酒と女と煙草
1位、睡眠をとる。
2位、親しい人と話をする。
3位、好物を食べる。
4位、趣味に熱中する。
5位、酒を飲む。
6位、買い物。
つい最近ネットで見た、ストレス解消法についてのアンケート結果だ。
このアンケートは、俺にはあまり参考にならなかった。
買い物をしようにも、欲しいものなど無い。強いて言えば、身長と成績と彼女がほしい。
趣味は、ゲームと読書くらいだが、最近は全然熱中できない。やっていると、時間を無駄にしているという思いが付いて回って、全然楽しめない。
好物だったはずの中華料理も、最近は調子が悪い。
親しい人……は、リンしかいない。
睡眠は、この頃は眠りたくても眠れない。
つまり、この中で唯一希望があるのが、酒だった。
その日の夜、田辺に連れられて俺は居酒屋へ出かけた。
未成年者の飲酒が法律違反だとか、脳細胞が死滅して受験に落ちるかもしれないとか、そういうことはもうどうでもよかった。
国見みたいにバカになりたかった。きっと目の前にドラッグがあれば、今の自分は迷わずそれに飛びついただろう。いっそ警察に捕まって、受験に落ちて、ぜんぶ台無しにしてしまいたい気分だった。
田辺に連れられてやって来たのは暖簾の下がった和風な居酒屋で、どうやら焼き鳥屋らしい。端のほうの席には段ボールやビニール袋が無造作に積まれていたり、壁には油で汚れた紙がいくつも貼ってあったりと、あまり綺麗な店ではなかった。
テキトーに頼もうか? と聞かれ、こくりと頷くと、田辺は慣れた調子で店員にビール二つと焼き鳥を頼んだ。
「はいはい、おつかれおつかれ。かんぱーい」と田辺に促されるままグラスをぶつけ、口に運ぶ。はじめて飲むビールは綺麗な金ぴかで見た目はとても好きだったけど、味はとても苦かった。舌の両端がヒリヒリする。
「ここの焼き鳥、安いのにうまいんだよ。好きなのどんどん頼めよ」
田辺はそう言いながら、焼き鳥の串を一つ手に取った。
ねぎまを一口、かじってみると、たしかに美味しかった。
居酒屋の焼き鳥というのを食べるのは初めてだったが、ちゃんと炭で焼いてるからか、食感も香りもすごく上質に感じられる。ビールもあまり味を気にしないようにごくごくと喉の奥に流し込むと、少しだが美味しいような気もしてきた。
「焼き鳥ってさ、みんなで飲みに行くとどうしても串から外さないといけないじゃん? でもあれってさ、わざわざ店員さんが串に刺してくれてる手間を無駄にしてるようなもんだよな。鶏肉炒めを頼めばいいんじゃねえかって思う訳よ、俺は」
「たしかにな」
串から外したところで味が変わるわけではないのだから、食べ方なんて好きにしたらいいとは思ったけれど、わざわざそんなことを言うために、焼き鳥を食べる手を止める気にはならなかった。
段々と酔いが回って来たらしく、田辺の話に熱がこもってきた。
「焼き鳥は塩が美味いとか言ってるやつは通ぶってるだけのにわかなんだ。わかるか、きくやん。タレの方が肉自体の味をごまかせるから、安いチェーンとかスーパーで食うときはタレのほうがいいんじゃ。やっすいかったいくっさい肉、塩で食ってみ? 死ぬで、ほんま死ぬで」
「はいはい、ここのはおいしいよ」
「じゃろう。塩は美味い店で食うから美味いんじゃ」
この話はすでに三回目で、同じ話を何度もしてうるさいなぁと思わないでもなかったが、俺も酔いが回ってきたからか、それはそれで面白かった。
二時間ほど経って店を出ると、田辺が「なんか、綺麗なお姉さんのいるお店行きたくね?」と言い出した。そんな金は無いと言うと、「大丈夫、安いところがある」と親指を立てた。
連れていかれたのは相席屋というところだった。なんでもそこは見ず知らずの男女が一緒にお酒を飲むところらしい。「俺たち大学二年てことにしよーな」と田辺は笑った。
やたら髪を逆立てたスーツ姿の男に案内され、暗い廊下を進み、テーブルへと通された。そこにはクッションやら荷物やらに埋もれるようにして深々とソファに腰かける女の子が三人いた。
「やーやー、どーもどーも」なんて田辺が颯爽と彼女たちの隣に座ったので、同じように席につく。メニューを見てもイマイチよくわからなかったので、とりあえずよく聞くカシスオレンジとかいうやつを頼んだ。
