第5話 オネェ魔物、Bランク魔物をワンパン
ドスン、と地響きを立てて絶命した軽トラサイズの巨獣。
その圧倒的な死がもたらした静寂が、森を包み込んでいた。
俺はゆっくりと息を吐き、葉っぱの鞘に鉄剣を戻す。
そのまま、腰を抜かしてへたり込んでいる女性の目線に合わせてしゃがみ込んだ。
艶やかな黒髪のボブヘアに、大きな丸い瞳。
事務服のようなタイトスカートは泥で汚れ、小柄な身体が小刻みに震えている。いかにも守ってあげたくなるような、可愛らしい顔立ちの女性だ。
「……お怪我はありませんか?」
なるべく穏やかな声色を作り、敬語で問いかける。
「あ、え、と……はい。怪我は、どこにも……」
胸元で革張りのバインダーを抱きしめたまま、女性が震える声で答える。
安堵からか、その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「ちょっとアンタ、泥だらけじゃないの。せっかくの可愛いお顔が台無しよ」
俺の背後から、巨大な影がヌッと顔を出した。
ハシ姉だ。
女性が「ひっ」と短く息を呑むが、ハシ姉は気にする様子もなく長い首を曲げる。
チョン、チョン。
先ほどまで恐るべき音波兵器と化していた分厚く巨大な嘴が、女性の肩や髪についた枯れ葉を、嘘のように繊細な動作で摘み取っていく。
「あ、ありがとう、ございます……?」
「どういたしまして♡」
混乱しつつもお礼を言う女性に、ハシ姉が器用にウインク(のようなもの)を飛ばす。
「ところで、その事務服のような格好で、なぜこんな森にいたんですか?」
俺の問いかけに、女性はハッとして居住まいを正した。
「も、申し遅れました。私はこの先の街の冒険者ギルドで、受付兼、生態調査の記録員をやっております、ミリアと申します。助けていただき、本当にありがとうございます」
「ミリアさんですね。それで、調査というのは?」
「はい。最近、小動物や低級の魔物たちが、森を捨てるように一斉に街の方角へ逃げ出しておりまして」
ミリアさんの言葉に、俺は軽く頷く。
「なるほど。実は俺たちも、さっき逃げていくゴブリンの群れに遭遇したんです。俺とこのハシ姉で退治したんですが」
「そちらの大きな鳥は、ハシ姉さん、というのですね。……助けていただいて、よろしくお願いします」
「よろしくねぇ♡」
「……それで、逃げ出してくる原因を探っていたのですが、突然マッドボアのような中型の獣たちが一斉にパニックを起こして暴走を始め、護衛の方々とはぐれてしまったんです」
なるほど、と腑に落ちる。
小動物の静かな逃走劇から、中型獣の恐慌状態への移行。
局地的な天敵の出現などではない。森の生態系という巨大なピラミッドが、底辺からゴソッと削り取られるように押し上げられているのだ。
経験と直感から、まだ俺たちには感知できないような『巨大な異変』の気配を確信し始めた、その時だった。
ガサガサガサガサッ!!
