第5巻:第4章 進化する攻防戦
「もうちょい右、もうちょい右……」
戦いのあった日の夜。ラクスでは壊された防壁の修復作業が行われていた。
崩された防壁に土が入れられ、作業員たちがスコップで平らにならしている。それを数人がかりで樽を何度も落として突き固めていた。この数人がかりで落としてる樽は、周りに持ち上げるための取っ手が付けられ、中に石が詰め込まれたものだ。それを20cmほど持ち上げて、そこからドスンと落とすことで土を固めているのである。
その作業をする防壁の上には、長さ1m半ほどの蒸気エンジンがいくつも置かれていた。それで発電機を回して強い明かりを作っている。アーク灯の強力な光だ。もっとも蒸気エンジンの出力は不安定なのか、アーク灯の明るさは不規則に変化し続けている。
また他にもアーク灯の光をレンズや鏡で一方向へ集中させる、強力なサーチライトも用意されていた。それが堀の外を照らして、不審者の接近を警戒している。
「蒸気エンジンは大きいと聞いてたけど、けっこう小さなエンジンもあるのね」
作業の続く現場に、メイベルがやってきた。一緒にナバルとキャロルも同行している。
「おお、これは聖女さま。おケガをされたそうですが、具合いは大丈夫ですか?」
そのメイベルを見つけたフランク市長が、わざわざ迎えに近づいてくる。
市長は作業現場近くに建てられた仮設テントで、作業の状況を見守っていた。同じ仮設テントではジェニフィが図面を引いている。製図係として現場に駆り出されたようだ。
「うん。ケガの方は魔法で応急手当てできたから大したことないわ。脇のところがちょっと赤くなってて、今になってズキズキしてるけどね」
「お祖父ちゃん。聖女さま、どうやら服のおかげで助かったみたいよ」
キャロルが右の脇腹を押さえるメイベルをチラッと横目で見て、そのように補足してきた。
「クモの糸で織った布が丈夫とは聞いてたけど、どうも弾が服を突き破れないほど丈夫だったみたいなの。それでね、服の焦げた場所と鎖骨の折れた状態から考えると、弾は上からこんな角度で当たったと思うわけよ」
メイベルの左肩に、弾が当たった時の焦げ跡が残っている。それを市長に見せたキャロルが、指で上から鋭い角度で落ちてくる弾の軌跡を描いてみせた。そのキャロルが、
「で、もしも聖女さまが普通の服を着てたら、弾は鎖骨のすぐ後ろにある小さな隙間を通って、心臓を貫いてたと思うわ。そうなったら、間違いなく即死よ。即死!」
ということを強調してきた。その言葉に、市長が目を丸くしている。
「だけど、布が弾を受け止めてくれたから、命は無事で済んだと思うの。だけど撃たれた衝撃までは防げないみたいね。それで鎖骨がポッキリと……」
「キャロルさん。その話は怖いから、もうやめましょう」
キャロルの話を聞いたメイベルが、ブルッと身震いした。何度も聞かされて、そのたびに今、命がある奇跡を思い知らされているようだ。だが、キャロルは話をやめず、
「それと右脇も危なかったわ。ここも撃ち抜かれてたら、肝臓を直撃よ。他の服だったら出血多量で、手の施しようがなかったと思うの」
と、状況を市長に伝えている。そんな話はもう聞きたくないと思ったのか、メイベルはキャロルの横から離れて防壁の隅まで駆けていった。そして、
「この服を贈ってくださった司教さまたちに大感謝です」
と、大聖堂のある方へ身体を向けて、大袈裟な素振りで感謝の祈りを捧げている。
そんなメイベルの姿を目で追う市長が、
「ふむ。それでは大事を取って、ごゆっくり休まれた方が良いと思いますが……」
と、心配そうな表情を浮かべる。
だが、祈りを終えたメイベルは市長の心配を余所に、また戻ってくると、
「すっご〜い。速ぁ〜い……」
と、カタカタと軽快な音を立てている蒸気エンジンに関心を向けていた。
「市長さん。この蒸気エンジンでは、馬車を走らせられないのですか?」
「それは無理です。力が弱すぎて、ほとんど走りませんよ。エンジンを小さくするだけなら、素人の技術者にもできますが、小さくすると大きさ以上に力が弱くなりますので、あまり使えないのです。実際、発電機ですら、なんとか回せてる程度の力ですから」
そう言って、市長がアーク灯を指差した。そのアーク灯は今も明るさは不安定だ。中にはチカチカと明滅してるものもある。ただ、そんな灯りがいくつもあるため、作業場所は平均した明るさで照らされている感じだ。
メイベルは防壁の崩された場所に寄って、そんな作業場所を見下ろしている。
「ふ〜ん。でも間に歯車を噛ましてギヤ比で力を増幅すれば、なんとか使い物になりそうね。乗り物としては意味がなさそうだけど……」
しばらく作業を見ていたメイベルが、不意に何かをひらめいたようだ。
「紙と書くものはありますか? ちょっと思いついたことがあるんだけど」
「それでしたら、あちらの仮設テントへどうぞ」
市長がジェニフィが図面を引いている場所を示した。
さっそく仮設テントへ行ったメイベルが、そこで空いているテーブルに紙を広げた。そしてそこに鉛筆で図を描き始める。
「聖女さま。それは?」
「土を固める機械よ。重りを持ち上げて、落とすだけの単純な機械だけどね」
そういうメイベルの設計した機械は、4分の3だけ歯のある歯車だった。その歯車が回って樽に石を積めた重りを持ち上げ、歯のないところへ来たら重りを支えるものがなくなって落ちるという単純な仕掛けだ。これで防壁の上から重りの樽を吊るし、下でロープを持つ2人が重りの落ちる場所を調整するというだけのものである。
「滑車を組み合わせれば、重い物を運び上げる吊り上げ機も作れるわ。それから力がなくても長く伸ばしたベルトを回せば、それで土を運ぶことも可能よ」
「おおお、それならば非力なエンジンでも、なんとか使えますね」
メイベルの脳裡に次々とアイデアが湧いてきた。それを見た市長が、
「そういう機械であれば、乗り物として動く速さは重要ではないので、自走式にするというのも『あり』ですね。場所を変えるたびに分解して運ぶのは大変です」
と、発明家の魂を刺激されて、隣で設計を始める。
2人ともイスには腰かけず、立ったまま図面を引くほどの気合いの入りっぷりだ。
「移動には無限軌道を使いましょう。これなら泥道でも走れますし、急な坂も登れます」
メイベルが簡単な図を描いて、機械の足回りを教えた。その技術思想を知った市長が、
「おおお、それが無限軌道というものですか。北には素晴らしい技術があるのですね」
と、初めて触れる知識に興奮している。
そこに革製の書類クリップを抱えたエミリオが駆けてきて、
「市長さま。技研から、回収された熱気球と銃火器に関する最初の調査結果が出ました」
と伝えてきた。それを聞いて顔を向けた市長が「伝えなさい」と短く言う。それを受けたエミリオが持っていた書類クリップを広げて、挿まれていた紙に目を落とす。
「まずは熱気球に関してです。熱気球に使われてる珪油バーナーですが。昨年までのものと比べて、格段に性能が上がってるようです。それと気球の上に窓が作られてまして、その開け閉めで上昇と下降がこれまで以上に素早く行えるのではないかと……」
「バーナーと窓ですか。サンスタグにバーナーの技術が盗まれたのは厄介でしたが、降下するための窓の技術も盗まれましたか。いや、これは独自に発明されたのかも……」
落ち着いた口調で状況を整理した市長は、これで戦争のやり方が変わったと感じた。
「それと銃ですが。サンスタグは後込め式の量産に成功したと思われます」
「後込め式の量産!?」
エミリオの報告に、市長の表情が一変して険しくなった。
「はい。今回回収された銃は6挺。口径の異なる2種類がありましたが、どちらも後込め式でした。しかも銃身以外のほとんどの部品が同じ規格で作られてまして、壊れても他の銃の部品がそのまま使えるようです。それと砲身の内側に、先込め式では邪魔になっていた螺旋の溝が刻まれてました。これにより命中精度が、かなり高くなったと思われます」
「後込め式のライフル銃が実用化されましたか……。これは厄介ですね」
市長が目を閉じて、「うむむ」と唸る。
「それから弾に関しても、新しい技術が使われてます。金属製の薬室のある弾が使われてまして、そこに大量の火薬が詰め込まれてます。すでに夜になったので射撃試験はできませんでしたが、射程は推定で200m以上になったのではないかと……」
「200m!? こちらの持つ空気銃の射程は60m……。サンスタグは威力のある火薬を開発しましたからね。有り得ない話では……」
実際には400mの射程があるが、その半分でも脅威的な数字だ。
もっともラクスの持つ空気銃も、これまでの銃の有効射程が20mしかないことを考えると、かなりの脅威である。
「市長さん。ライフル銃って?」
考え込む市長に、メイベルが疑問を投げかけた。
「ライフル銃というのは、砲身の内側に螺旋の溝を刻みつけた銃のことです。最初は砲身の内側にこびりついた煤を、撃つ時の爆風で効率良く掃除するために刻まれたものです。溝を螺旋にしたのは、まっすぐな溝では火薬の爆発が弾を撃ち出す前に溝を伝って抜けてしまうので、それを防ぐためです。ところが、この溝が撃ち出す弾に回転を与えるため、射ち出された弾はまっすぐ遠くまで飛ぶことがわかりました。この効果は銃や大砲を作る職人の間では、古くからよく知られていたことなのですが……」
「古くから知られてたの? そんなに効果のある技術なら、もっと普及してもいいと思うけど、そんな銃があるなんて、今、初めて聞いたわ」
「狩猟用の銃としては普及してます。というより、今では狩猟用の銃はほとんどライフル銃です。ですが、ライフル銃には戦場では使えない致命的な欠点があったのですよ」
「致命的な欠点!?」
メイベルが首を横に傾けて、市長の顔を覗き込むような仕種をする。
「これまで、弾と火薬は筒の先から奥に詰めてました。これを先込め式というのですが、砲身の内側に溝が刻まれていると弾を奥まで押し込む時の邪魔になって、次の弾を撃つまでに時間がかかるのです。弾が溝に引っ掛かってしまいますからね」
「ああ、なるほどね。戦場で時間がかかるのは命取りだわ……」
先込め式ライフル銃の抱える致命的な欠点。メイベルはその理由を理解した。
「他にわかったことは?」
「以上が、技研からの報告にあったすべてです」
市長の確認にエミリオがそう答えて、書類を1枚めくる。そして、
「それと本日の人的被害の報告がまとまりました」
と、次の報告を始めた。
