
彼が満たされ、最も輝いている瞬間は常に一人だ。それは彼一人のもので、共有されるものではない。アウグスタが彼の才覚の爆発を、歓びを分かち合う余地など残されていない。
「敵の頭を押さえろ!」
エルヴィンの指示に具体性はない。彼の脳内では展開が立体映像として存在し、彼独自の戦理方程式が働いている。それは作戦を準備している時には全く表出せず、ただ敵を前に、圧倒的な死の狂乱の中枢に立って初めてありありと目に浮かぶものらしかった。
そんなものを一体どうやって支えられるの。どうやって私に分け与えてくれるの。
私にできることは、これだけなの——
アウグスタの視線は瞬時に戦術テーブルに向かう。立体映像として浮かび上がった光点の情報を瞬時に読み切ると、アウグスタは声を張り上げた。
「第十七、第十二旅団は右八点回頭し左砲戦! 第四八、五二旅団は敵中央に突撃!」
シェーア大佐が命令を復唱し、参謀たちへ振り向いた。言葉は文字に起こされ命令となり、艦隊へ伝達されていく。
アウグスタはその様子を眺め、後ろで固めた両手を一層強く握りしめた。
私には彼の言葉を中継器として翻訳することしかできない。それは私の特性かもしれないけど、私の知略ではない。
エルヴィンはアウグスタが伝達してくれたことに対して何の反応も示さなかった。ただ目前で繰り広げられる闇を切り裂く光の乱舞に見入っている。
戦列艦が主砲を斉射し、防護艦が電磁投射砲や魚雷を撃ちまくりながら毎秒数百キロの高速で突進する。肉眼では到底直視しえない距離での射撃戦であったが、スクリーンで再現される砲火の応酬は万華鏡のように艦橋を彩った。
ショックレーは撤退すら考え始めていた。旗艦ネヴァダも数発被弾し一番主砲が沈黙していた。このまま帝国軍の突破を真正面から受け止めていては被弾し轟沈の恐れもある。
「接近砲戦となれば速力と速射性に優れた敵艦の方が優位です! 直ちに反転して退避すべきでは」
「駆逐艦部隊を呼び戻して対処すべきだ!」
「敵の軽艦艇部隊に動きを止められています! 引き抜けません!」
ショックレーに限らず司令部全体が恐慌状態に陥っている。
「“カントン”轟沈!」
眩い閃光が艦橋スクリーンに一瞬だけ差し込んだ。ネヴァダの最も近傍を続航していた戦艦が爆沈したのである。帝国軍の火箭は旗艦にも迫っていた。
「このまま接近を許せば不利だ! 取舵を取って敵と距離を取れ!」
ショックレーはそう命じたが、明らかに遅きに失していた。
連邦軍司令部が判断に逡巡する間にも帝国軍艦隊は勝利を目指して邁進している。ショックレーの本隊に猛火を浴びせかけ、連邦軍艦は次々と戦列から落伍していった。
この状況に鑑みショックレーは決断を下す。
「全艦隊を呼び戻し、現宙域より撤退しろ」
「しかし、敵にオーリンズⅢへの補給を許すことになりますが」
デンプシー代将の言にショックレーは目を細めた。
「このまま戦っていても損失が増すだけだ。敵の補給を阻止することもできはしない」
二人の間で数秒の沈黙が流れた後、参謀長は首肯した。
「艦隊に撤退を命じます」
連邦軍は撤退を開始する。帝国軍も数的劣勢の中での攻撃はここが限界であり、敵の後退に合わせて追撃を切り上げた。
こうして第七次オルレアーンス海戦は終結する。
双方共に敵艦隊の撃破を目指した海戦で、損失は膨大であった。特に勝利した帝国軍にあって重戦列艦の半数を撃沈されたというのは並の損害ではない。エルヴィンは落伍艦を見捨てる命令を下しており、護衛を付けて撤退させていれば助かっただろう貴重な艦船を八隻その命令ひとつのために損失している。また第五戦列竜騎兵旅団は連邦軍の大軍を誘引する功績を挙げたものの、その全艦が撃沈され実質的に全滅した。
「勝ったからよかったがこのような戦い方がいつまでもできるはずがない」
