第2話 勇者に捨てられた「動かない鳥」。
第2話です!
異世界のシビアな常識と、ハシ姉が森に捨てられた理由が明かされます。
血と泥、それに汚物が絶望的な割合で混ざったような強烈な悪臭が鼻腔を突く。
静まり返った森の中。
俺は手に入れたばかりの粗悪な鉄剣を握りしめたまま、足元に転がる緑色の死骸を見下ろして固まっていた。
その刃こぼれした切っ先をゴブリンの胸元に向けたまま、どうしても次の一手が踏み出せない。
「……本当に、俺がこれを切り裂かなきゃダメか?」
いくら緑色の肌をした化け物とはいえ、ベースは四肢を持った人型だ。
環境調査の仕事柄、獣の死骸を見ることはあったが、自分の手で人型の何かを解体するのは俺にとってハードルが高すぎる。
ためらう俺を見て、横に立つハシ姉が、呆れたように首を傾げた。
「ちょっと、アンタ魔石を取り出したことないの? 冒険者じゃないのは服を見りゃ分かるけど……一体どこから来たのよ?」
「……実は、別の世界から来たんだ」
隠す理由もない。
俺は顔を上げ、真っ直ぐにハシ姉の黄色い瞳を見返した。
「さっきまで、日本の山奥にいた。土砂崩れに巻き込まれて、気がついたらこの森に転がってたんだよ」
「別の世界……ああ、たまに噂で聞く『迷い人』ってやつね。どうりで常識がないわけだわ」
ハシ姉は驚く様子もなく、あっさりと納得したように嘴を鳴らした。
「いい? この世界じゃ、その胸の中にある石が一番の金になるの。迷い人だろうがなんだろうが、生き抜くためにはやるしかないわよ」
ハシ姉の言葉に、小さく息を吐き出す。
覚悟を決めるしかない。
意を決して、剣の先を緑色の皮膚に押し込む。
――生温かい肉を断ち切る、ひどく嫌な感触。
嫌な抵抗感のあと、肉が裂ける鈍い音が響いた。
肋骨を押し広げ、心臓のすぐ裏側あたり。
ドクドクと血を送り出していたであろう臓器に癒着するようにして、ソレは存在していた。
泥と血にまみれたソレを指先で摘み出し、ボロ布の代わりにゴブリンが着ていた粗末な腰巻きで乱暴に拭い取る。
陽の光に透かしてみた。
親指ほどの大きさ。
表面はガラスのように滑らかだが、内部は不純物だらけの濁った緑色をしている。
『アニメとかで見たことあるけど、本当に体の中に石が入ってるんだな……』
地球の生物学では到底あり得ない構造に、内心でそっとツッコミを入れる。
「それがモンスターのエネルギー源、『魔石』よ」
「なるほど。これを売れば金になるんだな」
「ええ。……ちなみにツムグ、アンタ自分のレベルは分かるのかしら?」
「……レベル?」
聞き慣れた単語に、作業の手を止める。
だが、迷い人である俺に自分のレベルなど分かるはずもない。
「すまん、分からない。ステータス画面でも空中に浮かべばいいのか?」
「……来たばかりってことね。人間はね、街のギルドにある『ステータス水晶』ってやつを通さないと、自分のレベルも詳細な能力も見られないのよ。不便よねぇ。アタシたち魔物は、自分の強さくらい本能で分かるっていうのに」
人間側のステータス管理、ひどくアナログらしい。
血のついた手を近くの草の朝露で洗い流しながら、俺はさらに問いかける。
「魔物には分かるのか。じゃあ、その『進化』ってやつについても?」
「ええ。魔物はレベルが上がったり、特定の環境で魔石にエネルギーを溜め込んだりすると進化するの。ただ、どんな姿になるか……『ルート』までは自分じゃ選べないわ」
そこまで言って、ハシ姉は自嘲気味に喉の奥を鳴らした。
「それに、どんな魔物だって『第3段階』が進化の限界。打ち止めよ」
「第3段階?」
「そう。アタシもね、つい最近その第3段階に進化したの」
ハシ姉の鋭い瞳が、どこか遠くを見るように細められる。
「アタシ、元々は『勇者パーティー』ってやつらに飼われてたのよ」
「……勇者? RPGとかに出てくる、あの王道主人公みたいな連中か」
「RPGが何かは知らないけど、そう、その偉そうな連中。あいつら、自分たちを乗せて空を飛べる『便利な騎獣』が欲しかったみたいなのよね。空から魔法でもドカンと撃ちたかったんじゃない?」
なるほど、と合点がいく。
移動の足にもなり、上空から一方的に攻撃もできる空を飛ぶ魔物。戦力としては最高だろう。
「なんて鳥になりたかったんだ?」
「さあねぇ。『アーク・イーグル(天駆ける霊鳥)』とか、そういうのじゃない? そのうち嫌でも、空をパタパタ飛んでるのを見るわよ」
「……で、お前はそうならなかった、と」
俺の言葉に、ハシ姉はバサリと一度だけ大きな羽を広げ、そしてすぐにピタリと動きを止めた。
