反響
銀河連邦元老院議長ジェームズ・ウィリアムソンはいくつかの呼び出しを行った。
連邦議会議場を見下ろすようにそびえる議長官邸フェデラルパレス。窓の外には首都ニューフィラデルフィアの摩天楼が広がっている。
「オーリンズⅢの敗北は予想外でした。ショックレー少将には十分な戦力があった」
統合参謀本部議長ハリー・ハント大将の角ばった顔は、いつも以上に凝り固まって見える。
「今やオーリンズ星系は帝国軍の制宙権下にあります。当然帝国軍は地上支援の物資や増援を搬入し続けるでしょう」
「致し方ないな」
ウィリアムソンは抑揚のない声で答えた。きびきびと動き回るリーダーというよりも、泰然と構えて周囲の人間の意見の調整役に徹する議事進行役に見える。
「現在航海中の全艦隊を投入すれば奪還はできます。しかしそれは帝国軍主力艦隊との決戦を避けられないものにしますし、勝っても負けてもその後全戦線における兵力不足は避けられません」
「敵の指揮官は倍するショックレーの任務部隊に勝利した。まぐれだと思いたいが」
七人の国防参議の一人、リゲル州選出のマリオ・ヴェネッティ下院議員の懸念に、議長は即時に彼の視界内に広がるように座る者たちの一人に顔を向けた。
「ボビー、敵の指揮官は分かったのか」
ロバート・ホプキンス連邦情報庁長官が手元のデータパッドを操作した。
「オーリンズ侵攻を担当した帝国軍第七師団の指揮官はアーウィン・フォン・クローネカー中将、二五歳の司令官です」
「二五歳ですって?」
シリウス州出身の国防参議アケミ・カノウ下院議員が席から腰を浮かしかけた。
「それだけの若さの人間を登用するなんて、帝国の人事制度はどれだけ柔軟に運用されているの?」
「どうせ皇族か公爵の子息ではないのか」
軽口を叩いたのは西ユーロップ州選出のアンリ・ド・ダルラン下院議員である。
「彼自身の身分は最下級の騎士爵ですが、生まれはマグデブルク家です」
ホプキンス長官が黒縁の眼鏡をつまみながら答えた。
「やはり高級貴族か」
デネブ州出身のネヴィル・イーデン議員が嘯く。
「問題は我々の脅威となり得る指揮官が二五歳の若さで中将の地位にあり、さらに実力さえあれば門閥に関わりなく抜擢する風土が帝国に醸成されていることです」
カノウ議員が語気を強めた。
「対抗して我々はフォン・ブラウンの首席卒業生を少将に任官させるようにしようか」
過ぎた軽口を咎める視線が集まり、ダルランは唇を結んで肩をすくめた。
「彼を失脚させる、ないし暗殺することはできないのか」
「それを準備するコストと労力で一ダースの戦艦が建造できるでしょうね」
ヴェネッティ議員の言にホプキンス長官が言い返す。
「一昨年の斬首作戦の失敗のために帝国内に張り巡らせた諜報網は壊滅的損害を受けました。一朝一夕に回復させられるものではありません」
「我々にできるのは彼が出現した戦いにより多数の兵力を集中することだけです」
ハント大将の返答は厳格な軍人の物言いである。
「議長閣下はどのようにお考えですか」
カノウ議員が問うた。
「二五歳の若さというのは脅威だが、帝国では彼を英雄視する者と反発する者で二極化すると考えるのが筋ではないかな」
ウィリアムソン元老院議長が口を開くのは実に二分ぶりである。
「要注意標的として気を配る必要はあるが、時として国家に必要なのは生きた英雄よりも死んだ英雄ということもある」
「FIAに命じて情報収集に努めます」
ホプキンス長官が話の結論を促すかのように言う。
「ですが、世論は敗北に敏感です。今朝のホロニュースをご覧になったでしょう」
「世論とは着火剤のようなものだ。短くよく燃えて、あっという間に消える」
カノウの詰問はウィリアムソンには然程響かなかったようだ。
「プレスへの対応はピエールに」
議長首席補佐官のセルゲイ・ウラジーミロヴィチ・ナボコフが横槍を入れた。
「そうしてくれ。さて——」
ウィリアムソンはおもむろに席を立った。
「エリウス国王が待っている」
一座の人間が一斉に立ち上がり、然程早くもない足取りで退出する元老院議長を見送る。その動作において精力的とは言い難い後ろ姿の議長をスライド式の扉が隠すと、室内では会話の泡がはじけ始めた。
カノウ議員はそそくさと荷物を纏め始めた制服組最高位の軍人へと近寄った。
「オーリンズⅢの処置について、結論は出なかったわね」
「いつものことだ。慣れている」
宇宙軍将校の黒色の正装に身を包み、ハント大将はややぶっきらぼうに言い放った。
