第24話 歩く山脈
傷ついた冒険者たちから語られる、森の異変の正体。
「……ぐっ、あぁ……」
「ポーションを持ってきて! もっと高位のやつを急いで!!」
怒号と悲鳴が交差する冒険者ギルド。
床に急造の毛布が敷かれ、泥と血に塗れたAランク、Bランクの冒険者たちが次々と寝かされていく。
むせ返るような血の匂いと、傷口が塞がる際の独特な魔力のオゾン臭。
数人の治癒士たちが額に大粒の汗を浮かべながら、懸命に回復魔法とポーションを注ぎ込んでいた。
「ツムグ様、下がっていてください……!」
青ざめた顔のミリアさんが、血のついた包帯を抱えて走り回っている。
俺は邪魔にならないよう酒場の隅へと退避し、静かに目を細めた。
俺の隣では、ハシ姉が静かに佇んでいる。
目の高さではレオが心配そうにフワフワと浮遊し、足元ではアイが主の緊張を感じ取ってピタリと待機モードに入っていた。
(……ひどいな。完全に心が折られてる)
一命を取り留めた冒険者たちだが、その瞳には光がない。
屈強な戦士たちが、まるで幽霊でも見た子供のように、ただガタガタと震えながら天井を見つめているのだ。
ふと、俺の視線が床の隅に転がった『金属の残骸』に吸い寄せられた。
傷ついた冒険者から引っぺがされた、魔法鎧の胸当てだったもの。
俺はしゃがみ込み、その冷たい金属の断面を指でなぞる。
(表面の不純物を吹き飛ばす精巧な処理……。さらに、職人の手によって丹念に手磨きされた痕跡が残る、金型精度の高い極上品だ)
それが、まるで薄いアルミホイルのように、いともたやすく『圧壊』させられていた。
剣で斬られた痕でも、魔法で吹き飛ばされた痕でもない。
ただ、とてつもない質量と『真っ向からぶつかった』ような、無惨なひしゃげ方。
「……マスター! 来てくれたか!」
ガランさんの荒げた声で、ハッと顔を上げる。
ギルドの二階から、顔に深い傷跡を持つ筋骨隆々の初老の男――このファルデルの冒険者ギルドを束ねるギルドマスターが、重い足取りで階段を降りてきた。
「状況は聞いた。……おい、ベルツ。一体、森で何があった」
ギルドマスターが、治療を終えて壁に寄りかかっていたリーダー格の男を見下ろす。
ベルツと呼ばれたAランク冒険者は、乾いた唇を震わせた。
「マスター……。ダメです、あれは……俺たちの手に負える次元の生き物じゃねえ……」
「落ち着け。巨大な魔物だと言ったな。竜種か?」
「違います……亀です。山のように巨大な、岩の甲羅を持った……亀でした」
ベルツが両手で頭を抱え込む。
「俺たちの攻撃なんて、あの分厚い甲羅の前ではホコリみたいなもんで……いや、そもそも奴は俺たちを敵とすら認識していなかったんだ……。ただ一直線に歩いてきた、あの圧倒的な質量にぶつかって、吹き飛ばされただけで……!」
恐怖に顔を歪める歴戦の冒険者。
森の木々をへし折り、小高い丘を削り取りながら、ただ真っ直ぐに歩いてくる巨大な甲羅。
その言葉に、ギルドマスターは小さく眉間を寄せた。
「山のように巨大な、亀……。丘をえぐり取るほどの質量……」
何か思い当たる節があるのか。
ギルドマスターは「少し待ってろ」と短く言い残し、足早に二階の資料室へと戻っていった。
数分後。
古びたカビの匂いを漂わせる分厚い古書をめくりながら戻ってきた彼は、あるページを開き、ベルツの顔の前に突きつけた。
「おい。お前が見たのは、こいつか」
「あ……」
古書の黄ばんだページに描かれていたのは、岩山のような無骨な甲羅を背負った規格外に巨大な亀の挿絵。
それを見たベルツは、弾かれたように何度も頷いた。
「あ、ああっ……間違いねぇ。こいつです……!」
ギリッ、と。
ギルドマスターが奥歯を強く噛み締める音が、静まり返った酒場に響いた。
「……『アース・キャラパス』だ」
誰も聞いたことのない名前に、冒険者たちが顔を見合わせる。
「マスター、そいつは一体……?」
「別の大陸に生息している魔物だ。並の魔物じゃねえ。俺も昔、遠くからたまたま見かけたことがあるだけでな。……だが、こいつは凶暴な性格じゃなく、本来は極めて大人しい性質のはずなんだが」
ギルドマスターの分厚い拳が、焦燥に震えている。
「本来であれば、長期間同じ場所から動くことすらないはずの巨大種だ」
「で、でも……実際に、そいつがこっちに向かってきてるってことですよね?」
誰かが震える声で尋ねる。
ギルドマスターは重々しく頷いた。
「ああ。ただ歩くだけでも地形を変え、森を薙ぎ倒す『歩く自然災害』になっているってことだ。……クソッ、何でそんなバカでかいものが、よりによってこの方角へ真っ直ぐ向かってきているんだ……!」
絶望の色に、ギルドの空気が一気に氷点下まで冷え込んだ。
このまま進行ルートが変わらなければ、この街は数日と持たずに、その巨大な足と甲羅の下敷きになる。
「……とにかく、ここにいる者だけで騒いでも始まらん。至急、対策会議を開く」
ギルドマスターが低く、よく通る声で宣言した。
「副マスターを呼べ。それから、街の領主様にも急使を走らせろ。ベルツ、お前は怪我が比較的軽いな。悪いが休む前に会議に同席して、より詳細な情報を出せ」
「は、はいっ……!」
重苦しい空気の中、ギルドの幹部たちが慌ただしく動き始めようとした、その時だった。
バンッ!!
