第8話:お弁当は甘い罠
――シーン1:地獄の調理実習――
「……嘘でしょ。これ、どうやって剥くのよ」
あたし――白雪さくらは、家庭科室の調理台の前で、一個のジャガイモを敵のように睨みつけていた。
今日の授業は調理実習。メニューは肉じゃが。
かつての「俺」なら、料理なんて母親か、あるいは亡くなった恋人のさくらに任せきりだった。包丁なんて、バレー部の合宿でスイカを切った時以来触っていない。
「さくら、包丁の持ち方が物騒だよ! それじゃリンゴの皮剥きじゃなくて暗殺者の手つきだってば」
隣で器用に人参を乱切りにする佐倉ゆきなが、あきれたように笑う。
「うるさい……わね。あたしは不器用……なのよ」
必死に「お淑やかな女子」の声を作りながら、あたしはピーラーを手に取る。
だが、その時。
「……貸してみろ」
背後から低くて落ち着いた声が聞こえ、あたしの手からピーラーが奪われた。
一ノ瀬久遠だ。
――シーン2:一ノ瀬久遠の「中身」――
一ノ瀬は無言のまま、あたしの代わりにジャガイモを手に取ると、驚くほど滑らかな手つきで皮を剥き始めた。
「え、一ノ瀬くん、すご……」
「一人暮らしが長いからな。慣れているだけだ」
彼は周囲の女子たちの黄色い悲鳴を無視して、黙々と作業を進める。
あたしは彼の隣で手持ち無沙汰になりながら、その横顔を盗み見た。
鋭い瞳。でも野菜を切る手つきはとても丁寧で……なんだか不思議な感覚。
(あたし、今……あいつの手を見て『綺麗だな』って思った……?)
心臓がドクンと跳ねる。
これは男としての「技術への感心」じゃない。
この体が勝手に熱を持ち、頬が赤らんでいくのがわかる。
「元男子」のあたしにとって、男を意識するなんてあってはならないことなのに。
「……白雪。あんた、指、切ってるぞ」
「え?」
見ると、左手の人差し指から小さな血の玉が浮いていた。いつの間にか刃先が触れていたらしい。
「あ、これくらい……大丈夫……だわ」
あたしが強がろうとした瞬間、一ノ瀬があたしの手首を掴んだ。
大きな熱い手。
そのまま彼は、あたしの指を口に――。
「……っ!? な、何、してるのよ!」
あたしは顔を真っ赤にして手を引き抜いた。
一ノ瀬は平然とした顔で、ポケットから絆創膏を取り出した。
「唾液には殺菌作用がある。……女子なら、もう少し自分の体を大事にしろ」
「女子なら」という言葉が、あたしの胸にチクリと刺さる。
あたしはただの「器」としてこの体を守っているんじゃない。
一ノ瀬は、あたしを一人の女の子として扱おうとしているのか。
――シーン3:甘い罠の味――
放課後。あたしは一人、屋上の片隅で一ノ瀬を待っていた。
手には実習で作った余りの材料で、ゆきなに手伝ってもらいながら必死に作ったお弁当箱。
「お礼よ」と言って渡すつもりだが、中身は不格好なジャガイモばかりだ。
「……待たせたな」
一ノ瀬がやってくる。あたしは逃げ出したい衝動を抑えて、お弁当箱を差し出した。
「これ……。今日のお礼……かしら。口に合うか分からない……けど」
一ノ瀬は少し驚いたような顔をして、それを受け取った。
彼は蓋を開け、あたしが作った不揃いな肉じゃがを一つつまみ、口に運ぶ。
「……甘いな」
「え、砂糖、入れすぎた……?」
「いや。……悪くない」
彼はふっと、今日初めて少しだけ柔らかい表情を見せた。
その笑顔を見た瞬間、あたしの中で何かが音を立てて崩れた。
男としてのプライド。秘密への恐怖。
それらがどうでもよくなるくらい、この胸のときめきは本物の恋に似ていた。
だが、一ノ瀬の次の言葉があたしを現実に引き戻した。
「……白雪。如月博士から渡されているサプリメント、あれはもう飲むな。あれはあんたの『心』を殺すための薬だ」
「……え?」
夕闇が迫る中、あたしの手元でスマホが震えた。
如月博士からの通知。
『検体さくら、夜のメンテナンスを20時から開始する。遅れるな』
一ノ瀬久遠の真摯な眼差しと、博士からの冷酷な命令。
あたしは手元のお弁当箱が、急にひどく重く悲しいものに感じられていた。
あたしが惹かれているのは彼なのか。
それとも彼に「女子」として見られることで得られる、偽りの安らぎなのか。
お弁当の甘い味の裏側で、毒のような真実が静かに回り始めていた。
(次回予告)
一ノ瀬の警告。博士の冷酷な検診。
あたしの身体に現れる「拒絶反応」。
さらにパジャマパーティーに誘われたあたしを、
女子高生特有の「恋愛トーク」の洗礼が襲う!
次回、第9話「女子だけのパジャマパーティー」
あたしの正体、ついにバレちゃうの……!?




