悪魔ふたたび
もうすぐ日が暮れるという頃、そろそろ帰るかもうひとがんばりするか考えながらラウンジに行くと、平野がいた。遠くの席に座って気づかないふりをしようと思ったが、平野が手を振ってきたので仕方なく隣に腰かける。
「でたな、悪魔女」
「その呼び方やめてくれます? お兄さん」
日曜だからか平野は私服だった。彼女は水色のシャツに白いスカートという落ち着いた服装で、てっきり派手な格好をしているんだろうと思っていたので少し意外だったが、よく考えればセルフコーディネートというやつだろう。
「で、なんか用?」
「用がなければ話しかけちゃいけないですか?」
「理由もなく人に話しかけないだろう、お前は」
「お兄さんは私のことなんだと思ってるんですか?」
「お兄さんとか呼ばないでくれる? 虫酸が走るんだけど」
「相変わらず口が悪いというか、気持ち悪いしゃべり方しますね、まったく」
と平野はお返しとばかりにさらりと毒を吐いたあと、
「あ、そうそうお兄さんが片思いしてる相手って、やっぱりあの人ですよね? よく予備校で一緒にいるちょっとボーイッシュな感じの」
と続けた。
心臓をがっしりと鷲づかみにされたような心地がしたことは言うまでもない。
この頃、悪魔女を予備校で見かけることが多かった。見かけるということは、向こうもこちらを見かけているということだ。
何とか誤魔化そうと、「違うよ。誰それ?」と真顔で言ってみせたが、無駄だった。
平野は悪魔的な微笑みを浮かべながら、「富永凛さんでしたっけ? 幼馴染なんですよね、ミライ君に聞きましたよ」と微笑を浮かべた。もう裏は取れているらしい。
仕舞いには、
「別に悪いようにはしませんよ。むしろ応援してあげますって。今度、四人でダブルデートに行きましょう」
と本当に悪魔のような甘言を垂れ流し始めた。
大の苦手な二人と大好きな人と、計四人でダブルデートなんて、新手の罰ゲームでしかない。俺はダブルデートという行為の難易度の高さや費用対効果について思いつく限りの持論を並べ立てたが、平野は頑として譲らなかった。挙句、リンにあることないこと話すと脅迫してきたのでもうほとんど諦めた。
「なんでそんなに誘うんだよ? 二人で行けばいいじゃんか」
「ゴール前どフリーでもらったパスをオンゴールするくらいの空気の読めなさですね」
「どうやって敵のゴール前から自分のゴールに決めるんだよ?」
「そのくらいミラクルにアトモスフィアをリードできない人ですねって意味ですよ」
どうやら英単語帳で勉強した知識を使いたくなったらしい。俺は先輩として丁寧に、「アトモスフィアは大気だから。正しくはムードだから」と指摘してやったが、平野は不満そうに「はぁ、うぜえ。そうやっていつまでもうじうじしてたら、どっかのイケメンに取られちゃいますよ」と漏らすだけだった。
しかし、たしかにそれはその通りだった。田辺とかいう金髪野郎も言っていたが、リンは幼馴染のひいき目抜きに可愛い。大学なんていう下半身に脳味噌まで乗っ取られたような連中がそこらじゅうを闊歩している空間に行く前に、少しでもリンとの関係を発展させておかねばならないということは常々考えていた。
「それは……そうかもな」と諦めた俺が渋々答えると、平野は満足げに笑った。
「よし、じゃあオッケーってことで。このあいだ模試あったじゃないですか、その打ち上げってことで誘えばいいんですよ。何なら私が誘ってあげますから」
平野はその後、デートについてのアドバイス、というより俺へのダメ出しをすると、達成感に満ち満ちた表情で去っていった。
『ミライの彼女? いいよ、会う会う。動物園? いいね、やっぱたまには息抜きしなきゃ。最近勉強漬けで頭がおかしくなりそうだったんだよぉ』
半ば断ってくれればいいのにと思っていた俺の期待を裏切り、リンはそんな調子で即座に動物園へ行くことを了承した。そう、リンはあくまで動物園に行くことを了承してくれたのであって、デートに行くことを了承してくれたわけではないのだ。
俺は一つ、自分の脆弱な自尊心を守るための言い訳を思いついた。
よくよく考えてみれば、これは互いを異性と意識している者同士がお互いの相互理解を深めるために行う「デート」などでは断じてなく、単に知り合いが四人で遊びに行くだけの「交流会」に過ぎないのである。
田辺の言葉を思い出し、格好の建前を与えてくれた平野に対して、俺は少し感謝をし始めていた。




