それぞれの思惑
「中将に昇進」
波立った声と共にエルヴィンは席から腰を浮かした。
帝都から最も近い軍港にして帝国海軍最大の根拠地、ブラウメンの第一衛星スコルのフェンサリル海軍基地。第十七戦列竜騎兵旅団旗艦ケーニヒの司令官公室でエルヴィンは艦隊運用戦術の立案に没頭していたところだった。
「今まで通り戦時階級だけども」
旅団副官アウグスタ・シューラー大尉は手に持った一枚の紙を彼女が仕える上官の机に置いた。海軍省人事局からの内示が記されている。
手を伸ばして紙を取り、内示を流し見したエルヴィンは、やがて紙を机に投げ出した。
「俺を中将にするほど追い詰められているのか」
「上層部で色々あったんでしょ。功績を認められてか、名誉の二階級特進の前渡しか、どっちだろうね」
アウグスタでなければ感知し得ないほど薄く不信感と喜色とが塗り重なった顔色で、白銀色の髪の青年は再び席に腰を下ろした。
「中将昇進ということは師団長級。どこかの戦線の火消しに投入されるということか」
「多分ね。次行く先でも私が副官として支えてあげようか」
「それか敢えて顕彰してから仕組んだ罠に誘い込んで凋落させる狙いか」
エルヴィンは軽口を聞き流してうそぶいた。アウグスタは興味もなさそうにデータパッドを操作し、エルヴィンに画面を見せた。
「オルレアーンス星系で第七戦列竜騎兵師団が苦戦してる。相対する連邦軍は概算で倍くらいは展開している。多分ここだろうね」
唇を結んでエルヴィンは画面を覗き込んだ。
「補給能力の限界を超えて大軍を送り込んだせいで進む事も退く事もできなくなったか」
「今の帝国軍にこれ以上第七師団に送る兵力は残っていない。それで目下の戦力で解決を図るしかないんだね」
「それで俺に第七戦列竜騎兵師団を任せるということか。厄介だな」
「と言っても辞退はできないでしょ」
唇を噛んだエルヴィンをアウグスタがたしなめる。
「ひとまずは現地の集められるだけの情報を」
頷いてアウグスタは踵を返した。
自分の席に腰を下ろし、エルヴィンは息を吹く。
どこであっても勝たねば意味がない。一度でも足を踏み外せば、若くして登り詰めた地位は砂上の楼閣のように崩れる。それでも、走り続ける他なかった。
統帥総長グッゲンハイム上級大将は不機嫌だった。
本来彼の専任領分であるはずの作戦計画に海軍省が横入りしてきたことである。
オルレアーンス星系の戦いで戦死した第七戦列竜騎兵師団長イェリネク中将の後釜にはグッゲンハイム子飼いのエッカート中将を打診していたが、海軍卿アルニム上級大将がエルヴィン・フォン・クロネッカー少将を後任の人事に差し込んできた。
統帥総長に就任してからの二年、統帥本部を切り盛りして自分の一派を形成してきたグッゲンハイムにとって、海軍省が作戦人事に口出しして来ることなど前例がない。戦時においては実戦部隊における軍令部門の人事権の優越は不文律の規定であった。
エルヴィン・フォン・クロネッカーが失敗する分にはグッゲンハイムは構わない。帝国海軍将校人事の特異点のような男の地位が失墜することに彼が痛痒を覚える筈がなかったが、もし成功すれば彼を推薦したアルニムが恩を売り自派閥の勢力に取り込みかねない。
グッゲンハイムにとってはエルヴィンよりも自派閥のエッカート中将の方が実戦経験も豊富で閲歴も申し分なく、何よりグッゲンハイムの手駒でありクロネッカーのような派閥論理の埒外の男より遥かに適任に思える。
それを主張すべくグッゲンハイムが赴いたのは皇宮ルイーゼ宮だった。海軍省がその人事権で統帥本部を圧する以上、それより上位の存在——絶対君主の権威を仰ぐ他ない。
「以上の点より、小官といたしましては改めて、エッカート中将を第七戦列竜騎兵師団長として推薦したく存じます」
謁見に用いられる水晶の間で長々と話し終えた統帥総長はそう結んだ。
「ふむ……」
皇帝レオポルト三世は水晶の間には不釣り合いな可動式のベッドの上に横たえた身を起き上がらせて佇立する統帥総長を見つめた。
「卿はそう言うが、統帥本部の考えた見立てでこの一年我が軍が勝利したことがあったか。エッカートが時の作戦課長として立てた作戦計画で、我が軍はどれだけの損失を出したか」