「でも国家元首も国防参議会も軍事命令を下せないとなると、統合参謀本部としても処置に困るんじゃないの」
ハントは鞄を手に歩き出し、カノウがその後に続く。
「我々の職務は政府首脳に助言し、その命令を遂行するのみだ」
「現在の元老院議長の指導力に疑問を感じるのなら、今日の場でもそれを言えばいい。私だって国防参議会の一員なのだから、サポートできる」
大将は蒼い瞳で自分より二十歳年少の議員を一瞥したが、すぐに視線を真正面に戻した。
「申し上げた通りだ。私は政治に携わるつもりはない」
「そう、軍人さんってお堅いのね」
切り立った口調と共にカノウは両手を挙げ、ハントがエレベーターホールへと消えていくのを見守った。
統一銀河暦五〇四年八月十七日、エルヴィン・フォン・クロネッカーは帝都に帰還する。
出立した時は手元に四二隻の重戦列艦を率いての出撃だったというのに、今は指揮すべき一兵も持たず、ただアウグスタ・シューラー大尉一人のみを帯同して人事の交付を受けるために海軍省に向かわなければならなかった。
「一体どこの誰がこんな人事をしたというんだ」
エルヴィンは車窓から顔を背けた。
「俺が功績を立てるのが余程都合が悪いらしい。なら一体何がしたくて俺を師団長に推挙したんだ」
「失敗してくれるのを期待していたんじゃない」
アウグスタは飄々とした態度で返した。
「なら今から会う奴を一発殴ってやればいいのか」
「左遷じゃ済まされなくなるよ」
データパッドから顔を上げずに女大尉は答える。エルヴィンであれば冗談抜きにやりかねない。
いったいどのような組織の力学が働いてエルヴィンの立場を振り回したのか。アウグスタにも到底想像もつかなかった。ホリトに問うても、返答は要領を得ないものだったから彼も与り知らぬところで事態が進展したのだろう。
「遠ざかったと思ってる?」
短い沈黙を挟んで、不意に声の温度を落として、赤毛の女大尉は問うた。
「——あとたった九六二日しかない。ここで足踏みしているわけにはいかないのに」
独り言のように飛び出した返答は、アウグスタ以外のほとんどの人間が聞くことができない本音であった。その確信がアウグスタの胸を高鳴らせる。だが同時に、彼の胸中には彼女以上に大切な人間が存在しているのだと実感もさせられる。
「まぁあんたにはこれでも遅いくらいだよね」
気持ちの平衡点を探るように、アウグスタはエルヴィンを肯定も否定もしない。
「これで前線に出られなくなったら出世の機会もなくなる。一度傍流にはみ出せば終わりだ。権力者が俺を遠ざけようとしているのだから」
「最低限下手に出ておかないと本当に二度と引き立てられないよ」
「こんな目に遭わせた奴らに媚びていられるか!」
その怒声はもし防音対策が施された公用車の後部座席でなかったら間違いなくアウグスタ以外の人間の耳に入っただろう。
「だからそういう性格が敵を作るんだよ」
「敵を作る努力をしたつもりはない!」
「その気はなくても嫉妬も反感も買う。二五歳の中将なんて、認めたい人がいるわけないでしょ」
「俺なら有能なら新兵でも将軍にしてやる。家柄や政治力だけで出世した奴らに反感を買う理由なんか、何一つないだろ!」
「そういうあんただってマグデブルク家の生まれでしょうに。名を変えても知ってる人は知っている」
素っ気なく言い返されてエルヴィンの反駁は不完全燃焼で封じ込められた。
「政財界に顔が広く将来の皇后すら出すことになる家。その血筋の者が軍内部で強力すぎる権力を握れば……」
エルヴィンは何も言い返せなかった。歯の隙間から軋むような呻きが漏れた。
彼自身が自分の立場を認識しなければ今後の出世はない。あんたがこのまま追いやられれば、私もまたあんたと共に沈むことになるんだ。
「自分が思っているより危険視されてるってこと、分かっておいた方がいい。嫉妬でも軽蔑でもない。あんたのその若さ、才能、出自が脅威なんだ」
「せめて俺がマグデブルク家の人間じゃなかったら……」
長い髪をくしゃくしゃに掻きまわし、エルヴィンは声を押し出す。
その一言を聞くたび、アウグスタの心の深奥に黒い影が落ちる。エルヴィンの精神領域にアウグスタの思いの立脚点を慮るほどの精神的な余白は存在しない。アウグスタが持たないもの、持てなかったものをすべて手にしながら、それを否定するようなことを平然と口にする。
「出自は変えられない。人の視線を変えることもできない。そんなことを悔いることに意味なんかないよ」
