第11話ハシ姉の高度な注文からの『丸呑み』
喧騒と、胃袋を鷲掴みにするような濃厚な匂い。
昼時の冒険者ギルドの食堂は、凄まじい熱気に包まれていた。
「おう兄ちゃん、こっちこっち!」
丸テーブルでジョッキを片手にしたガランに呼ばれ、俺はハシ姉を連れて席につく。
厨房の方からは、肉の脂が焦げる音と、鼻腔をくすぐる未知の香辛料の匂いが絶え間なく漂ってくる。
朝から歩き回ったせいで、腹の虫が大合唱を始めていた。
「ツムグ、飯はどうする? ギルドの『マッドボアと根菜の煮込み』がおすすめだぜ。俺たちもそれにすっからよ」
「じゃあ、俺もそれでお願いします。あと、こいつには……」
俺は隣で大人しくしているハシ姉を見上げた。
「丸ごと飲み込めるくらいの、デカい生魚を一本もらえますか」
そう注文しようとした、その瞬間。
「――ちょっとツムグ! アンタ、アタシをそこら辺の野蛮な魔物と一緒にしないで頂ける!?」
バッサァッ!! と。
ハシ姉が長い翼を広げ、心外だと言わんばかりに胸の羽毛を大きく膨らませた。
「な、なんだよ。魚好きって言ってたろ?」
「好きよ!? でもね、ただの生魚なんて生臭くて、アタシの美意識に反するわ! いいこと? 厨房の人にこう伝えなさい」
ハシ姉はスッと首を伸ばし、オネェ全開の艶やかな声(ただし野太い)で注文をつけ始めた。
「川魚のお腹にたっぷりの香草を詰めて、表面だけをカリッと香ばしく炙ってちょうだい。味付けは岩塩を少々。いい? 中まで火を通しちゃダメよ、あくまで『レア』なんだから。生臭いのはお肌……じゃなくて、アタシの美しい羽毛に悪いのよ」
(……注文のクセが強すぎる)
ただでさえ威圧感のある巨大鳥の、流れるような高度なオーダー。
ガランたちがポカンと口を開けている。俺はため息をつきつつ、給仕係の女性に「すみません、今のでお願いします」と頭を下げた。
やがて、テーブルの上に熱々の木鉢が運ばれてきた。
グツグツと煮え立つ、赤茶色のシチュー。
スプーンを入れると、とろけるチーズがとろりと糸を引き、ホロホロに煮込まれたマッドボアの肉塊がゴロゴロと姿を現す。
「いただきます」
木のスプーンで掬い、一口。
「……ッ!」
強烈な旨味が、脳髄を直接殴りつけてきた。
先ほどの素焼きも美味かったが、煮込み料理のレベルが尋常ではない。未知の香辛料がマッドボアの野性味を見事に中和し、深いコクへと昇華させている。
一緒に添えられた硬い黒パンを千切り、熱々のシチューに浸す。
旨味の染み込んだスープをたっぷり吸ったパンは、噛むほどに甘みが広がり、いくらでも腹に入りそうだった。
「美味いなこれ」
「だろ? ここの飯を食うために生きて帰るようなもんだからな!」
ガランたちが豪快に笑う。
異世界での、初めてのまともな食事。
インフラだけでなく、食文化のレベルの高さに感動していると――。
ドンッ。
ハシ姉の前に、丸太のように太い川魚が乗った大皿が置かれた。
「あらぁ……! 完璧な焼き加減ね♡」
ハシ姉がうっとりとした声を上げる。
注文通り、皮目はパリッと香ばしく炙られ、腹に詰められたハーブの爽やかな香りが湯気と共に立ち上っている。
レストランで出てきてもおかしくない一品だ。
「さ、冷めないうちに頂きましょうか」
ハシ姉が長い首を持ち上げた。
どうやってあの巨大な魚を上品に食べるのか。俺が興味深く見守っていると。
ハシ姉は、巨大な嘴をガバァッ! と開き。
――ガポォッ!!
丸太のような魚を頭から咥え込み、一瞬で、一切の咀嚼もなく『丸呑み』にした。
ゴクンッ。
長い首を太い魚が通り抜け、胃袋へと収まっていく。
後には、ハーブの香りだけが残る空っぽの大皿。
「んまっ♡ ハーブの香りが最高ね」
嘴をハンカチ(のような布)で上品に拭う相棒。
俺はスプーンを持ったまま、完全にフリーズしていた。
(いや、食べ方エグっ!?)
