検所を出て、ビゼンの町を進む
先導するユウスケに従って険所に入った僕とトメさんは、彼女への聞き取りを行うとのことで、険所の中の控え室に足を運んだ。
小さな部屋で机が一つ。机を挟むように対面に椅子があって警備の人とトメさんが座った。
部屋に入った当初は、何をされるのか分からないとトメさんが震えていたけれど、温かいお茶を出されたら急に調子を戻したらしく、心細そうに僕を見ていた彼女はもう僕が隣にいなくても大丈夫なようだった。
トメさんへ聞き取りをする警備の人は、「ヨウタ君、もう大丈夫そうだから部屋から出て休んで良いよ」と優しく僕を退出させた。
僕は僕でトメさんが心配だったみたいで、少し後ろ髪を引かれる思いがしたが、彼女はもう警備の人と話していた。
そんなわけで、僕はトメさんの聞き取りが終わるのを待つことにして、近くの椅子に腰掛けている。隣には退治したオニも一緒だ。
「なぁ、ごめんってば」
ユウスケは僕に何を謝っているのか。見張りの仕事を変わってあげたことか? それとも僕が検所に戻るまでここでダラダラ待っていたことか?
色んなことに対して謝ることが必要だけれど、それを一緒くたにされるのは話が違った。
「本当に悪かったって、全部さ」
「僕のお願いは聞いてくれないけどさぁ――」
「聞く聞く! 全部聞くから! 今日みたいなことはもうしないからさ!」
手を擦って拝むように僕を見るユウスケには悪いけど、扉の向こうの話は終わったようだ。椅子を引く音と「あんた達は本当に優しいのねぇ」と緊張も解けたトメさんの声に「ありがとうございます」と言う警備の人の声も聞こえた。
扉を開けて、ユウスケが謝る姿を二人に見せるのも気が引けた。だから――。
「じゃあ、明日は非番だろ?」
「そうだけど? なにか奢りか?」
「いや、そのオレンジ色の髪をさ。黒に染め直して」
「え?」
「え? お願い聞いてくれないの?」
意地悪なことを言っているのは分かっているが、それにしてもオレンジ色は勘弁して欲しい。目立って仕方ない。それも悪い方の。悪目立ちということだ。
「いいよね?」
僕の言葉に口を閉ざすユウスケは、渋々頷いた。
まぁ、ちゃんとやることはやってくれると信じることにして、ユウスケに「けど、焼き肉は奢りね食べ放題じゃない店で」と注文を付けた。
「それだけにしない? 髪の染め直しは考え直して――」
「だったら、坊主」
「染め直しでよろしくお願いします」
ユウスケとの話はそれで終わった。
ちょうど良く聞き取りが終わった部屋からトメさんが出てきたからだ。
そこまで疲れた様子もない彼女に、「大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫」と笑い返された。
「ヨウタ君、ユウスケ君は?」
トメさんの隣で警備の人が僕に聞いた。
ユウスケなら今まで僕の隣にいたはずだけど? と隣に目を向ければ、誰もいなかった。
「……どこかに行ったみたいですね」
「あいつ、また逃げやがった」
と頭を抱えた彼は、僕の方を見て「ちょっとさ、ヨウタ君にお願いがあるんだけど」と僕に言った。もう、僕が見張りの仕事をした方がユウスケを除く皆は幸せなのかもしれない。
「そんな嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないか。ちょっとトメさんを連れて行って欲しいんだよ」
「……どこにです?」
「福祉施設、あの町外れの病院の近くで看板もあるからすぐ分かるよ」
そう言ってトメさんから手を離した彼は「そのまま帰って良いからさ。お願い」と僕に頼んできた。ユウスケの代わりだけど、ここまでしないといけないらしい。いつもは見張りをして問題なければ少し彼と話して終わりだったのに。
「トメさんが泊まるところだから連れてってよ、ね?」
「分かりました、最後の報告は?」
「今日は良いよ。トメさんのことだけで、他は何もなかったんでしょ?」
「まぁ、そうですけど」
「じゃあ、それでいいよ。それより、トメさんをしっかり施設まで連れてってあげてね」
彼は僕の肩に手を当てて「よろしく」と言って廊下を歩いた。曲がり角を曲がった彼の足音は次第に消えていって、最後に残ったのは僕とトメさんだった。
「堪忍なぁ、ようたぁ」
「いいんだよ、これくらい。いつものことだから」
嫌がる素振りを見せてしまったせいか、彼女も気を遣っているようだった。少し迂闊なことをしてしまった。トメさんはビゼンが初めての人だったことを忘れていた。
