第5巻:第3章 冬のイヤな風物詩
市庁舎で大規模な公金横領事件が発覚してから、8日の時が流れていた。
その事件の詳細は、帝都サクラスにも伝わっていた。
「さて、この事件をどう解釈するべきかが問題だわ」
集配施設の奥にある会議室。そこでレジーナが大きな会議テーブルに、何紙もの新聞を広げていた。そのテーブルを囲むのは、レジーナ、パセラ、クラウのいつもの3人だ。
そこでレジーナが新聞に片手を突いて、
「まず、南アルテースのラクスで起こった汚職事件。最初の逮捕者が出てから昨日までに38名の逮捕者を含めて57人が身柄を拘束されたって部分は、人数に多少の差はあるものの、ここにあるすべての新聞で共通してるのよね」
と語り始めた。
「で、ソロリエンス新聞が『救世の勇者。今度はラクスの街で汚職を摘発』と書いてるのはいつもの通りだけど、今回は帝国タイムスも『この汚職を暴いたのはナバル・フェオール。かつて救世の勇者として活躍した者という話もある』と報じてきてるわ」
「こちらのインペリアル新聞では『救世の勇者』とは書かれてませんけど、ナバルさんの名前が載ってますよ」
「帝国の5大紙のうち3紙が名前を載せてますね。同姓同名かもしれませんが……」
広げた新聞を読み比べながら、3人が情報を確かめ合っている。
「で、クラウ。あんた、この事件をどう思う?」
各紙を見比べながら、レジーナがクラウに意見を求めた。それにクラウが、
「僕は同姓同名だと思いますよ。もしもメイベルちゃんが事件を暴いたというのでしたら納得できますけど、ナバルに汚職事件を暴くような真似はできません!」
と、キッパリと断言する。それが幼い頃から一緒に育ってきた、大親友の意見だ。
「ナバルさんって、学校の成績はどうだったのですか?」
「ナバルの成績ですか? ナバルは生マジメですから宿題はちゃんとやってましたけど、根っからの剣士ですからね。勉強よりも剣術の腕を磨くのに熱心でしたよ」
パセラの質問に、クラウが昔を懐かしみながら答えてくる。そのクラウが、
「本当はメイベルちゃんが見つけた可能性はありませんか?」
と言ってきた。それをレジーナが「それはないでしょ」と短く否定する。
「もし少しでもその可能性があったら、ソロリエンスがここぞとばかりに書き立てると思うわ。だから、この事件にメイベルは関わってないはずよ」
「なるほど。言われてみれば、その通りですね」
レジーナの考えを聞いて、クラウが深く感心した。
「でも、この件を聖ラクス教会が答えてくれれば、悩まずに済むのですけどねぇ……」
「ホント、そうなのよねぇ」
クラウのぼやきに、レジーナが苦笑して新聞の横にある紙テープの束に手を伸ばした。それは電信の記録が書かれたテープだ。
「ラクスの回答は、『当方の書記係の働きである』とだけよ。ナバル・フェオールが何者かについては何も触れてないわ」
テープを軽く読んだレジーナが、それをクラウに向けてテーブルに置く。そして、
「南方教会は聖サクラス教会を中心とする中央教会を良く思ってないものね。手配書の件を邪推して、きっと2人をかくまってるつもりなんじゃないの」
と言って、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「でもさ、今度ばかりは2人がラクスにいるのは確実じゃないかしら」
「それなら、ラクスまで行って……」
レジーナの考えを聞いたパセラが、そんなことを言いかける。だが、その言葉を、
「それは時間の無駄に終わるんじゃないかしら?」
と、レジーナがさえぎって否定してきた。
