浪人しててもクリスマスは来る
今日はクリスマスだ。しかし俺達浪人生の心にはそんなリア充イベントを喜ぶ心の余裕は微塵もなく、むしろ現実世界の華やかさとのギャップに気分が悪くなる者も多い。
受験直前で精神を病んだのか、トナカイの帽子をかぶって授業に出ているヤツがいた。きっと何か面白いことをしようと思った結果、ああなってしまったのだろう。同情することは出来ても馬鹿にすることはできない。ただ受験前でぴりぴりムードの予備校に中途半端なギャグを持ち込んだ罪は大きいと言わざるを得ない。
常に他者と自分を比べたがる俺達人間は、周りが幸せな時ほど不幸をより強く感じる。特に浪人生は、さして努力もしなかったから現役で受からなかったというだけのくせに、みっともなくもう一年しがみついて失敗を無かったことにしようとしている憐れな人種なので、その傾向が強い。
他人の不幸は蜜の味で、他人の幸福は汚物でしかない。日々薄暗い部屋で机に向かうだけの、おおよそ人間らしくない日々を送っているとどうしたって人間はダメになる。ビタミンDが足らなくなる。ただでさえ冬は日照時間が足らないから余計にだ。
空虚な堂々巡りを繰り返し、絶えず目に見えぬ誰かに対して悪態をつき続ける自身の思考に気が付き、俺はパタンと世界史の一問一答集を閉じた。
さっきから、ページを目が滑るばかりで全然頭に入ってきていなかった。もうだいぶやり込んだ一問一答集だから間違えることはほとんどないが、考え事をしながらの流れ作業になってしまうのならやる意味がない。
待ち合わせの時間には少し早かったが、自習室を出て、ラウンジへと向かった。クリスマスイブの休憩室はずいぶんと人が少なく、程よい静けさに包まれていた。
場所と教科を変えたら、少しだけ集中力が戻ってきた。
古文単語帳はもう何周も繰り返したというのに、いつもさらっと見過ごしてしまうところにまで目が行き届き、ついつい気になってスマホで検索をかけると新鮮な発見があった。
――たとえば「死ぬ」ということを、古文では「失す」「隠る」「身罷る」「儚くなる」など様々な単語で表現されるが、これは「死」や「血」を、恐ろしいもの。または穢れたものとして扱い、直接「死」という言葉を使うのを避けたという時代的な背景があることがわかった。
こんな背景を一通り調べると、今まで何となく覚えていた単語たちが急に色づいて覚えられるような気がした。
前に、「宮中では出産は行われず、女性は実家に帰って出産することになっていた」という話を聞いたことがあるか、これはもしかしたらこのことと関係があるのかもしれないと考えたりとか。
まるでハリポタの、「名前を呼んではいけないあの人」みたいな話だと思って、リンに今度教えてあげたいなと思ったりして。
今まで中々覚えきれなかった単語の羅列が急に記憶に焼き付いたような気がした。
「お待たせ」と声がして、いつの間にか隣にリンが立っていた。
「いや、全然」と鞄に単語帳を仕舞い、立ち上がる。
俺は「なぁ、『死ぬ』って意味を表す古文単語って覚えてる?」とリンに問いかけながら、ラウンジのドアを開けた。
カップルであふれる都会の夜を潜り抜けて、リンと駅へ向かう。街はいよいよクリスマスムード一色だった。
だがオシャレな恰好をした街を歩く人々も、艶やかなイルミネーションも、騒々しい音楽も、今はそれほど気にならなかった。
この頃リンと一緒にいるときは、リンのことばっかりを考えてしまって、ついつい他のことはどうでも良くなってしまっている。
それは嫌われないように気を遣って必死になっているとかじゃなくて、もっと幸せな、布団の中にダイブして、そのまま深い睡魔に溺れて行ってしまう感覚に近い。孤独とか劣等感とか、コンプレックスとかいろいろなものが吹き飛んでしまうくらい、俺はリンの一挙手一投足に心を奪われてしまっていた。
彼女の歩幅が案外広いこととか、下まつ毛が長いこととか。ちろっと舌を出すクセがあることとか。前髪の感じが湿度でコロコロ変わるところとか。そういう全部が、ただただそこにあるだけで愛おしかった。
最近、俺達は自習室の開く朝九時から閉まる夜九時までずっと予備校にいるが、行き帰りはずっと二人一緒だった。
お互いが勉強をさぼらないように監視するためにやろうとリンが言い出して始めたことだったけれど、朝が弱い俺には効果覿面だった。
リンに会えるのだと思えば、しっかり七時に起きて朝ごはんを食べて、身だしなみを整えてから家を出ることが出来た。勉強時間は増えたし、朝が来るのが楽しみになって規則正しい生活が出来るようになった。
もう、リンと喧嘩していたあの夏を思い出すことさえ難しい。俺はリン無しで、いったいどうやって生きていられたのだろうかと不思議に思った。
「あーあ。『こちらは各駅停車、大学駅行き。まもなく、センター試験駅に停車致します』ってかんじだよ。くそ、なぜ去年、間違って浪人特急に乗ってしまったのか」
あと一駅で地元に着くという時に、リンが言い出した。よくわからないが、電車のアナウンスを聞いて閃いたのだろう。
「それは途中下車できる駅が無かったからだろ」
「くそ、指定校推薦駅行き急行に乗れていればこんなことには」
「いやいや、推薦もらえるほど成績良くもなかっただろ」
電車は駅について、扉を開け、人を吐き出す。
ホームに降り立った人たちはお行儀よく、改札へ向かって歩き出す。
「あー、クソ。つまんねえことばっか言いやがって。ヤマトのせいで暗くなった。チキンおごれ」
「はあ? 因果関係がわけわからん」
リンはぐっと体を低くしたかと思ったら、いきなり体当たりをしてきた。彼女の細い肩の骨が俺の脇腹に入る。人が多いところでふざけるのはやめてほしいと思いながらも、がさつなボディタッチに心の底でほんの少し喜んでしまっている自分がいるのも確かだった。
「いってぇな、折れちまったじゃねえか」
「まてまて。どう見たって被害者は俺だろ。当たり屋かよ。痛いのはこっちじゃボケ」
「つべこべ言うな。よこせ慰謝料。よこせチキン。ケンタいくぞ」
定期をあてがって改札を通り抜け、俺は冷静に答える。
「分かったけど、ケンタは多分混んでて無理だぞ。当日って予約だけかもだし」
「えー」
「マックならあいてるかもな。マックのチキンでもいいだろ?」
「お前それ、ケンタとマック両方に対する侮辱だからな。味音痴め」
「味音痴て。だいたいそれを言うなら、クリスマスは七面鳥を食べる日であってチキンを食べる日ではないぞ」
「つべこべ言うな、とりあえず行くぞ」
リンは拳を夜空に突き上げ、今から鳥でも討ちに行くかのように勇んで歩き出した。




