死亡フラグとわかっていても約束をしたい
一応すぐ近くの店に行ってみたが案の定、フライドチキンの店はもう閉まっていた。
絶望に暮れるリンをなだめながらハンバーガーチェーンに向かう。幸い、駅前の店舗はまだ営業していて、道路まで漂う油の匂いに食欲を煽られた俺達はさして揉めることもなく入店を決めた。
店内には若い男女二人組がいつもより多いような気がした。注文を受けてくれた店員のお兄さんは愛想がよくて、「こんなクリスマスまで働いていて可哀想……」とは思わず、きっとバイトが終わったら彼女に会いに行くんだろうなと思った。俺の脳みそもだいぶクリスマスに侵食されているらしい。
ちょうど空いた二階の窓側の席に、俺とリンはトレーを持って座った。
「お、この椅子。悪くないね」
リンは椅子の上でぽんぽんと姿勢を変えながら言った。
「たしかに、ちょうどいい具合の反発かも」
「もう少し座面が低い方が私的にはありがたいけどね。最近さ、自習室の椅子とかラウンジの椅子とか。あと自分ちのとか、椅子に座ることが多いからさ。私座り心地にはけっこううるさいんだよね。こうお尻のフィット感と頸椎の伸び具合が気になっちゃって」
「椅子ソムリエになれそうだな」
「なれるな。現代人にとって椅子に座っている時間というのは、起きている時間の、実に七割を占めています。そう、つまり人生を豊かにしたければ、まずは椅子を変えるべきなのです……」
リンが胡散臭いコラムニストみたいなことを言い始めたので、俺は「案外需要ありそうな職業だな」と笑いながらポテトに手を伸ばした。
窓には、夜の駅前はバスを待つ人や、駅へ向かう人の姿が映っていた。街路樹に申し訳程度につけられたイルミネーションが青く光り、それを掻き消さんばかりに白い光を放つ駅舎から続々と人々が吐き出され、夜の闇に溶けていく。
今日はクリスマスなんだなぁと、今日何度目かもわからないがしみじみ思って、その感慨を口に出して分かち合おうか迷った。ちらりと隣を見ると、彼女はフライドチキンの袋に味付けのための粉を入れ、袋の上と下を掴み楽しそうにシャカシャカしていた。
リンはたっぷり袋をシェイクし、粉がチキン全体に行き渡ったことを覗いて確認すると、ぬぬっとチキンの頭を袋から出して大きく口を開け、それこそCMに出演する子役のような満面の笑みでそれにかぶりついた。
「お前、いつまでたっても小学生男子みたいだよな」と鼻先で笑ってから、俺も自分のチキンに粉をまぶす。
「はあ? いいじゃん、別に」
リンはそうは言いつつも怒った様子はなく、チキンに夢中なようだった。
「うん。いいよ、別に」
俺もチキンにかぶりついた。
「この頃、現役は最後まで伸びるという言葉がこわいわ。去年はお守り代わりの言葉だったのに、まさか今年は凶器に早変わりするとはね。これが今日の友は明日の敵ってやつだね」
一通りお互い食べ終わり、残ったポテトをつまみながらジュースを飲んでいると、リンがおもむろに新しい話題を振ってきた。
正しくは「昨日の敵は今日の友」だったような気がするが、意味としては大差ない気がするし、自信がなかったので指摘するのはやめておく。
「ブラックジャックみたいな?」
「ん? なにそれ。つぎはぎだらけのぼったくり名医?」
「そっちじゃなくて。コインとか氷とかをビニール袋に詰めて鈍器にした凶器のことをブラックジャックって言うんだ。一見凶器には見えないんだけど、実は犯行に使われてましたっていうトリックで推理小説とかで使われる」
「ヤマトはそういう人が死ぬ本ばっかり読んでるから性格が歪んじゃうんだよ。せっかくのクリスマスだって言うのに」
「たしかに。思ったから言っただけだけど、今言わなくてもよかったかもな」
「うん、そうだね。……なんか、ヤマトって素直になったよね」
「そうかな?」
何気ないやり取りだった。いつも通りの他愛無い会話の延長線にある、取るに足らない些細なやり取り。
でも、今日の俺はどうしたって前のめりで。ともすれば、聖夜であることを免罪符にして、抱える思いをすべて暴露して懺悔してしまいたいと思っていて。
だから、そんな何気ない会話も、特別なサインのように感じられてしまった。
意を決して、俺は口を開く。
何を言うかもまとまっていないのに、衝動に任せて、後に引けないようにするためにともかく口を開いた。