「まず幸いなことに、ラクス、サンスタグ双方で、本日の戦闘による死者は今のところ出ていません。当方の負傷者数は、命の危険のある重体が2、全治に1か月以上かかる重傷が19、全治1か月未満1週間以上の軽傷が48。サンスタグ側は捕虜とした37名のうち、重体4、重傷26、軽傷5です」
「取り敢えず死者を出さずに済みましたか。しかし、久しぶりに重傷者が多いですね」
エミリオの伝えた被害の大きさに、市長が厳しい表情を浮かべた。その市長が、
「聖女さまも、大変に危ないところでしたし……」
と零して、メイベルの顔をちらりと見る。
「それと建物等の被害ですが……」
「報告はそこまでで十分です」
市長がエミリオの言葉を止めた。それで報告を終えたエミリオが、静かに革製の書類クリップを閉じる。
「熱気球の技術革新に後込め式ライフル銃の実用化。気球から落とされた爆弾は、たぶん新型火薬によるものでしょうから、今後は市民の被害も増えそうですね。今年の冬の犠牲者は、下手したら3桁……。それどころか4桁、5桁になるかも……」
そう零した市長が、手近にあったイスを手許に引き寄せた。そしてそのイスに腰かけ、星のまたたく空を見上げる。その市長の顔をジッと見ていたメイベルが、
「ところで市長さん。わたし、もっとも肝心なことを何も聞いてないんですけど……」
と話しかけてきた。
「肝心な……とは?」
「この戦争は、いったい何のための戦争なんですか? しかも、まるで冬の間しかやってないみたいなことを……」
「ああ、そのことですか」
メイベルの疑問に、市長が気持ちを切り替えるようにふっと小さく息を吐いた。そして、
「南アルテースの主導権争い……ですかね。南アルテースは昔から60以上の都市国家というか小国家に分かれてまして、それぞれが独立した主権を主張し合ってるのです」
と、落ち着いた口調で事情を語り始めた。
「まあ、都市国家が60以上あると言いましても、人口と経済力を備えたところは、大きい順にサンスタグ、ラクス、メルキア、セリアの4大都市ぐらいです。もっとも、ここラクスは昔から専守防衛を貫いてますし、メルキアは永世中立を通してます。当然、ラクスとメルキアの同盟都市や衛星都市も歩調を合わせています。なので南アルテースの主導権争いは、サンスタグとセリアの2都市間で……と言いたいところなのですが……」
そこまで言いかけたところで、市長がふうと大きな溜め息を吐く。そして後ろ髪をポリポリと掻きながら、
「問題をややこしくしてる要因は他にもあります。まずサンスタグはドラゴン教徒にとっての聖地で聖スタグ教会があります。しかし南アルテースの3分の2はソルティス教徒ですから、一番大きな都市であってもサンスタグにだけは主導権を取られたくない都市が多いのですよ。まあ、サンスタグにしてもソルティス教徒の多い都市に主導権を取られたくはないでしょうからね。それにドラゴン教徒は少数派ですから、話し合いになれば不利になるのは目に見えてます。なので、主導権は戦いで勝ち取るしかない状況なのですよ」
と、不愉快そうな口調で語って聞かせた。
「無理に主導権を主張しないで、どこかに休戦ラインは引けないのですか?」
「わしもそれが最善策と思いますよ。だからこそラクスやメルキアを初めいくつかの都市は、不毛な主導権争いから一歩退いているのです。とはいえ、世の中には戦争回避のための消極策を嫌い、困難でも積極的な行動こそが最善策と思ってる為政者がいますからね。おかげで、いつまで経っても小競り合いが終わらないのです」
メイベルの意見にそう答えた市長が、すっかり弱った表情を見せてくる。
「それともう1つ。ここラクスには、ソルティス教南方教会の中核──聖ラクス教会があります。そのためラクスが表立って主導権争いに加われば、嫌でも宗教戦争になってしまいます。かと言ってラクスが専守防衛を貫く今は、ソルティス教側の中核となる都市がないため、各都市がバラバラです。困ったことに、これが南アルテースの主導権争いを長引かせている原因にもなってるのですよ。だからこそサンスタグは早くラクスを陥とすことで、内戦を終わらせようとしてきます。しかしソルティス教側の都市には、そのような終わり方は認められませんので、サンスタグに徹底抗戦しています。これは悪循環というか八方塞がりというか。出口の見えない難しい問題なのですよ」
「はぁ、本当に難しい問題ですね」
話を聞いていたメイベルが、答えのない難問に表情をゆがめた。
「なんというか難しい話でしたけど、戦争の理由はわかりました。でも、どうして戦争は冬の間にしか起きないのですか?」
「それは簡単な理由です。農閑期だからですよ」
メイベルの疑問に、市長があっさりと答えてきた。
「農閑期……だから?」
「はい。春と秋は南アルテースでは農家が忙しいため、兵士が集まらないのです」
「兵士が集まらない? 都市ごとに軍隊を持ってるんじゃないの?」
「大きな国と違って都市は規模が小さいですからね。大勢の職業軍人を抱えたら財政が圧迫されます。だから、農閑期になってから人手を集めているのですよ。まあ、農閑期なら夏場もそうなのですが、夏は洪水の季節ですからね。戦争どころではないのです」
「はぁ、夏は洪水の季節……ですか。それに暑いですものね」
理由を聞いたメイベルが、あまりにも単純な理由に呆れた顔をする。そこに市長が、
「夏は春や秋よりも涼しいですよ。ここは北回帰線よりも南にありますから」
などということを言ってきた。
「それにピスク平原はけっこう標高の高い場所にありますから、一番暑い季節でもサクラスやサンルミネほど気温は上がりません。なので暑い季節が長いことさえ我慢できれば、けっこう暮らしやすい土地ですよ」
「冬になると戦争が始まるのに……ですか?」
「ははは、戦争は厄介ですけど、最近の何十年は夏場の洪水被害より小さかったので、市民の中には内戦を洪水と同じ災害としか思ってない人もいるのですよ。わしも今日のように大きな被害が出るまでは、あまり気にしてませんでしたし……」
そう語りながら、市長は設計に戻っていた。今、設計してるのは自走式の工作機械だ。
「こちらからは犠牲を払ってまで攻めることはないのですから、守りを固めることが最優先でしょう。それが一番被害を小さくする方法です」
「そういうもの……かしら……?」
市長の言葉に、メイベルが呆れたように息を吐く。そして、近くにあったイスに手をかけ、力が抜けたようにストンと腰を下ろした。
メイベルはしばらくの間、設計を続ける市長を見ていた。そのメイベルの視線が、おもむろに崩された防壁へと向かう。
修復された壁の高さは、すでに半分を超えている。工事は着々と進んでいるようだ。
「そういえば、市長さん。攻めてきた人たちが壁の下に取りついた時、すぐに反撃できなくて困ってたみたいですけど……」
工事を見ていたメイベルの脳裡に、昼にあった攻防戦の光景が浮かんできた。
「ああ、あの死角は大きな問題ですね。また今日のように強力な火薬で壊されないように、コンクリートやモルタルで補強することを考えないと……」
市長が設計図を描き進めながら、そんなふうに答えてくる。その市長に、
「コンクリートやモルタル!? それ、どういうものなんです?」
と、メイベルが気になる言葉を尋ねた。
「石灰や石膏を焼き砕いたもの……でしたかね。これをセメントといいますが、それに砂や砂利を混ぜて固めたものです。けっこう堅くて雨風にも強い素材です。このラクスではまだ市庁舎のみですが、サンスタグでは鉄を骨組みにした建物がいくつも建てられてます。レンガよりも壁を薄くできるので、何十階建てという高層建築が可能なのですよ」
「へぇ〜。そんな建築用の素材があるの……」
初めて耳にする建築用素材に、メイベルが強い興味を感じたようだ。その様子に気づいた市長が、
「そこを流れるフレキ川の上流に、剣の山脈があります。その山脈の一番南にあるプラスタ火山周辺から、かなり良質の石灰が採れるのです。そのため南アルテースでは、昔から建物にコンクリートやモルタルを使ってきたのですよ」
メイベルにセメント類の話を始める。
「ところが内戦が長引いたおかげで、フレキ川を下ってくる物資のほとんどが止まりましてね。プラスタ火山から採れるセメントも、ほとんどサンスタグで止まってしまうのですよ。で、メルキアが少量ながら南の交易ルートを使って仕入れてまして、ラクスは、そこからわずかな量を買い取ってるのです」
「うわぁ〜。戦争の影響が、そんなところにも出てるのね」
話を聞いたメイベルが、そんな声を上げた。それに市長が、
「そういう状況なので壁の補強は、あまり期待できないでしょうかね」
と零して、イスの背もたれに体重を預ける。
「でも、市長さん。壁を補強しなくても、横から反撃できるようにすれば、十分な対策になると思うんだけど……」
そう言ったメイベルが紙に壁を描いて、そこに張り出した場所を描き加えた。
「横から……ですか? なるほど、壁から張り出した場所を造れば、そこから壁に取りついた敵に反撃できますね」
メイベルのひらめきに、市長が身を乗り出してきた。
「あ、張り出して横から反撃できるようにするのは良いのですが、これでは張り出した場所の先に死角が……」
「それは張り出しの先をとがらせれば、死角はできないと思うんですよ」
「おお、それは名案ですね。これならば死角はなくなりますよ」
壁から鋭い三角形が張り出す構造。それがメイベルのひらめきだった。それならば死角が生まれず、どこからでも弓や銃を撃つことができる。
「問題は張り出しの長さと、造る間隔……よね」
「うむ。張り出しが大きすぎたり間を空けすぎると、矢や弾が届きませんからね」
張り出しのアイデアは良かったが、問題なのはどのように造るかだった。
「張り出しは、あまり大きくなくてもいいわね。でも、間は……」
「大弓ならば300m以上飛ばせますから、300m間隔で……。いや、その倍の600m間隔で、1つの壁に16か所もあれば……」
「聖女さま、市長さま。横から一言失礼します」
軍司令と思われる軍人が、2人の会話に割り込んできた。その軍人が、
「大変失礼ながら、今の会話を聞かせていただきました。聖女さまの張り出しの案は、大変に素晴らしいと思います。ですが、もし張り出しを造られるのでしたら、どんなに大きくても180mは超えないでいただきたく思います」
と、気をつけの姿勢で意見を加えてきた。
「180m? それ、何かあるの?」
「もちろんございます。射程の長い大弓やボウガンを使う際、敵まで十分に矢の届く距離であっても、ほとんどの兵は敵が180m以上離れると狙撃の任務以外では射たないことが知られております。たぶん、この心理は銃でも変わりないと思うのであります」
