ビゼンの町へ、そして検所の前
話が終わっても、トメさんはしばらく何も言わず、町に着くまで彼女とは話す事もなく淡々と進んだ。
ビゼンは、僕が生まれてからずっと住んでいる町だ。これからも変わらない。だから、普通に町を説明しても、僕の話にトメさんは驚きを通り越したらしく『ほおけ』と言うだけの人になった。
相づちを打ってくれるのは、話し続ける僕には大変ありがたいことだけれど、多分なにも分かってくれていないと思う。
「それでね、見えてると思うけど、橋を渡ったら検所があるんだ。そこで身元を係員に言って欲しいんだけど」
「ほおけぇ」
少し、『ほおけ』の言い方が変わった。
なんとなく、おーけーの言い方に似ているようで、分かったのか分かってないのか僕には分からないトメさんと一緒に、ビゼンの町とフタゴフジの間に作られた川を横断する橋へと進む。
もう目の先は、ビゼンの町だ。ちょっと離れているのに大きな声で客引きをする女たちの声が聞こえた。
橋に踏み込んだトメさんの足が、一歩二歩で止まった。
「こ、この橋は何じゃ!? 全く軋まんよ!」
そう言って、彼女は着物から見える細い足を震わせる。軋まないことを驚くとは。ちょっと本格的に向こう側のことが気になる。
軋む橋しか渡ったことがないと、こういう驚き方になるらしい。
「普通の橋だけど?」
「な、何でできとるんじゃ!?」
「コンクリートじゃない? 僕もその辺は専門外だから分からないよ」
「こんくりぃと?」
コンクリートを知らないとは、向こうでは木が主流ってこと?
もう時代遅れの建材だ。木で作った橋か。それじゃあ軋んでもおかしくない。だけれどもだ。それにしても驚きすぎだと思う。アスファルトの道のことよりも驚いてるじゃん。
「こんなところで驚いていたら町なんてもっと凄いんじゃないかな?」
橋の上で止まったままの彼女にすぐ追いついた僕は「手、握る?」と聞くと「優しいなぁ、ようた。ありがとう」と言い終わる前に僕の手を握った。
検所はもうすぐで、トメさんに合わせて歩くことにも慣れた。
「……ワシはとんでもないところに来たのか?」
「いやいや、普通の町だから」
この調子では、馬車すらどう感じるのか。
僕も最近見かけて驚いたけど、あんなに立派な馬を従えて走るなんてとんでもない話だと思った。でも、トメさんが見た時のリアクションを見てみたい気もする。
「り、立派な橋に、向こう岸は、た、たくさん建物があるねぇ」
「トメさん、緊張してる?」
「き、緊張? そ、そんなことないよお?」
トメさんが握っている僕の手には、震えている手のことが分かる。まさに手に取るように、だ。
もう、橋も半分を超えて歩いている。崩れた口調をちゃんと直してもらいたい。僕よりもキツい言い方をする人達が検所で見張りをしているのだから、気を引き締めて行かないと。ほら、検所も見えた。あんなオレンジ色の髪の毛を真ん中だけ残して逆立ててる人、も――。
「おお! ヨウタ! お疲れ!」
いや、ちょっと、ユウスケ。ホント勘弁して欲しい。……えっと、む、無視しよう。あの馬鹿は僕の知り合いじゃない。
「あれ? おーい! 聞こえてるだろぉ! ヨウタァ!」
こっち来んな。ホントに困るって。ただでさえ僕はトメさんを連れて歩いてるんだからさ。
というか、その髪は何だよ。昨日の内は黒色で普通の髪型だったじゃないか。
「ヒェー! オ、鬼じゃあ!」
「オニじゃねぇよ! ババア!」
「ギャァア!」
僕の手を解いて逃げようとするトメさんには悪いけど、あいつはオニじゃない。
「よ、ようたや! はなしてけぇ!」
僕と手を握っていたせいで、トメさんは逃げることができない。
申し訳無いと思うよ。歩く道すがら、僕が普通の町と説明したのに、検所にいたのはオニによく似ているかもしれない人間がいたのだ。怖いよね。
僕も、怖いよ。『一生のお願いだよぉ。頼むよぉ。』と言ってくるから変わってあげれば、これだもん。トメさんと連れて歩いてなかったら、自分の頭がおかしくなってたと思う。彼女の方が奇声を上げて錯乱しているから僕はまだ冷静にいられるのだ。