心の中で、本日最大級のツッコミが炸裂する。
(丸呑みかよ! 味わってねえじゃん! 舌にハーブ触れてないだろ!? 表面をカリッと炙らせた意味どこにいったんだよ!!)
「……ツムグ、どうしたの? アタシの顔に何かついてる?」
「いや……お前の美意識、よく分かんねぇなって」
「やだ、アタシの洗練されたマナーに見惚れちゃった?」
(オス鳥の丸呑みに見惚れるかよ)
俺は疲れたように首を振り、残りのシチューを無心で胃袋へと流し込んだ。
食後の温かいお茶を飲み、一息ついた頃。
食堂の入り口から、パタパタと小走りで近づいてくる足音がした。
「お待たせしました、ツムグ様」
見上げると、そこには見慣れたタイトな事務服姿のミリアさんが立っていた。
手には小さな革のバインダーを抱えている
「いえ、俺たちもちょうど食べ終わったところです」
「良かったです。では、さっそく街の案内に出発しましょうか。……ところでツムグ様。一晩こちらで過ごしてみて、何か足りないと感じたものはありましたか?」
歩き出しながら、ミリアさんが仕事の顔で尋ねてくる。
「そうですね……一番は『調味料』です。昨日の夜は肉をただ焼いただけで、塩すらなかったので」
「なるほど、塩と香辛料ですね! それなら中央市場が一番です。色々なものが揃っていますし、相場を覚えるのにもちょうどいいですよ」
ミリアさんの案内で大通りを抜けると、色とりどりの天幕が立ち並ぶ巨大な市場が姿を現した。
行き交う人々。
威勢のいい商人たちの声。
香ばしい焼き菓子の匂いと、生鮮食品の青臭い匂いが入り混じり、活気に満ち溢れている。
「まずはあちらの香辛料の店に行きましょう。冒険者用の保存が利く小袋も売っていますから」
案内されたのは、麻袋に入った色鮮やかな粉末や、ゴツゴツとした結晶が所狭しと並ぶ屋台だ。
「いらっしゃい! 兄ちゃんたち、新人かい? だったらこの『岩塩と干しハーブの砕き粉』がおすすめだぜ。肉に擦り込んで焼くだけで、大抵の臭みは消えるからな!」
「あ、それいいですね。とりあえず小袋で三つもらえますか」
大銅貨を取り出し、支払いを済ませる。
手渡された布袋からは、先ほどギルドの食堂で嗅いだようなスパイシーな香りがした。
これがあれば、これからの野営や自炊が劇的に向上するはずだ。
(よし、これで俺の飯は確保した。あとは……)
「ねえツムグ。あそこ、すっごく良い匂いがするわ♡」
横を歩いていたハシ姉が、クエックエッと嘴を鳴らして一軒の屋台を指し示した。
氷魔法で冷やされた木箱の上に、銀色に光る大小様々な魚が並べられた鮮魚店だ。
「へい、いらっしゃい! 今朝上がったばかりの川魚だよ!……って、うおっ!? デッケェ鳥だなオイ!」
店主が目を丸くする前で、ハシ姉はツカツカと店先に歩み寄り、長い首を伸ばして魚をジッと品定めし始めた。
「……ダメね。この魚、目が濁ってるわ。鮮度が命だってのに。そっちの端にある、丸々と太ったやつを三匹もらいましょうか」
「し、しゃべったぁぁっ!?」
「失礼ね! いいから早く包みなさいな。ああ、アタシの美肌のために、なるべく脂の乗ってるやつにしてちょうだいね?」
オネェ言葉で的確に鮮度を見抜く巨大鳥に、店主は完全に圧倒され、震える手で最も上等な魚を麻袋に詰めてよこした。
「ほらツムグ、お会計」
「……はいはい」
(お前、ちゃっかり一番高いやつ選んだだろ)
銀貨1枚を崩してもらい、銅貨で支払いをする。
買った荷物は、昨日覚えた『アイテムボックス』へ次々と放り込んでいく。手ぶらで買い物が進むのは、ファンタジー世界ならではの圧倒的な快適さだった。
「ツムグ様、アイテムボックスの使い方もすっかり板についてきましたね」
隣を歩くミリアさんが、少しだけ緊張の解けたような、柔らかい笑顔を向けてくる。
「ええ。おかげさまで、だいぶこの街の生活に馴染めそうです」
調味料に、新鮮な食材。
午後の市場の熱気を感じながら、俺は確実に広がりつつある異世界での生活に、確かな手応えを感じていた。
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