メイベルの質問に、軍人が気をつけの姿勢のまま答えてくる。
「それは面白い話ですね。それは大変に参考になる話を聞きました」
「はっ。参考にしていただければ、幸いであります」
市長の言葉に、軍人が敬礼してその場を去っていった。
「張り出しは壁から180m以上離れたところも死角と考えて……。でも、そんなに長く張り出さなくても十分だから、これは造る人に任せるということで……」
「ジェニフィ。そういうことだから、防壁の設計は任せるぞ」
市長がメイベルの描いた設計メモを取って、それをジェニフィに渡した。それであとの設計を丸投げされたジェニフィが、「お任せください」と答えて設計に取りかかる。
「もう1つ気になってたのは、お堀の向こう側にある広場ね。ここが平らだから、攻めてきた人たちが散らばったら、壁の上から反撃するのが一苦労だったように感じるのよ」
次にメイベルは、堀の向こう側の広場を問題にした。そこで敵が散らばってしまうと、なかなか対抗できなかった様子を思い出したのだ。
「それでね。お堀の向こう側を坂にしたらどうかと思うのよ。坂の傾きを壁の上と直線になるようにすれば、相手が散らばっても横にしか広がらないでしょ」
「おおおっ! 聖女さま、それはすごいところに目をつけましたね。なるほど、堀の前に傾斜を作れば守りやすくなりますね。あ、それにここに傾斜を作られては、敵が大砲を持ってきても、傾斜が邪魔になって……」
「あ、そんな効果もあるのね」
坂の案に、またも市長が興奮を覚えていた。
「ジェニフィ。傾斜の設計も任せるぞ」
「あ……。は、はい!」
またも設計を丸投げされたジャニフィが、目を丸くしていた。
「聖女さま。わしが気になってるのは、強襲揚陸艇の対策です。門を造ったり杭を打って水路をふさぐ作戦もありますが、それでは街に荷物を運ぶ妨げになります」
「あ、それは水路を、ちょっと曲げれば済むんじゃないかしら?」
市長の考えに、メイベルが簡単な意見を加える。
「ほとんどの船はゆっくり進むから、少しぐらい水路が曲がってても苦にならないでしょ。だけど、ムチャクチャな速さで突っ込んでくる船には……」
「なるほど。水路が少し曲がるだけでも、曲がれずに岸にぶつかりますか。しかし、そんな大掛かりな工事は……」
「工事の必要はないわ。水路の両側から土を落として埋めれば十分よ。水路が少しだけ狭くなるけど、元々水路は広いから、荷物を運んでくる船の邪魔にはならないと思うの」
「言われてみれば、その通りですね。なるほど」
市長が水路の簡単な図を描き、そこに両岸から交互に土砂を入れる場所を描いた。
「一応、浅くなってるから注意するようにと、旗や看板を立てた方が良いかもね」
「聖女さま。それならば杭や板で、まっすぐに進めないようにすれば十分なのでは……」
「あ、それもそうね。それに土砂なんか入れたら、またあとで掘り返すのが大変だわ」
市長の指摘に、メイベルが考えを軌道修正する。
「ジェニフィ。水路の方も任せるぞ」
水路の設計もジェニフィに丸投げされた。それで任されたジェニフィは、
「ぜ、善処しますわ……」
渡された設計メモを手に頬を引き攣らせている。
で、メイベルが仮設テントで設計してる間、ナバルは何をしてたかというと、
「次の土を持ってきたぞ」
手押しの一輪車で、崩された壁に入れる土を運ぶ作業を手伝っていた。
その頃、
「はっはっはっ。ブルーノ。遠慮しねえで、おめえも飲め!」
夜の川をさかのぼる船の上で、昼間ラクスを襲った兵士たちが酒盛りをしていた。
気球で生還した4人と、強襲揚陸艇で攻めてきた兵士100名以上だ。
サンスタグの兵たちは一度東へ退却し、そこで待っていた船に乗って帰るところだ。
「今日の戦いで、ラクスは昨年から何も変わってねえことがわかった。これなら新型気球と新型火薬だけでも、ラクスは十分に陥とせる。今日は5つの気球でラクスを攻めたが、サンスタグに帰りゃ100を超える気球があるんだ。しかも、まだまだ増えるぜ。それで何百って爆弾を落として、ラクスを一気に降伏させようじゃねえか」
「アスタ司令。強襲揚陸艇も、サンスタグに戻れば30艇あることをお忘れなく」
サンスタグの兵たちは、今日の戦果に上機嫌だった。
「お〜い、ブルーノぉ〜。おめえも飲めよぉ〜」
「おやっさん。すっかりでき上がってますね」
「おおよ。ラクスの守りは長いこと難攻不落って言われてたからな。今日はその守りに、でっけえ風穴を空けたんだぜ」
呆れた顔をするブルーノの肩に手をまわして、司令が白い歯を見せてきた。そして、
「しかも、今日はソルティスの聖魔導師まで倒したんだぜ。こんな目出度えこたぁねえ。酒が美味くてたまんねえぞ」
ご機嫌な顔でジョッキを高く掲げた司令が、そのまま倒れるようにブルーノにもたれかかってきた。そんな司令のご機嫌ぶりにうんざりした顔のブルーノが、
「おやっさん。かなり足に来てますね」
と言って、司令を元のイスに座らせる。
「そんなに飲んだら、次の攻撃の時に酒が残りますよ」
「心配はいらんよ。船がサンスタグに着くのは5日後だ。それからまた出撃の準備を整えて……。そうさなぁ、次の総攻撃は12日後ってとこじゃねえか?」
テーブルにジョッキを置いて、司令がまたニカッと笑った。
「早くて12日後って……。おやっさん。その間に守りを固められますよ」
「構わねえさ。たった12日かそこらで、対抗できる新兵器なんか作れねえよ」
豪快に言い放ちながら、司令が手酌でジョッキに酒を加える。そして、なみなみと注がれたジョッキをジッと見詰めて、
「う〜ん。ラクスを攻略する前にセリアを陥として、中継点を確保した方が……」
などと考え始めるが、そこでジョッキの中身をグイッと半分ほど飲み干すと、
「え〜い。考えるのなんざ、サンスタグに帰ってからでいいや。おい、おめえら、今日は祝い酒だ。サンスタグに着くまで、じゃんじゃん飲むぞ!」
いきなり思考放棄して、酒盛りをする兵たちに声をかけた。
それに応じるように、兵たちが大きな歓声を返してくる。ただ1人ブルーノだけは、
「おやっさん。5日間も飲み続ける気ですか?」
酔っ払いの相手はできないと、その場からそそくさ逃げていった。
それから、半月の時が流れた。
「は〜い。どんどん食べて、午後のお仕事も頑張ってね☆」
ラクスでは今も防壁の補強工事が続いていた。今は北側の堀から水が抜かれ、そこに細長い三角形の張り出しが造られているところだ。
工事している防壁の上には、いくつもの櫓が建てられている。その下には蒸気エンジン置かれ、工事に使われているようだ。また張り出しに向かって、蒸気エンジンでベルトの回る機械がいくつも伸びている。そのベルトで土を運んでいるのだ。おかげで10日ほど前まで使われていた一輪車は、今では荷運びの補助程度でしか見かけなくなっている。
その工事現場から少し離れたところに、仮設のテントがいくつも建てられていた。そこでメイベルは、作業員たちのための炊き出しを手伝っている。
ちなみにメイベルの着る修道服は、前の襲撃の時に着ていたものだ。ちゃんと洗濯はしているが、今でも左肩と右脇腹のところに撃たれた時の焦げ跡が残っている。メイベルにとっては命を救ってくれた服だ。その時の奇跡にあやかって、戦いの季節が終わるまでは着続けるつもりでいるらしい。焦げ跡は周りにいる者たちにとっても奇跡の象徴であり、誰にとはなく街を守る聖者の証と感じていた。そのメイベルが現場にいるだけで、いやが上にも作業員たちの士気を高める原動力ともなっている。もっとも、
「か、感激です。聖女さまによそってもらえるなんて……」
作業員たちの士気を高めるのは、メイベルの存在だけではなかった。
「う、美味え〜。まさか毎日、聖女さまの作られた賄い物が食べられるなんて……」
「ただの炊き出しなのに……。ホントに美味え〜……」
「これが宮廷料理人の味なのかぁ〜……」
「しかも、毎食メニューが違うんだぜ。信じられねぇ〜!!」
食事をする作業員の中には、味に大満足して涙を流してる者たちもいる。
人は食事の美味しさでも士気が上がるものだ。戦場においては食事の良し悪しが軍隊の強さになることもある。それほど人の心にとって、食事は大きな意味を持つのだ。
とはいえ、世の中は必ず良いことばかりではない。メイベルのいるテントの隣では、
「聖女さまがいるだけで、男の人たちのやる気が出るんだから、不思議よねぇ」
などと無駄口を叩きながら、若い修道女たちが炊き出しを手伝っていた。
「それさ、聖女さまの魔法じゃないの? ただの炊き出しだって、聖女さまがちょこっと手を加えると段違いに美味しくなるじゃない。きっと味つけにも魔法を使ってるのよ」
「そうそう。市長さまと一緒に新しい機械を設計してるのも、きっと魔法の力よ。あたしもちゃんと魔法を勉強しとけば、今ごろは万能の人になれてたのかなぁ」
少女たちの言葉には、かなりやっかみが雑じっている。どこにも物事を邪推したり悪意で受け取る人たちはいるものだ。
そこに洗った大鍋を持った赤い服の修道長が戻ってきた。その修道長が、
「あなたたち、聖女さまが魔法が使えるからといって、それで料理や設計もうまくできるものではありませんわ。魔法もお料理も設計も、聖女さまが努力を積み重ねてきた結果ですわよ。あまり優秀な人をやっかむのは感心できませんわ」
と言って、修道女たちの無駄口に釘を刺してきた。
「マ、修道長ヒルンド!?」
「すみません。別に変な意味で言ってたわけじゃ……」
注意された修道女たちが、慌てて修道長に頭を下げてきた。修道長はメイベルの聖女服を仕立てた布地3つの女性だった。修道長もここで炊き出しを手伝っていたのだ。
その修道長が洗ってきた大鍋をテーブルの上に置くと、メイベルのところへ行って、
「聖女さま。市長さまの設計された機械。試運転を始めるそうですわ」
ということを教えてきた。
「あ、ヒルンドさん。機械って、大きな土掻きの付いた機械ですか!?」
「ええ。土掻きといいますか、土掘りといいますか……」
メイベルの確認に、修道長が笑顔で答えてくる。その修道長に、
「それじゃ、すみませんが、この場の交替をお願いします」
と言うと、メイベルは盛りつけ用のお玉を渡してテントから駆け出していった。
メイベルが向かったのは、いくつもの櫓の並ぶところだ。
「ジェニフィさ〜ん。もう試運転、始まってますかぁ〜?」
そこではジェニフィが、壁から下を覗き込んでいた。そのジェニフィを見つけたメイベルが、声をかけてその横に並ぶ。
