第一話 130kgの通知
深夜2時、出張先のホテルでスマホが震えた。
枕に巻かれていた紙の帯をサイドテーブルに置いたまま、画面を見る。
『異常荷重を検知:130kg』
モニター用アプリの通知だった。うちの2階のトイレには、勤め先のハルセラが来春に出す温水洗浄便座が付いている。
発表済みのモニター機で、名前はルメト。商品企画の社員モニターとして、3か月前に自宅へ設置した。
体重センサーの定格は125kgまで。荷重の遠隔通知は、今週のファームウェア更新で解禁されたばかりの機能で、これが初めての一通になる。
アプリに登録しているのは私だけだ。雄介は、あの便座が座った人の重さを記録していることを知らない。
私は60kg。夫の雄介は85kg。
この家に、130kgの人間はいない。
*
雄介に電話をかけた。呼び出し音が長く続いて、ようやくつながる。
「……どうした」
低い声。息が少し上がっている。
「起こした?」
「いや、まあ。何、こんな時間に」
「今、どこにいるの」
半秒、間があった。
結婚して7年になる。この人は嘘をつく前に、一度だけ息を止める。
「どこって、実家だよ。明日は兄貴の墓参りだろ」
雄介の兄の宗悟さんは、5年前に事故で亡くなった。春のお彼岸には、雄介は毎年300km先の実家へ帰る。
「お義母さんは?」
「寝てるよ。もう何時だと思ってんだ」
「家には、いないのね」
「いないよ」
今度は早かった。
「そう。さっき、そっちで物音がした気がして」
「物音?」
「ドアが閉まるみたいな」
「山のほうは風が強いんだよ。風の音だろ」
雄介が笑う。私も合わせて、短く笑った。
「それより、そっちはどうなんだよ。展示会、明日までだっけ」
「明後日まで」
「じゃあ、ゆっくりしてこいよ」
受話口の奥で、小さな声がした。
「ママ……」
子どもの声だった。
「今の、子ども?」
「は? 何が」
「子どもの声がした。ママ、って」
「テレビだよ」
「お義母さん、こんな時間にテレビをつけてるの?」
「隣だよ。隣の家の。田舎は壁が薄いんだって」
「お隣、去年からおじいさんの一人暮らしだって言ってなかった?」
「孫が来てるんだろ、彼岸なんだから」
声が一段、高くなる。
「美里、夜中に電話してきて何なんだよ」
「取り調べ? 夫婦に信頼もないの?」
「聞いただけ」
「聞き方があるだろ。こっちは明日、朝から墓の掃除なんだよ」
「ごめん」
「もう寝るから」
通話はそこで切れた。かけ直さなかった。
代わりに、リビングのカメラのアプリを開く。読み込みの輪がしばらく回って、灰色の文字が出た。
『デバイスはオフラインです』
再読み込みを三回押した。三回とも、同じ文字が出た。
このカメラはよく落ちる。そのたびに雄介は「Wi-Fiが弱いんだよ」と言った。
モニター用アプリに戻ると、便座は通信していた。同じ家の、同じ回線で。
止まっているのは、カメラだけだ。
*
ログの画面を開いた。細いスクロールバーが、右端で米粒ほどに縮む。
設置から3か月。130kgから132kgの記録が、37回あった。
『火 23:41 131kg 継続 26分 深層洗浄(手動)』
『木 14:05 130kg 継続 17分 深層洗浄(手動)』
『土 0:12 132kg 継続 54分 深層洗浄(手動)』
短いもので17分、長いもので54分。どの行の末尾にも、同じ「手動」が並んでいる。
用を足すだけなら、17分は長い。終わるたびに、誰かが洗浄のボタンを押していた。
手帳を開いて、日付を一つずつ並べる。
最初の一回は、3か月前の火曜。私は地方の展示会に出ていた。
その次は、父の命日。私は朝から寺へ行き、夜まで家を空けていた。
この家を建てたのは父だ。脱衣所の、父が選んだ洗面台の木の縁を思い出す。
三つ目の日付で、指が止まった。
お義母さんが検査入院した夜だ。私は病院の折りたたみベッドで、朝まで付き添っていた。
その夜の行にも、132kg。継続38分。
点滴の落ちる音を数えながら、私はお義母さんの寝返りに合わせて毛布を直していた。
一拍置いてから、画面を下へ送る。
残りの日付も、私が家にいなかった日ばかりだった。時刻は深夜0時や1時、平日の午後もある。
今夜、私は出張先にいて、雄介は実家にいることになっている。
*
デスクの引き出しから、ホテルのメモ帳を出して一枚破った。ボールペンのインクが、最初の一画でかすれる。
130と書く。その下に、雄介の85。
線を引いて、引き算をした。
45。
130kgの人間が座ったのではない。
二人が、同時に座っている。
85kgと、45kg。