「南アルテースは遠すぎるわ。サンルミネまで最短の3日で行けたとしても、そこからメルキアまでは山越えで半月はかかるでしょ。ここばかりは陸路を使うしかないわ。それで、メルキアからラクスまで川を登る船を使ったとして3日。どんなに早くても片道20日以上はかかるのよ。その間にメイベルたちが旅立ったら、完全に無駄骨じゃない」
「はぁ、それはそうですねぇ……」
レジーナの言葉に、パセラが残念そうな顔で新聞に目を落とす。そのパセラが、
「あのぅ。ここに『南アルテース中央の沼の野原で、この冬最初の軍事衝突』って書かれてますけど、これは何でしょうか?」
という気になる記事を見つけた。
「軍事衝突!? それって、戦争って意味かしら?」
レジーナも記事が気になったのか、パセラの示す場所に首を伸ばしてきた。
「あ、ホントだわ。『11月7日昼過ぎ。沼の野原にある都市国家セリアに、南アルテース最大の都市サンスタグを中核とする連合軍が攻め込んだ。この軍事衝突はすぐにセリアの同盟都市アルカを巻き込む戦いへと拡大した』ってあるけど、これは……?」
「ちょっと待ってください。どこかに解説は……」
クラウが別の新聞を広げて解説を探した。そのクラウが、
「あ、インペリアル新聞に詳しい解説と地図がありますよ」
と言って、見つけた新聞をテーブルの中央に広げる。そして、
「えっと、『南アルテースは東フォルティアース大陸南部でリダス半島を除く地域を示す。広さは東アルテースと西アルテースを合わせたぐらいの大きさを持ち、人口も2つを合わせたぐらい。この南アルテースには60を超える都市や地域が独立国家として乱立し、長く主導権争いによる内戦が繰り返されている。また南アルテースの東部は王国連合帝国に属すソルティス教地域、西部は帝国に属さないドラゴン教地域であるため、宗教戦争という側面もある。なお、この内戦は冬の農閑期の間だけ行われるため、南アルテースでは季節の行事のようになっている』。……季節の行事!?」
と、添えられていた解説を読み上げた。それを聞いて、
「内戦ですかぁ!? メイベル、そんなに危ないところにいるのですか?」
「いたら、そうなるのかしら。しかも戦争の季節に……」
と、パセラとレジーナが驚いた顔をしている。
「おおお〜っ。これはメイベルちゃんの一大事です! 急いで助けに行かなくては!!」
いきなり立ち上がったクラウが、部屋から駆け出そうとした。そのクラウに向かって、
「行ってどうするつもり? 街から連れ出したら、周りは戦場かもしれないのよ」
と、レジーナが厳しい口調で呼び止める。
「それは……」
クラウはドアノブを握ったところで固まっていた。そのクラウが情けない表情の浮かぶ顔をレジーナに向けてくる。
「メイベルは聖女さまなんだから、街にいれば聖ラクス教会が安全な場所に保護してくれるでしょ。そうは思わない?」
「言われてみれば、そうかも……」
レジーナの考えを聞いたクラウが、その場で悩み始めた。行きたい気持ちと、行ってはいけないと抑える気持ちが激しく葛藤してるようだ。
「それなら、せめて事情を伝えるぐらいはしましょう。戦争の終わる春まではラクスに留まるでしょうから、片道にどれだけ時間がかかっても……」
「誰が行くの? まさかパセラを戦渦の中へ連れていく気じゃないでしょうね?」
クラウの出した代案に、レジーナが不愉快そうな顔をしている。そんなレジーナから冷たい視線を浴びたクラウが、困った顔でパセラに目を向けた。
それでクラウと目の合ったパセラが、
「あのぅ、レジーナぁ。手紙を書いたら、メイベルに届くでしょうか?」
という疑問を口にして、視線をパセラへ向ける。
「手紙!? ああ、それは名案だわ。手紙なら誰かが行く必要はないし、メイベルがラクスにいるのなら、聖ラクス教会あてで送っておけば届くわ」
「届きそうですか? 良かったですぅ。やっとメイベルと連絡が取れますぅ」
