海軍統帥本部
統一銀河暦五〇四年五月三十日、帝都ケーニヒスシュタットの海軍統帥本部庁舎。
窓から朝日が差し込んでいる。光の中を埃が舞う室内に足を踏み入れた時、動員課長クリストフ・フォン・フェルステマン少将は窓枠で反射した光に思わず目を細めた。
既に先客たちが黒樫の長机を囲んで腰を下ろしている。いずれも黒色の銀河帝国海軍将校正装に身を包み、肩には参謀飾緒として知られる金色のモールを垂らしていた。
フェルステマンと同じく少将の階級を示す金線が袖に入った将校が彼を見上げて片手を挙げた。均整の取れた引き締まった体躯に右目を覆う黒い眼帯、その眼帯の下を額から顎まで走る傷痕と、軍人というよりもマフィアを彷彿とさせる風貌の将校である。
「遅いぞ」
フェルステマンは手にしたファイルを机に置き、同僚の真正面の席に腰を下ろした。
「こんな朝早くから会議とは」
「聞いていないのか」
同僚は怪訝そうな表情をした。
「オルレアーンス・ドライの件だ。第七師団がまた仕損じた」
「陸軍が怒り心頭だな」
感情の波風を感じさせずフェルステマンは応じた。
それに対して同僚が何か言いかけたところで入口の方に目を向け、反射的に立ち上がった。
「統帥総長、入られます!」
フェルステマンに限らず長机を囲んで話していた将校たちが一斉に立ち上がり、直立不動の態勢を取る。
高級副官を伴い入室してきたのは禿げ上がった頭に対する立派すぎる髭が対照的な男だった。眼鏡の下の切れ長の目で居並ぶ高級将校らを一瞥しながら男は部屋の奥の席へと向かい、右手で全員に着座を促した。
「状況は」
席に腰を下ろすより早く海軍統帥総長ペーター・フォン・グッゲンハイム上級大将は問い、即座にフェルステマンの向かいの眼帯の男、作戦課長オットー・フォン・ホリト少将が口を開く。
「標準時二八日、オルレアーンス星系で第七戦列竜騎兵師団が護衛した輸送艦隊が壊滅しました。旗艦ザイドリッツが轟沈し、イェリネク中将は戦死の模様です。損害は嚮導戦列艦一、重戦列艦十三、軽戦列艦四、防護艦四五、高速輸送艦八五が撃沈」
統帥総長は片眉を吊り上げた。
「大損害だな」
「オルレアーンスを帝国海軍の墓場にするつもりか!」
軍務統帥次長ハインリヒ・フォン・アスペルマイヤー大将が声を張り上げた。
「オルレアーンス・ドライの制宙権は連邦軍の手にあります。輸送船も辿り着けないとなれば現地軍三百万を撤退させることすら覚束ないでしょう」
「そのようなことは分かっている。求めているのは現状の打開策だ」
作戦統帥次長エミール・フォン・ティッペルスキルヒ大将はホリト少将に言い返し、さらに続けた。
「貴官のことだ、既に打開案は考えているのだろう、作戦課長」
「はい。イェリネク中将の後任にクロネッカー少将を」
その一言に一座の注目が一斉にホリト少将へと集まった。そのほとんどが驚愕ないしは疑念の視線である。
「クロネッカーだと」
「マグデブルク家の縁者であればこそ優遇されたような男ではないか」
「陛下の下で運にだけは恵まれた者に何を……」
方々から文句が噴出する。
「そのクロネッカーです。彼はアルミターゲで南方艦隊を救った。その手腕に期待してよいのでは」
ホリトは生き残っている左目を素早く動かし、一座の一人一人に視線を向けながら話した。
「しかしこの苦境に彼のような経験の浅い男を……」
「直近の戦役で南方艦隊主力は大きな被害を受けましたし、無事な艦も整備が必要です。稼働艦艇を全て結集させても、連邦軍に対し劣勢の今オルレアーンス戦線に大軍を動員するのは不可能です。しかし早急に事態を改善しなければ彼の地の我が陸軍は全滅します。イェリネク提督に解決できなかったのなら、あのクロネッカーを使うしかないのでは」
「それは博打だ」
軍務統帥次長が首を横に振る。他の一座の面々もまた反対するかのように口元を曲げていた。