「ええ、もう動いてますわ」
「ホントだ。ちゃんと動いてるじゃない!」
壁の下──水の抜かれた堀の底に、大きな鉄の塊があった。それが足回りの無限軌道をカタカタと動かして、ゆっくりと進んでいる。
「ギア比を昨日の半分に変えたそうですわ。どうにか動いてますけど、遅いですわね」
「あはは。まあ、それは仕方ないんじゃない。問題は、ちゃんと土を掻けるかよ」
下で動いてる試作機は、一種のブルドーザーだった。今は土を掻く板が上がっていて、ただ進んでいるだけの状態だ。その試作機がゆっくりと走りながら、上がっていた土を掻く板を静かに下ろしていく。
そして、板が地面に下りた。試作機の前にある土を掻き集めながら、前へ前へと進む。
「これは成功かしら?」
「う〜ん。まだ気が早いんじゃない?」
試作機の前にある板に掻かれた土が、どんどんと盛り上がっていく。ところが、
「うわぁ〜。やっちゃったぁ〜……」
突然、バキッという破壊音を鳴らして、板を支えていたアームが折れた。それで板が下を向き、盛り上がった土に試作機が乗り上げていく。
『また失敗だぁ〜』
やがて試作機が止まり、中から市長が出てきた。その市長が壁の上にいるメイベルを見つけて、わざとらしく肩を上下させてみせる。
「今日は、ちょっと惜しかったですわね」
「でも、これはすごい進歩よ」
くすくす笑ったメイベルが、くるりと向きを変えて壁に腰を預けた。そのメイベルが、
「ところで、ジェニフィさん。そこのレールは、何をするの?」
と言って、グライダー滑走路の街の側を指差す。そこには枕木にレールを固定しただけの線路が、どこまでもまっすぐに伸びていた。線路の下には砂利などのバラストはなく、ただ太い木製の枕木が地面に直接置かれてるだけだ。
「市長さまに頼まれて、堤防の上に鉄路を敷きましたの。あとでここでも蒸気車を、試験で走らせる予定ですわ」
「そっか。市長さんの設計した蒸気エンジンの機関車も、そろそろ試験を始めるのね」
ジェニフィから目的を聞いたメイベルが、線路の先に目を向ける。線路上にはいくつかの台車が置かれているが、まだ機関車は完成してないのか見当たらない。
「ところで、聖女さま。鉄路というものは素晴らしいですわ。レールの上を走る台車を造ってみましたけど、たくさんの荷物を載せても軽く押すだけで動きますのよ」
「レールの上なら、馬車の20倍の量を運べるっていうものね」
台車の中には、レールなどを載せたままのものがあった。レールを敷く際、継ぎ足す現場まで資材を台車に載せて運んでいたようだ。
それを見ていたメイベルの脳裡に、ふと1つの疑問が浮かんだ。
「ところで、レールの幅がけっこう広いわね。あの幅はどうやって決めたの?」
「聖女さまの身長ですわ」
メイベルの質問に、ジェニフィが笑顔で答えてきた。それに、
「…………へっ!?」
と、メイベルが思いっ切り間抜けな表情を浮かべている。
「レールの幅を決める時、市長さまが聖女さまの身長でいいんじゃないかと仰いましたので、そのまま1,532mmをレールの幅としましたの」
「………………はゑっ??」
「市長さまが仰いますには、このレール幅をセイントゲージかメイベルゲージと呼んで、将来、国際的な規格にしようと……」
「やめてぇ〜、そういう決め方は……」
楽しそうに話すジェニフィの言葉に、メイベルが顔を真っ赤にして反対してくる。
その2人の上を左旋回するグライダーが通りすぎる。ナバルの操縦するグライダーだ。
「あはは。お祖父ちゃん、また開発に失敗したみたいね」
グライダーの後部座席にはキャロルが乗っていた。キャロルはナバルに操縦を教える指導教官として、一緒に飛んでいるのだ。そのキャロルが防壁の下で動けなくなった試作機を見て、楽しそうに声を出して笑っている。そして、
「勇者さま。次は右に旋回してください」
と指示を出した。それで「了解した」と答えたナバルが、言われた通りにグライダーを右に旋回させる。だが、
「勇者さま。機体を傾けすぎです。これでは高度の無駄遣いですよ」
「じゃあ、このぐらい……かな?」
「ああ、今度は戻しすぎです。機体が横滑りしてますよぉ〜。失速しちゃうよぉ〜!!」
機体の傾きが小さくて、グライダーが横滑りを始めた。
飛行機が向きを変える時、方向舵で機体の向きを変えただけでは横滑りしてしまう。同時に機体を傾けないと飛ぶ方向は変わらないのだ。ところが機体を傾けると、その分だけ高度が失われてしまう。飛ぶ高さがエネルギー源であるグライダーにとって、旋回時にどれだけ高度の無駄遣いを小さくできるか。それが飛行距離と時間を伸ばす大きな勘所だ。
ナバルは形だけは操縦しつつも、このあたりの勘所に悩まされているらしい。
「あ、フェレラさんだわ」
ナバルに操縦を教えてるキャロルが、ラクスに向かって飛んでくる女性魔導師を見つけた。また人間の姿に変身して、遊びにやって来たフェレラだ。
「フェレラさん。聖女さまの波動だけは、ホントにすぐに見つけられるみたいね」
キャロルには気づかないまま、フェレラがグライダーの脇を通りすぎた。そのフェレラが地上へ手を振りながら降りていく。その先にいるのは、聖女の黄色い修道服を着たメイベルだ。もっともメイベルは今、壁に腰を預けているため背中を向けている。だが、その隣にいるジェニフィがフェレラに気づいて、メイベルの肩を叩いてきた。
「メイベル。また遊びに来たぞ」
「フェレラ。いらっしゃ〜い」
壁の上に舞い降りてくるフェレラを、メイベルが元気に手を振り返して迎える。
「今日も人間社会の見学じゃ。最近はどんどん新しいものが出てくるので面白いぞ」
「ああ、でも、今日はちょっと惜しかったわね。もう少し早く来てたら、そこでまた新しい試作機が動くところが見られたのに」
フェレラと軽くパンと手を叩き合ってあいさつしたメイベルが、壁の下を指差して苦笑いを浮かべた。それで壁の下を覗き込んでだフェレラが、
「おや、また新しいものが作られていたのか。それは動くところを見たかったのう」
と、残念そうな顔をする。
「それよりもフェレラ、お腹すいてない? ちょうどお昼時だから、ここで工事してる人のために炊き出しが行われてるの。かなり多めに作ってあるから、フェレラがたくさん食べちゃっても、まだ余裕があると思うわ」
「おお、それはありがたい。人の姿になる魔法は魔力をたくさん使うからのう。すぐに食事ができるのは大助かりじゃ」
メイベルの誘いに乗って、フェレラがお腹のあたりを軽く手でなでる。その仕種を見たジェニフィが、思わずプッと噴いていた。
「それにしても、どんどん変わっていくのだな」
途中までメイベルについてきたフェレラが、立ち止まって街へ目を向けた。
爆弾で壊された建物は、今、建て替え工事中だ。周りに大きな足場が築かれ、壊される前よりも大きく立派な建物へと建て替えるようだ。
その建設現場に、大きなアームを持った吊り上げ機が使われている。メイベルの設計した蒸気エンジンで動く建設機械が、さっそく使われているのだ。それと同じものが、防壁の工事現場にも何台か使われている。
それらをしばらく眺めまわしたフェレラが、メイベルを追って仮設テントへ入った。
「あら、これはフェレラさん。いらっしゃい。さあ、どうぞ」
そこでは布地3つの修道長が、トレイに食事を盛っていてくれた。
「聖女さまのご友人と聞きましたので、山盛りにしておきましたわ」
「それはかたじけない。馳走になるぞ」
修道長に笑みを返しながら、フェレラが超大盛りのトレイを受け取る。
「それにしても、これは何の工事なのじゃ? 空から見てると、街からトゲが生えたみたいで、なんとも痛々しい姿じゃ。この前来た時より、トゲが増えてるようであるが」
立ったままフォークで魚の唐揚げを刺したフェレラが、修道長に工事の理由を尋ねた。
「戦争に備えて、街の守りを固めてますのよ」
「戦争に備えて? ここの人間も戦いが好きなのか?」
「好きではありませんわ。でも、攻めてくる人たちがいたら、嫌でも守らないと大勢の犠牲が出てしまいますもの。これは災害への備えのようなものですわ」
「なるほど。災害への備えと同じ……という考えもあるか。それは難儀じゃな」
呆れたように息を吐いたフェレラが、フォークで刺していた魚の唐揚げを頬張る。
「フェレラさん。今のこと、聖女さまにはお尋ねになりませんでしたの?」
「前にメイベルにも聞いたがのう、あまり答えたくないようじゃ」
「あらあら……。あまり口に出せることではありませんものね」
修道長が苦笑した表情を浮かべながら、視線をメイベルに向けた。その先ではメイベルが、炊き出しの責任者たちと夕食のメニューについて話し合っている。
その様子を見るフェレラが、今度はフォークで五目ご飯をすくいながら、
「それにしても、みなもよく働くものじゃな。人間は働き者じゃ」
と、感心したように零した。
「それは自分や家族の命が懸かってますもの。当然ですわ」
「うむ。それはわらわにもわかる。だが、それも2〜3日もすれば、気持ちが弱まると思うのじゃがのう。……あ、この味つけご飯は美味しいのう……」
フェレラの関心が急に五目ご飯に向かった。
と、その時、街の方から激しい半鐘の音が聞こえてきた。
「何の鐘じゃ?」
2口目を口に運びながら、フェレラが音のする方へ顔を向ける。その横を駆けて、
「この鐘の鳴らし方は……」
と言いながら、メイベルが仮設テントから飛び出していった。
聞こえてくるのは、4連打を2回、カンカーンカーンと変則的な鐘が1回、そしてふたたび4連打を1回。それを繰り返す鐘の音だ。それから少し遅れて、
『緊急警報。緊急警報。午後12時20分発表。ラクス北西20kmの地点に、所属不明の熱気球を発見。まっすぐにこちらへ向かっている模様。数は30以上。各自注意警戒されたし。繰り返す。緊急警報。緊急警報。午後12時20分発表。……』
広報用の大型スピーカーから、状況を伝えるアナウンスが聞こえてきた。
「メイベル。これは何事じゃ?」
トレイを持ったまま追いかけてきたフェレラが、メイベルに説明を求めた。
そのメイベルは、今は防壁の方へ顔を向けている。そこでは、
「水門を開けるぞ!! 下の者は急いで上がってこ〜い!」
吊り上げ機が水の抜かれた堀に下げられ、そこで作業していた人たちを壁の上へ引き揚げている。その吊り上げ機に乗って、市長も壁の上へ退避してきた。
「足場を崩せ!」
「水門を開けろ!!」
張り出しの建設や防壁の補強工事のための足場が崩された。そして全員が吊り上げ機で壁の上へ退避すると、水門が開けられて堀に水が流れ込んでくる。