レジーナの答えに、パセラが嬉しそうな顔で両手をパンと合わせた。
「それじゃ、さっそく手紙を書きますぅ。ところで……」
手早く目の前の新聞を片づけたパセラが、腰を浮かせたところでレジーナに顔を向ける。
「ふと思ったのですけど、この前、帝都で使ってるガスは、南アルテースから運ばれてきてるって話をしましたよね」
「したわね。そんな話……」
レジーナがパセラの顔を見上げて、何事かという表情を浮かべている。
「南アルテースの内戦が激しくなっても、ガスはちゃんと運ばれてくるのでしょうか?」
「そんな心配は、政治家たちに任せときなさいって……」
パセラの疑問に、レジーナが呆れたように答えてガクンと頭を落とした。その横で、
「西アルテースで政情不安!? 市民たちの反発を余所に、ビーズマス公王は対ドラゴン戦で失った兵力を取り戻すために、軍備の強引な拡充を進めてる?」
クラウは新聞に書かれていた別の記事に目を奪われていた。
さて、その頃、3人が居場所を探しているメイベルは、
「クモの糸で作った修道服……ですか?」
聖ラクス教会の司教の間に呼ばれていた。
「はい。クモの糸です」
「あのぅ、クモの糸って、建物の隅に巣を張って虫を捕まえてる、あのクモのですか?」
「その通り。あのクモの糸です」
メイベルの反応に、司教が微笑みながら疑問に答えている。
その司教の斜め後ろには、赤い服を着た女性修道長が立っていた。その修道長の手には、聖修道女のまとう黄色い修道服が紙に載せて持たれている。
そしてメイベルの後ろにも、付き添いで来ていたジェニフィが立っていた。
その2人の前に、修道長が黄色い服を持ったまま歩いてくる。
「こちらが聖女さまに提供する修道服ですわ。この布には弾力があり、手触りもしなやかですの。それに水をよく弾き、汗を素早く乾かしますので暖かな日でも涼しく過ごせますし、それでいながら保温性もありますので、寒い日でも安心できますわ。これを是非とも聖女さまに召していただきたいという気持ちで仕立てましたの」
そう語った修道長の袖章は銀縁で、ハサミと3本の反物の絵が描かれていた。技術力やデザインセンスを認められた布地3つの衣装係。それがメイベルの前にいる修道長の実力である。
その修道長から修道服を受け取ったメイベルが、
「はぁ。ベトベトはしてない……わよね?」
と零しながら手触りを確かめてみた。布はしなやかで滑るような感じだ。表面には光沢があり、それが採光用の窓から射す光をやわらかく反射している。
「うふふ。聖女さま。クモの糸はちゃんと処理してますので、ベトベトしたものは残ってませんわ。この布は南アルテースが誇る、高級な特産品ですのよ」
「へぇ〜、特産品なんだ……」
布地を物珍しそうに見るメイベルを見て、修道長がニコニコしている。その修道長が、
「ですけど、クモから採れる糸はわずかで、1年間に5着から、多い年でも7着しか作れませんの。大変に貴重な布ですのよ」
と、誇らしげに話してきた。
「1年間に……多くても7着!?」
「はい。数が大変に少ないので、王侯貴族でも滅多に手に入りませんの。毎年、大司教さまの大祭用に1着ずつお贈りしていますが、それ以外は順番待ちでして、最後の人となると10年後に手に入れられるかどうか……」
「そんなに貴重な服……なんだ……」
修道長の話を聞いて、メイベルがゴクンと息を呑んだ。そのメイベルの斜め後ろでも、ジェニフィが畏れ多そうな表情で布に見入っている。
「そんなに貴重な服をもらっちゃって、良いのでしょうか?」
「聖女さま。せっかく修道長ヒルンドが仕立ててくださったのですわ。遠慮なくお召しになられた方が良いかと思いますわ」
あまりの貴重さに尻込んでいるメイベルに、ジェニフィがそんな助言をかけてくる。
そこに修道長も、