エルヴィンは何も言い返さなかった。
「分かってるよ」
アウグスタはそれ以上諭さず、足を組みなおした。
「エルヴィン・フォン・クロネッカー戦時中将」
海軍卿の物言いはエルヴィンにとっては不愉快極まりない。中将の位が臨時階級であることはエルヴィン自身よく理解しているが、わざわざここでそれを強調する必要もないだろう。
かつて海軍少佐、海軍省付としてアルニムの前任者の世話になっていた時、これほどに敵意を向けられたことはなかった。ヴェッセル上級大将は彼の翼に鎖をかけようとした厄介な相手だったが、少なくとも正当にエルヴィンを評価してくれた。ヴェッセルを含めて閣僚全員を辞任に追い込んだ“水の間の変”がエルヴィンの飛躍の要因になり、今はこのような事態をも招いている。
この世に神とやらがいるのなら、随分と人情を弄ぶのが好きらしい。エルヴィンは後ろで手首を握った右手に力を込めた。
「貴官に与えられた任務の終了と共に、第五高射師団長に任ずる。異議はあるかね」
雷に打たれたように、エルヴィンの表情がひきつった。
高射師団。惑星だか星系だかの防空だけが任務で指揮する一隻の艦艇も持たない地上部隊という組織の長は、エルヴィンの中では最下層の地位に等しい。だいたい防空部隊で一体何の戦果が挙げられるというのか。異議も何も、軍功を挙げた最前線から突然解任され前線から遠い惑星への左遷など到底受け入れられるものではなかった。
エルヴィンは激発を押し殺して口を開いた。
「小官は最前線にて数において勝る連邦軍を打破する戦果を挙げました。にもかかわらず更迭し、あまつさえ艦隊から外すご判断をされた理由をお伺いしたい」
アルニムの眉間に皺が刻まれた。
「高度な人事判断だ」
「そのようなお言葉では納得できません」
若すぎる中将を前に、海軍卿の眉間の皺が深くなった。
「貴官はアルミターゲの撤退支援において一旅団長として許容される範囲を超えて周辺星域の友軍を強引に麾下に編入し、師団規模の戦力を上級司令部の許可なく勝手に指揮した。またオルレアーンスでは貴重な戦列竜騎兵旅団一個を見捨てて全滅させ、損傷して落伍した艦艇を自沈させる命令のために多数の艦艇を損失している」
海軍卿は結果だけを並べていた。要因、過程が俎上に上ることもなく、エルヴィンに都合の悪い事実だけが押し付けられる。
なら俺は他に何をすればよかったというんだ。
「海軍省としてはかような独断専行と浅慮を続ける貴官を、最前線の師団長として配置しておくことに危機感を抱いた。そう聞けば満足か」
「しかし結果として勝利しました。そこは評価いただけないのですか」
「勝利?」
海軍卿は首を傾げた。
「南方艦隊は戦略的に敗退し、敵の追撃を足止めしたのみ。オルレアーンスとて一時的に敵を追い払ったに過ぎん。貴官一人がそれを勝利と喧伝するつもりか。帝国海軍が貴官一人の私物のつもりでも?」
下手に出ればこの言い種か。全身の血管は瞬時に沸騰し、自ら一歩前に進み出て声を叩きつけた。
「ではアルミターゲにおいて小官が強引にでも近隣友軍を糾合せず損傷艦の収容と撤退に手間取った南方艦隊を見捨てれば、またオルレアーンスにおいては倍する連邦軍を相手に真正面から相対して陸軍の数百万将兵を宇宙の塵芥にせしめれば閣下はご満足ということでありますか」
「貴官のそのような態度が軍の秩序を蝕み、帝国海軍の名誉に泥を塗っていると気づかんのか」
このような低次元の罵倒を浴びせられるとは想像もしておらず、エルヴィンの青年というより少女に近い顔は怒気と屈辱とで紅潮している。
「秩序? 名誉?」
打算も吹き飛んでエルヴィンは掴みかからんばかりの勢いで海軍卿に迫った。
「功績に報いるどころか、そのような物言いをなさるとは、それこそ帝国海軍の名折れではありませんか!」
「上官に対して何を言うか、痴れ者が!」
海軍卿がとどめの一言を発した時にはすでにエルヴィンは危険なほど喋りすぎていた。
「貴官がどれだけ反発しようとも処遇が変わることはない。皇帝陛下がいかに貴官を気にかけ、マグデブルク家の血族であると言っても、軍には軍の秩序がある」
後ろ手に握った手首はとうに感覚を失っていた。彼の表情の支配権を怒気が恥辱に譲渡する。自ら軍組織から放逐されるべき異端者であることをその態度において示してしまったエルヴィンは、ただ大人しく辞令を受け取って引き下がるしかなかった。