「ミリアさん!! ご無事ですか!!」
「チクショウ、あのマッドボアの足跡はこっちだ!!」
焦燥しきった怒声と共に、周囲の茂みが乱暴に掻き分けられる。
飛び出してきたのは、金属鎧や革鎧に身を包んだ、いかにも歴戦といった風貌の屈強な男たち三人。はぐれたという護衛の冒険者たちだろう。
俺は即座にミリアさんを背後に庇うように立ち上がり、ハシ姉もスッと目を細めて臨戦態勢をとった。
「ミリアさ……なっ!?」
息を切らした先頭の大柄な剣士が、俺たちを見て血相を変えた。
腰に葉っぱで巻いた剣を提げた、泥だらけの怪しい男。
そしてその後ろにそびえ立つ、人間サイズの巨大で不気味な怪鳥。
「ミリアさんから離れろ、この化け物ッ!!」
シャキンッ、と容赦のない抜刀音が森に響く。
三人全員が、完全に俺たちを「ミリアさんを襲う未知の魔物」と勘違いし、殺気を剥き出しにして武器を構えた。
「待ってください!!」
俺が口を開くより早く、背後のミリアさんが両手を広げて男たちの前に立ち塞がった。
「この方々は命の恩人です! 私を襲おうとしたマッドボアを、退治してくれたんです!」
「恩人……? マッドボアを?」
大柄な剣士がいぶかしげに眉をひそめ、そして。
俺たちの足元から数メートル先に転がっている、巨大な肉の塊に気がついた。
「あのBランク相当のマッドボアが、死んでる……?」
冒険者たちの顔から、サッと血の気が引いていく。
純粋な驚愕と畏怖。
剣士の視線が、死骸から俺へ、そしてただならぬプレッシャーを静かに放ち続けるハシ姉へと移り、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……アンタたち、一体何者なんだ……?」
冷や汗を頬に伝わせながら、剣士が震える声で尋ねる。
「ただの迷い人と、その相棒です。危害を加えるつもりはありませんよ」
俺は両手を開いて敵意がないことを示した。
ミリアさんからの必死の説得もあり、ようやく冒険者たちも警戒を解いて武器を鞘に収める。
「……すまなかった。俺たちが不甲斐ないばかりに、ミリアさんを死なせかけるところだった。助けてくれて、本当に感謝する。俺はBランクパーティー『銀の牙』のリーダーをやっている、剣士のガランだ。こっちの二人は盾持ちのボルドと、弓使いのリュック」
「「よろしく!」」
盾持ちと弓使いの男たちが、同時に声を揃える。
「ツムグと申します。こっちは、先ほど知り合ったハシ姉です」
「よろしくねぇ♡」
ハシ姉が器用に片羽を上げて挨拶をする。
ガランたち三人は、その見上げるような巨体と鋭い眼光に少しだけ身を引きつつ、興味深そうに視線を向けた。
「しかし、見ない魔物だな。あのマッドボアを、外傷一つなく倒したのはあんたなのか?」
「ええ、アタシがやったのよ♡」
「なるほど……。レベルや進化の段階はどれくらいなんだ?」
「第3段階よ」
「第3段階か。それにしても珍しい姿だ」
ガランが顎を撫でていると、ハシ姉が長い嘴をカタカタと鳴らし、彼らの顔を覗き込んだ。
「アンタたち、ギルドで見覚えがあるわね」
「え? いや、ギルドにはよくいるが、アンタのような目立つ魔物と面識はないはずだが……どこかで会ったか?」
「アタシよ、アタシ。勇者パーティーと一緒にいた鳥いたでしょ? あれ、アタシだったのよ」
その言葉に、ガランたち三人の動きがピタリと止まった。
「……は? あの勇者パーティーの!? ってことは、あれから進化したってことか!?」
「ええ。つい最近ね」
「だ、だいぶ姿が変わったな……! 確か前は……勇者たちが望んでいた『アーク・イーグル』には進化しなかったんだな?」
「そうなのよ。結果がこれ。目的と違う乗れない鳥はハズレだーって、この森に捨てられちゃって。困っちゃうわよねぇ」
ハシ姉はため息をつくように、バサリと羽を揺らした。
「す、捨てられただと!? Bランクの暴走個体を沈めるほどの実力がある魔物をか!?」