「それに、もう聖女さま用に仕立ててますから、今さら返されても困りますわ」
と付け加えてきた。その言葉にメイベルが「それもそうだわ」と苦笑して服をなでる。
「聖修道女メイベル。せっかくですから、試着されてはいかがですかな?」
やり取りを見ていた司教が、メイベルに着替えを勧めてきた。それに修道長も、
「是非ともお召しください。採寸の不具合がございましたら、この場で手直ししますわ」
と言葉を重ねてくる。
「それじゃ、お言葉に甘えちゃおう……かな?」
はにかんで頬を赤らめたメイベルが、服に目を落として微笑んだ。
「正修道女ジェニフィ。聖女さまを控えの間に案内してください。空いている部屋であれば、どこを使っても構いません」
「わかりました。それでは聖女さま、ご案内しますわ」
司教に一礼したジェニフィが、メイベルを案内するために部屋から出ていく。そのジェニフィを追って、メイベルも一礼して部屋から出ていった。
「ふぅ〜。不思議な聖女さまですな」
メイベルが出ていった頃合いを見計らって、司教がそんな言葉を零した。
「ドラゴン病から世界を救い、竜の山脈ではマウンテン・ドラゴンと我ら人の仲を取り持ち、そしてメルキアでは女神のごとき奇跡を起こしたと聞いていたので、どれほど神々しい聖者さまかと思っていたのですが……。どう見ても普通の女の子ではありませんか」
「うふふ、司教さま。普通の女の子とも違いますわ」
司教の言葉に、修道長がそう言って訂正してきた。
「あの子、フランク市長と対等に機械や科学の話をしてるそうですわ。それどころか、あの子に刺激されて、フランク市長は部屋にこもって何枚も設計図を引いてるそうですの。きっとわたくしたち凡人には計り知れないからこそ、普通にしか見えないのですわ」
「なるほど、凡人には計り知れませんか……。その通りでしょうな」
修道長の言葉が的を射ていたのか、司教が目を細めて感心したような顔をする。
「ところで司教さま。あの子にクモの糸で聖女服を仕立てましたが、本当にそれで良かったのでしょうか?」
「聖女さまへ今日の佳き日にお贈りするのは、くじびきの儀式で決めたことではありませんか。それを良かったのかとは? 修道長ヒルンド、何か気になるのですか?」
顔を上げた司教が、修道長に顔を向けて疑問の真意を尋ねる。
「いえ、わたくしは素材の高級さに負けて、下品な感じになりはしないかと心配で……」
「はっはっはっ。それは杞憂というものですよ」
修道長の心配事を、司教が明るく笑い飛ばした。
「我々が何と思おうと、あの方は聖女さまです。ならば、それなりの服を召していただくのは当然でしょう。聖典にもあるではありませんか。『地位と場にふさわしき服を着よ。服に負ける者、己が卑しき魂を磨け』と。聖者に清貧を求めるのは、卑しい心を誤魔化した愚かな美徳ですよ。それに、これはくじびきで決めた結果でもあります。それでも服に負けるようなら、その時は聖女さまらしく振る舞えるように修養していただきましょう」
「言うは簡単ですが、それはかなり厳しい仕打ちですわ」
司教の考えに、修道長が苦笑いして何を言い返そうかと困っている。そこに、
「着替えてきました」
と言って、戻ってきたメイベルが開けたドアから顔だけを見せてくる。
「どうしました? 採寸が合わなかったのでしょうか?」
「いえ。まるで計ったようにぴったりです」
首を傾げる修道長に、メイベルが頬を赤らめながら答えた。そのメイベルが、
「服は着てるんですけど、軽いし、動きやすいしで、まるで何も着てないような感じがするので、何だか気恥ずかしいというか……」
と、すぐに出てこなかった理由を話しながら部屋に入ってくる。
「おお、これはこれは……。よくお似合いではありませんか」