病状思わしくない皇帝の言は意外なほどに鋭利だった。内心で戦慄したグッゲンハイムだが、今更引き下がることもできず反論する。
「しかしながら陛下、クロネッカーには高等用兵の経験が不足しております。今まで大規模海戦の指揮を執ったことは一度しかなく——」
「その一度が卿らの立てた作戦で大敗した我が軍主力の退却支援であろう」
にべもなく痛い所を突かれ、グッゲンハイムは言葉に窮した。
「クロネッカーは確かに二五歳と経験において諸将に劣る点があるかもしれぬが、短き軍歴にして並の者が成し得ぬ軍功を挙げておる。エリザヴェートも彼に命を救われた。それは卿も知っているであろう」
言葉の間に不健康な咳を挟みながら皇帝は言い切った。
「は……」
「余を用いて我意が叶うと思わぬほうがいいぞ、統帥総長」
病身の皇帝の声は烈しくも力強くもなかったが刃物のようにグッゲンハイムを抉った。抉られているのは単に彼の心情のみならず、彼の権威であった。帷幄上奏でも海軍卿の策動を阻止できぬとなれば、もはやグッゲンハイムにできることは何もない。
引き下がったグッゲンハイムは、次なる一手を考える他なかった。
皇帝の温情も歓心も、戦場での敗退を覆すことはできはしない。グッゲンハイムの慧眼を示し海軍卿と皇帝の不明を暴くために、統帥総長という職位を用いてできることはないだろうか。
コンラート・アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ブラウメン。ブラウメン=ヒンターハーフェン家の大公ジギスムント・フォン・ブラウメンの長男であり、皇孫に当たる。この年十五歳、法的な結婚年齢は十八歳以上であるため輿入れにはまだあと二年と十月を要する。
「父上は必ず皇帝になる。そしてその次は俺。そうなればお前は皇后だ」
マグデブルク家の邸宅のサンルーム。昼下がりの日の光が斜めに差し込み、重なった花々に反射して煌めいている。
マグデブルク公爵令嬢ヴィルヘルミナは熱っぽく語る八歳年下の少年をその柔らかな弧を描く睫毛の下から見つめ続けていた。
絹糸で編んだようなきめ細やかな髪は光を受けて輝き、紅い瞳は深淵を思わせる。みずみずしい可憐さを時間と共に積み重なる円熟さが覆い、年相応の美麗な淑女へと成長していた。
「俺の横で、お前はこの銀河帝国の唯一無二の存在になる。ほしいものなんか、なんだって手に入れられる」
視線をコンラートから一切動かさず、能面を思わせる無表情でヴィルヘルミナは紅茶のカップを手に取る。
「だからそんな嫌そうな顔をするなよ。どのみち俺が十八歳になれば結婚するって決まっているんだ」
「嫌、と申し上げたことは一度もございません」
抑揚のない声でヴィルヘルミナは応じた。感情を声に乗せていなくても、透き通った山の清水のような声は、本人の意図と関わりなく将来の夫となるべき少年を魅了している。
「だったらどうしてずっと黙っているんだ」
「私に皇后となる願いはございませんから」
「野心なんかなくても、なるものはなるんだ。違うか」
余人が真似をしたくてもできない優美な所作でヴィルヘルミナはカップを音もなく皿に戻した。
「法の定めに従えばコンラート様の伯父、ルートヴィヒ皇太子殿下とそのご息女たるエリザヴェート殿下が皇位を継承されることでしょう。大公殿下が大逆の罪を犯してでも簒奪されない限り」
その小さな口から発したと思えないほどにその指摘は辛辣を極めた。
「だが、そう父上が仰っていた。軍だって父上を支持している」
「ならば大公殿下は皇太子殿下を弑逆し奉ってでも皇位を目指すおつもりなのですか」
ヴィルヘルミナの声には、さざ波一つ立たなかったが、コンラートが鼻白むには十分だった。
「そんな事を父上がなさるわけがない! 軍部の支持も——」
「この帝国は軍が治めているのですか」
その一言だけでヴィルヘルミナはカップを手に取る。言葉を失ったコンラートには拘泥しない。乾いた真紅の瞳をコンラートがどれだけ覗き込んでも、そこには深い空虚が映っているだけで何の回答も返してはくれなかった。
狭い価値観でしか生きられない可哀想な人。兄様だけは違う。私の地位ではなく、私という人間のためにすべてを賭けてくれる。
私も早く、自由になりたい。




