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更迭

 「あの司令官の下で戦っていては命がいくつあっても足りやしない」

 第七師団の将校たちは口々に言い立てた。

 勝利こそしたが、第七師団は全軍の半数近くを失った。レネンカンプの抗命が損害を拡大させたとはいえ、作戦構想を共有せず、落伍艦を切り捨てた司令官への反感は強かった。

 それに伴う友軍の犠牲の大きさは勝利の美酒を酸化させるに十分であった。

 戦闘詳報は師団からも麾下の各旅団からも帝都に向けて発出されたが、エルヴィンの戦闘指揮ぶりを絶賛した者は皆無であった。

 帝都星ブラウメンの海軍省では統帥総長グッゲンハイムと海軍卿アルニム、両海軍上級大将が対面している。

 「卿が推したクロネッカーの手でオルレアーンス・ドライの戦局の打開には成功した。だが二個旅団規模の損失をどう評価するつもりだ。奴の部下からの評価も芳しいとは言い難い」

 グッゲンハイムが詰ったのは今回の作戦指揮官エルヴィン・フォン・クロネッカー戦時中将を推薦し、海軍省の人事権で押し込んだのがアルニムその人であるためだった。結果として作戦は成功したが第七戦列竜騎兵師団は兵力の半数を失う甚大な被害を出した。

 「レネンカンプの抗命を私やクロネッカーが予見できたというのか。勝利を収め、輸送船団も損失したとはいえ人的損失はなく、以後の補給線の打通に成功している」

 アルニムは執務机を指で叩きながら答えた。

 「そもそもレネンカンプとて卿が推薦した人事。重大な瞬間に司令官の命に背く人物であったことを見抜くことができなかった卿にも責があると思うが」

 細めた目で統帥総長を凝視しても、鉄面皮同然に固めた彼の表情筋から何かを探ることなどできなかった。

 「しかし第五戦列竜騎兵旅団は一隻残らず全滅し、仄聞するところではクロネッカーは友軍を見捨て落伍艦を救援せずみすみす喪失せしめた。高級指揮官として些か不適切な人選ではなかったか」

 「一個旅団の全滅は悲劇だが、それはレネンカンプが自ら招いたこと。それともさらに上の立場から命令違反を求められていたのか。奴がこれまで上官の命に背いたことはないと聞くが」

 「根拠のない下種の勘繰りはお控えいただこうか」

 グッゲンハイムは荒げた口調で言い返した。

 「オルレアーンスの一時的な制宙権奪回には成功したが、すぐに敵は増援を得て反撃に動く。今や第七師団にはそれを迎え撃つ戦力は残っていない。戦略状況は決して改善されていないではないか」

 「ならば何を望む。クロネッカーを更迭しろというのか」

 「奴に任せていれば敵と共に我が軍を全滅させかねん。それは危険とは思わんか」

 アルニムの力強い鼻息の音が彼の言葉に先んじた。

 「友軍の損失が大きいとはいえクロネッカーは確かに作戦を成功させている。理由もなく更迭などできん」

 「理由などどうとでもなる。奴の麾下旅団長らの反発が強まっていると聞く。名目づくりに苦労はするまい」

 「勝利を得た者を冷遇すれば士気にも関わる。私怨で人事権を行使したと受け止められては敵わん。それとも卿の名で発出するか」

 アルニムは正当性を求めている、とグッゲンハイムは理解した。

 「なれば同時に複数の人事を発令して紛れ込ませてしまえばいいではないか。定例の人事異動とすれば反発はあるまい」

 「陛下はクロネッカーを買っておられるようだが」

 「卿と私での同意事項だ。陛下とて容易には覆せん」

 アルニムはゆっくりと歩を進めたまま、返答しなかった。グッゲンハイムの口車に素直に乗ってやるのが気に入らなかった。つれない海軍卿の態度に、グッゲンハイムはカードを切った。