崩された足場の板が水に流されていた。それが堀の底で土を運んでいたベルトにぶつかり、衝撃で横倒しになる。土に乗り上げた試作機は、そのままの姿で水に呑まれた。
空にいたグライダーの1機が、街の方へ飛んでいった。それが聖ラクス大聖堂のあたりまで飛び、旋回する機体から誰かが飛び出して市庁舎へ向かって降りていった。
それからほとんど間を空けず、広報用のスピーカーから、
『最新情報。午後12時26分発表。接近中の熱気球は、サンスタグの所属と確認。ただちに迎撃準備を始められたし。またフレキ川を下っている揚陸艇を多数発見。数は20以上。大規模な攻撃が予想される。反撃の判断は現場の指揮官に任せる。繰り返す。……』
注意を報せるアナウンスが流れてきた。
市庁舎へ舞い降りたのは、哨戒用のグライダーに乗っていた魔導師らしい。その魔導師を乗せていたグライダーは、街の上空から防壁へ戻ってきて、そこに作られた滑走路へ着陸しようとしていた。その間にも別のグライダーから重りを入れた紙が投げ落とされ、
『訂正情報。揚陸艇の数は26。繰り返す。揚陸艇の数は26。各自の奮闘を期待する』
また新しい情報を伝えてきた。
「戦いに参加しない者は、急いで街へ避難しろ!」
炊き出しをしていた女性たちを中心に、非戦闘員たちが防壁から後方へ逃れていく。
その間を縫って駆けつけてきた馬車が、
「市長さま。聖女さま。どうかお乗りください。市庁舎へ向かいます」
市長とメイベルを乗せて街の中央にある市庁舎まで退避させようとする。だが、
「わしはこの場に残る。責任者が後ろに下がってどうするか!」
市長は乗車を拒んできた。
「わたしも残るわ。わたしが守りを設計したんだもの。最後まで見届ける義務があるわ」
メイベルも乗車を断った。その言葉に、馭者が困っている。
「ジェニフィ。それから修道長ヒルンド。馬車にはきみたちが乗りなさい」
そう言う市長が、腕を腰の後ろで組んで馬車から離れていった。それに、
「市長さま。聖女さまが設計者の責任で残られると仰られるのでしたら、わたしも同じ理由で残りますわ」
ジェニフィも残ると言い出してきた。その言葉に市長が、
「このバカ者が……」
と、小さい言葉で呟く。
「では、市長さま、聖女さま。お気をつけて」
結局、馬車には布地3つの修道長の他、戦闘に参加しない女性や年配の技師が乗ることになった。その馬車が防壁を離れ、街へ降りていく坂を駆け下っていく。
「強襲揚陸艇が来たぞ!」
今回も先陣を切って攻めてくるのは、大河を下ってきた強襲揚陸艇だ。
それがフレキ川からラクスへ続く水路へ入ってくる。そして、長さ3km近くある直線の水路に入った揚陸艇から、次々と急加速してラクスに迫ろうとしてきた。
その様子を、メイベルがオペラグラスを手に見守っている。
「聖女さま。いよいよ来ましたわ」
「うまく防げるかしらね?」
先頭を走る揚陸艇は、すでに時速60kmを超える最高速度で疾走していた。水路には左右交互に障害物が作られているが、それは真ん中まで届かないように作られていた。船が直進する分には、邪魔にならないためだ。そのため先頭を走る揚陸艇は、障害など気にも留めないという感じで水路の真ん真ん中を疾走し続けている。ところが、
「うわ、やった……」
砂ぼこりを上げる風が水路に近づいてきた。その風に流されたのだろう。水路の真ん中からはずれた揚陸艇が、板の障害物に左正面から突っ込んでしまった。
当たった部分がグシャリと潰れた。そのまま板にめり込み、そこを中心に船体が回転していく。それで水路を塞ぐ形となった船に、後続の揚陸艇がぶつかって乗り上げた。
衝撃で先頭の揚陸艇が横倒しになる。乗り上げた揚陸艇は、その衝突で向きが変わり、水路から飛び出した。そして地面に激突し、乗っていた兵たちを撒き散らせていく。
そこに更に2艇がぶつかってきた。1艇はどうにか乗り越え、無事に着水して疾走を続ける。だが、もう1艇は水面に突き刺さるように着水して新しい障害物となった。最終的に事故に巻き込まれた船は8艇ぐらいだろうか。
それよりも大きな事故が、水路の後方でも起きていた。先行した艇の残した波の影響で、まっすぐに走れなかった艇が次々と障害物の餌食となっている。
「大惨事ですわ……」
この大戦果を、ジェニフィはあまり喜べる気分ではなかった。作戦が成功したということは、それだけ大勢の敵兵が被害に遭ったからだ。いくら敵とはいえ目の前で被害者が出る光景は、あまり気持ちの良いものではない。
しかし、そんなことを考えていられるのは、敵がまだ遠くにいて、自分が安全な時だ。
事故に巻き込まれなかった艇が、ついに大砲の射程圏内に入った。迎え撃つ大砲が火を噴き、水路の周りに水柱や土ぼこりを作る。それでも障害と激しい大砲の砲撃をかいくぐった艇が、1つ、2つとラクスを取り巻く堀に入ってきた。それらが防壁に沿って堀を進み、死角に艇を忍ばせようとする。だが、
「どうなってるんだ。これは!?」
艇を動かす艇長が、防壁の異様な光景に顔を蒼くした。
前の襲撃の時は防壁に取りつけば、そこが死角になっていた。だが、今回は防壁に取りついても、張り出した壁の上から何人もの守備兵たちが狙ってきている。
「艇長。あの隅はどうだ?」
「ダメだ。後ろから狙ってやがる」
上陸隊小隊長の意見に、艇長が首を横に振った。その艇長が壁の上を仰ぎ見ながら、静かに艇を進めていく。
防壁の上ではラクスの守備兵たちがずらりと並び、艇に銃口を向けていた。幸いなことに互いに顔の見える距離にいるためか、守備兵たちは攻撃をためらっているようだ。もっとも、誰か1人でも撃ち始めれば、連鎖的に攻撃が始まるような雰囲気だ。揚陸艇に乗ってる兵士たちには、生きた心地のしない瞬間である。しかも兵士たちは狭い空間に押し込められ、上陸開始まで身動きが取れない。攻撃が始まれば全滅は避けられないだろう。
「後続の援護はないのか?」
「わからん。仕方ない、戻るぞ!」
壁に取りつける場所がないと判断した艇長が、揚陸艇を反転させた。戻っていく艇を見て、守備兵の中にはホッとして銃を下げる者もいる。
だが、その艇は水路に戻ると、勢いをつけて浅瀬に乗り上げた。その浅瀬には援護をするはずの揚陸艇が先に乗り上げていて、兵士たちはすべて上陸している。だが、
「おいおい。冗談……だろ!?」
上陸隊の小隊長が外へ出て、どうして援護がなかったのか理解した。
堀の対岸には、ゆるやかな傾斜が造られていた。坂の長さは100m以上あるだろうか。坂の上に目を向けると、そこは防壁の上だ。坂の始まりから200mも先だ。守備兵たちが弓や銃を構えて、横に並んでいる様子が見える。
「隊長。これではラクスに近づけません」
「わかってる! こんなところで前進したら、無駄な犠牲を出すだけだ……」
部下の訴えに、小隊長がどうしたものかと考えあぐねる。
そこに大砲が撃ち込まれてきた。丸い砲弾が坂に落ち、弾みながら転がってくる。
思わぬ事態に、小隊長は固まっていた。砲弾は運良く小隊長のすぐ脇を弾んでいく。その弾は兵には当たらなかったが、揚陸艇の後部側面に激突して大きな穴を空けた。
「うわぁ〜……」
その衝撃で、上にいた艇長が弾き飛ばされた。当たった場所は蒸気ジェットエンジンのあるあたりだった。それがエンジンを壊したのだろう。少し遅れて激しく水蒸気が噴き出した。更に漏れた燃料に引火し、艇が炎に包まれていく。それが積んであった火薬に燃え移り、派手に爆発して艇を粉々に砕いた。
この事態に、サンスタグの兵たちが茫然としていた。しかも攻め込む算段がつかない。そのため、1人、また1人と戦意を失って座り込んでいた。
「空中戦が始まるぞ!」
強襲揚陸艇による急襲が、街の東側で一段落した。だが今度は街の西側で、熱気球と迎撃に飛び立ったグライダーによる空中戦が始まろうとしていた。
その声を聞いたメイベルとジェニフィが、視線を水路から反対側へ向ける。
「気球。あれ、いくつぐらい飛んでるのかな?」
「10、20……。100は超えてないかしら?」
空には無数の熱気球が浮いていた。青空の中、どれもが赤く目立つ色をしている。それがほとんど同じ高さで、横に広がっていた。
その気球群にグライダーの編隊が迫っていく。十分な高度を取れず、気球の下をくぐるような高さだ。そのグライダーから最初の火矢が放たれ、いよいよ空中戦が幕を開ける。
それを見るメイベルたちの背後に、ナバルの乗るグライダーが着陸してきた。
さて、ラクスに迫る気球群の後方では、
「全員、このままの高度を保て! 高さを変えるとラクス上空からはずれるぞ!」
気球隊の現場司令が、風向きを見ながら全軍に指示を与えた。その指示が伝言ゲームのように、外側の気球まで伝わっていく。
だが外側を飛んでいる気球が、司令の気球から少しずつ離れつつ遅れていった。その様子を目で追う司令が、
「同じ高さでも、場所によって風向きや強さが違うようだな……」
と、風の流れを読む難しさを実感している。
その司令の気球には、今回もブルーノが乗り込んでいた。そのブルーノに、
「さて、このうちいくつの気球がラクスの上を通れるだろうな」
と話しかけながら、珪油バーナーを短く噴かして気球に熱い空気を送り込んだ。
「さあ、予想もつきませんよ」
とはブルーノの答えだ。そのブルーノが、
「それにしても準備が整ってから出撃まで、8日も待たされるとは思いませんでしたよ」
と言って、ゴンドラの縁に腰をかける。
「そりゃあ仕方ねえさ。気球にとっちゃ風向きがすべてだ。作戦に都合の良い風が来るまで、時を待つのも重要な戦略だ」
珪油バーナーの火を弱めて、司令が周りの景色をゆっくりと眺めた。
周りは広いピスク平原。向かう先には五角形のラクスの街が見え、反対側には蛇行する大河が見える。平原には長方形の湖がいくつも点在し、その間を白い幾何学模様のように道が走っている。その上を飛ぶ味方の気球群を見渡して、
「それによ。8日も待ってた間に、工場から追加の気球がたくさん届いたからな。おかげで240もの気球で総攻撃できるんだ。今日こそラクスを陥としてやろうじゃないか」
司令がゴンドラの横をポンと叩いた。そこには砂袋と一緒に、数発の爆弾がぶら下がっている。これと同じ爆弾が、他の気球のゴンドラにもぶら下がっていた。
「さて、ラクスからグライダーが飛んできたな」
気球群に向かって、ラクスを飛び立った迎撃のグライダーが近づいてきた。その数、およそ20機。ほとんどのグライダーは気球より低い高度を飛んでいる。
その先頭を飛ぶ機から、手近な気球に向かって火矢が放たれた。
