第24話:記憶の逆流
――シーン1:最終実験の火蓋――
如月研究所、地下100メートルの最終実験場。
無機質なシリンダーの中に、あたし――白雪さくらと一ノ瀬久遠は対になるように配置されていた。
「人格統合率、100%。バイパス演算、安定。……さあ、始めよう。人類が『魂』の制約から解き放たれる、歴史的な瞬間だ」
如月博士の狂気に満ちた声が、スピーカー越しに震えている。
あたしの脳には無数の端子が接続され、久遠の「外部脳」としての演算があたしの神経を鋼鉄のように冷たく塗りつぶしていく。
(……今よ、ゆきな!)
あたしは心の中で叫んだ。その瞬間、実験場のコンソールが火花を散らした。
「なっ、何だと!? 外部からの不正アクセス……逆転プログラムだと!?」
博士の驚愕の声。それこそが、佐倉ゆきなが命を懸けて仕掛けた「最後の一葉」の起動の合図だった。
――シーン2:摩滅する「俺」――
「あ、が……あああああッ!!」
凄まじい衝撃があたしの脳を直撃した。
バイパスが強制的に逆流し、久遠から流れ込んでいた演算負荷が濁流となってあたしの精神を押し流していく。
それと引き換えにあたしの中の「記憶」が、古いフィルムが焼けるように端から消滅し始めた。
(……消える。消えていく……)
放課後の部室の匂い。
「俺」という名前を呼んでいた友人たちの声。
男として生きていた、あの退屈で、 shadow、輝いていた日常。
それらが泥のような暗闇に飲み込まれていく。
『……さよなら。もう一人の、わたし』
脳裏で少女の姿をした「白雪さくら」が、あたし――「俺」に向かって手を振っていた。
彼女の瞳にはかつての憎しみも悲しみもない。ただ、一人の人間として完成しようとする静かな決意だけがあった。
――シーン3:久遠の覚醒、さくらの消失――
「……さくら……っ! さくら!!」
不意に目の前のシリンダーを叩く音が聞こえた。
顔を上げると、そこには空虚な瞳を捨て、必死にこちらを呼ぶ久遠の姿があった。
リセット・プログラムによって、彼の魂は「外部脳」という監獄から解放されたのだ。
「……あ、……くおん、くん……」
あたしの声は掠れて消えそうだった。
久遠が戻ってきた。あたしの望みは叶った。
けれど、彼を見つめるあたしの心には、もうかつての「熱」が残っていない。
(……だめだ。思い出せない。……この人があたしにとってどれほど大切だったのか。……どうしてあたし泣いてるの……?)
久遠との甘い時間。彼を守ろうとした決意。
それらが一つ、また一つと、指の隙間からこぼれ落ちる砂のように消えていく。
最後に残ったのは、ただ「一人の少女」としての空っぽの虚無感だけだった。
――シーン4:崩壊の序曲――
「おのれ……よくも私の実験を……!!」
激昂した博士が、非常用自爆装置のレバーに手をかけた。
研究所全体に赤色の警報ランプが回転し、重低音のサイレンが鳴り響く。
「ゆきな! 早く逃げろ! ここはもう持たない!」
久遠が駆け寄り、弱り切ったあたしの身体を抱き上げる。
瓦礫が降り注ぎ、炎があたしたちの退路を塞ぐ。
「……離して。……あんた、誰?」
あたしの口から漏れた冷たい言葉に、久遠が絶望的な表情を浮かべた。
けれど、彼はあたしを抱く腕の力を決して緩めなかった。
「誰だっていい! あんたが俺を忘れても……俺はあんたを絶対に離さない!!」
崩れ落ちる研究所の深部。
愛を失った少女と愛を取り戻した少年。
二人の運命は文字通り「無」へと還ろうとする崩壊の渦に巻き込まれていった。
次回予告
崩壊する研究所からの脱出。
しかし、記憶を失ったさくらは久遠を「拒絶」してしまう。
すべてを失った少女が見つける、最後の「自分の居場所」とは。
次回、第25話「白雪の朝」
何もなくても、あたしはここで生きていく。




