鞭声粛々夜河を渡る
次の日から、俺は草刈り後に一人で投石の練習を始めた。
広大な原っぱ。
周りには何もない。
ビルに囲まれていたサラリーマン時代とは大違いだ。
離れたところに落ちていた動物の頭蓋骨を置き、
遠くから石を投げる。
これを繰り返した。
原っぱを吹き抜ける風を感じながら、
「鞭声粛々夜河を渡るか……」
俺は呟く。
「なんだよ。べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる?」
ミルは尋ねた。
脳内に別人の思考が存在する。
その気持ち悪さに当初は戸惑ったが、少しずつ慣れてきた。
「あぁこれはな。馬を打つ鞭の音さえ立てないよう、軍勢が夜の川を静かに渡っていくさまを描いたものなんだ」
武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦を描いた詩の一節だ。
詩吟には興味がないが、この一節だけは、好きでよく使った。
「なぜ今それを言う。馬も持ってないし、軍もないじゃないか」
「わかってないな。男のロマンだよ」
「なんだそれ。頭の虫でも湧いてんのか?」
「これはな、文字通り捉えたらダメだ。静かだが着実に進む大きな動きのたとえなんだよ」
サラリーマンは同じ事の繰り返しが多い。
正直面倒だが、
この一節を思い出せば、その同じ事の繰り返しが、尊く思える。
政治家や官僚、企業の幹部などが
「粛々と遂行してまいります」
と言う時、この一節を思い出す。
「草刈りと、石を投げる練習がか……。
お前バカだろ。練習なら剣や弓矢だろ。カッコいいし」
「俺のいた世界には、羊飼いから身を起こし、王にまで昇りつめた男がいる。その男が使っていた武器が投石器なんだ」
「ただ石を投げるだけじゃないんだな」
「そうさ。その男は投石器を使って巨人を倒した」
「そんなに強いのか?」
「ほらホークも言ってたろ。頭に当たったら即死すると。それにこれだと遠くから攻撃できるから、攻撃を喰らいにくい」
「おぉ。そうか……、たしかにな。
じゃあ何も言わない。頑張れ」
ミルが理解したようで、
俺は少し誇らしげだった。
会社では、誤解、説明、納得。
日々これのくり返しだった。
人は自分の知識の中だけで、
思考を巡らす。
だから誤解をする。
しかし説明をして、その周辺の知識を補うと、
主張に賛同してくれることも多い。
ただ、
相手に納得するだけの利益がある場合のみにおいては……。
今回ミルが納得したのは、
体の危険性が少ないという、彼のメリットがあったからだろう。
サラリーマン時代は、利害調整に随分時間を費やした。
俺は毎日三十分程投石の練習をした。
十回投げても、一度も頭蓋骨には当たらない日もあった。
それでも三十分が過ぎれば、石を置き、翌日に回した。
何度か、
ホークに見てもらい、その都度微調整を行う。
しだいに、投石のレベルが上がり、遠くの的にも当てられるようになった。
そんな中、
ギルドでゴブリン討伐の依頼が出た。
一体倒すことで1G。
俺は中々好条件の仕事だと思った。
しかし、
受ける冒険者はいない。
俺は受付嬢に尋ねた。
「このゴブリン討伐。人気がないんですか?」
「そうですね。冒険者にとっては雑魚ですから」
「雑魚なら、やっつけ仕事で終わらせてもいいのでは?」
「そう思うでしょ。
でもね。
中級の冒険者にとっては、ゴブリン退治って箔がつかないというか。
カッコのよくない仕事なんです。
それにパーティが組まれてますから、利益が出にくいんですよ」
「初級冒険者は?」
「多少は受けてもらえますけど、囲まれると厄介で、命を落とす危険もあるんです」
「じゃあ、一見割りがいいように見えるけど、割りが悪い感じの微妙な案件だと」
「そういう事ですね」
そうか……
社内システム保守みたいな仕事か……、
止まると会社が終わる。
でも評価されないし、派手じゃない。
だから人気もない。
「ゴブリン退治が進まないと、どんな影響があります?」
「女子供がさらわれますね」
「わかりました。俺がやってみます」
「それはよろしいのですが、おひとりですよね」
「はい」
「囲まれるとヤバイですよ」
「ムリをせず、毎日倒せる分だけ倒して、逃げます」
「……わかりました。じゃあ、お願いします」
受付嬢は少し笑みを浮かべた。
俺はゴブリンの出没地点の説明を受ける。
街の東側にある森の中で、
人的被害もまだないが、姿を見かけた報告は少なからずあるようだ。
完全な危機認定でないのも、討伐を受けない理由の一つなのだろう。
ゴブリンを退治したら、右耳を切り落とし、
ギルドに持ってくると換金してもらえるそうだ。
俺は、その日からゴブリン討伐を行うことにした。
まずは森の近くの集落に行った。
五十戸ほどだろうか。
規模の小さい集落だった。
俺は聞き込みを始める。
「すみません。ゴブリン討伐の依頼を受けた冒険者のセルと申します。お話が聞きたくて」
俺は村人の男に話しかける。
「あぁそれなら。村長に聞きな。案内してやる」
「ありがとうございます」
男は街の端近くにある家に案内してくれた。
「村長。村長さんはいないか。ゴブリン討伐に来てくれたぞ」
男は扉の前で叫ぶ。
「ちょっと待ってくれ」
扉が開く。
がっしりとした中年の男が出てきた。
「ありがとな」
中年の男は言った。
「じゃあ、村長あとは頼む」
「ゴブリン増えたら面倒だから、しっかり討伐してくれよ」
そう言い残し、村人は帰っていった。
俺は会釈をする。
「ワシが村長じゃ」
「冒険者のセルです」
「あんた一人か?」
「はい」
「雑魚認定されるが、さすがに一人は危険だぞ」
「はい。ギルドからも忠告されました」
「あんた強いのか?」
「いえ。討伐は初めてです」
「武器は?」
「これです」
俺は投石器を見せる。
「なんじゃこれ」
「投石する道具です」
「やめとけ。石なんかで勝てんし、当たらん」
「では試しに見てもらえますか?」
「そこまで言うなら。見よう。そうじゃな。あの木に当てられるか?」
街の中央にある木。
あれに当てるのは……。