「全軍反撃しろ!! 近づくヤツは容赦なく叩き落としてやれ!」
ほぼ同時に司令が攻撃命令を出した。対グライダー用の火炎弾が、いっせいに近づいてくる機体に向かって火を噴いた。
火矢の刺さった気球が、炎に包まれて墜ちていく。だが、空中戦は高い場所を確保した側が圧倒的に有利だ。グライダーは速度では優るが気球よりも低い位置を飛んでいるため、思うように火矢が届かない。そのため火矢の餌食になる気球と、被弾して火に包まれるグライダーの数は同じぐらいだ。となると、数の差がそのまま戦力の差になってしまう。
「はっはっはっ。ブルーノ、見てみろ。ラクスのヤツら。やっぱり気球からの攻撃には対抗できないみたいだぞ。この前と同じ反撃しかしてこねえじゃないか」
「そのようですね」
戦況を上機嫌で見ている司令の言葉に、ブルーノが生返事する。
そのブルーノが見ているのは、ラクスの西側だ。そこでは強襲揚陸艇による攻撃が行われているはずだが、いくつか黒煙が見られるだけで不気味なほど静かだ。しかも黒煙のほとんどは、ラクスから離れた場所から昇っている。それを見るブルーノは、
「地上の動きがないみたいですね。あちらは沈黙させられましたか?」
この戦いに、イヤな胸騒ぎを感じていた。
「ああもう、何でもう少し高く飛べないのよ!?」
防壁から空中戦を見るメイベルが、グライダーの不甲斐ない戦いぶりに苛立っていた。ほとんどのグライダーが熱気球の下を飛んでいるため、一方的にやられてるからだ。
そのメイベルの周りにはジェニフィの他に市長や、地上に戻ってきたナバルとキャロルも集まっていた。そして少し離れた場所では、今もトレイを持って食事するフェレラが、戦いの様子を見ながら人間観察と洒落込んでいる。
その一同の近くにある蒸気カタパルトから、また迎撃のグライダーが飛び立った。
その蒸気カタパルトを指差したメイベルが、
「ねえ、あのカタパルトだけど、もう少し上に向けられないの?」
と、市長に考えを言ってきた。上に向けて射ち出すことで、少しでも高くまで飛ばせないかと考えたのだ。だが、それに市長が、
「カタパルトを傾けすぎると、失速の危険があるのですよ。だから、あまり上に向けて射ち出せないのです」
と、傾けない理由を答えてきた。そこにキャロルも、
「それにね。今のグライダーは、上に向かって射ち出せるほど補強されてないのよ。失速する前に壊れるかもしれないわ」
という問題を言ってくる。
「機体が軽ければ、上昇気流に乗ってもっと高くまで飛べるんだけどね。それに降下速度も小さくなるから、上昇気流に乗らなくてもあの気球より高く飛べると思うんだけど」
「機体が軽ければ?」
キャロルの言葉に、メイベルが少し考えた。
「ねぇ。グライダーが重いのは、たしか射ち出す時の衝撃に耐えるためよね?」
「そうよ。そのために補強が必要なの」
そう確認し合う2人の背後で、また1機のグライダーが蒸気カタパルトで射ち出された。そのグライダーが機首を傾け、急上昇していく。そして失速する前に機首を戻して、西から来る熱気球の大軍に向かって飛んでいった。
「射ち出されたらすぐに補強してる部品をはずしたら、どうなるかな?」
「それなら軽くなるけど、どうやってはずすの?」
「…………そこまで考えてない……」
キャロルの質問に、メイベルがバツの悪そうな表情を浮かべる。
「何か方法は……」
メイベルが対抗策を考えながら、防壁の上を見まわした。
防壁の補強工事用の吊り上げ機がある。グライダーや蒸気カタパルト、それから着陸用の滑走路がある。その滑走路の街の側には、線路が敷かれている。そこに置き去りにされた台車には、建設用の資材が載ったままだ。
「キャロルさん。グライダーを補強する理由って、カタパルトの衝撃で機体が壊れないためよね?」
「そうよ。射ち出す時に衝撃がなければ、補強なんていらないわ」
「それじゃ、もう1つ質問。あの蒸気カタパルトが作られる前は、どうやってグライダーを飛ばしてたの? かなり昔からあるみたいなこと言ってたけど……」
「それは馬で牽いてたって聞いたわ。でも、馬で牽くより蒸気カタパルトの方が初速が速いから、高く遠くまで飛ばせるのよ」
「ふ〜ん。それなら……」
話を聞いていたメイベルの脳裡に、ピンと名案が浮かんだ。
「市長さん。手伝って! あの台車でグライダーを飛ばすわ」
台車へ向かって駆け出したメイベルが、市長にそう言ってきた。
「聖女さま。どうされるのですか?」
「これにグライダーを載せるの。それで蒸気エンジンで引っ張るのよ」
そう答えたメイベルが、台車に載っていた資材を足で強引に蹴落とした。
「蒸気エンジンで引っ張るとは、いったいどうやって?」
「ロープに決まってるわ」
「ロープで牽くと仰られても……。蒸気エンジンでは力が弱くて、グライダーを飛ばせるほど十分な速度が出ないと……」
「だから台車に載せるの、それにロープを巻き取れば、集まって径が大きくなるでしょ。最後にはかなりの速度になると思わない?」
「……あ、言われてみれば……」
メイベルの言わんとすることを市長が理解した。
「わかりました。エンジンの方はわしが受け持ちましょう。このレールの先にエンジンを1つ用意すれば良いのですね」
「ええ、それで十分よ」
市長の言葉に、メイベルが笑顔で答えた。
「馬車と馬の用意を。それとレールの先だから、17番のエンジンをレールの横に用意させなさい。ジェニフィ、ロープの手配を任せていいですか?」
「はい。お任せください。この先ですから、長さは2000mですわね」
方針が決まると、それぞれが自分の分担を見つけて動き始めた。
「台車に載せるのは、このグライダーにしましょう」
メイベルが手近にあったグライダーを指差した。それは先ほどまでナバルとキャロルの乗っていたグライダーだ。最初にグライダーに取りついたナバルが、
「道を空けてくれ。こいつを台車に載せるぞ!」
と、混乱している周りに声をかける。次に取りついたキャロルも、
「手の空いてる人がいたら、こっちを手伝って!」
と、周りにいる作業員たちに呼びかけた。だが、それにメイベルが、
「ちょっと待って。台車に載せる前に、補強してる余計な部品をはずした方がいいわ」
と言ってきた。
「ねえ、どれが補強の部品かわかる? たぶん、これとこれがそうだと思うけど」
「聖女さま。それでしたら、我々に任せてください」
キャロルの呼びかけで集まった中に、グライダーの整備員がいた。その者が中心になって、グライダーから補強用の部品が取り外されていく。
「聖女さま。ロープは台車に結んだ方が良いのかしら?」
そこにジェニフィが、荷馬車に乗って戻ってきた。荷馬車にあるのは、ロープを巻きつけた大きなリールだ。
「ジェニフィさん。ロープはグライダーに引っかけます。そのための部品もありますし」
そう言って荷馬車の横へ駆けてきたメイベルが、ジェニフィからロープの先を受け取った。メイベルの言う引っかける部品は、機首の下にあるフックだ。
メイベルにロープを持たせたまま、ジェニフィがロープを伸ばしていった。リールがくるくる周り、線路の上にロープが落とされていく。
「メイベル。いったい何を始めたのじゃ?」
作業を見ていたフェレラが、トレイを持ったままメイベルに近づいてきた。それに、
「あの気球を墜とすためよ」
と、メイベルがロープの端を握ったまま、空中戦をしている空を指差した。
「あの気球には、街を壊す兵器が積まれてるの。だから、その兵器を持ったまま街の上へ来る前に、墜とさないといけないのよ」
「街を壊す兵器? なるほど、たしかに壊しそうじゃな」
墜とされた気球が草原で大爆発した。それを見たフェレラが、あの爆発が街の中であったらどうなるかと考え、不愉快そうな表情を浮かべる。
「メイベル。グライダーを台車に載せたぞ」
その間にナバルたちは余計な部品を取り去り、台車にグライダーを載せていた。しかも前の座席にはナバルが乗り、キャロルが後部座席に乗り込もうとしている。
そのグライダーにあるフックにロープをかけて、
「グライダーにはわたしも乗るわ」
とメイベルが言ってきた。その言葉にキャロルの動きが止まる。
「聖女さまが乗るの?」
ステップに足をかけたまま振り返ったキャロルは、意外そうな顔をしていた。
「もし離陸に失敗したら危ないわよ」
「その時は魔法で何とかするわ。それに、このやり方を考えたのはわたしだから、発案者としての責任を取りたいの」
どうしようかという顔をするキャロルに、メイベルが真剣な顔で言ってきた。それに、
「メイベル。乗れ!」
と、操縦席に乗るナバルが身を乗り出して手を伸ばしてきた。それを見たキャロルが、
「あまり無茶はしないでよね」
と言って、ステップから飛び降りた。代わりにナバルの手を摑んだメイベルが、ステップに足をかけて後部座席に乗り込む。
「聖女さま。準備ができたようです」
レールの横には、いつの間にか旗を持った信号員たちが立っていた。その信号員の1人が、メイベルたちに発進の準備が整ったことを伝えてくる。
「わかったわ。始めてちょうだい」
メイベルの合図を受けて、信号員たちの手信号がレールの先へ伝えられていった。
「ちゃんと、飛べるかな?」
後部座席に深く腰かけ、ゴーグルを着けたメイベルが大きく息を整えた。
グライダーの横でも、キャロルが心配そうに状況を見守っている。
やがてピンと張ったロープに引っ張られて、グライダーがノロノロと動き始めた。
「こんなにゆっくりで大丈夫なの?」
キャロルがグライダーと一緒に歩きながら、心配そうに零した。だがレールの先では蒸気エンジンがどんどん回転速度を上げていた。そのエンジンに巻き取られるロープが、巻き取り機にからみついて急速に膨らんでいく。それに伴って、グライダーがどんどん加速していった。横を歩いていたキャロルの足も、早足から駆け足、そして全力疾走へと変わる。
「は、速ぁ〜……」
横を駆けていたキャロルが、とうとう足を止めた。
先ほどまでノロノロ走っていたグライダーが、今では猛烈な速さで滑走している。
そのグライダーが、ふわっと浮き上がった。レールの上に残された台車が、あっという間に機体の後方へ離れていく。
「ナバル。上昇して!」
「任せろ!」
メイベルに言われて、ナバルが操縦桿を引いた。
グライダーが蒸気エンジンに牽かれるまま急上昇していく。
「うそ……。あんなに高く上がってくなんて……」
目でグライダーを追っていたキャロルが、天高く舞い上がる機体に目を丸くしていた。