「編成課長。直ちに第七師団に増援可能な艦艇はどれくらいだ」
滞留から固着へと移行しつつあった室内の空気感を払うように統帥総長が問い、編成課長が急いで手元のデータパッドを操作し、白髭に覆われた顔を上げた。
「南方艦隊の兵力不足を補うために北方並びに西方艦隊より相当数の艦艇を供出しましたため一個旅団程度が限界です。しかしこれだけでは到底連邦軍艦隊には……」
「送れるだけの艦艇を直ちに前線部隊に増強しろ。イェリネクの後任にはエッカート中将が良かろう。海軍省に諮っておけ」
それだけを高級副官に命じ、グッゲンハイムは素早く席を立った。すぐに机を囲む全ての将校が起立し、統帥総長を送り出す。
扉が閉まり、空気が弛緩したことで室内の将校らが一斉に動き始めると会議で一度も発言しなかったフェルステマンは速足で机を回り、ホリトに声をかけた。
「本気か、クロネッカーを使うって」
「貴様も奴の実績は知っているはずだ」
「だが見ただろ。誰も貴様に賛成はしなかった」
ホリトは構わず手に持った書類を黒樫の机に叩きつけて揃えた。
「出世を焦るのは分かるが、邪道のような提案をしても受け入れられんぞ」
ホリトは何も言い返さずにテーブルを離れる。その背中を無言でフェルステマンは追っていた。
銀河帝国海軍卿コルネリアス・フォン・アルニム上級大将は退庁間際になって秘書官から急な客の来訪を告げられた。
「ホリト、一体どうした」
迎えに行かせた秘書官に連れられて分厚い扉から入ってきた将校の姿を見て、アルニムは席を立ってホリトを迎え入れた。
「突然お騒がせし申し訳ございません」
開口一番に詫びを入れ、軍帽を取ったホリトは腰を低くして海軍卿に近づいた。
「至急にお耳に入れたい案件がございまして」
「よかろう。座れ」
堂々たる体躯と鼻の下のカイゼル髭が印象的な海軍卿はホリトに席を勧め、自分は執務机へと戻った。
「一昨日にオルレアーンス・ドライに向かった我が軍の輸送船団が壊滅。護衛艦隊を率いた第七師団長イェリネク提督は戦死。陸軍の一個軍を積載した輸送船団と多数の艦艇が失われました」
「それは聞いた。陸軍省からも抗議があった」
「はい、しかしながら統帥本部は抜本的な解決策を講じておりません」
左目で狙撃するかのようにホリトは海軍卿を見据えた。ホリトの直接的な物言いに海軍卿は微かに身をよじらせる。
「どういうことだ。抜本的な解決策だと」
「オルレアーンス・ドライを封鎖する連邦軍艦隊は我が艦隊より優勢なれば、若干の増援を送り込んだところで事態は解決しません。しかし先の戦役で少なからぬ損失を被った我が軍の主力をオルレアーンス方面に投入することもできません」
アルニムは不快げに髭の端を捻った。
「それは分かっている。だが前例に照らせば、他に手はあるまい」
「統帥本部はエッカート中将を推しました。以下は候補者です」
ホリトがアルニムの執務机の上に差し出した一片のメモには、走り書きで数人の名前が記されている。
「エッカート、マインホフ、ブルック……クロネッカー」
紙片の上を辿る海軍卿の肉厚な指の動きが、一つの名前の上で止まった。
「エルヴィン・フォン・クロネッカーです。名前は閣下もご存じでしょう」
そう言われてアルニムの目が細くなった。
「クロネッカーだと。あの“狂犬”と言われる男か」
「その“狂犬”です、閣下」
アルニムは紙片を机に伏せた。
「これだけか。他にも適任者はいるのではないか」
そう言われてホリトは立ち上がり、絨毯に軍靴の音を吸わせた無音の歩調で海軍卿の執務机へと歩み寄った。
「直ちに派遣できる者は帝都にこのくらいしかおりません。時流に任せればエッカートやブルック辺りに落ち着くでしょうが、共に凡庸な統帥総長の腰巾着。しかし彼らを任じ成功すれば彼らの権威が増し、失敗した責任は人事の失敗として閣下に及びかねません」
