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マグデブルク公爵家

 帝都ケーニヒスシュタットから南に一三〇〇キロ。銀河帝国の経済的中枢たるブラウメンブルクはその高さをキロメートルで数えるべき超高層ビルが林立する巨大都市であり、夜になれば不夜城の如き光をあらゆる光源が放ち、昼夜を分かたず活動している。

 その様はまるで都市一つが有機生命体であるかのようであり、一億を超える昼夜間人口が一分一秒の間断なくこの街の歴史を刻み続けていた。

 その中にあっては高さ八〇〇メートルのホテル、シュヴァイクトゥルムですら中層ビルとして区分され、その高度六二三メートルに位置するカフェ・ブーフヴァルトから見える景色も日頃ブラウメンブルクに住まう者たちにとっては陳腐なものである。その窓際の一角でエルヴィンは躍動する夜景を背景にソファに腰を下ろしていた。

 「御嬢様はお元気でいらっしゃいます。エルヴィン様が無事にお戻りと聞いてお喜びでした」

 エルヴィンの目前に座る執事、ミヒャエル・フォン・ツィーグラーは六十歳を超え頭髪が全て白く染まった今でも鍛え上げられた肉体がシャツの下から浮き出るほどの筋肉を持ち、軍人か警察上がりであると容易に想像させる。細長い顔はエルヴィンが彼を認知した二十年以上前からほとんど変わらず、加齢の衰えを感じさせない。

 「そうか」

 一瞬の安堵の喜色は、陰鬱さを覚える歯噛みに取って代わられる。

 「だがあの牢獄に囚われている限り、本当の意味でヴィルマが救われることはないんだ」

 その言葉は既に何百回聞いたか、男には思い出せない。一つ間違いないのは、皇孫に嫁ぐという銀河帝国の淑女にとって最大の栄誉に、この青年が路傍の塵ほどの価値も認めたくないということだった。

 「あとおよそ三年弱でございますか」

 「一〇五〇日だ」

 言下にエルヴィンは被せた。ミヒャエルは小さく顎を引いた。

 「そうだ。あいつを救うにはこの時間さえ惜しい。本当なら今からでも最前線で戦果を挙げ続けたいのに……いや、これが無駄なんて言いたいわけじゃないんだ」

 言い直す声音(こわね)に、取り繕う響きはなかった。ミヒャエルは首を横に振った。

 「このミヒャエル、エルヴィン様が乳飲み子であった時より見てきております。言葉の綾などお気になさるな」

 気恥ずかしさを行動で埋め合わせようとするようにエルヴィンは視線を泳がせた。身を乗り出して手に持ったカップを皿に戻す。

 「たとえ戦果を挙げても、それが出世に直結するかは分からない。老人共は若すぎる俺のことを好ましくは思わない」

 「なるほど戦時とは言え二十代で将官というのは受け容れ難いでしょう。しかしそれを貴方様の才覚一つで打ち破っていけばよろしい。ヒルデガルトの子ならばそれができる、私は信じております」

 「あと一〇五〇日、たったそれだけだ。やり切らなかったら全てが無駄になる。公爵に叙されても元帥に昇進しても簡単にはできないことを」

 カップの底に僅かに残ったコーヒーに映る自分の顔をエルヴィンは睨みつける。

 「でも必ずやる。そう約束したんだ」

 顔を持ち上げた青年の視界の中で小さく頷き、ミヒャエルは席を立った。

 「彼女は誇りに思うでしょう。今の貴方様のお姿を」

 大した偽善だな、と執事は内心で自嘲した。

 「俺に生きる意味があるとすれば、そのためだけだから」

 執事は一礼した。

 「貴方様のご様子は御嬢様にお伝えしましょう。あまり長くお屋敷を離れていては怪しまれてしまいます」

 「分かってる。いつも感謝してる。ずっと気を遣わせてすまない」

 ミヒャエルに応じてエルヴィンも立ち上がった。窓外のネオンがその横顔を冷たく縁取る。

 「ご武運を」

 「ミヒャエルこそ、元気で」

 執事が踵を返し、一人エルヴィンはその場に残された。振り向いてガラスの向こうで脈動する景色を望む。人の手が作り上げた光の粒たちが、彼の網膜に踊った。

 懐から一枚の手紙を取り出す。茶褐色の封筒が、妹のものと分かる蝋印で封をされている。

 微かに震える指先で封蝋をなぞる。割らないように剥がして手紙を開ける。

 “昨日、コンラート様がお見えになりました。いつも通り私は皇后になるだなんて仰って。皇帝陛下や皇太子殿下のお耳に入れば大変です”

