第14話:女の子としての自覚
――シーン1:鏡の中の「侵食」――
夏祭りの翌朝。逃亡先の古いアパートの洗面所で、あたし――白雪さくらは鏡を凝視していた。
「……あたし、だ。……あたし、なんだわ」
口をついて出る「あたし」という一人称に、もう躊躇いはない。
むしろ「俺」と言おうとすると、喉の奥が拒絶反応を起こすように詰まってしまう。
鏡に映る銀髪の美少女は、祭りの夜に久遠に見つめられた時の余熱を帯びているのか、どこか艶っぽい。
あたしは震える手で自分の胸元に触れた。
ブラジャーの締め付けに安心し、スカートの揺れに自分の居場所を感じる。
肉体の感覚が、精神という「上書きされた記憶」を完全に飲み込もうとしていた。
「……あたしの中の『俺』。あんたどこに行ったのよ」
問いかけても、心象風景の中にいたはずの「短髪の少年」の影は、もうどこにも見当たらない。
――シーン2:久遠への「渇望」――
「……起きたか、さくら」
狭いキッチンで朝食の準備をしていた一ノ瀬久遠が、振り返る。
その何気ない呼びかけに、あたしの心臓は跳ね、下腹部の奥がキュッと熱くなった。
一人の「女の子」として彼を求めてしまう、本能的な反応。
「……う、うん。おはよ……久遠くん」
あたしは俯きながら彼の隣に並んだ。
久遠が味噌汁の味をみるために近づいた瞬間、彼の体温と男らしい肌の匂いがあたしの嗅覚を刺激する。
(……触れてほしい)
無意識にそう思ってしまった自分に愕然とする。
かつての「俺」なら、男に抱きしめられたいなんて天変地異が起きても思わなかったはずだ。
これは如月博士が言った肉体適応なのか。
それとも、あたし自身の心が選んだ恋なのか。
「……さくら? 顔が赤いぞ。熱でもあるのか」
久遠があたしの額に手を当てようとした。
あたしはその手を思わず両手で包み込んで、自分の頬に押し当てていた。
「……っ、さくら?」
「……久遠くん。あたし、怖い。……あたしが、あたしじゃなくなっていくのが怖いの。……でも、あなたに触れられると、そんなことどうでもいいって思っちゃう。……あたし、もう、女の子になってもいい……かしら?」
大きな手があたしの頬を優しく撫でる。
その感触に、あたしはとろけるような眩暈を覚えた。
――シーン3:静かなる変異――
午後。買い出しに出た久遠を待つ間、あたしは一人で部屋の掃除をしていた。
ふと、押し入れの奥に見慣れない黒いファイルを見つける。
(……これ、久遠くんの?)
中を開くと、そこには「白雪さくら・観察記録」という文字が並んでいた。
あたしの体調、言動、 shadow、「精神の女子化」のパーセンテージ。
「……嘘。どうして……」
手が震える。記録の最後には昨日――祭りの夜の日付があった。
『被験体さくら。久遠への恋愛感情の発露を確認。魂の定着率、95%を突破。間もなく完全統合に至る見込み』
「……久遠くん。あんたも、如月博士の……」
あたしはファイルを地面に落とした。
あたしの「自覚」も、この「恋心」も。
すべては管理された実験の過程だったのか。
一ノ瀬久遠という男は、あたしを救うヒーローではなく、あたしを完成させるための最後の部品だったのか。
――シーン4:割れた鏡――
パリンと洗面所から音がした。
あたしが駆けつけると、誰もいないはずの洗面所で、鏡が真っ二つに割れていた。
割れた破片のひとつに、あたしの顔が映っている。
けれど、その顔は笑っていなかった。
唇が動く。
『……あたしを食べないで』
銀髪の少女の幻影が鏡の奥からあたしを睨みつけていた。
あたしはたまらず自分の耳を塞いで叫んだ。
あたしは白雪さくら。
元男子のさくら。
それとも……久遠を愛するただの人形?
「……あたしは誰……っ!?」
夕暮れの部屋にあたしの悲鳴が虚しく響き渡る。
買い出しから戻ってきた久遠の足音が、死神の足音のように聞こえた。
(次回予告)
久遠への疑惑。深まる統合。
あたしの「心」はついに最後の一線を越えてしまうのか。
そんな中、あたしたちの居場所を突き止めた追っ手が、
かつてない冷酷な手段で迫りくる!
次回、第15話「久遠の告白」
あんたの言葉は、真実? それとも、偽りの旋律?




