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山姥山を越えて  作者: デンノー


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2/5

フタゴフジを下りて、ビゼンの町へ


 言った通り、昼間というか彼女を背負ってから一時間足らずでフタゴフジの麓、アスファルトとガードレールで整備された道に出た。

 もう僕達は、フタゴフジをほぼ下り切っていた。


 背負っている間、道に出ると言っても信じてくれなかった彼女が、下ろした瞬間に固まった。その彼女の反応には、こちらが面食らうほどだった。

 山の向こうでは、道と呼べるようなものすら満足になかったらしい。


「ほんに、こんな硬い道は初めてだぁ」


「ここじゃ、これが普通なんだよ」

 

「ほへぇ」


 ずっと恐る恐る歩く彼女には、この道が目新しくて仕方がないらしい。

 黒色の道なんて知らないようで、やっぱり、フタゴフジのこっち側と向こう側と違うようだ。


 たいして高くもない山のはずなのに、ここまで違うと、なにか作為的なものが起こっているようにすら感じた。

 陰謀論はあまり好みではなかったけれど、これから先はもう少しだけ勉強しようと思う。


「ぬかるみもねぇとなぁ! すげぇな地獄の道はぁ」


 彼女は着物の隙間から見える細く筋肉もない皮膚すらダブついているような足で、アスファルトを踏みしめる。

 老いて足元もおぼつかないはずなのに、子どものような楽しそうに弾ける雰囲気を全身に醸していた。

 だが、彼女の言いように僕は目をギョッとした。


「じ、じごく? あの死んだら天国か地獄の地獄?」


「天国? まぁ、お前さん、その地獄以外になにがあるんだい」


「い、いや、いやいや、ここは地獄じゃないよ」


「なら極楽かい?」


「違うよ! ここは現実。まだ生きているって!」


 呆けた顔で足を止めて、彼女は僕の顔を見る。

 信じられないとでも言いたげに、彼女は歯が少なくなった口を開けては閉める。

 シワでたるんだ頬はそのままに、下がった瞼からは、洞窟の中で見たあの目はなかった。

 

「ワシ、まだ生きておるの?」


「全然、ちゃんと生きているよ」


「そうか、まだ死ねんのか」と言ったまま、彼女は前を向いた。さっきまでのはじける雰囲気は消えていた。


 やつれてはいない。だが、彼女の何かが引っかかった。

 口減らしにあったと聞く彼女にはまだ、何かある気がする。

 それよりもまずは――。


「気を落としているところ悪いんだけどさ」

 

「なんじゃあ」


 彼女は振り返って僕を見た。

 頭皮すら見える薄い白髪がさらさらとなびく。

 

「おばあさんの名前、聞いてなくてさ、僕はヨウタって言います」


「ようた、か。よろしゅうなぁ、ワシはトメじゃ」


 力なく笑うトメさんは、また道を歩きだす。

 彼女には全てが初めてのはずなのに、その足取りは僕と変わらない。


「あのぉ、トメさんに聞きたいんだけど」


「まだあるのかぁ?」


「ごめんね、町まではすぐなんだけど、ちょっとね」


「まぁええよぉ、いくらでも聞けぇ」


 前を行く彼女に、小走りで追いつく。「ようたは体が軽いんだなぁ」と隣で笑う彼女に「まだ、二十一歳だからね」と返す。


「二十一かぁ、一番楽しいだろぉ?」


「楽しい?」


「ほおよ。こんなババアになったら体が動かんもんでなぁ。歩くだけで大変よぉ」


 ……それにしては、トメさんはなかなか歩いていた。フタゴフジの下りだということもあるんだろうけれど、僕のおばあさんと同じくらいの歳でも足腰に関しては彼女の方が良いと思う。