今日二度目となる、扉を乱暴に開け放つ音。
皆がビクッと肩を跳ねさせて入り口を振り返ると、街の門を警備しているはずの衛兵が、息を乱して転がり込んできた。
「た、大変ですッ……!!」
衛兵の顔は、死人のように青ざめていた。
「森から……森の方角から、おびただしい数の魔物の群れが……! スタンピードが発生して、この街に迫っています!!」
その報告に、酒場の空気が完全に凍りついた。
「なんだと……!?」
ギルドマスターが鋭く目を細める。
俺も即座に、頭の中で状況を繋ぎ合わせた。
(……そういうことか。森の浅い階層で魔物が増えていたのは、『歩く山』の足音から逃げるため……!)
本来なら森の奥深くにいるはずの魔物たちが、アース・キャラパスの圧倒的な質量と恐怖からパニックを起こし、街の方角へと押し出されてきたのだ。
「もうそんな影響が出始めているのか……」
ギルドマスターがギリッと奥歯を噛み締める。
だが、歴戦の猛者である彼は、次の瞬間には大声で号令を飛ばしていた。
「総員、武器を取れ!! これより緊急防衛クエストを発令する!」
ビリビリと空気を震わせる怒声に、呆然としていた冒険者たちがハッと我に返る。
「今から街の防衛戦にあたる! いいか、残存するAランクからDランクまでの者は前衛だ! 門の前に布陣し、魔物の波を食い止めろ! E、F、Gランクの者は後方支援! ポーションの運搬やバリケードの構築、住民の避難誘導にあたれ!」
明確な指示が飛び交い、ギルド内が戦場のような喧騒に包まれる。
「夜も遅いが、なんとか踏ん張ってくれ! この街を守るぞ!!」
「「「おおおおおっ!!!」」」
冒険者たちが雄叫びを上げ、次々と武器を手にして夜の街へと飛び出していく。
俺も立ち上がり、後方支援の指示を受けるためにミリアさんの元へ向かおうとした。
「――おい、ツムグ。少し待て」
呼び止められ、振り返る。
そこに立っていたのは、血走った目をしたギルドマスターだった。
「マスター。俺はFランクなんで、後方支援の班に――」
「いや、お前には頼みたいことがある」
ギルドマスターは、俺の隣で静かに佇むハシ姉と、宙に浮くレオ、そして足元のアイを順番に見下ろした。
「君だけは、前線(戦闘)に向かってくれ」
その言葉に、周囲に残っていた数人の冒険者が驚いたように俺を見た。
「ランクの規定から外れるのは承知の上だ。だが、お前の納品した規格外の鉄鉱石の量……そして、この数日間で稼ぎ出した討伐スコアを見れば、お前の従魔たちがどれほどの戦力かはわかる。……今のこの状況で、遊ばせておく余裕はねえ」
「…………」
「頼む。力を貸してくれ」
街のギルドを束ねる男が、新米の冒険者である俺に向かって、深く頭を下げた。
『……マスター。敵対生物の接近を検知。迎撃の許可を』
「フッ、我が力を見せつける時が来たようだな!」
「アタシ、泥で汚れるのはもうゴメンなんだけどねぇ」
三者三様の反応を示す家族たち。
俺は短く息を吐き出し、口元に笑みを浮かべた。
「頭を上げてください、マスター。……この街には、世話になってますから」
それに。
いずれこの街の近くに、こいつらのための庭付き一軒家を買う予定なのだ。
こんなところで、魔物の群れなんかに街を荒らされてたまるか。
「引き受けます。前衛で、きっちり仕事をしてきます」
俺がそう答えると、ギルドマスターは力強く頷き、俺の肩をバンと叩いた。
「よし、頼んだぞ! ミリア、こいつらに予備のポーションを限界まで持たせてやれ!」
「はいっ! ツムグ様、どうかご無事で……!」
ミリアさんから大量の回復薬を受け取り、アイテムボックスへと放り込む。
俺は腰の剣帯を締め直し、愛用のキャンバス生地のコートを翻した。
「行くぞ、お前ら」
外は、冷たい夜風が吹いている。
街の城壁の向こうからは、地響きのような獣たちの咆哮が、刻一刻と近づいてきていた。
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