「あのさ」。「ねぇ」。
俺とリンの声が、ちょうど重なった。
こんなにバツの悪いことはなくて、俺は思わずそれだけで少し赤面した。
「先にどうぞ」
「いや、リンからどうぞ」
「いやいやいや。どおぞどおぞ」
普段、俺に何かを譲ることなんてまずないリンが、必至に俺に先を促してくるのがちょっとおかしくて、少し落ち着きを取り戻すことができた。
「いやいやいや。ここはレディーファーストで」
「ねえ知ってる? レディーファーストって元々は、女性が男性より先に食べて毒見するとかっていうのが起源らしいよ」
「へーそうなんだ。リンは変なことばっかり知ってるね」
「ヤマトに言われたくない。ていうわけで、先にどうぞ」
もうここは男らしく先に言わないと収拾がつかないらしい。俺はあきらめと覚悟を持って、言いたいことを言ってみることにした。
「あのさ……受験終わったら、ちゃんと七面鳥食べに行かない?」
「なぜに、たーきー?」
七面鳥をターキーと変換できたところまではリンの脳は正常だったはずなのに、なぜか彼女の口から発せられたそれはひどく片言だった。
「え、いや。イヤならいいんだけど」
「イヤじゃないけど。なぜにターキー? ほかにあるでしょ、もっとこう」
「……焼肉? 寿司?」
「そーゆうことじゃねえんだよ。食い物はなんでもいいんだよ」
「じゃあどういう?」
「わかった、もういい。なんでもいい。……帰るか。あしたも勉強だ」
リンは強引に話を終わらせると、トレーを持って立ち上がった。
「ねえ、なんか話があったんじゃないの? 怒ってる?」
俺も急いで後を追う。
「……怒ってないよ。怒ってたら飛び蹴りしてるもの」
「それは笑えない冗談だなぁ」
思い出に耽りながらため息混じりに答えると、リンは少しだけ笑ってくれた。
店を出て、リンに何か言わねばと考えながら歩いていると、あっという間に家の前の、曲がり角の所まで着いてしまっていた。
駅から二人の家までは元々それほど距離は無くて、いつもあっという間に感じてもう一往復したいと感じるくらいなのだけれど、今日は本当にこの道のりが一瞬のことのように感じられた。
俺はクリスマスムード一色の街にあてられてしまったからか。はたまたリンが怒った理由が分からないことへの焦りからか。思いの丈をすべて今この場でぶちまけてしまいたいという衝動に駆られた。
それを決死の思いでぐっとこらえて、それでも溢れ出してきてしまった思いだけを、ゆっくり言葉に換えた。
「リン。もし大学受かったら、話があるんだ」
「何それ、死亡フラグ? 絶対受からないやつじゃん」
即座に茶化されてしまったけれど、全然気にならなかった。なんとなくそんな予感はしていたのだ。
「願懸けだっつの。いいだろ?」
「はいはい。相変わらずめんどくさいなぁ。受かったらね、受かったら」
リンは始終呆れたという調子だったけれど、俺はそれでも全然かまわなかった。
「ああ。絶対受かる。だから、受験終わったら聞いてくれ」
リンが立ち止まった。何事かと思って、俺もすぐに立ち止まると、いつの間にか家の前に着いていた。
「おう、がんばれ。私もがんばる」
リンがぐっと拳を突き出した。俺も拳を突き出し、拳に合わせる。
人から見たらとんでもなく恥ずかしい約束だろうけれど、俺にとってその約束は希望そのものだった。
*
それから俺は最後の追い込みとばかりに、毎日最低十六時間は勉強をした。
今まで、一日十時間で良しとしていた自分がバカみたいだった。
机にかじりついた。脳細胞の端から端までを勉強のことで埋め尽くした。
夏以来の、集中力だった。勉強の楽しさとか、将来への不安とか、劣等感とか、何もかも吹き飛んでいた。ただ頭に知を刻みつけようとしていた。
「磨穿鉄硯」という言葉がある。
――「磨穿鉄硯」。鉄でできている硯をすり減らし、穴をあけるほどに勉強をすること。転じて、強い意志を持ち、物事を達成するまで貫くこと。
まさに、そんなかんじだった。
ルーズリーフとシャー芯はすぐに減り、それを取り換える時間さえも惜しかった。自分のこれまでがゆっくりと溶けて消え去って、知識だけが脳に新しく焼き付けられていくようだった。
学ぶほどに、旧い自分が壊されていって、自分が高次元の何かに生まれ変わっていく。
その感覚が、確かにあった。