 「マティアス大公を第四軍司令官に推す。第四軍には許される限りの援軍も送ろう。それでいかがか」

 アルニムの眉が動いた。

 「卿は反対していたではないか」

 「代わりに第七師団にはエッカートを充てたい。奴にオルレアーンス星系の制圧を進めさせる。互いにとって利が大きかろう」

 海軍卿は長考した。彼にとってどの選択が利得が高いかを計算するのに幾ばくかの沈黙を要した後、統帥総長と対照的な体格の大きな海軍卿は口を再度開いた。

 「よかろう。同格の師団長級となれば建制上の問題はあるまい」

 グッゲンハイムは統帥本部庁舎に戻ると高級副官に命じて作戦統帥次長ティッペルスキルヒ大将と軍務統帥次長アスペルマイヤー大将を呼び出した。

 「クロネッカーは即時に本国召還、第七師団にはエッカートが赴任する」

 「おめでとうございます、閣下。これで海軍の地ならしが進みましょう」

 アスペルマイヤーが即時に追従した。

 「十七旅団の司令部人事について人事局に提案させろ」

 「御意」

 異口同音に二人の統帥次長が応じた。

 「第四軍にはマティアス大公殿下が着任されることとなった。リヒテンベルクはA海軍区総監に転出する」

 「それは、よろしいのでありますか」

 ティッペルスキルヒが問うた。

 「腹の底の読めぬ男だが、連邦軍の主力を眼前に何ができるわけでもない」

 「しかし下手に勝ち進められれば海軍卿の一派に功績を献上することになりませんか」

 グッゲンハイムは机上の星図を示した。薄い映像紙には天頂方向から望んだ銀河の星図と主要航路、各国の勢力範囲が図示されている。

 「増援は第三軍を優先する。元より今年頭に損耗したのは第三軍の方だ。既に西方と北方から移転可能な限りの艦隊は移動させている。これでアルミターゲやオルレアーンスを守れないとなれば、それは指揮官の才覚の問題だ」

 「畏まりました」

 作戦統帥次長は必要な指示を下すため退出し、後にはアスペルマイヤー一人が残った。

 「しかしあのクロネッカー、イェーゲルシュタットへの転出で済ませてよろしいのですか」

 「どういうことだ」

 グッゲンハイムは映像紙を丸めながら怪訝な顔をした。

 「あのような者を軍組織に置くことを許容するのは脅威ではありませんか」

 「だが放逐もこれが限界だ。中将級のポストはそこまで多くはない。戦時階級とは言っても勝利を挙げた者の階級を軽々しく剥奪もできん。参謀大学を卒業したわけでもないのだから参謀官にも任じられん」

