【3】高嶺の花の「中身」~アラサーで恋愛経験ゼロなんて、誰にも言えない~ side:花梨
本日夕方にも更新します☆
昨夜の余韻が、まだ肌の奥に微かな熱を持って残っている。
南青山のデザイナーズマンションの一室、看板のないビューティーサロン。
花梨がオーナーを務めるこの場所は、完全予約制の隠れ家的存在。
訪れる客はモデルや女優といった芸能関係者か、その紹介者に限られている。
朝の光が差し込む施術室で、花梨は一人、リネンを整えながら大きくため息をついた。
(……なんで、あんなに普通に話しかけてきたんだろう)
西原優哉。今や日本中が熱狂するトップ俳優。
5年前の彼は、まだどこか幼さのある「後輩モデル」。
しかし、昨夜、パーティー会場で私を見つめたあの瞳は、完全に「大人の男」のそれで――
ふと顔を上げると、壁にかかった瀟洒なデザインの鏡に映る自分と目が合った。
◆
はたから見れば、私は「元人気モデルの成功した経営者」という、非の打ち所がないキャリアウーマンに見えるだろう。
叔母譲りのヘーゼル色の瞳、すらりとした手足。モデル時代は地毛の栗色とストレートヘアを活かしたワンレンのボブを維持していた。イメージは「ミステリアスでクール」。モデル時代のファンからは「karinさま」と呼ばれていたぐらい。
でも、本当の私は、29歳にして「恋愛経験ゼロ」。あまりにも印象とのギャップがすぎる。
中高は女子校だった。内向的で、もともと趣味や熱中することができるとそれに没頭しがちで、恋愛についてあまり興味もなかったのだ。
モデルになってからは、叔母という巨大な防波堤が「悪い虫」を全て蹴散らしてくれた。
引退後はサロン経営に没頭し、職人気質に技術を磨く毎日。 サロンの客はほとんどが女性だから、出会いもない。
もちろん、寄ってくる男の人は山ほどいた。
けれど、クールな見た目が作用して、ただ少しあしらうだけで、みんな「やっぱり高嶺の花だ……」と勝手に納得して去っていく。実際には、どうしていいかわからずただ黙っているだけだったりするのだが、それが「余裕のある拒否」に見えるらしい。意味がわからない。
でもそれでよかった。だって、「いいな」と思ったことは一度もないから。言い寄ってくる人の中には、俳優やモデルといった見た目がいい人も、会社経営者や投資家などのお金持ちも含まれていた。でもなぜか、まったく魅力に感じなかったのだ。
だから結果として、私は一度も男性と付き合ったことがない。
撮影以外で手もつないだこともほとんどないし、キスすら――――一度だけだ。
不安にならないこともない。でも、仕事はやりがいがあり楽しかったし、生活に何の不満もなかった。このまま一人で生きていくことだって、覚悟している。
それに、叔母のさくらも言っていた――
「いつかね、運命の人が現れたらわかるわ。この人じゃなきゃダメだって、そりゃもう夢中になるわよ」
彼女も長く独り身で華やかな業界を生き抜いていたが、ある時突然、謎の海外紳士と恋に落ち、あっという間に仕事を引退して結婚、海外に移住して周囲を驚かせた。
向こうへ行ってしまう日、空港で彼女は私にそう言ったのだ。
「だから何もなくてもいいのよ。その日を待って、あとは流れに身を任せるだけなんだから」
そんな日、来るのかな…。
ピンポーン。
インターフォンが鳴り、はっと我に返って時計を見る。
いつの間にか、予約の時間になっていたようだ。私はあわてて玄関へ向かった。
◆
「おはよーございます、花梨さん!」
本日の最初のお客様は、人気急上昇中の若手モデル、サキだった。いつも元気はつらつ、ギャルマインドがまぶしい。
「ねえ聞いてくれますー? もう最悪なんですけど!」
彼女は施術台に横たわるなり、愚痴を機関銃のように話し始めた。どうやら、気になっている俳優とのLINEのやり取りで悩んでいるらしい。
「彼、絶対にあたしのことキープだと思ってるんすよ」
「花梨さんなら分かりますよね? こういう時、どうやって男の心に火をつければいいんですかね?」
「 やっぱり、わざと突き放すべき?」
心に火をつける?
突き放す?
そんな高等なテクニック、私の方が教えてほしい…!