微動だにしない。まるで森の景色の一部になったかのような、完全な静寂。
「見ての通り。アタシが引き当てた第3段階は、この『シュービル』。空を華麗に舞うどころか、ひたすら息を潜めて待ち伏せし、一瞬の隙を突くことに特化した生態よ」
『そりゃあ、乗り物には向いてないな……』
「結果、これよ。あいつら、アタシを見るなり『目的と違う。ハズレだ』『動かない不良品なんぞ餌代の無駄だ』って罵って、この森に不法投棄して去っていったわ」
淡々と語るハシ姉の口調には、怒りよりも諦めが滲んでいた。
命を、自分たちの都合の良い道具としか見ていない連中。
思い通りに育たなければ「ゴミ」として捨てるその浅ましさに、俺の奥歯が自然と噛み締められる。
一番虫唾が走る部類の人間たちだ。
「大半の魔物は、勇者が望むような都合のいい鳥に進化するんだけどね。アタシみたいに鈍重になっちゃうのは、ごく稀なのよ。なんでかしらね?」
ハシ姉が首を傾げた、その瞬間だった。
――チリッ。
右目の奥を、細い針で焼かれたような奇妙な熱が走った。
「っ……!」
「あら?」
思わず片目を押さえる俺の顔を覗き込み、ハシ姉が驚いたような声を上げる。
右目から放たれた淡い光が、空中に幾何学的な紋様を形作っていた。
まるでSF映画のホログラムや、ゲームのHUDのような、青白い光の魔法陣。
『なんだ、これ。さっきの白蛇の……?』
「アンタ、まだスキル持ちだったのね? その魔法陣、鑑定スキルに似てるわね」
ハシ姉が面白そうに嘴を鳴らす。
「アタシのこと見てくれてるの?♡ いやだわぁ、そんなに見つめられたら照れちゃう」
オネェの冗談にツッコミを返す余裕は、今の俺にはなかった。
展開された魔法陣のレンズ越し。そこに映し出された『光景』に、俺は完全に目を奪われていたからだ。
ハシ姉の背中から、天に向かってそびえ立つ巨大な『樹木』の幻影。
それは、生命の可能性を示す「進化の系統樹」そのものだった。
太い幹から枝分かれし、複雑に絡み合いながら上へ上へと伸びていく。
下から数えて、1本目、2本目の枝はすでに枯れ落ちている。
通過した過去の姿だろう。
そして今、3本目の枝が青白い光を脈打つように放っていた。
これが現在のハシ姉の姿。
勇者たちが「限界」と呼んだ、第3段階の現在地だ。
だが、俺の視線はその『上』に釘付けになっていた。
光を放つ3本目の枝の上。
深い霧に覆われた未踏の領域に、さらに太く、強靭な枝が伸びているのがはっきりと視認できたのだ。
一つじゃない。
『……枝が、5本あるぞ?』
4本目、そして、遥か高みにそびえる5本目の枝。
そこには、現在の鈍重な姿からは想像もつかない、神々しいまでのポテンシャルが秘められているのが、直感として理解できた。
『進化は3段階までじゃなかったのか?』
頭の中で、情報が高速でパズルのように組み合わさっていく。
勇者やこの世界の住人は「3段階目が限界」だと信じ込んでいる。
だから、思い通りにならない姿になった瞬間「失敗作」と見なして捨てる。
だが、違う。
もし、この第3段階が、限界なのではなく……次なる進化(羽化)へ向けてエネルギーを極限まで溜め込むための期間だとしたら?
燃費を極限まで抑え、内なる魔石に膨大なカロリーを蓄積するためだ。
『こいつが稀なハズレなんじゃない。他の魔物たちが、本来のポテンシャルを使い切る前に「便利な姿」で止まっちまってるだけだ……!』
俺の中で仮説が組み上がりかけた、その時。
ガサガサッ!!
突如、周囲の茂みが大きく揺れた。
視界の魔法陣がふっと消え去り、元の森の風景に戻る。
漂ってくるのは、先ほどのゴブリンと同じ、血と汚物の強烈な悪臭。
茂みの奥から、丸太のような棍棒や、粗末な弓を構えた緑色の小鬼たちが、よだれを垂らしながら次々と姿を現した。
その数、およそ五、六体。
「チッ……!」
俺は舌打ちをし、腰に差した粗悪な鉄剣の柄に手をかける。
だが、俺が剣を引き抜くより早く。
「……ツムグ、後ろに下がってなさい」
低く、冷たい声。
ハシ姉が、スッと細めた黄色い瞳をゴブリンの群れに向けたまま、俺の前に躍り出た。
「さっき逃げた小鬼が、お仲間を連れて戻ってきたわね。……ちょうどいいわ。アタシの美しさを、その醜い目に焼き付けてあげる」
勇者が捨てた「動かない鳥」。
その巨体が、静かに、そして圧倒的なプレッシャーを放ちながら、ゴブリンの群れと対峙した。
第2話、最後までお読みいただきありがとうございます!