 アスペルマイヤーは口髭を揉んだ。

 「お言葉ですが、部隊の指揮権を預けておけば、来るべき新秩序の邪魔となるかと」

 映像紙を引き出しにしまおうとするグッゲンハイムの手が止まった。

 「貴様、近頃の陸軍の武断派に同調するつもりか」

 「いえ、しかし——」

 統帥次長の態度には乱を望む態度が明確に滲んでいた。

 「流血で権力を得ることなど考えるな。陸軍と同じくなるぞ」

 グッゲンハイムは力強く引き出しを閉じ、その音で会話を打ち切った。


 「気でも狂ったか、軍上層部は! いや狂っているに違いない」

 司令官公室の執務机の周りを速足で歩きまわりながらエルヴィンは怒鳴った。

 「命令は命令。逆らえないよ。更迭された今あんたにこの師団と旅団の指揮権はない」

 その彼の激情の奔流に踏みとどまるかのように、アウグスタは佇立している。

 「味方に犠牲を出しすぎた。それが気に入らないんだろうね」

 エルヴィンの感情に油を注ぐようにアウグスタは冷たく言い放った。エルヴィンの放言の嵐に対処する、彼女の習慣(ルーティン)である。

 「これだけ苦戦した戦線をようやく押し戻したというときに! あと三戦、いや二戦すればあの連邦軍は一隻残らず沈めきれた!」

 続く何の音もなかった。室内には機械の稼働音だけが残る。

 衝動的な激情が一段落して、エルヴィンは声も立てずに嗤った。自暴自棄の冷笑だった。

 「部下たちからも批判続出だ。彼らが上層部にも色々吹き込んだらしいよ」

 演出した冷徹さでアウグスタは答えた。怒りに任せてエルヴィンが掻き回した銀髪は乱れていたが、それでもなお画になるな、と場にそぐわぬことを彼女は感じた。

 「なぜ俺は勝たせてやったのに反発するんだ」

 エルヴィンの手が行き場を失って振り回される。

 「俺が殺したわけじゃない。命令を無視したから死んだ。落伍して沈められた。裏切り者までいた。恨むなら敵と上層部を恨め。どうして俺を責めるんだ」

 「友軍を見捨てるような司令官の下では、明日は我が身って思うでしょう」

 「それは奴ら自身の無能のためだ。俺のせいじゃない!」

 「でもそう思われたから反発されたんだ」

 鞭打つような口調のアウグスタを前に、青年は沈黙する。次の瞬間やるせない思いを吐き出すような苦悶の声と共に椅子を蹴り倒した。

 「“狂犬”も、足を簡単に掬えるとは思われたくないでしょ」

 精神の波風を感じさせずアウグスタは自分の後頭部に手をやった。長い髪を留めていたゴムを外すと、燃えるような赤毛が豪奢に広がった。

 「別に終わったわけじゃないんだからさ」

 ゆっくりと青年に歩み寄り、腕を持ち上げて自分の目程の高さの青年の肩に手を回す。長い髪を掴み、手を握って纏めてみる。抱き寄せられるより早く身体を押し付ける。

 「こうしたら落ち着ける?」

 この青年が、誰にも手の届かないこの青年が、自分の無力を突きつけられたときに私を求めてくれる。私だけが彼にとって凭(もた)れることができる存在なのだから。

 アウグスタは薄い唇を首筋に寄せ、吸い付くように口を付けた。


 「よかったのですか、このような使い捨て同然の人事」

 統帥本部作戦課長オットー・フォン・ホリト少将は目前の老将軍に問うた。

 「野放しにはできん。マグデブルク家の人間が二五歳の若さで中将だぞ」

 海軍卿は重々しく答える。

 「ですが、このまま奴を利用すればオルレアーンス・ドライの制宙権は完全に握ることができたはずです」

 「あれがこれからも勝ち続けると思っているのか」

 アルニムは握った万年筆で机を叩いた。

 「作戦計画というものがない。全ては奴の脳内に収まって、今回はそれが上手く行ったが次はない。あのような戦い方をする者を戦線の枢要には置いておけん」

 「しかしそれでも、あの才覚は活用できませんか」

 「取引した、グッゲンハイムと」

 アルニムは表情を変えることもなく淡々と述べた。

 「取引ですと」

 「奴の子飼いのエッカートを第七師団長に押し込む代わりに、マティアス殿下を第四軍司令官に推した」

 「それは——宜しいことかと思われますが」

 「殿下の存在は彼らへの抑えともなる。これで満足するべきだろう」

 これでいいのだろうか。ホリトは思う。

 確かに二五歳の若さで戦時階級とは言え中将にまで昇進するような男は軍組織の秩序からすれば危険この上ない。経験の浅い者、そして特殊な出自を持つ者に莫大な権力を与える危険性、そうでなくても周囲の反発を招くことを考えればこれ以上成果を挙げる前に更迭する選択は正しい。

 だがこれは将来に禍根を残すことになりはしないか。活躍の結果が更迭ではクロネッカーも浮かばれないだろうし、恨みは相当のものになるに違いない。それにオルレアーンス・ドライで一勝を収めたところでそれがそのまま帝国軍の戦略的な優勢を意味するわけでなく、全戦線では変わらず苦しい状況が続いている。若く有能な将帥を塵紙のように使い捨てられるほど帝国の人的資源は無尽蔵ではないはずだが。