これまでは蒸気カタパルトで射ち出されたあと、グライダーはうまく上昇気流に乗っても、ほとんどの機体は200mぐらいしか上がれなかった。だが、メイベルを乗せたグライダーはこれまでの常識を無視するように、300mを超えてもまだ上昇し続けている。
そのグライダーから、ついに牽引ロープが切り離された。落ちていくロープが、まるで蒸気エンジンに吸い込まれるように巻き取られていく。そのエンジンのところでは、
「すごい。こんな飛ばし方があったとは……」
「聖女さま。勇者さま。どうかご無事で……」
市長とジェニフィが、祈るような気持ちでグライダーの行方を見守っていた。
「うわぁ〜。耳が痛い……」
急上昇による急激な気圧の変化で、メイベルの耳がツーンとなっていた。
「メイベル。唾を飲め。それで治る」
ナバルはいち早く耳鳴りを解消していた。すでに高度は500m。気球よりもはるかに上空まで昇っている。そこでナバルが機体を旋回させて、降下加速しながら機首を迫ってくる熱気球の集団へ向けた。そしてメイベルも、
「炎よ! 炎よ! 炎よ!」
魔法でいくつもの火の玉を作り、それを近づいてくる気球に向けて投げ落とした。
「うわぁ〜〜〜〜〜……」
突然、気球の周囲が騒がしくなった。気球が次々と火に包まれて地上へ墜ちていく。
「何が起きた!?」
これまで優勢に進んでいた戦況が、たちまち逆転した。
気球の下を飛ぶグライダーは、ほぼ片づいた。あとは街に爆弾を落とすだけ。そう司令が思った矢先のできごとだ。何が起きたのかわからないまま、味方の被害が増えていく。
「おやっさん。上空に敵だ!」
ブルーノが気球の上を飛ぶグライダーに気づいた。そこから投げ落とされる火の玉が、味方の気球をぽんぽんと撃ち落としている。
「上空に……だと? そんなバカな。そんなに高く飛べるグライダーはねえはずだぞ」
司令が驚いた顔で空を見上げる。熱気球が密集して飛んでるため、隙間から見える空は狭い。その空は青く、ただ雲が浮かんでるだけだ。そこにはブルーノの言うグライダーの姿など、どこにも見えない。
「うおっ!?」
ほんの一瞬のできごとだった。わずかに見える青空の中を、白い物体が高速で横切っていった。その直後、周りを飛んでいた気球が燃え上がり、炎に包まれながら墜ちていく。それで広くなった青空の中を、白い機体が高速で旋回して戻ってこようとしていた。
「すげ〜っ! また落としたぞ」
ナバルとメイベルを打ち上げた防壁では、飛び立ったグライダーの奮闘ぶりに係員たちが激しく興奮していた。ここから飛び立った1機の働きにより、これまでの戦況がガラッと一変したのだ。見守る係員たちが劇的な瞬間に我を忘れて熱い歓声を送っている。
そんな中、ふと我に返った者たちが、
「よ〜し。俺たちも勇者さまに続くぞ!」
メイベルのやったことを、自分たちでもやろうと動き始めた。
エンジンに巻き取られたロープを持った1人が、台車に乗って引っ張っていく。
一方、蒸気カタパルトのあるあたりでも、射ち出しを待っていたグライダーから補強用の部品を取り外して、線路の横に並べる作業が始まっていた。
そこへ戻ってきた台車に、すぐさまグライダーが載せられた。準備が整うと、信号員たちが手旗で合図を伝える。そして動き出したグライダーが、大空高く飛び立っていった。
「これでは全滅だ……」
サンスタグ軍はたった1機のグライダーに、すでに何十という気球が落とされていた。
グライダーより上を飛んでいる時は優勢だったが、上を飛ばれてしまえば一気に形勢は逆転だ。動きの遅い熱気球は、グライダーにとってただの標的でしかない。
「仕方ない。ラクス攻撃は中止だ。全員、爆弾を捨てて急上昇だ。東へ逃げるぞ!」
司令が攻撃の中止を判断した。ただちにゴンドラに吊られていた爆弾や砂袋が捨てられ、軽くなった気球が急上昇を始める。更にバーナーの火力が強められ、気球に熱い空気が送り込まれた。だが、
「司令。上空にまた1機です!」
「何だと!? まさか……」
上昇を始めた気球に、2機目のグライダーが攻撃を仕掛けてきた。
「うわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」
先に上昇を始めた気球が、急に裂けて墜ちていく。気球に火矢を射られ、そこから気球が裂けて浮力を失ったのだ。
更に1つ、また1つと気球が何も抵抗できないまま墜とされていく。
それを見ていたブルーノが剣を抜き、ゴンドラから大空へと飛び立っていった。
「おい、ブルーノ。何をするつもりだ?」
「援護に出ます。おやっさんたちは、このまま逃げてください」
そう言い残したブルーノが、飛行魔法で気球から離れていく。そして、
「攻撃を台無しにしてくれたあの機に、一太刀浴びせなければ気が収まりませんよ」
と零して、旋回して戻ってくるグライダーに向かって剣を構えた。
「覚悟しなさい!」
ブルーノが剣を向け、飛んでくるグライダーの真正面に出た。
「ナバル。前に人が!」
「わかってる」
ナバルが咄嗟に機体を左に傾けて衝突を回避しようとする。
「逃がしません!」
そのまま左旋回するグライダーを、ブルーノが剣を振り上げたまま追いかけていく。
不意に機体の傾きが逆になった。ナバルが機体を逆に振り、フェイントしてきたのだ。
先ほどまで腹を見せていたグライダーが、今は背を向けている。その機体に乗る者たちと、ブルーノの目が合った。
「こ、小娘……だと!?」
「何で!? ドラゴン教の……」
すれ違いざま、互いが相手の姿を確認した。
驚いたブルーノの剣が、わずかに振り遅れる。だが、
「ちっ! 翼が……」
ギリギリですり抜けるつもりだったナバルの意に反して、ブルーノの剣が翼に当たってしまった。左翼の先半分が斜めに斬り落とされ、回転しながら地上へ落ちていく。
直後、右翼が持ち上がるように回転が始まった。安定を失ってきりもみするグライダーを、ナバルが操縦桿を右に倒して必死に押さえ込もうとする。
「ナバル。どうなってるの!?」
「黙ってろ! 舌、噛むぞ!!」
激しく暴れる機体の中で、メイベルが必死に風防の枠にある取っ手を握っている。これは本来、蒸気カタパルトから射ち出される時に摑まるために付けられたものだ。
しかし、座席には身体を固定するシートベルトのようなものはないため、そんな取っ手でも握らなければ、すぐにも空へ放り出されそうな状況である。
「大変だ!! 聖女さまの乗られてる機が墜ちそうだぞ!」
ラクスの街でも、機体の異変に気づいた防壁の守備兵や係員たちが大騒ぎしていた。
「何が起きたんだ?」
「よく見ろ。片方の翼がなくなってるぞ!」
空中で暴れている機体を指差して、防壁の上では大変な騒ぎだ。
「市長さま。翼がなくなったそうですわ」
蒸気エンジンのところで市長を手伝っていたジェニフィが、そう言って外に顔を向けた。
「翼が!? それは一大事ではありませんか……」
市長もエンジン操作を止めて、ナバル機の行方を心配そうに見守る。
その機体では、
「ナバル。目が回って気持ち悪い……」
「今は話しかけるな! 補助翼が動かないんだ」
左翼が切り取られた影響なのか、機体の姿勢を変える補助翼が動かなくなっていた。そのためきりもみ状態から抜け出すことができず、機体がいつまでも回転を続けている。
「動け! 動けよ!!」
ナバルが操縦桿を元に戻しては、すぐに右に倒す操作を繰り返す。だが、補助翼は少し動いたところで止まり、操縦桿も倒れるはずの角度まで倒せないでいる。だが、
「あ、動いた……」
唐突に操縦桿が倒れ、それと同時に機体の回転もぴたりと止まった。
「ナバルぅ。何があっ……、う〜、気持ち悪い……」
ようやく取っ手から握っていた手を離したメイベルが、強い吐き気で身体を丸める。
それに後ろを向いて座席越しにメイベルを見たナバルが、
「おい。大丈夫か?」
と、心配そうに声をかけてきた。それに涙目になったメイベルが、
「まだ、お昼を食べてなくて良かったわ……」
などと零して、肩でゼーゼーと息をしている。
そんなメイベルを見たナバルが、視線を半分になった左翼に向ける。その翼から細長い板がぶら下がっている。左翼の補助翼だった部品だ。それが何かの加減ではずれたのだろう。そのおかげで補助翼の引っ掛かりがなくなり、姿勢を保てるようになったようだ。
ぶら下がる部品が上下に揺れてギシギシと音を立てている。それがやがて音もなく根元から断たれ、舞い散るように翼から離れていった。
「おお〜! グライダーが持ち直したぞ!」
「すげえ。片翼だけで飛んでるじゃないか!!」
ラクスで心配そうに見守っていた人たちの声が、いつの間にか歓声に変わっていた。
そして誰からとはなく、
「滑走路を空けろ! 勇者さまたちのご帰還だぞ!!」
「グライダーを隅に寄せろ。できるだけ滑走路を広くするんだ」
ナバル機の着陸のために、滑走路をできるだけ広くしようとし始めた。それに市長も、
「グライダーをレールに載せても構いません。急ぎましょう」
と言って、若い者たちに混ざって駐機中のグライダーを押すの手伝う。
元々グライダーの駐機場所は、滑走路の街側だった。だが、そこにレールが敷かれたため、今はその分だけ狭くなっていたのだ。それに加えて防壁の側では補強工事のために、機材や資材が置かれて滑走路を狭めている。
滑走路の西側で着陸に備えているのと同じ頃、東側でも、
「医療班、もしものために待機しておけ!」
「キャロル。救急馬車に乗って。何かあったらすぐに駆けつけるわ!」
ナバル機の着陸に伴う緊急事態に備えて、着々と準備が進められていた。
声をかけられたキャロルと一緒にいるフェレラは、
「ふむ。何が起こってるのじゃ?」
人間たちが何を騒いでいるのか不思議そうに見ている。そのフェレラは、今もまだトレイを持って食事中だ。
「聖女さまの乗った機が……って、フェレラさん。まだ食べてたの?」
「うむ。すごい山盛りじゃったからな。食べ物は作ってくれた人に感謝しながら、よく噛んで、残さず食べねばならん。粗末にするなど言語道断じゃ」
「……さすが、聖女さまのご友人だわ……」
フェレラの余裕たっぷりな大物ぶりに、一瞬、何も言う気がなくなった。その前で最後の一口を終えたフェレラが、
「うむ。馳走であった」
と、満足そうな顔をしている。
「あのね。フェレラさん。これから、聖女さまの乗った機がここに着陸してくるの。だけど、その機体が、片方の翼を半分失ってるのよ。それでどんな事故になるかわからないから、みんな緊急に備えてるのよ」
「何、事故になるかもしれぬとな!? それは一大事ではないか。なぜ早く言わぬ!」
「あのね……」
