船上の一幕
「そのまま……ゆっくり……っ」
「お、おい、サズ子……」
サズ子は身体を預けるように僕に密着すると、脳がぞわぞわする艶めかしい声を出す。
「いいよ……その調子…………」
「な、なあ……これ、本当に合ってるのか?」
「うん。上手だよ……」
「……」
サズ子は何度も吐息を吐きながら、せつなそうなにそう呟く。
「……サズ子、お前」
「なに、蒼……?」
「……絶対、今僕で遊んでるだろ⁉︎」
僕は滅茶苦茶に身体を動かすと、密着しているサズ子を無理矢理振りほどいた。
すると、サズ子はさも心外そうに文句を言う。
「遊んでない。私は真面目に、蒼がちゃんと飛べるよう支えてあげてただけ」
「だったら、後ろで変な声出しながら耳に息を吹きかけてくんじゃねえ⁉︎ 全然集中出来ねえわ!」
現在、僕達はロバーツさんの好意で貸してもらっている船長室で、【有翼の皮】を使う練習をしていた。
ドゥルジとの戦闘では上手く空中で回避出来なかったせいで、危うく死ぬところだったからな。
空を飛ぶ練習は僕も必要だと思ってたので了承したのに、コイツは……。
「え、変な声なんて出してないけど?」
「嘘つけ⁉︎ 普段より三倍増しで吐息が多かったわ!」
「三倍も出してない。だって、私は今まで吐息なんて出した事ないもの。ゼロはいくら掛けたところでゼロよ」
「うぜぇぇええええええええええっ!」
何故、コイツはこうも鬱陶しいのだろう。
このままでは、ストレスでハゲそうだ。
僕の様子を見ていたサズ子は、やれやれと溜息を吐きながら肩をすくめる。
「大体、吐息が多いから何だというの? 蒼も知っての通り、飛ぶのには体力を使う。疲れたら息くらい出ても仕方ない。それに息を吐いたところで、別に飛ぶ妨げにはならないはず」
「いや、だからっ!」
「それとも、蒼は何かやましい事でもあるの?」
「……」
僕は、思わず言葉に詰まる。
そう言われてしまっては、決してYESとは言えない。
何故なら、僕がそれを嫌がると知った瞬間、最悪である彼女はむしろ積極的に僕を挑発してくるに決まっているからだ。
「ほら、辞める理由がないなら文句を言われる筋合いはない。練習を続けるよ」
「くぅ……っ!」
「……でも、あえて出す必要もないんだろ?」
その時、サズ子の耳にぶら下がったまま、ずっと黙ってその様子を見ていたドゥルジが声をあげる。
「サズウェルが、たかがこんな狭い部屋を飛び回った程度で息を上げる訳がない。お前は、今間違いなくサズウェルに遊ばれているよ。純朴で愚かな人間☆」
「……おい、サズ子。言い訳はあるか」
「……ドゥルジ。マイナス五点」
「うん? なんだ、そのお前にしては控えめでやけにリアルな数字は?」
「この点数がマイナス百点に到達した時、例え何があったとしてもお前をあの女の元に叩き返しに行く」
「僕がそんな事を許すわけないだろ? 大体、マイナスを付けたらお前今マイナス何千点になるんだよ」
「はい、病んだ」
「いつもいつも、それで僕が誤魔化せると思うなよ⁉︎」
「でも、これはそもそも蒼がえっちな事を考えるからいけないと思わない?」
「うるせえ! 耳元で生暖かい息を吹きかけられて、平然としている奴の方が気持ち悪いだろ!」
「私は平気だけど?」
「きゃはっ☆ つまり、サズウェルが気持ち悪いってこと? 超なっとくなんですけどぉーっ!」
「ドゥルジ、マイナス一億五千万点。今すぐあの女の所まで行く」
「だから、逃すわけねえだろって! お前、最近ちょっと調子に乗りすぎだぞ⁉︎ 今までの諸々を含めて、まとめてお説教だ!」
