第28話 大亀の背に立つ世界樹
アイと大亀が拮抗する数分間。
ギギギギギッ……!!
眼前では、全長十五メートルの鋼鉄の機神と、規格外の第4段階へと至った大亀が、互いの全質量をぶつけ合って拮抗している。
レオが隆起させた巨大な岩のアンカーが悲鳴を上げ、大地がひび割れ、空気が震える。
『オラァァァッ! 押し返します!!』
凄まじい摩擦熱で装甲を赤熱させながら、アイが両腕に力を込めて叫んだ。
『マスター! 私、すごいですか!? 頑張ってますよ!!』
「ああ、最高だ! そのまま耐えろ!」
(性格変わってる!?)
この均衡も、持ってあと数分。
俺は強風に煽られながら、ズシンズシンと激しく揺れる巨大な甲羅を見上げ、右目(白蛇の恩恵)に意識を集中させた。
(……見つけ出す。あいつの意識を、正気に引き戻すための『急所』を!)
カッ、と右目が熱を帯びる。
瞳の奥で幾重にも重なる幾何学的な魔法陣が展開され、視界が青白く染まっていく。
分厚い岩のような甲羅を透かし、生命力と魔力の脈動が視覚化されていく。
その巨大な背の中央。
岩山と見紛うほどの隆起の頂上に、天を突くような巨木が生えていた。
前世の屋久島で見た縄文杉を、さらに何倍にもスケールアップしたような大樹。
まるでアニメで見る世界樹が、そのまま亀の背に根を下ろしているかのような圧倒的な存在感だ。
俺の視線は、その巨木の根元に吸い寄せられた。
ぽっかりと空いた、小さな樹洞。
そこだけが、まるで心臓の鼓動のように、淡く、温かい光を放っている。
「……あそこか」
「何か分かったの、ツムグ?」
呟きを拾ったハシ姉が、細い首を傾げて俺を覗き込む。
「ああ。あの甲羅の上にある大きな木。あそこの根元まで行きたいんだ」
「ウフフッ。やっとアタシの出番ね。ずっと待ってたんだから!」
バサァッ! と、青みがかった灰色の翼が広がる。
「マリーさん、セリアさん! 悪いが、こいつにも『筋力増加』のバフを二重でかけてくれないか!」
「えっ? は、はいっ! 『フィジカル・エンチャント』!」
「『ストレングス・ブースト』!!」
勇者パーティーの残党二人が、すぐさま杖を振るう。
淡い光の粒子がハシ姉の体を包み込み、細い鳥の脚と翼に、尋常ではない魔力がパンプアップされるのを感じた。
「ツムグさん、一体何をする気ですか!?」
セリアが叫ぶ。
「俺はあの大亀の背中に行きます。二人は引き続き、アイの援護に全力を注いでやってください!」
「わ、わかりました……!」
俺の指示に頷く二人を確認し、ハシ姉に向き直る。
人間と同じ背丈の彼女の背中に乗ることはできない。
「よし。頼むぞ、ハシ姉!」
「アタシの脚で、しっかり掴んであげるわ!」
ハシ姉の鋭く太い鉤爪が、俺の両腕と肩口をガッチリと掴み上げる。
ドンッ!! と、土の砦を砕かんばかりの踏み込みで、怪鳥が俺をぶら下げたまま朝霞の空へと飛び立った。
「おい、ツムグのやつ鳥に攫われてるぞ!?」
「違う、あのデカブツの背中に向かってるんだ!」
「正気かよ! 死ぬ気かあいつ!」
ガランさんたち冒険者の驚愕の声が、あっという間に遠ざかっていく。
吹き荒れる突風。
眼下では、アイと大亀が激突する衝撃波が絶え間なく発生している。
普通なら近づくことすら不可能な乱気流の中を、バフによって筋力を底上げされたハシ姉は、弾丸のような速度で一直線に大亀の背中へと肉薄していく。
ドックンッ。
再び、右目が激しく脈打った。
『……』
その瞬間。
大亀の激しい抵抗が、ほんの数秒だけ、ピタリと鈍る。
俺が右目の力を使ったことで、頭上から近づいてくる気配を無意識に探っているようだ。
「ハシ姉、あの木の根元だ!」
「任せなさいッ!」
風を切り裂き、ハシ姉が見事な急制動をかけて巨大な老木の根元へと降り立つ。
ザラついた、古い樹皮の感触。
大亀が再び暴れ出し、足元が激しくグラグラと揺れる。俺は太い根に必死にしがみつき、振り落とされないよう一歩ずつ、光るくぼみへと歩を進めた。
そこには。
古びた『座布団』のような布切れが、ちょこんと置かれていた。
俺が、その布切れにそっと手を伸ばした、その時。
――右目から、直接頭へと『映像』が流れ込んできた。
それは、上空からこの大亀の背中を見下ろしているような、不思議な視界。
今の傷だらけで血走った姿とは違う。
豊かな緑を背負い、穏やかな瞳で歩みを進める、どこか神々しいまでの大亀の姿。
そして、あのくぼみに置かれた座布団の上には、一匹の白い蛇が丸まっていた。
見間違えるはずがない。
前世で、土砂崩れから助けようとしたあの白蛇だ。
穏やかな日差しの中。大亀と白蛇は、ぽつりぽつりと会話を交わしていた。
『ふぁ〜……やっぱり、大亀さんの背中はあったかいね。すっごく居心地がいいよ』
『そうか。なら、ずっとここにいればいい』
『うん。ずっと一緒に旅しようね』
種族を超えた、確かな絆。
だが、その平穏は唐突に終わりを告げる。
白蛇の体が神秘的な光に包まれ、一段階上の存在へと『進化』を果たした直後のことだった。
『よーし、進化したばかりだし、新しいスキルを使えるようにならないと! ちょっと魔力を集中させて……』
白蛇が目を閉じ、自身の内に芽生えた新たな力に意識を向けた、その瞬間。
ズガァァァァッ!!