 背負っている時に聞いた口減らしでトメさんの子どもに山に捨て置かれて、迎えに来て欲しくないから洞窟まで歩いたというトメさんに僕は笑う。


「なに、笑ってる?」


「ごめんなさい、トメさんってそう言う割に結構元気だなって思って」


 訝しげに見ていたトメさんは、道を振り返った。

 緩やかな下り坂に道の端にはガードレールも設置されている。レールすら持たずに歩いていた彼女は、もう一度僕を見て笑った。


「ようたのいうとおりじゃあ! 面白いなぁ!」


 面白いかどうかはさておいて、気分を持ち直したらしいトメさんはまた踏みだす。


「大丈夫? 結構歩いてるんだけど」


「大丈夫。ここが極楽でも地獄でもないんだったら、歩くだけだぁ」


「でもそんなに歩いたら、足が辛いんじゃ?」


 トメさんの歩く速度も少し落ちたように感じる。

 まだ、日が照っているから夕焼けまで時間はある。それに、僕が道に出るまでトメさんを背負ったように、また背負えばいいのだ。


「いいんだぁ。ワシは自分で行くぅ。そうしないといけないんじゃ」


 前だけを見るトメさんは続けた。


「早く死にたいわけじゃないんだぁ。ただ、歩かねぇといけねぇと思うんだぁ」


 そう言ったあと、トメさんは笑ってまた続ける。


「こんなババアの独り言、聞いてくれるかぁ?」


 どこか切なそうに振り返った彼女に、僕が断る理由もない。

 長くなりそうな話でも、トメさんが僕に話したい内容が気になった。






 ありがとうねぇ、優しいなぁようたは。

 もう、こんな老いぼれの頭では何から話していいか分からんが、まずは、ワシは後悔しとるんじゃ。ん? よう分からん顔をせんでもえぇよぉ。聞くだけでいいんだぁ。

 そうだなぁ。後悔しとるといったもんだが、もうそれも忘れかけておってな。聞き苦しいかもしれん。それでもええか?


 昔の話なんだがなぁ。

 ワシの村、もうワシはいないからかぁ。じゃあ、ワシがいた村にな。一人それはそれは可愛い女の子がおってな。

 その子とワシは、年も近かったんだぁ。だからよく秘密の場所で遊んだことだけは、よう覚えとる。

 でもな、その子は村の外から来た家の子だった。

 可愛い女の子の着る服は、綺麗な服が多かったんだ。だから、村八分にされたぁ。

 今思えば、昔から村にいるやつらは、村の外から来た家族に嫉妬しとったんじゃ。綺麗な服着て話し方も上品な家族だったぁ。ワシもあの子の家に生まれたかったって何度思ったか分からん。

 それに村の連中は嫌じゃったんだろうよぉ。ワシらの先祖が守ってきた土地を外のもんが勝手するのが耐えられんかったんじゃ。だから、村八分じゃ。山姥山の、ワシらの手が入ってない場所に、オットウらがおいやってしもうたんじゃ。

 まぁ、ワシが子どもの頃は遊べればそれで良かったんだがぁ、ある時な。田んぼでボヤ騒ぎがあったんじゃ。そのときからだぁ。やったのをその家族に被せよった。ワシは誰のせいか知っとったが言えんかった。怖かったんじゃ。怒ってるオットウらが怖ぁって声が出んかった。

 それでな、女の子の家族を山姥山の向こうに追いやったんじゃ。村のもん総出で、ワシも一緒にやらされたことだけは覚えておるよ。最後に少しだけな、秘密の場所で話した事は覚えておるが、もう名前も顔も思い出せん。何でじゃろうな。






 道を下りながら、ゆっくりとした口調で話すトメさんの話は終わったようで、「ありがとうな」と僕に言った。


「……話してくれてありがとう」と彼女に返すのが精一杯だった。


「ええよ、こんなくだらない話なんぞぉ、ようたは覚えとらんでえぇ」


 僕では消化しきれない話に、前を歩く彼女にまた追いついてから、歩幅を合わせた。


「やっぱり、極楽じゃあないのか?」


「違うよ。トメさん」


 僕をからかうように笑って話すトメさんは足を止めた。

 そんな彼女の視線の先を僕も見ると、僕が住む町ビゼンが見えた。


「あれは……都か?」


 間延びした言い回しが消えたトメさんは、先の景色を見てツバを飲み込む。

 その音が僕の耳まで届いた。


 雲が薄らとかかってせいで、町の先まで見透せないが、それでも町の全体は見えた。

 今日の天気でもビゼンの町の中心に建つ建物がよく見えた。


「……都にあるっていう城か?」


「あれはマンションだね。あそこに人が住んでるんだよ」


「ほおけ」


 高い建物を見たことがないらしいトメさんは、僕が返した言葉に婆ちゃんと同じような受け答えをした。


「なんかトメさんって、僕の婆ちゃんに似てるよ。驚いた感じが一緒なんだよね」


「ようたのばあさんか?」


「そう。だけど、気がキツくて目力が強いんだ」


「ほおけ」


 そう思えば、洞窟にいた彼女の目は婆ちゃんも一緒の目をしていたようにも感じた。


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