第29話 俺の最高のマイホーム
第29話です!
精神世界での対話を終え、現実へと帰還したツムグ。
スタンピードの結末と、街のギルドの反応は……?
「人間。俺を助けてくれて、ありがとう。礼を言う」
「俺はツムグだ。人間じゃなくて、名前で呼んでくれ」
俺がそう返すと、巨大な亀は静かに目を伏せた。
「ツムグ……。そうか。なんだか、ひどく安心する響きだな。ダチ(白蛇)がお前を選んだ理由が、わかる気がするよ」
「よろしくな。でも、挨拶の前にまずはその暴走を止めてくれないか。下の連中が限界でね」
パッと、視界を覆っていた柔らかな光が弾けた。
肌を刺す冷たい朝の風と、鼻をつく土埃の匂い。
「ツムグ、大丈夫!?」
すぐ横で、ハシ姉が心配そうに俺の腕を掴んでいる。
どうやら、あの精神世界での対話は、現実ではほんの一瞬の出来事だったらしい。
眼下を見下ろすと、あれほど凄まじい轟音を立てていた鉄と岩の拮抗が、嘘のように静まり返っていた。
歩く山脈――アース・キャラパスの動きが、完全に止まっている。
それどころか、十五メートルのアイが構える分厚い鋼鉄の腕に、巨大な頭をすり寄せるようにして、静かに目を閉じているではないか。
俺はハシ姉に頼み、ゆっくりとアイの右腕の上へと降ろしてもらった。
間近で見る亀の顔は、やはりトラックほどのサイズがある。
だが、その濁った瞳から先ほどの血走った狂乱の色は完全に消え去り、深い知性と穏やかさが宿っていた。
「迷惑をかけたな、ツムグ」
地鳴りのような、けれど低く優しい声が、巨大な亀の口から直接発せられた。
「いいさ。不可抗力みたいなもんだろ」
俺は、ボロボロに傷ついた分厚い皮膚をそっと撫でた。
ザラリとした岩のような感触の奥に、確かな温もりを感じる。
「君の友達の白蛇は、俺の右目に宿ってる。もしよければ、これから俺たちと一緒に暮らさないか?」
俺の提案に、巨大な瞳がわずかに揺れた。
「……俺は、多くの森を壊し、人間たちを恐怖させた。お前たち人間が、俺を許さないだろう」
確かに、スタンピードを引き起こした元凶とも言える存在だ。
俺がどうやって街の連中を説得しようかと思案していると、足元の大地からドッと大きな歓声が沸き上がった。
「おいおいおい! 本当に止まりやがったぞ!!」
「あのデカブツが、大人しくなってる……!」
ガランさんをはじめとする冒険者たちが、武器を下ろしてへたり込んでいる。
そこへ。
「状況を報告しろ!! 街の防衛線はどうなっているッ!?」
息を切らし、顔を真っ赤にしたギルドマスターが、数人のギルド職員を引き連れて平原へと駆け込んできた。
彼の後ろには、重傷者を運ぶための荷馬車や医療キットが見える。決して後方でふんぞり返っていたわけではない。
彼らなりに住民の避難誘導と、最悪の事態に備えた救護や、王宮への援軍の手配に奔走していたのだ。
静まり返った戦場と、大人しくなった巨大亀を見て、ギルドマスターはポカンと口を開けた。
「……終わったのか?」
「おせーぞ、マスター!」
ガランさんが大剣を地面に突き立て、にかっと笑う。
「今回ばかりは俺たちも死ぬかと思ったがな。全部、あそこのツムグがやってくれたんだよ」
ガランさんの太い指が、巨大な鉄の腕の上に立つ俺を指し示す。
ギルドマスターはハッとして進み出ると、深々と頭を下げた。
「すまなかった……! 今回の件、我々ギルド上層部は後手に回るばかりで、前線には何も貢献できなかった! 全ては君たちのおかげだ!」
「顔を上げてください。誰も死んでいないなら、それが一番です」
俺の言葉に、ギルドマスターがホッとしたように息を吐く。
「ああ。不幸中の幸いと言うべきか。先ほど先行調査隊から報告が入ったのだが……あの巨大な魔物が通ってきたルートには、人間の街や村は一つもなかったらしい。ただひたすらに、人のいない深い森だけを通ってきていたのだ」
「人的被害は、ゼロってことですか」
「そうだ。防壁の損壊や怪我人は多数出たが、死者はいない。もはやこれは、通り過ぎただけの『巨大な自然災害』だよ」
その報告に、俺は足元の巨大な亀と視線を合わせた。
(……無意識に、人がいないルートを選んでたのか?)
狂乱していてもなお、根底にある優しさがそうさせていたのかもしれない。
「それにマスターよぉ!」
ガランさんが、周囲に散らばる魔物の死骸の山を指差す。
「あの亀が森から押し出してくれたおかげで、街の数年分に匹敵する素材が手に入ったんだぜ? これだけ儲かりゃ、文句を言う奴なんて一人もいねえよ!」
「わはははっ! 違いねえ!」
冒険者たちが、どっと笑い声を上げる。
血と泥にまみれた平原に、ようやく本物の安堵の空気が満ちていった。
ギルドマスターが、恐る恐る俺を見上げる。
「ツムグ君。その……大人しくなったとはいえ、その山のような魔物はこれからどうするつもりだ?」
「ああ、こいつですか」
俺は亀の硬い鼻先にポンと手を置いた。
「俺の従魔にします。ちょうど広い家が欲しかったんで、こいつの背中をマイホームにして、城壁の外で一緒に暮らそうかと」
「……は?」
ギルドマスターの目が、限界まで見開かれた。
「歩く山脈を、マイホームに……!? じゅ、従魔って……君は一体、どれだけ規格外なんだ……」
「ただの、しがない冒険者ですよ。……でも、こいつ体中傷だらけなんで、なんとかしてやりたいんですよね」
俺が苦笑すると、ギルドマスターは勢いよく頷いた。
「わかった! それが君の望みなら、特例として街の周辺での滞在を許可しよう。それに、街を救ってくれたせめてもの詫びだ。ギルドの権限で手の空いているヒーラーを全員集め、その亀の傷を完全に治癒させてみせる!」
「助かります」
全てが丸く収まり、朝日が平原を黄金色に照らし出し始める。
アイの腕から降りた俺は、改めてボロボロの巨体を見上げた。
「いいのか、ツムグ。本当に俺が一緒にいても」
「ああ。俺の家族は個性的な奴ばっかりだからな。でかいのが一匹増えたところで問題ない」
ふと、思いつく。
「そういえば、名前をつけないとな」
白蛇の親友であり、俺の新しい『家』となる、優しくて巨大な家族。
朝日を浴びる大きな背中の木を見つめ、俺は一つの名前を口にした。
「『ガク』。そびえ立つ大きな山(岳)みたいだから、ガクだ。どうだ?」
巨大な亀――ガクの喉の奥から、グルルゥゥ……と、大地を震わせるような低い産声が響いた。
濁った瞳が細められ、嬉しそうに俺の顔に鼻先を擦り付けてくる。
「よし、決まりだな」
こうして、ファルデルの街を襲った未曾有のスタンピードは幕を閉じた。
俺は『規格外の家族』たちと共に、新たなマイホーム作りという最高のスローライフの第一歩を踏み出すのだった。
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