田辺の仕切りで自己紹介が始まっていたが、俺は彼女たちの話を聞いていなかった。おまけに化粧が濃くて髪の毛の色が明るいという共通点のせいで、俺はまったく彼女ら三人を識別することができなかった。
あっという間に俺の番になってしまい仕方なく、「菊池です。大学二年生です。よろしくお願いします」とだけ言った。
彼女らが息を呑む気配がして、あたりの温度が急に下がったような感じがした。それがとても滑稽で、愉快だと思っていたのに、田辺が即座に「きくやーん、緊張してんのかぁ。こいつ人見知りだけど話すといい奴だからさ」と茶化し、場の空気を和ませてしまった。
それからも、田辺は時折俺に話を振りながら、彼女たちと楽しそうに話をしていた。俺は一人で酒を飲みながらそれをぼうっと眺めていた。カシスオレンジはジュースみたいに甘ったるくて、なんだか子どもの頃食べた駄菓子を思い出した。
「ねえ、それカシオレ?」
隣の席に座って暇そうにスマホをいじっていた女の子がそんなことを言ってきた。
「うん、たぶん」
カシスオレンジの略はきっとカシオレなのだろう。
「ウケんね。女子っぽい」
彼女は笑っていたが、俺には何がどういうことなのかわからなかった。
俺が無反応でいると、彼女はなぜか不満そうだった。愛想笑いに付き合わなかったからとはいえ、どうしてそんな責めるような目で見られなければならないのだろう。
田辺が何か言ってフォローしてくれたらしかったが、知ったこっちゃなかった。もうそれ以来、誰かが俺に話を振ることもなかったが、それはそれでよかった。
甘いお酒を一人、黙々と飲んでいるとなぜか昔のことを思い出した。
『初めてお酒を飲むときは一緒に飲もう』
そんな約束を昔、リンとしたことを思い出した。
あれはいつだったか。まあそんな約束、リンは絶対覚えてないだろうけれど。
しかし、どうして俺はこんな一緒にいても楽しくない女どもと、人生初のお酒を飲んでいるのだろうと疑問が湧いてきた。
そんなことを考え出したら、愉快だったはずの滑稽さが急に陳腐に思えてきた。どんどん酔いは醒めていき、吐き気だけが残る。俺は自分がひどくくだらないことをしていると気付いてしまった。
「帰るわ」
そう言って席を立った。一刻も早く夜風にあたりたかったのだ。
ドタバタと足音を立てて、田辺が追いかけて来た。
「俺一人に会計押し付ける気かよ、逃がさんぞ」
ニコニコしながら俺の肩に腕を回す田辺は怒ってはいないようだった。
「別に、今度会ったとき払うつもりだったよ」
同じようににこりと笑ってその手を払う。しかし数秒後、俺はその言葉を取り消したくなった。
代金が一万円近くだったのだ。わけがわからず、ともかく店を出てから俺は田辺を問いただした。
「おい、ぼったくりじゃねえか」
「あんなもんだろ。十分七百円なんだからさ」
「はぁ? じゅーぶんぼったくりじゃねえか」
ビルの間を風が通り抜け、伸び放題になっていた俺の髪を撫ぜていった。毛先が首元にチクチクとあたって鬱陶しい。念願の夜風は都会の熱気や異臭をはらんでいて、ちっとも気持ちよくなかった。
「まあ女の子のぶんも払ってるんだからしゃーねーだろ」
「あぁ? そうなのか?」
「知らんかったのか? 相席屋は女の子はタダなんだぜ」
「はぁ? なんだそりゃ。ありえねーだろ」
俺みたいなつまらなくて気持ち悪い根暗野郎と酒を飲まされた彼女たちに迷惑料を支払うというのはやぶさかではないが、いくら何でも十対〇とはこれ如何にだ。日本はこんなことをしているからいつまで経っても男尊女卑の気風を消しきれんのだ。これならリンにお詫びのプレゼントを買った方が百倍マシだっただろう。
「まあ普通のキャバクラとかに比べたら全然やすいって」
田辺は満足そうに笑った。
「まったく接客された気がしねえよ」
「そりゃ別に向こうも接客しようとは思ってないし。綺麗なお姉さんとお喋りできただけでよかっただろ?」
「ぜんぜん。だいたいリンのほうが……」
「なんだって?」
田辺は聞こえていたのにあえて聞き直したらしく、クスクスと笑っていた。
「なんでもねーよ」と湿った空気に言葉を浮かべる。
どうやら酒が入ると俺はいつもより素直になってしまうらしい。金曜の街はネオンの明かりとオッサンたちの笑い声でまだまだ賑やかだった。