「いーやーっ!」
サズ子は駄々っ子のように首を振ると、逃げるように部屋の中を飛び回る。
「あっ、コラ!」
「私にお説教を聞かせようなんて百年あっても無理。何故なら、蒼は空を飛ぶのが下手っぴだから」
「いや、そういう問題?」
「悔しかったら、私に追いつけるくらいのスピードを出せるようになって」
「上等だ!」
売り言葉に買い言葉で、僕はサズ子を捕まえるために空を飛ぼうとするが……。
「おっそ……アンタ、絶望的にセンスが無いわね」
「蒼、ドゥルジが悪口言ってるよ。事実はともかく、やはりコイツはあの女に返した方がいい」
「だぁーっ! うるせえ⁉︎ 空の飛び方なんて分からないんだから、しょうがないだろ!」
僕がいくら早く飛ぼうと念じたところで、身体は水中を歩いているかのように上手く前に進まないし、試しに泳ぐように身体を動かしてみても変化はない。
「うわっ、人間の飛び方気持ち悪っ! あまりの醜さに、この私ですら憐れな気分になるわ」
「蒼……こればかりは、流石に私もフォロー出来ない。ここは海の中じゃないんだよ?」
「だったら、見てないでアドバイスの一つでもくれませんかねぇ⁉︎ お前等、二人揃って文句ばっかり言いやがって! 本当に最悪だ!」
もう、我慢の限界だ! コイツ等、二人まとめてぶっ飛ばしてやる!
「あっ、見て見て。上黒海が見えてきたよ」
しかし、サズ子は飽きたかのように部屋の窓に近づくと、海を見上げてそんな事を言う。
コイツは、本当に……っ!
…………はぁ。
色々諦めた僕は溜息を吐いた後、サズ子が手招きをする窓に近づく。
「ところで、上黒海ってなんだよ?」
「あれ? 蒼、あの迷惑女の話を聞いてなかったの?」
「いや、単語が出てきたのは覚えてるんだけど、ダイヤさんは当たり前みたいにその単語を使ってたし、あの状況で聞くと不自然かなって思って聞かないまま忘れてた」
「ふーん。まあ、その判断は正解。上黒海を知らないのは、蒼の世界で飛行機を知らないようなもの」
「そのレベルなのか?」
「うん。空を見て」
僕はサズ子に言われるがまま、窓を覗き込む。
すると、遠くの空が夜でもないのに真っ黒に染まっていた。
「あれが、上黒海」
「……つまり、空が黒海になっているって事か?」
「そう。そもそも、普通の黒海は一つの海層に一つしか存在しない」
「え、でも、あれは黒海なんだろ?」
「そうだよ。ただし、第三海層のね」
「え……?」
そこで、僕は無意識に自分が冷や汗を掻いている事に気が付いた。
僕の認識が正しければ、黒海とは上の海層と下の海層を繋ぐ道のはずだ。
「な、なあ……まさかとは思うんだが……」
「なに?」
「空を飛んで、あそこに行くわけじゃないよな?」
「……さあ?」
サズ子は意地悪そうに笑うと、窓から離れて部屋にあった布団に寝転がる。
「距離的にまだ時間がある。休めるうちに休んでおこう」
「お、おい、何か知っているなら教えろよ!」
「知らない。それより、私は少し寝る。ドゥルジ」
「何よ」
「私の代わりに、蒼の護衛よろしく」
サズ子は耳に付けてたピアスを外すと、僕に向かって放り投げてくる。
僕は慌ててそれをキャッチすると、まじまじとサズ子を見た。
コイツが監視付きとはいえ、僕から目を離すなんて珍しいな。
「お前でも、敵意を持った人間を見分けるくらいは出来るだろ。もし、蒼に傷一つでも付けたらお前を殺すから」
「はぁ? 何で、私がそんな——」
「いいから、やれ」
「……ちっ、ほんとサイアク」
「それじゃあ、蒼おやすみ。第三海層に着く頃には起きるから」