フェレラの言葉に、キャロルが一気にやる気を奪われた。そこに、
「勇者さまの機が降りてきたぞ〜!!」
と叫ぶ声が聞こえてきた。
ナバルの操縦するグライダーは、少しずつ高度を落としていた。目の前にラクスの防壁が迫ってくる。着陸する滑走路は西北西から東南東に伸びている。風はやや強めの北風。左後方からの追い風ぎみの横風だ。グライダーの着陸は一発勝負。自力で飛行できないため、進入を間違えたらやり直しは利かない。
「メイベル。身体が放り出されないように、しっかり摑まってろよ」
ナバルはすでに左手1本で操縦していた。何かあった時のために、右手は座席の前にある取っ手を握っている。
「ナバル。ちょっと高すぎない?」
「くっ、横風が強くて……」
ナバルは横風を気にしすぎて、十分に高度を下げられなかったようだ。その状態のまま防壁の角の上を通りすぎ、長い広場の上空に入った。その時、
「きゃっ!」
メイベルが小さな悲鳴を上げた。防壁に当たった横風が渦を作って、広場の上に複雑な流れを作っていた。その風に呑まれて、グライダーがガクンと高度を落とす。
「おい。機体が斜めになってないか?」
「横風が吹いてるんだ。仕方ないさ」
広場にいた人たちの上をナバル機が通りすぎた。左後方から風を受けているため、機体は右へ流されないように、機首をやや左に向けている。
だが、機体が斜めを向いたまま着陸するのは非常に危険だ。
右にグライダーを飛ばした蒸気エンジンが見えてきた。その横に立っているのは市長とジェニフィだ。その2人の横を、ナバル機が高度を下げつつ通りすぎていく。胴体の下にある固定脚と地面の距離は1mを切った。
そこで降下を一度やめ、水平飛行に戻した。ナバルが大きく深呼吸して、滑走路の先を見る。周りには大勢の人たちが並んでいた。手を振っている人の姿も見える。そして、
「降りるぞ!」
とメイベルに声をかけ、機首の向きを前に戻した。
グライダーが滑るように高度を下げていく。固定脚と地面の距離がゼロに近づく。
その直後、
『うわ! 危ない!!』
周囲から悲鳴が上がった。着地の瞬間、いきなり右の翼が浮き上がったのだ。
「きゃあ! ナバル」
「え〜いっ、黙ってろ!!」
メイベルが取っ手を強く握ったまま目をつむった。ナバルは態勢を立て直そうと、必死に操作を続ける。
だが、地面に左の翼が触れた。短くなった翼が、更に折れて短くなる。
機体が左翼を引きずったまま浮き上がった。しかし、どうにか持ち堪え、固定脚が再び着地して弾んだ。すると、今度は右の翼が地面に触れた。直後、翼を引きずりながら機体が向きを変える。そして機首が地面に突き刺さり、バキッと胴体が折れた。
「きゃあぁ〜〜〜〜〜……」
衝撃でメイベルが放り出された。空高く飛ばされ、下では折れた機体が更に壊れていく。
『あああ〜、聖女さま!』
多くの人の見ている前で、今にも惨事が起ころうとしていた。そのため、滑走路のあちこちから絶叫が聞こえてくる。
その機体が滑りながら向かう先に、白いマントを羽ばたかせた女性魔導師が飛び出してきた。フェレラだ。そのフェレラが機体に身体を向けると、
「メイベル。今、救けるぞ!」
その場で変身魔法を解いた。
服が裂け、身体がどんどん巨大化する。その身体は太い脚に小さな腕、そして背中に生えた翼が特徴の、体長8mほどのマウンテン・ドラゴンの姿へと変わっていった。
そしてドラゴンに戻ったフェレラが、宙に放り出されたメイベルを優し抱き留めた。それから尻尾を器用に使って、暴走する機体の動きを止める。
「ド、ドラゴン……だって!?」
突然現れたドラゴンの姿に、人々が驚きの声を上げた。中にはドラゴンへの恐怖も手伝って、腰を抜かしてる人もいる。
だが不思議と、その場から逃げ出す人はいなかった。その理由はドラゴンが聖女を救け、今、小さな腕で抱いているからだ。
「フェ、フェレラ……」
『メイベルよ。気がついたか。ケガはしておらぬか?』
ゴーグルを取って目をぱちくりさせているメイベルに、フェレラが優しく具合いを尋ねた。
その足許では、
「いててて……。どうにか生きてるみたいだが……」
壊れた機体の中から、ナバルが這い出してきている。
「……あ、ありがとう、フェレラ。助かったわ」
少し気持ちが落ち着いて、救けられたと知ったメイベルがお礼を言う。ところが、
「フェレラ? どうしたの??」
フェレラはメイベルを手に載せたまま、ぼうっと空を見上げていたのだ。
「ねえ、どうしたの?」
『あああ〜……。メイ……ベル……』
フェレラの反応が、妙に鈍くなっている。それになんだろうと首を傾げるメイベルに、
『寒い……』
と、フェレラが言ってきた。
「寒いって……? あ……」
フェレラを見上げるメイベルの脳裡に、その理由が浮かんできた。それで苦笑するメイベルが、フェレラの手から飛び降りる。
「聖女さま。勇者さま。おケガはない?」
そこにキャロルが救急箱を持って駆けてきた。
「わたしは……、大丈夫みたい」とメイベルが答えた。
「俺はちょっと左の手首をひねったみたいだ」とはナバルの答えだ。
「良かったわ。2人とも大事なくて……」
2人の元気な姿を見て、キャロルがホッと安堵する。そのキャロルが、
「それにしても……。フェレラさんって、本当にドラゴンだったのね」
と言ってフェレラを見上げた。そのフェレラは、空にヌボ〜ッとした顔を向けている。体格に比べて小さな手は、幽霊のような形でぷらんと下がっている。
そんなフェレラをしばらく見ていたキャロルが、
「……で、どうして動かないの?」
と、メイベルに動きが止まった理由を尋ねてきた。
フェレラの身体では唯一、尻尾の先っぽだけがピクピクと動いている。
「寒くて冬眠に入っちゃったみたい」
『メイベルぅ〜……。冬眠では……ないぞぉ〜……』
メイベルが冗談めかして言った答えを、フェレラがすぐに否定してきた。それでペロッと舌を出したメイベルが、
「魔法を解いて元の大きさに戻ったせいで、身体が冷えて動けなくなったみたいなのよ。断熱膨脹みたいなものかしら」
と、本当の理由を教えた。それにキャロルも、
「ああ、そういえば……。初めて会った時にも、そんな話をしてたわね」
話を思い出して、くすっと微笑みながらフェレラの背中を触ってみる。その身体はひんやりと冷えていて、周りに水滴が付き始めていた。
『寒い……。眠い……。このままでは……、本当に冬眠してしまう……』
そんなことを言うフェレラに、メイベルもくすっと笑った。そのメイベルが「暖めよ」と呪文を放ち、自分の周りに暖かな風を作り出した。そしてフェレラの身体に背中をもたれて、暖かな風がフェレラの身体を包むようにする。
『手間を取らせたな……。よい風じゃ……』
風に温められるフェレラが、心地よさに目を細めてホッと息を吐いた。
そんなメイベルとフェレラの雰囲気を見守りながら、ラクスの人たちが周りに集まってくる。そして歓声を送るでも拍手をするでもなく、メイベルたちと一緒に暖かな雰囲気に浸っていた。それは体験した者にしかわからない、不思議な一体感と幸福感だった。
その様子を、ラクスから離れていく気球に乗る者たちも見ていた。
「ドラゴンさま……だと!? なぜラクスにドラゴンさまが……?」
中でもドラゴンの姿に驚いているのは、気球隊の現場司令だ。司令は自分の目を疑うように、何度もこすっている。だが、それでドラゴンの姿が消えることはない。
そこにナバル機に一太刀を浴びせたブルーノが戻ってきた。そのブルーノに、
「おい、ラクスにドラゴンさまがいるぞ。あれはいったい、どういうことだ!?」
司令が何でもいいからと説明を求めてきた。司令はブルーノが答えを持っているとは思っていない。だが、誰でもいいから、問わずにはいられない心境なのだ。
ところが、その問いかけにブルーノが、
「たぶん竜の山脈に棲むドラゴンさまの1体ではないですか?」
と答えてきた。その答えに、司令が目を丸くして固まる。
「竜の山脈の……? どういうことだ。何か知ってるのか?」
「どうしたもこうしたも……」
ブルーノが神経質そうにメガネの位置を正しながら、頭の中でどう説明したものかと考えた。そして取り敢えず、
「今、ラクスにソルティス教が選んだ、救世の勇者と聖女がいるのですよ」
という事実だけを伝える。
「救世の勇者と聖女だと!? あの絶望病の蔓延を防いだという……」
「ええ、そうです」
質問を肯定したブルーノが、そう言ってゴンドラの縁に肘を突いた。
「その時の小娘……。いえ、聖女がドラゴンさまたちと妙に親しくしてましてね。その聖女が街にいるから、ドラゴンさまも遊びに来てるのではないか……と……」
「ドラゴンさまが遊びに……。それもラクスに……か……」
話を聞いた司令が、ラクスを見ながら複雑な表情を浮かべた。
小さく見える防壁の上では、ドラゴンにもたれかかる黄色い服の聖女が見える。
そんな光景を黙って見詰める司令に、
「おやっさん。サンスタグに戻ったら、再出撃の準備をしますか?」
とブルーノが尋ねた。
「いや、それはやめた方がいいだろう」
首を大きく振った司令が、静かに空を見上げて息を吐いた。
「救世の勇者だか聖女にゃ関係ねえが、ドラゴンさまのいらっしゃる街は攻撃できねえ。そんなことしたら、ドラゴン教徒の存在意義がなくなっちまう」
そう言った司令が、視線をラクスからすぐ下の地上へ向け直した。
気球は今、ラクスの北東側にある湖の上を飛んでいる。もう少し先には大河があり、そこからラクスへ伸びる水路には、いくつもの強襲揚陸艇が沈められていた。その艇から脱出した兵たちは、水路の周りで力なく項垂れているようだ。
その様子を見た司令が、
「それに、もしもまた攻めたとしても、今日の二の舞いを演じるだろうな」
と零して、今度は飛んできた方向へ目を転じた。
ラクスの北西にある草原には、何機ものグライダーが墜ちていた。その機体の色で白の目立つ草原の手前は、いきなり気球で赤一色に染まっている。初めは優勢だった空の戦いが、途中から一気に逆転されたことを物語る光景だ。
「さて、これを上に何と報告するべきか……」
司令がそう呟くと、深く大きな溜め息を吐いて、ゴンドラを吊るロープに摑まった。
戦いの終わったピスク平原の空は、何事もなかったように青く輝いている。そこに浮かぶ綿雲も、のどかさを演出するように静かに流れていた。
そして、この日から10日後。ラクスとサンスタグの間で暫定休戦協定が結ばれた。
これにより、この冬に関しては内戦が行われないこととなり、南アルテースは数世紀ぶりに平和な冬を迎えることになった。