アルニムは言い淀んだ。万年筆を指でいじりながら難しい顔をしている。
「クロネッカーは少将ながらどの派閥の色もついておりません。最も扱いやすく、そして特効薬となりうる人物かと」
「しかしな、クロネッカーほどの若手を使うなど博打のようなものではないか。それに仮にもマグデブルク家の人間だぞ」
「勝っても一度のこと、閣下のお力でいかようにも制御できましょう。もししくじれば小官の責として喧伝していただいて結構でございます」
「それは困る。貴官には統帥本部を掌握してもらわねば」
それにホリトは言い返さず、ただ真正面から力強く海軍卿を見据え続けた。
海軍卿は深く息を吐いた。
「分かった。クロネッカーを推薦すればいいんだな」
「ご高配、感謝申し上げます」
ホリトは頭を下げた。
「ただしクロネッカーには何としても事態を回復させろ。貴官が責を負うと言っても、奴がしくじれば当然その責は私にも降りかかるのだからな」
「肝に銘じております。閣下の名声に泥を塗るような真似は決していたしません」
ホリトは再び腰を折り、深々と首を垂れた。
前日。
「ご無沙汰しております、閣下」
にこやかな表情で第十七戦列竜騎兵旅団副官アウグスタ・シューラー大尉は軍帽を脇に抱えて入室した。
燃え盛る業火のような赤い髪を、今日は解いたまま背に流している。髪型といい胸を張って腰で歩く歩き方といい、その美貌を武器としてそのまま発揮する、豪放な美女という立ち振る舞いであった。
統帥本部の一室。オットー・フォン・ホリト少将の執務室は職務上必要最低限の調度のみが配され、窓から差し込む光が石と木で形作られた室内に色を添えている。
「出向くこともできずすまない、私も忙しくて」
「構いません。こちらからのお願いですから」
三九歳の統帥本部作戦課長は執務机を挟んだ一脚の椅子を示した。
「二五歳で大尉とは。やはり早いな」
「恐縮です」
「お前たちの代ではお前が出世の三番手だと」
「閣下の教えの賜物です」
世辞を黙って受け流し、ホリトは兵学校時代の教え子が席に着くのを待って口を開いた。
「それで、何用だ」
「私の上官に宛がう任務がないかと思いまして」
ホリトの片方の口元が吊り上がった。
「エルヴィン・フォン・クロネッカーにか」
「アルミターゲの戦いで倍する敵艦隊を相手に時間を稼ぎ切った手腕は、目下の戦局の挽回に貢献できると思いますけど」
膝の上に置いた軍帽のつばを指先で玩びながら言う。
「だがまだ二五歳だ」
「今は戦時です。有為な人材は活用すべきではないですか」
「だが……」
ホリトの視線は反論の言葉を探すように室内をさ迷っている。
「私のお願い、聞いてはくれないですか」
「……オルレアーンス星系で第七戦列竜騎兵師団が苦戦している。昨日の海戦で師団長が戦死した」
「ではそこに彼を送ってください」
作戦課長は数秒の間答えず万年筆の尻で黒樫の机を叩いていた。
「それほど可能性があるというのか」
「この一年強、私は彼の采配を見続けています」
「あの戦いでの評価は芳しいものではない。一旅団長に過ぎない地位で勝手に部隊を糾合しては統率が乱れる」
「ですが成果を挙げています」
ホリトは首を横に振った。
「統帥本部や海軍省が評価するかは別問題だ。クロネッカーの元にいて共倒れになるのではないか」
アウグスタは曖昧に笑った。
「彼が私を手放さないでしょう。オルレアーンスの件、お考えいただけますか」
「奴に勝ちたかったんじゃなかったのか。不正をしてでも」
赤毛の大尉の笑顔が蝋燭の炎のように消えた。
「閣下には関係のないことです」
そこまでしても彼女はエルヴィン——比類なきあの陽光に届かなかった。
「そうか」
ホリトは唇を結んだ。歴戦の雄と謳われ、若くして統帥本部の重責を担った彼も、この時彼よりも十四歳ほど年少の一大尉を相手に退く他なかった。