すると、サズ子は本当にそのまま寝てしまった。
何てマイペースな奴なんだろう。
「……おい、人間」
「僕は、人間なんて名前じゃないぞ」
「この部屋にいる人間は、お前しかいないだろ」
「サズ子だって、今は人間だ」
「本当にそう思っているなら、お前はやはり愚かだ」
ドゥルジは、僕を馬鹿にしたようにそう言う。
「例え人間になったとしても、サズウェルの悪性は変わっていない。コイツがどれだけの人間をあの街で殺したと思う?」
「……」
「いくら目を逸らそうとも、お前と……いや、人間とサズウェルは交わらない存在だ」
「……お前達は、一体何なんだ? 何故そこまで人間を嫌う」
「私達は悪だ。それ以外の何者でもない」
「でも、それはお前達の母親がそういう風に作っただけだろ? 別に、母親の言うことを全て聞く必要はないじゃないか」
「なら、お前はゴキブリと仲良く出来るのか?」
「喋れて気が合うなら、仲良くなれるさ」
「それでも、何をされても不快感を感じずに仲良く出来るとは言い切れないだろ?」
「そりゃあ、まあ……でも、それは相手が同じ人間でも嫌なことをされたら不快になるさ」
「そうだろうな。結局、それが肉親だろうと悪感情を抱くのが人間なのだから」
「……何が言いたいんだ?」
「お前が他を不快に思う感情、それが私達だ。つまり、仲良くなろうなんて思考がそもそもないんだよ。あるとすれば、悪意のみ」
僕はそれを聞いて、咄嗟にサズ子の別人格の事を思い出していた。
確かに、僕はもう嫌というほど知っているはずだ。
サズ子達には、本来悪意しかない。
だから、誰かと仲良くなろうなんて思考にすらならない。
……でも。
「……じゃあ、何でサズ子は幸せになりたいと願ってたんだ」
「は?」
ドゥルジは、まるでこの世に存在しない言語を聞いたかのような呆けた声を出す。
「サズウェルが……幸せを願っていただと? あり得ない」
「いや、本当なんだって。サズ子がディアにやられそうになってた時、僕にはハッキリとサズ子の声が聞こえてた」
「…………きゃはっ☆ そんなの、お前みたいな馬鹿を騙すための演技に決まってるじゃなーい! つまり、お前はまんまと騙されてサズウェルに利用されたってわけ! 超まぬけなんですけどぉーっ!」
「そうなのかな……?」
「あったりまえよ。だって、サズウェルが悪意以外の感情を持つことなんて、それこそ世界に終末が訪れたってあり得ないもの。まっ、それで人間にまで堕ちちゃうんだから、サズウェルも馬鹿よねぇー。そんな事になるくらいなら、死んだ方がマシなのにさっ☆」
「はぁ……、お前はサズ子よりも口が悪いな。ていうか、僕は別に構わないけど家族のサズ子とも仲が悪いのは何でなんだ?」
「逆に聞くけど、家族だとしてもアイツと仲良くなれると思う?」
「……」
「それが答えよ。それに、どのみち私達には家族愛なんて感情ないから」
「……お前達は、それで辛くないのか?」
「——いい加減、そろそろ黙れよ。さっきから、お前のクソどうでもいい感想を聞かされるこっちの身にもなれ。あまり調子に乗っていると、焼き殺すぞ。人間風情が」
その瞬間、ドゥルジは濃密な悪意を僕に向ける。
「……ん」
「チ……ッ、お前と話しているとイライラしてしょうがない。もう、私に構うな」
「あっ、おい」
サズ子が不愉快そうに眉をひそめながら寝返りをうつと、ドゥルジはつまらなさそうに舌打ちをして喋らなくなってしまう。
……はぁ、悪器って本当に気難しい奴ばっかりだな。
「さて、サズ子を起こすのも悪いし、甲板にでも出て気分転換でもするか」