旅団長の一人、ネーリング少将は作戦参謀を相手に言った。
「彼らが率いる限り、このような戦いを続けていくのか」
ネーリングは作戦参謀が示したホログラムに映し出された被害状況を見て目を細めた。
戦闘は帝国軍の逆転勝利という形で幕を閉じ、連邦軍艦隊の八九隻が撃沈され、七六隻を修理のために戦線から外す他ない。後送を含めて四割の損害を与えたことになる。また連邦軍が撤退したことで、数に勝る敵艦隊から制宙権を奪取する戦略的な勝利を挙げた。
「統帥本部と彼らと、正しいのはどちらなのだろうな」
ネーリングは極端なほどの二面性を示した現実を受容するのに、今少し時間を要するようだった。
「成功させると言った。この一勝の価値は大きい」
オルレアーンス・ドライへの針路を取る旗艦ケーニヒの艦橋で瞬く星々に背を向けてエルヴィンは片手を腰に当てた。
「信じてた——っていうのは嘘になるね。でも多くの犠牲を出した」
アウグスタはデータパッドを差し出した。損失艦と損傷のため後送すべき艦のリストが表示されている。帝国軍もまた六八隻が撃沈、二四隻が損傷した。一個戦列竜騎兵旅団がその司令部を含めて消滅した。落伍艦を敵の追跡部隊の砲火に委ねるエルヴィンの冷酷極まりない指令は、友軍の血を以て贖われた。覚悟の上とはいっても高速輸送船の全滅も手痛い損害だった。二人の背後では参謀たちが損害の集計と、友軍の生存者救出のための指示を下している。
「損傷艦は残置させる。準備が整い次第隣の星系まで敵を追撃するぞ」
誰も彼の方を向いていない参謀たちに向けてエルヴィンは声をかけた。参謀たちの応答は鈍い。アウグスタは側に寄って耳元に語り掛けた。
「ねぇ、今それを言う?」
エルヴィンは答えなかった。やっぱり後ろとか足元とかを見る気はないのかな。
それゆえに、軍上層部は彼を危険と判断したのだろうか。それともマグデブルク家の一員だから? とにかくエルヴィンが地歩を固めることを望まない勢力が帝国の中に存在することは疑いようもない事実だった。それをエルヴィンは自覚しているのか。
「あの命令違反、レネンカンプ少将が単独でやったことだと思う?」
「違う」
一言でエルヴィンは否定し、アウグスタの口が小さく開いた。
「間諜だか裏切りだか知らないが、いきなり俺を中将に昇進させ、指揮権を与えてきた。反発する奴はいるだろう」
「ネーリング少将は何か知ってるみたいだった。口ぶりからして他の旅団長たちも」
「聞いて調べて出てくる証拠もないだろ」
だから作戦計画を自分一人の脳裏に留め置いていたのか、それとも単に話すのが面倒だったのか。もしかしたら両方かもしれない。
「作戦なんて、本当に考えてたの?」
「なくて戦争ができるか」
「ほとんど即興だったじゃない。偽の作戦に敵も味方も皆騙されてた」
エルヴィンが即答しなかったから、アウグスタは彼の肩を軽く叩いた。
「それでも勝てるんだから、あんたは凄いんだけどね」
「敵を引きずるだけ引きずる作戦を、言えば反駁して従わない奴も出てくる。単独で突出する低能がいるとは思わなかったが」
言わなさすぎるあんたにも問題がある、と言いかけてやめた。仮にも勝軍の将を相手に今それを口にすれば、彼に狭量な私を見せつけることになる。
目を落とすと損失した艦艇、修理を要する艦艇の数を表す情報が手元のデータパッドの中で逐一更新されていく。数百数千隻の艦艇、幾十幾百万の将兵の生命を叩き付け合う戦争で、軍組織を構成する個々など統計の数字の一項目に過ぎなかった。
エルヴィンはさらに傷ついた敵を追撃し、二度とオルレアーンス・ドライの軌道上に足を踏み入れさせないための計画を練り始めていた。だがそれはあまりに想定外の一撃によって破綻することとなる。
更迭だった。