ガランたちが信じられないといった顔で絶句する。
勇者の見る目のなさと、命を道具としか思っていない傲慢さに、荒くれ者の彼らでさえドン引きしている様子だった。
「まあ、俺からすれば、こんな強い魔物に守ってもらえて安心ですよ」
重くなりかけた空気を切り替えるように、俺はわざと明るく振る舞った。
「そんなわけで、俺たちはこれから街を目指したいんです。そこでガランさんたちに、一つお願いがあるんですが」
「お願い? ああ、俺たちにできることなら何でも言ってくれ」
「実は、この辺りの地理に全く明るくなくて。街へ行くのも初めてで、身分証の類も持っていないんです。よければ、街まで案内していただけませんか?」
俺の頼みに、ガランは快く胸を叩いた。
「なんだ、そんなことでいいのか! もちろんだ。ギルドの職員と、俺たち『銀の牙』が身元を保証する。どこの門番も文句は言わねえさ」
「助かります。じゃあ、こいつの魔石だけ回収したら出発しましょう」
言って、俺はマッドボアの死骸に歩み寄る。
だが、ガランが慌てたように俺の肩を掴んだ。
「おいおいツムグ、魔石だけって本気か!? このクラスの獲物、肉も毛皮も牙も、全部特上の素材だぞ!」
「え? そうなんですか?」
「もったいないです! 特にマッドボアの牙は、良質な武器の素材としてギルドでも高値で買い取れますよ!」
ミリアさんまでバインダーを抱きしめながら熱弁を振るう。
環境調査はプロだが、異世界の魔物解体は素人だ。俺が葉っぱの剣を抜いて困惑していると、ガランが笑いながら腰の解体ナイフを差し出してきた。
「そのなまくらじゃ分厚い皮は弾かれる。ほら、このナイフを使え。関節の隙間から刃を入れるんだ」
「ありがとうございます。……なるほど、こうか」
男たちにアドバイスを受けながら、ナイフを滑らせる。
分厚い皮を剥ぎ、巨大な牙を根元から外し、鮮度を保つために血抜きをして上質な赤身肉を切り出していく。
土と血の匂いが混ざり合う、ひどく生々しい作業。
だが、手を動かすにつれて彼らとの間に奇妙な連帯感が生まれ、俺は泥だらけになりながらもこの「仕事」を楽しんでいた。
ズシリと重い魔石と、山のように積み上がった大量の素材。
ひと通りの作業を終え、額の汗を拭う。
「……で。これ、どうやって運ぶんですか? さすがに軽トラ一台分の肉と皮は背負えませんよ」
「ハハッ、心配すんな。俺とミリアさんの『アイテムボックス』に手分けして入れるさ」
ガランが笑いながら手をかざすと、空中にぽっかりと黒い穴のような空間の歪みが現れた。
そこへ巨大な牙や肉の塊を放り込むと、シュポッという音と共に次々と空間の奥へ吸い込まれていく。
「おお、便利ですね、それ」
「はい! ギルドで管理している、誰でも無料で覚えられるフリーのスキルなんですよ」
ミリアさんも同じように空間を展開し、バインダーを小脇に抱えながら手際よく素材を収納していく。
(なるほど、著作権フリーのオープンソースみたいなもんか。太っ腹だな)
「ただ、収納できる容量は個人の魔力の大きさに比例するので、どれくらい入るかは人それぞれなんですけどね」
「なるほど。それは覚えておいて損はなさそうだ」
これなら、今後の拠点作りや素材集めもかなり捗るだろう。
すべての素材が異空間に消え、手荷物は俺の腰のなまくら剣だけとなった。
「さぁさぁ、身軽になったし行くわよツムグ! アタシの美貌を街の連中に見せつける時が来たわ!」
「だから、ステップを踏むな。足跡が余計に目立つだろ」
身軽になったハシ姉が、再びオネェ全開のルンルン気分で歩き出す。
呆れるガランたちと、クスクスと笑い始めたミリアさんと共に、俺たちは歩幅を合わせて森を抜けた。
やがて、木々がまばらになり、視界が開ける。
夕暮れが迫る空の下。
はるか前方に、巨大な石造りの城壁に囲まれた異世界の街が、その全貌を現した。
第5話、お読みいただきありがとうございます!




