【15】まさかの、純情
亀更新になってしまってすみません…!
インターフォンの音に弾かれたように立ち上がり、花梨は鏡の前で一度だけ深く息を吐いた。画面を消したスマホをサイドテーブルに置く。
重い足取りで玄関へ向かうと、そこには金髪のベリーショートをなびかせたリアが立っている。ロックTシャツに黒の細身のパンツ。あいかわらず不機嫌そうな、クールな表情。化粧もしていないが、そのたたずまいは抜群に美しい。
「いらっしゃい」
花梨の声に、リアは軽く顎をしゃくって答えた。何も言わないが、クールな瞳が少しだけ心配するように細められる。今、きっとあまり楽しい気分じゃないことは、さすがにリアに伝わってしまったと思った。
軽く雑談しながら、施術室に入り、着替えたリアがベッドに横たわる。花梨は無言のまま、彼女の背中にオイルを馴染ませようとしたとき――肘がサイドテーブルのスマホに当たり、派手に落ちてしまった。
『――ドラマの見どころ?…うーん、じゃあまず西原くんから言って!』 『え?俺?……』
静かな室内に、先ほどまで見ていた配信の続きが響き渡った。慌てたが、オイルを塗った手で拾い上げるのことはできない。とっさにタオルを取って手を拭き、拾い上げて消したが、会話はしばらく流れ続けた。さすがにリアもその声が誰なのか、わからないはずはない。
気まずい。
「…ごめん」
花梨が小さく言うと、リアはゆっくりと上体を起こし、冷ややかな、けれどどこか悲しげな視線を花梨に向けた。
「……これ、見てたの?」
「……ごめん。つい、気になって」
「もう一度言うけど、諦めな。あんたの世界を壊すだけ」
リアの言葉に、花梨は力なく頷いた。
「わかってる。……もう、会わないって電話で伝えたし」
花梨の自嘲気味な告白に、リアは鼻を鳴らし、再びベッドに顔を埋めた。
「……ほんと残念だわ。あんたの『初めて』が、結局あんな遊び人に取られちゃったなんてさ」
リアの何気ない言葉に、花梨は思わず動きを止めた。
「……え?」
「わたしもあんたが変な虫つかないように、けっこう守ってたんだけどな」
「いやちょっと待って」
「待ってほしいのはこっちよ。結局あたしが海外いる間にこんなことなっちゃってさあ」
「リア、違うよ」
「何が違うの?」
「取られたって言ったでしょ?何が?」
「何がって……。私に言わせる気?やることやったでしょって話よ」
「いや、ないよ」
「…は?」
「別に付き合ってるわけじゃないし」
「付き合ってるとか関係ないでしょ」
「いや、私は関係あるよ」
花梨の必死な否定に、リアは驚愕したように顔を上げた。
「…え?じゃあ、食事をして、バーで話しただけってこと? その日何もなかったとしても、そのあと何回も会ってるんでしょ」
「ご飯に行ってるだけだよ」
「…はあ?」
いよいよリアは身体を起こし、花梨に向き直った。施術直前だったから肌がむき出しだったが、そんなこともリアは気にならないらしい。
リアは花梨の瞳を凝視した。花梨が嘘をつけない性格であることも、彼女が本当の意味で「何も知らない」無垢な女性であることも、リアはよくわかっている。
「……本当なのね。手を出されてないの?言われてるけどあんたが拒否してるだけ?」
「何も言われないよ。たぶん、そういう魅力がないから、彼はその先に行こうと思わなかったのかもしれない」
花梨の自己評価の低い言葉を聞きながら、リアの頭の中では急速に計算が組み変わっていた。
あの西原優哉が?さんざん遊びまわり、特に何もしなくても女のほうが寄ってくる、あの男が?
そんな男が、二十九歳という「大人の女性」を相手に、何か月も食事だけで粘ってるって?
(…魅力がないから、なわけないでしょ)
リアは半ば感心、半ば呆れながら花梨を見た。花梨は何もわかっていない。
「……ねえ、花梨」
リアは先ほどまでの「諦めなさい」というトーンを捨て、少し考え込むような表情を見せた。
「何?」
「……離れるっていうより、今はちょっと、様子を見てみてもいいかもね。急ぐ必要はないかも」
「え? 急に?さっきは諦めろって……」
「とにかく、今はまだ結論を出さなくていい」
リアは自分だけで納得して、寝転がり、施術台での本来の姿勢に戻った。
「え、リア…?」
「施術お願い」
明らかに戸惑った様子ながらも、本来の真面目な性格と職業的な責任感から、花梨はすぐに切り替えた。
「わかった。じゃあマッサージからするね」
施術が再開する。花梨の的確で心地いいマッサージを受けながら、リアはひそかに決意した。
一度西原に会って、探りを入れてみるか、と。
<つづく>
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