第23話 森の異常の正体
あの日、熟練の調査隊が森の深部へと足を踏み入れてから、数日が経過した。
街の空気はどこか落ち着かない。
しかし、俺たち新米パーティーの日常は止まらない。来るべき「マイホーム購入」という巨大な目標に向け、ひたすらに依頼をこなす日々が続いていた。
鬱蒼と茂る、森の浅い階層。
湿った黒土と、青臭い葉の匂いが立ち込める中、ギャーギャーと耳障りな声が響き渡る。
武装した十数匹のゴブリンの群れだ。
「フッ、ひれ伏せ雑兵ども! 我が念動力の前に散るがいい!」
空中に浮かび上がったレオが、短い手足をバタつかせる。
次の瞬間、周囲に転がっていた拳大の石がふわりと浮き上がり、散弾銃のような勢いでゴブリンたちへと降り注いだ。
「ギャギィッ!?」
頭を抱えて逃げ惑うゴブリンたち。
その死角。鬱蒼とした茂みの影から、青みがかった灰色の巨鳥が音もなく滑り出る。
「ウフフッ。どこへ行くのかしら? ――逃がさないわよ♡」
艶のあるオネェ声が響いた直後。
ドンッ!! と、空気を叩き割るような破裂音。
ハシ姉の神速の嘴が、ゴブリンの脳天を正確無比に穿っていた。
(……いや、セリフと威力が全然合ってねえ!)
内心で鋭くツッコミを入れつつ、俺は周囲の安全を確認して土の上に膝をつく。
彼らが安全を確保してくれたおかげで、俺は『環境屋』としての仕事に集中できていた。
「よし、ここの薬草もいい感じだな」
ただ葉をむしり取るのではない。
周囲の土の湿度、根に絡みつく微生物の気配。それらを右目で確認しながら、スコップで丁寧に周囲の土ごとえぐり出し、アイテムボックスへと放り込んでいく。
未来の庭に植え替えるための、大切なピースだ。
『――マスター。ゴブリンの殲滅、および周辺の安全確保を完了』
「お疲れ。よし、次は廃鉄鉱山だな。アイの出番だぞ」
『命令を受理。鉄鉱石の物理的採掘へ移行します』
俺の足元で待機していたアイが、小さな鉄の腕をスッと持ち上げる。
数日間で、俺たちの連携は恐ろしいほど洗練されていた。
ハシ姉とレオが森の魔物を間引き、俺が安全に薬草と土を採取。
そして廃鉱山では、収集範囲を広げたアイが巨大化して魔物を蹂躙し、極上の鉄鉱石を大量に回収する。
泥と汗にまみれ、錆びた鉄の匂いを嗅ぎ続ける毎日。
だが、確実な手応えと充実感が、俺の体を心地よく満たしていた。
夕暮れの冒険者ギルド。
分厚い木の扉を押し開けると、香ばしく焼けた獣肉の脂と、エールの甘苦い匂いが全身を包み込んだ。
「はい、本日の報酬になります。ツムグ様、いつも本当にありがとうございます!」
カウンター越しに、ミリアさんからずっしりと重い革袋を受け取った。
ジャラリ、と鳴る心地よい金属音。
袋の口を少しだけ開けると、鈍く光る硬貨の束が隙間なく詰まっている。
(……よし。だいぶ貯まってきたな)
ファルデルの街の郊外。
デカい庭付きの一軒家を丸ごと買い上げるには、まだ少しだけ足りない。だが、確実に手が届く距離まで来ている。
広大な池を作り、日当たりの良い岩場を置き、砂鉄の丘を作る。
足元で待機するアイ、岩塩を舐めるレオ、静かに佇むハシ姉を見下ろし、俺は思わず口元を緩めた。
「早くこいつらに、最高の住処を作ってやりたいな」
「ツムグ様なら、きっとすぐに素晴らしいお家が買えますよ。……ただ」
ふと。
ミリアさんが、カウンターの奥へ不安げに視線を落とす。
「どうしました?」
「数日前に出発した、森の調査隊……。まだ、誰一人として戻ってきていないんです」
彼女が声を潜めた、その時。
ズキリ。
右目が、薄荷を塗りつけられたように冷たく疼いた。
(なんだ……? この嫌な感覚は)
脈打つような、静かな警鐘。
直後。
ガバーンッ!!!
ギルドの重厚な木扉が、蹴り破られるような勢いで開け放たれた。
どんちゃん騒ぎをしていた酒場の喧騒が、水を打ったようにピタリと凍りつく。
「おい……嘘だろ」
誰かが、震える声で呟いた。
入り口の床に転がり込むようにして入ってきたのは、数日前に意気揚々と出立していったAランク、Bランクの熟練冒険者たちだった。
特注のはずの強固な魔法鎧は無残にひしゃげ、自慢の大剣は根元からへし折れている。
全身は泥と血に塗れ、互いの肩を貸し合わなければ立つことすらできない状態だ。
幸い、四肢の欠損や死者はいないようだが……あの歴戦の猛者たちが、完全に戦意を喪失している。
誰もが、芯から怯えきったような生気を失った目をしていた。
「治癒士! 早く彼らを!!」
ミリアさんの悲鳴に近い声で、ギルドの空気が爆発したように動き出した。
「しっかりしろ! 一体、森の奥で何があったんだ!?」
ガランさんたち残っていた冒険者が駆け寄り、リーダー格の男にポーションを浴びせかける。
男はガクガクと顎を震わせながら、焦点の合わない目で宙を見つめていた。
「あんなの……勝てるわけがねぇ……」
掠れた、絶望の底から絞り出すような声。
「未知のボスモンスターが出たのか!?」
「違う……魔物の群れでも、新しいボスでもねぇ……!」
男は、自分の腕を抱きしめるようにして震え上がった。
「山だ……。山そのものが、歩いてやがったんだよ……!!」
「は……?」
「とてつもねぇデカさだ。森の木々を薙ぎ倒し、地形を削り取りながら……ただ一直線に、こっちに向かって歩いてくるんだよぉっ!!」
悲痛な叫びが、酒場に木霊する。
その言葉を耳にした瞬間。
カッ、と。
俺の右目が激しく熱を持ち、脳裏に一つの『ヴィジョン』がフラッシュバックした。
森の木々をまるで雑草のように踏み潰して進む、山のように巨大な亀のシルエット。
そして、その足元でえぐり取られていく無惨な地形。
(まさか……!)
背筋を、強烈な悪寒が駆け抜ける。
中型の魔物たちが、浅い階層へと逃げ出してきていた理由。
それは生態系の乱れなどという生易しいものではなかった。
ただ、その『歩く山脈』の足音からパニックを起こし、逃げ惑っていただけだったのだ。
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