突如として空中に、真っ黒な時空の裂け目が出現した。
進化したばかりの強大な力を制御しきれず、暴発させてしまったのだ。
圧倒的な引力が白蛇を捉え、大亀が悲痛な咆哮を上げる間もなく、その小さな体を次元の彼方へと吸い込んでしまった。
『――――ッ!!!』
残された大亀が、狂乱する映像。
友の気配を求め、我を忘れて山を砕き、森を薙ぎ払いながら歩き続ける悲しい姿。
(……そういう、ことだったのか)
真実を悟った瞬間。
俺の視界は、真っ白な光に包まれた。
パチャ、と。
水面を揺らすような、微かな音。
「ここはどこだ……? さっきの場所ではないが……」
戦場のけたたましい轟音も、吹き荒れる風の冷たさも、完全に消え失せていた。
どこまでも続く、暗くて、静かな空間。
まるで、温度のちょうどいいお風呂の底に沈んでいるような、不思議な安心感に包まれる場所だった。
目の前には、あの『座布団』がある。
そしてその上には、透き通るような鱗を持った一匹の白蛇が、とぐろを巻いて俺を見上げていた。
『――』
ズズズズズ……。
次の瞬間、足元の暗闇から、トラック一台分ほどの巨大な亀の顔がぬっと現れ、俺たちを下から覗き込んだ。
濁った瞳が、座布団の上の白蛇をじっと見つめている。
『……ここに、いたのか』
脳内に直接響く、地鳴りのような、けれど酷く優しい声。
『探したんだぞ。どこへ行っていた』
亀の問いかけに、白蛇がシュルリと首をすくめた。
『ごめん……。進化したら力の制御ができなくて……時空の裂け目に吸い込まれて、違う世界に飛んじゃったんだ』
『……それは、なんとなく分かっている。だが、そこにいる人間は誰だ? なぜ、お前はその人間の右目に隠れている』
巨大な瞳が、ギロリと俺へ向けられる。
凄まじい威圧感だが、不思議と恐怖はなかった。
白蛇が、俺を庇うように座布団の上で鎌首をもたげる。
『転移した先の世界で、俺、大怪我しちゃってさ。しかも運悪く、山が崩れてきて死にかけたんだ』
白蛇の言葉に、俺はあの雨の日の記憶を思い出す。
『その時、この人間が身を挺して俺を庇ってくれたんだ。でも、自然の力には勝てなくて。このままだとこの人間が死んじゃうし、俺も死ぬのが怖くて……』
白蛇は、申し訳なさそうに俺を見た。
『だから、残り少ない力を振り絞って、この人間の……右目に宿って、魂ごと保護したまま、こっちの世界に一緒に跳躍してきたんだ。今は、また実体化できるように、この目の中で力を溜めさせてもらってる状態』
「……俺が前世で死んだのは自業自得だ。気にするな」
俺は小さく息を吐いた。
「というか、あの時俺を助けてくれたのは、お前だったんだな」
『恩返しってやつさ』
白蛇が、微かに笑ったように見えた。
「なるほどな。平原で目が合った気がしたのも、俺を見てたんじゃない」
俺は、巨大な亀の瞳を見上げる。
「あんた、右目の中にいるこいつ(友達)の気配を感じ取ってたんだな」
『……ああ。俺のダチの、懐かしい気配がしたからな』
狂乱していた大亀の声から、すでに殺意や怒りは綺麗に消え去っていた。
種族も、次元も超えた異質の空間。
だがそこには、確かに温かい『繋がり』が満ちていた。
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