 その一言が目に留まった。

 あぁ、お前も苦しんでいるんだな。皇后などというこの世の汚泥を一身に背負うような立場を求められて。

 必ず俺の手で救い出し、自由にさせてあげよう。お前が生きるべき世界はいくらでもある。この宇宙は銀河帝国という大国の版図でも全く及ばぬほど広いのだから。


 マグデブルク公爵。

 既に形骸化した五選帝侯(Kurfürst)の一つマグデブルク公爵(Herzog)号を持つ、権威と血脈において銀河帝国随一の大貴族家である。帝国逓信省を支配下に置き、ここ百年の間の逓信卿がマグデブルク家以外から出たことはない。

 先代エーリッヒの長子マクシミリアンが妻子もろとも宇宙船の爆発事故で没したのは十九年前のことである。継嗣の座は次男ヴィルヘルムに移り、やがて彼は公爵位と逓信卿の椅子を手にした。公爵夫人ヘレーネは長く南方の別邸に退いており、この屋敷の食卓に姿を見せることはない。

 ある晩の夕餉の席上、マグデブルク公ヴィルヘルムは長女に問うた。

 「ヴィルヘルミナ、コンラートとの間柄は遺漏ないか」

 長女ヴィルヘルミナは手にしたナイフとフォークを静かに置き、微笑して返した。

 「はい。一昨日もコンラート様がお見えになりました」

 「ならいい」

 父の返答は素っ気ない。

 「それよりも父上、ヘッセン社へのイェーゲルシュタット第二航路の認可はまだ出せないのですか。彼らが突き上げてきているのですが」

 長男ヨーゼフが身を乗り出して問う。

 「待たせることに意味がある。あの航路はマグデブルク家の資産だと考えろ」

 「デアフリンガーが破綻してくれたのは幸いでしたね」

 当てつけるような言い種でヨーゼフは片目を見開いた。その視線は彼の妹に向けられている。

 公爵は応じなかった。長男の言葉が聞こえなかったかのように、切り分けた肉を口に運ぶ。この十五年、彼が娘の顔を正面から見たことは一度もない。彼女が機械的にフォークを口と皿とを往復させ続ける絡繰(からくり)としか見えなくても、それは兄と父の視野において意識を傾けるべき大事ではなかった。

 食事を終えて部屋に戻り、再び出る。その手に持った封、それは実兄からの手紙。昨日の夜ミヒャエルが届けてくれた。

 邸宅の地下室へと繋がる階段は西館の端の物置の奥。隠したいものを押し込むための地下牢は、もう十数年の間使われていない。

 ライトを手に細い螺旋階段を下りる。自分の足音の反響以外には何も聞こえない程に、息が詰まる密室であった。

 不揃いな石壁、錆びた鉄格子、湿った空気。斜めに掘られた通気口の他に外界と接するものはなにもない。呼吸すら躊躇う圧迫感の中で、ヴィルヘルミナは手元の灯りで手紙を照らした。

 どんな宝石よりも価値のある紙。一枚とて無くしたことはない。

 彼女が愛する、世界で唯一彼女のために生きてくれる人。兄が流す血は、一滴残らず私のために流されている。それを想うたび、胸が躍る。道具としてしか価値を認められない私のために、兄はその人生のすべてを賭けて尽くしてくれるのだ。

 石の床に広がった黒い染みも鉄の匂いも、今は残っていない。だが記憶の中にあの感触はこびり付いている。ここに来ればあの日のことが彼女の胸によみがえってくる。決してそれを風化させないために、手紙を手にした夜は必ずここを訪れる。

 ただ一つ空気を取り込むための格子窓から星空が見える。ここから二度とその下に立つことのできない世界を見上げた口惜しさはいかほどのものだっただろう。

 昨日のことにも思える遥か遠い昔にこの場所から兄と見上げた空は、今日も変わらず鉄格子の向こう側に浮かんでいる。十数年の時を経てなお変わらぬ星空を見上げる彼女の身体はあの時よりどれだけ大きくなっただろうか。

 手紙を握り、鉄格子の奥を睨む。無彩色の空気を弾き返すような紅の瞳。

 政略結婚の道具として使われる彼女に自己決定権など存在しない。その彼女の瞳の奥に宿る思念など、周囲の人間たちにとって関心の外にあった。

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