矢継ぎ早な話に内心、冷や汗を流しながら、花梨は当たり障りのない言葉を選ぶ。
「ええっと……そうね、自分の時間を大切にするのは良いことじゃないかな」
「自分の時間……。あぁ、そうですよね、 追わせる女は自分に投資するってことですよね…うんうん、そうかも。あたし、必死になりすぎてたかもしんない」
サキは勝手に感動して目を輝かせている。
「しばらく自分磨きして、ちょっと距離置くことにします!」
「うん、いいんじゃない?」
「でもマジで、俳優ってみんなクズじゃないですか?遊び人ばっか」
「そうなの?」
昨日の「再会」が、頭をよぎる。
「えー、あたしが悪いのかなあー。特に売れ出したらみんな調子乗るんすよ。とっかえひっかえで、キープ何人もいて、みたいな感じになりません?」
「そうかなあ」
「前付き合ってた俳優もそうだったし。モデル仲間もみんな俳優に泣かされてるんすよね。え、花梨さん、そういう経験ないですか?」
「そうねえ…」
あるわけがないが、ちょっと考えるふりをする。
「いやー、花梨さんはないっすよね。花梨さんみたいな美人に迫られたら、どんな男もイチコロ、即本命になりそうだもん」
「そんなことないよ」
「そういえば珍しく昨日、パーティー行ってましたよね?」
「え、何で知ってるの?」
「インスタにパーティースナップ載ってましたよ。花梨さんいる、めずらしーって。大物から口説かれたりしたんじゃないですか?」
優哉のことがちらつく。
でも、口説かれたわけじゃない。そう、一言二言話しただけ…
「……ただ、挨拶を交わしただけだよ」
「かっこいー! その『男に媚びない』スタンス、マジ憧れます」
違う、媚びる方法すら知らないだけなんだけど…
もちろん訂正もできないまま、サキは「花梨さんのアドバイス、深い……」とうなっている。
※
サキが帰ったあと、片付けをしていると、スマホが短く震えた。
あれ、サキちゃん忘れ物?次のお客様?
何気なく画面を見て、名前を見た瞬間、フリーズする。
message from:「ゆう」
(…優くん!)
速攻でメッセージを開く。
『昨日はありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった』
短いメッセージに、鼓動が少しだけ速くなる。
続けてメッセージが届く。
『急なんだけど』
『今週か来週、食事でも行かない? 花梨ちゃんとゆっくり話したくて』
『昨日、あまり話せなかったから』
鼓動がはっきりと速くなった。
食事。二人きりで?
(どうしよう。断るべき? )
それなりにこの業界のことは知っている。彼の今の人気、昨日のアイドルの女の子のあの視線…
『俳優ってみんなクズじゃないですか?遊び人ばっか』
『とっかえひっかえで、キープ何人もいて』
そうなのだ。ここ数年で人気が爆発した優哉のことは、常に業界でも話題になっている。地味に暮らしている花梨でも、噂はいやでも耳に入っていた。
やれ毎晩飲み歩いている、やれ毎晩アイドルや女優をとっかえひっかえしている、共演者に手を出したらしい、週刊誌に撮られたけど事務所が握りつぶした…などなど。
全部が全部、本当とは思えない。でも、いくらかの真実は含まれているだろう。
『お誘いありがとう』
ひとまず、それだけ送る。速攻で既読がついた。
断る理由はいくらでもあった。
(断ればこれで終わり。もう何も考えなくてもいい。でも――)
でも、花梨は、ただ単純に彼と話がしたかった。
一緒に仕事をしていた当時、彼は「俳優になるのが夢、アクション俳優として一流になりたい」とずっと言っていた。花梨は、きっとなれるとずっと励ましていた。本気で。容姿、身のこなし、センス。まだ粗削りだったけど、スターとして輝くための資質は十分にあるって、一緒に仕事をしながら感じていたから。
そして花梨の直感通り、彼は着実に人気と実力をつけた。スターへの階段を上り始めるところまで見届けることができた。
でもそのあとの5年間のことは、何も知らない。
だから、花梨は知りたかった。夢をつかみ、一流俳優の道を歩んでいる彼の考えていることや、いまの思いを聞いてみたかった。
これは単なる好奇心なのか、それとも…他の気持ちからなのかは、わからないけど。
花梨は短く答えた。
『よければ、ぜひ』
また速攻で既読がついた。と思ったら、メッセージが次々流れ込んでくる。
『やった!』
『来週の火曜は完全オフで』
『晩御飯どうかな?』
『焼肉でもいい?店予約する』
トントン拍子に決まっていく予定に、花梨は目眩にも似た感覚を覚える。
こうして、5年間止まっていた時計は、有無を言わさぬ勢いで再び回り始めたのだった。
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