「トメさんごめんね、ちょっと友達と話していたらそのまま対応しちゃった」
「友? あぁ、ワシがオニと言うてしもうた子のことかぁ」
トメさんはユウスケのことをちゃんと人間だと認識したようで、「あの子には悪いことしてしもうたなぁ」と恥ずかしそうに頭を掻いた。
「じゃあ、施設まで行こう。着く頃には日が暮れてるかもしれないからさ。」
もう一度トメさんに手を差し伸べる。
どこかに行ってしまった彼は言っていなかったが、施設は町外れで、帰り道から外れた方向にある。傾き始めた太陽を見れば、今日中には帰れるが、僕一人の帰り道は夜の中だと思った。
僕の手を取ったトメさんは、「さっきの人は、極楽に来たと思っていいって言っていたけど、本当かぁ?」と首を傾けた。
そんなトメさんに、「とりあえず、ビゼンの町を見てから本当かどうか考えても良いと思うよ」と返すと、彼女は笑って「そうさな!」とゆっくり歩き始めた。
傾き始めた太陽に、僕は、やっぱり帰りが遅くなりそうだなと思った。
通りの人の数は、今日はそれほど多くなかった。トメさんのことを気にする者もいたが、みな素知らぬ顔で通り過ぎていった。
「オ、オニはおらんなぁ」
未だ、ユウスケのことが頭から離れていないトメさんは、キョロキョロと目を動かす。
「教えてもらったがぁ、面妖な町よなぁ」
時間が経つにつれて、ユウスケのことよりもビゼンの町が気になりだしたトメさんの言葉に「面妖と言われてもなぁ」と返すと彼女は笑った。
何で笑っているのか分からなかった僕は「変なこと言いました?」と聞くと「ごめんなぁ、ワシが勝手したんじゃ」と返してそのまま続けた。
「ようたの町がなぁ、ワシがいた村と違うことをちゃんと分かったんじゃあ」
「最初から言ってるじゃん」
「目で見んと分からんものもあるぅ」
その言葉に僕はびっくりした。
婆ちゃんの口癖がトメさんの口から出てきたからだ。口うるさいあの人の顔を思い出してちょっと気分が萎えた。
「どうしたぁ? 大丈夫かぁ?」
生きてきた年季が僕と違うトメさんは、僕に聞いた。
よく周りが見えている彼女が自分でボケているというのは謙遜にしてはやりすぎだと思った。もう、ユウスケへの次のお願いはトメさんの爪の垢を煎じて飲んでもらおう。少しは真面目に仕事をこなしてくれるだろう。
「大丈夫。僕の婆ちゃんのことを思い出してさ」
「ほおけ。……その婆ちゃんはまだ生きとるんかぁ?」
「元気いっぱいに生きてるよ。学校の先生をまだしてるくらいだからね」
「学校? 何じゃそれは?」
学校を知らない人にどう説明するべきか。
僕たちにとっては当たり前のことがトメさんは知らない。そのことを僕はようやく理解したんだろうか、手を握っているトメさんのことが遠く離れた人のように感じた。
だが、その学校のことだ。なんと言えばいいか。……そういえば、婆ちゃんが言ってたような。
「『知恵をつけたい人に、伸び伸び知恵をつけさせてあげる場所』って言ってたような?」
トメさんに答えてあげると彼女は下を向いてただ一言「ほおけ」と呟いた。
「な、なにか変なこと言った? 大丈夫?」
難しい言葉は使っていないのに、途端にテンションを下げたトメさんに聞くと、彼女は僕に言った。
「ようたに話した村八分の女の子の話よぉ」
トメさんは突然足を止めた。
いきなりのことで僕は彼女の顔を覗き込めば、少し陰った顔をしていた。
「ビゼンまで歩いた時の話だよね」
「そうじゃあ、あの女の子なぁ。言ってたのを思い出してのぉ」
そう言って、また彼女は昔の話を始めた。
「可愛かった女の子なぁ、よく言っておったよ。女でも学べるんだっとよぉ。思い出したわぁ、浅葱色の額当てをようしておったなぁ」
額当て。
多分その女の子は、昔住んでいた家が火事にあって、その時についた傷を隠しているんだ。昔は傷のある者への目が厳しかったと、婆ちゃんが酔った夜に話してくれたことがある。当の本人が、普段は飲まない酒を飲んで酔った時に聞いた。
あぁ、聞いたんだ。トメさんと同い年くらいの婆ちゃんに。
浅葱色の額当てなんて、ビゼンの町では婆ちゃんしかしていない。
それに、それに婆ちゃんはずっと山姥山の方を見ていた。なにか物思いにふける時は決まってそうだったじゃないか。
「トメさん、ちょっとだけ寄り道しても良い?」
「いいよぉ、ここまで優しくしてくれたんだぁ。ようたの好きにしてけぇ」
優しく微笑む彼女の顔は、どれほど歪むのだろうか。
二人にとって僕がこれからすることは余計なお世話かもしれないけれど、それでも会う価値はあると思った。




