第25話:白雪の朝(あした)
――シーン1:真っ白な目覚め――
カーテンの隙間から眩しいほどの朝陽が差し込んでいる。
あたし――白雪さくらは清潔なシーツの感触を確かめながら、ゆっくりと身体を起こした。
窓の外には穏やかな街並みが広がっている。かつての殺伐とした戦いも、地下研究所の消毒液の匂いも、今のあたしには遠いお伽話のように感じられた。
「……また、この夢」
鏡の前に立つ。そこには透き通るような銀髪と、少し憂いを帯びた瞳を持つ少女が映っていた。
あたしは自分の胸に手を当てる。
あの日、記憶をリセットしてから数週間。あたしの中には自分を「俺」と呼んでいた感覚も、 shadow、激しく誰かを求めていた熱狂も、もう残っていない。
あたしは、ただの白雪さくら。
何者でもなく、何者でもあった、ただの16歳の女の子。
――シーン2:知らないはずの温もり――
「さくら。……起きたのか」
リビングへ行くと、そこには一人の少年が立っていた。
一ノ瀬久遠。
あたしを救い、あたしのために自分の心を殺そうとした人。今のあたしにとっては命の恩人であり、けれど同時に「少し距離のある同居人」だ。
「……おはよう、久遠くん」
あたしの挨拶は自分でも驚くほど落ち着いていた。
久遠は一ノ瀬、寂しそうな、けれどどこか安心したような顔をして朝食の準備を続ける。
「今日は学校へ行けるか? 無理しなくてもいいんだぞ」
「ううん、大丈夫。……いつまでも止まったままじゃいられないから」
テーブルを挟んで向かい合う。
かつては、この沈黙さえも甘く、あるいは痛かったはずなのに。
今のあたしには彼の不器用な優しさが、どこか遠い場所から届く光のように思えた。
――シーン3:失われたピースを探して――
登校する道すがら、あたしは街の景色を眺めていた。
ふと、神社の石段の前で足が止まる。
(……ここ、誰かと来た気がする)
夏祭りの記憶。
浴衣を着て誰かと手を繋いで花火を見上げた……そんな輪郭のぼやけた絵画のような思い出。
けれど、その隣にいたのが誰だったのか、その時あたしがどんな気持ちだったのか、核心の部分だけが「白雪」のように真っ白く塗り潰されていた。
「……さくら!」
後ろから、バレー部のジャージを着た佐倉ゆきなが走ってくる。
彼女もまた研究所の崩壊後、一人の生徒として学園に戻っていた。
「あんた、またぼーっとして。……どう? 昨日の予習、分かった?」
「ゆきな……。うん、なんとか」
ゆきなはあたしの肩に腕を回す。かつては「監視役」だった彼女だが、 shadow、今はあたしの欠落した記憶を埋めるように一番近くにいてくれる。
彼女が時折見せる申し訳なさそうな視線を、あたしは気づかないふりをして受け入れていた。
――シーン4:再会の再会――
放課後の屋上。
あたしは一人、オレンジ色に染まる街を見下ろしていた。
背後で扉が開く音がする。振り返らなくても分かった。久遠だ。
「……さくら。記憶のことなんだが」
久遠はあたしの隣に並び、手すりに体重を預けた。
「無理に思い出そうとしなくていい。俺が……俺が、勝手にあんたに押し付けたんだ。おまえを救うために、おまえの大切なものを奪った。……俺を恨んでくれてもいいんだぞ」
あたしは、風に舞う自分の銀髪を耳にかけた。
そして、彼の方を向き、小さく微笑んだ。
「恨むなんて、そんなこと……。あたしは今、こうして生きてる。あなたが守ってくれたこの空を見ることができてる。……それだけで、十分だわ」
「……さくら」
「底ね、久遠くん。……記憶はなくても身体は覚えてるみたい」
あたしは彼の手のひらをそっと自分の頬に当てた。
記憶はリセットされた。あたしの中の「俺」はもういない。
けれど、彼の手が触れた瞬間、胸の奥で小さな火花が散ったような気がした。
それはプログラムではない。新しい「あたし」が初めて自分の意志で感じた、かすかな、けれど確かな愛の予感。
「……また、一から始めればいいわよね。あたしたちの名前を」
久遠の瞳に初めて涙が浮かんだ。
長い長い悪夢のような夜が明けようとしていた。
次回予告
すべてを乗り越えた先に待つ、最後の選択。
白雪さくらとして生きる決意をした少女と、
彼女を一生守り続けると誓った少年。
あの日、交差点で失われた「本当の名前」とは……。
次回、最終回「白雪さくら」
――さあ、新しい自分に、会いに行こう。