「トメさん。大丈夫だから」
「ようたぁ! おねがいじゃあ! はなしてけぇ!」
「本当に大丈夫、あれは人間だよ。頭はアレだけどちゃんと人間だから」
「アレが普通の人間なわけないけぇ! やっぱり地獄じゃあ! ここは地獄じゃあ!」
ブンブンと僕の手を振り回すトメさんにはもう、埒が明かないと思った。
だんだんと近づくアレから逃げるように来た道を戻ろうとするトメさんを止めていれば、来て欲しくなかった奴が僕たちの前に着いた。
「ババア。俺のどこがオニなんだよ。ちゃんと言葉が通じるだろ?」
「あ、頭の角があるじゃろうて! あぁおそろしやぁ!」
逃げられないとトメさんは地べたに体をかがめて頭を隠した。
もう手を握らなくても大丈夫だから彼女が目一杯掴んでいる手を離す。
「おい、ヨウタ。お前なんで無視すんだよ」
モヒカン頭で目を細めて僕を見るそいつに、まず何を言ったら良いかが頭の中で混乱している。見張りでトメさんを見つけたことか。彼女をどうしたら良いかとか、お前今日何をしていたとかもう色々あるけど。
「その頭、なんで?」
「ん? これ? かっこいいだろ?」
ユウスケはそう言って頭の上で尖らせている髪に手を添えた。
近くで見ると、そのオレンジのモヒカンはひどくけばけばしくて、すぐに目を背けた。僕の隣で「あぁ」とうめき声を出すトメさんの背中を擦るが、ユウスケは上機嫌な笑顔を僕に向けたままだ。
「別にかっこいいとかはもうどうでもいいからさ」
「え?」
「トメさん、怖がってるからその髪、下ろしてよ」
「どうでもいいの?」
「もうどうでもいい」
見飽きたというより、僕の目には慣れたと言った方が合ってる。
ユウスケのケバケバしい髪色は人によっては気持ち悪いかもしれないけれど、パッと見た時よりも時間が経てばどうということはない。
「ほらって、ワックスで固めてるの? 下ろせる?」
「いや、まぁ下ろせるけど」
不服そうに顔をしかめるユウスケは、尖った髪の毛に添えていた手で髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。
全体が固まってる髪の毛が徐々に落ちていく様は紅葉の落ちる時のように感じた。
「……これでいいか?」
「いいんじゃない?」
肩を落とすユウスケの横目にまだうめき声を上げているトメさんの肩を叩いて「大丈夫、オニを退治したから」と言えば、彼女は少し気になったようで顔を上げた。
「鬼を退治とな?」
「そう。見てよ。鬼の角を折ってやったよ」
顔を上げたトメさんと、いじけて「退治されたオニでーす」と力なく笑っているユウスケを見て「おお!」と声を上げた。
「鬼退治をしよったのか! ようた!」
すぐに調子を戻したトメさんに「そうだよ」と返す。
なんとなく向こう側の人のことが分かってきたかもしれない。結構素直な感じかもしれない。
「じゃあ、検所に行こう」
屈んだ体勢からトメさんは橋に座り込んでいた。
もう一度、「手、握ろうか?」と彼女に聞けば、「鬼退治のあとでもやさしいなぁ」と僕の手を両手で握った。
もう、ビゼンの町もすぐそこだ。
「まぁいいや、二人とも付いてきて」
そう言って僕たちの前にいたユウスケは振り返って橋を歩く。
まぁ、あいつのことを考えれば、僕と知らない格好をした老婆の二人がゆっくり戻ってきたと思えば、老婆にオニと勘違いされたのだから、強く言い返すことも仕方ないと思う。
だけどね、僕は今日、ユウスケが見張る予定だったシフトを変わってやったのだ。それも部外者の僕が。
なんで変わる必要があったのか聞かなかった僕も悪いけど、そのモヒカン頭をする為に僕にお願いをしたのであれば、その頭のトサカを刈ってやろうと思う。
「なぁ、ようたや」
「何?」
「町にはオニはでないんけ?」
隣を歩くトメさんは不安そうに聞いた。
「出ないよ。あんな格好をする奴、もう町にはいないよ」
もしいたら、トメさんより僕の方が頭がおかしくなっちゃうよ。