 だがホリトがアルニム子飼いの一将校という立場に甘んじている限り、彼にそのような決定を覆すほどの力は持ちえない。何よりクロネッカー更迭は海軍卿と統帥総長の“協定”の結果であって、皇帝以外の誰も覆せないだろう。

 アウグスタ・シューラーが何かを求めてくるか。だがホリトとて何か手が打てるわけではない。彼もまた帝国海軍という巨大な官僚組織の末端に過ぎないのだから。


 軍内部の情報を収集し、皇族の判断に資するものを提供するのは侍従武官の役割の一つであり、それはシャルロッテ・フォン・ヴィッツレーヴェン海軍少佐にしても同じことであった。

 「エルヴィン・フォン・クロネッカー中将が第七師団長の職位を更迭されたとのことです」

 ある朝餉の折に告げると、皇太子ルートヴィヒの一人娘、今年の六月に二一歳を迎えた皇女エリザヴェートは手に持ったパンを白磁器の皿の上に取り落とした。

 「エルが? どういうこと? 説明して」

 「人事官報に記載がありました。今の時点で分かることはそれだけです」

 「何があったの、まさかエルが敗けたってこと?」

 「いえ、仄聞するところではオルレアーンス・ドライの戦いで勝利を収めたと聞いていますが」

 皇女は首を横に振った。

 「どうしてエルが勝ったのにそんな扱いを受けているの? ちゃんと調べて、ロッテ!」

 「畏まりました。エリザヴェート様」

 綺麗に整えられた長く黒い髪に彩られた頭をシャルロッテは下げた。


 帝都ケーニヒスシュタット近郊、短い夏を迎え青々と草木が地表を覆う広大なマグデブルク家の荘園に佇む宮殿そのものの豪邸の一室。

 「エルヴィンがな、左遷されるそうだ」

 マグデブルク公爵令息ヨーゼフは今や一人だけの妹に向けて言った。

 「そうなのですか」

 兄にとって意外なほどに、ヴィルヘルミナ・フォン・マグデブルクは何ら反応を示さなかった。

 「あいつも馬鹿だな。この家と縁を切っていなければ、そんな憂き目に遭わずとも済んだのに」

 「家門よりもっと大きなものを追い求めたのでしょう」

 山の深奥の清流のような淀みなき声で、ヴィルヘルミナは言い切った。

 「お前がどれだけ嫌がろうが、あの坊やの妻になるのは変わらないし、その先皇后として帝室に列することも決まっている」

 「兄上が外戚として権力を握るためにね」

 声調に感情を乗せない話し方は、ヴィルヘルミナの先天的な才か後天的に身に着けた技術か、兄には見当もつかないし斟酌するようなところでもない。

 「コンラートだって顔は悪くないんだから別にいいじゃないか」

 「私が嫁いだところで、ジギスムント殿下がいつまでも皇帝になれなければどうするのですか。ただ単に大公家との絆を深めるだけ?」

 ヨーゼフは鼻で笑う。

 「なるさ。国民も軍もそれを求める」

 「長子相続の帝国でどうなさるの」

 「覚えの悪い奴だな」

 蔑視を隠そうともせず長兄は吐き捨てた。

 「皇太子に相続放棄をさせればいい。やりようはいくらでもある」

 「それを皇太子殿下が拒否なされば」

 「どうだろうな。軍が勝手に蜂起するかもしれない」

 「じゃあ大逆罪になるかもしれないってことだね」

 刺突するような一言を軽々と投げつけ、ヴィルヘルミナは椅子を立った。兄の言い訳など興味はなく、単にその認識一つがあればいい。

 普段誰にも見せることのない、蝶の羽ばたきを思わせるステップで階段を駆け上がる。自室の扉を閉めると、机に向かってペンと一片の紙を手に取った。

 兄様に教えてあげなくちゃ。大公たちはクーデターを目論んでるって。


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