メイベルの新しい衣装を見て、司教が目を丸くして感心した。その横では修道長が、
「良かったですわ。変な感じにならなくて……」
メイベルが服に負けてなかったことに、ホッと胸をなで下ろしている。もっとも、
「う〜む。聖女さまらしく神々しい雰囲気が出ることを期待したのですが、前にも増して可愛くなりすぎですな。悩ましいところです」
司教は思惑はずれとはいえ好ましい誤算に、どうしたものかと困惑ぎみだ。その司教が、
「ところで聖女さまのお付きは、正修道女ジェニフィだけでしたか?」
と、メイベルの後ろに控えていたジェニフィに声をかけてきた。
「正修道女キャロルも世話係ですが、彼女は今、勇者さまとグライダーに乗ってますわ」
「グライダー?」
ジェニフィの答えに、司教がいぶかしそうな顔をする。そこにメイベルが、
「ナバル。この街に来てから、すっかりグライダーに興味を持ったみたいなんです。それで今、キャロルさんに飛ばし方の手ほどきを受けているんですよ」
と、ナバルの近況を伝えた。
「ほう。勇者さまはグライダーに興味をお持ちでしたか。では、勇者さまのお付きを任せた正修道士エミリオは?」
「勇者さまと一緒にいると思いますわ。と言っても、今はお世話のためというより、メルキアの秘術を教えてもらいたい一心と思いますけど」
「メルキアの秘術?」
ジェニフィの答えに、またしても司教が「おや?」という表情になった。それに、
「先日、勇者さまが汚職事件を摘発されましたでしょう。その時に勇者さまが使われた、何と言いますか、不思議な……」
と話をするジェニフィの言葉に、
「正義のための計算法ですよ」
とメイベルが補足する。
「おお、あの時の勇者さまの計算方法を……ですか。なるほど。財務担当としては、あの秘術は知りたいところでしょうな」
話を聞いた司教が、なるほどと言う顔で目を細める。
「えっ!? じゃあ、3人は市長さんの元お弟子さんだったの?」
「ええ、そうですわ」
司教の間を出た2人は、そのまま教会を出て街の大通りを歩いていた。2人の向かう先は、ナバルがグライダーの練習をしている場所だ。その間2人は、
「キャロルが市長さまのお孫さんでしょう。それでキャロルは修道院で暮らすようになってからも、市長さまの研究所へ通って設計の手ほどきを受けてましたの。そのキャロルと仲良しになった縁で、いつの間にかわたしたちも手ほどきを受けるようになって……」
「へぇ〜。その割には3人とも、あまり技術とかそういうことに明るくないような……」
という雑談に興じていた。
「うふふ。申し訳ございません。わたしたちは出来が悪かったもので、市長さまのような発明家になれない落ちこぼれ3人組ですの。あ、乗り合い馬車が来ましたわ」
2人の後ろから3頭の馬が牽く乗り合い馬車がやって来た。その馬車を手を挙げて呼び止めたジェニフィが、空いている席に乗り込む。
「落ちこぼれって、3人とも銀縁クラスじゃないの。それが落ちこぼれになるって……」
「そこは才能と言いますか、性格と言いますか。人には持って生まれた好みや気質がありますでしょう。わたしは才能不足で発明家には向かなかったみたいですわ」
馬車に揺られながら、ジェニフィがうふふと誤魔化した。
「でも、市長さまに手ほどきを受けたことは、少しも無駄になってませんわ。わたしは何かの図を描くことが好きですの。少しずつ線を引いて、図が完成すると嬉しいですわ。ですので今は測量して地図を描く、土木係になりましたのよ」
「へぇ〜。じゃあ、キャロルさんとエミリオさんは?」
「あの2人はわたしとは違って才能不足ではなく、目標が変わったのですわ。特にキャロルは市長さまの血を引いてるせいか、かなり発明家に向いてたと感じますの。グライダーに魅せられて、いつか自分で設計した機体に乗るのが夢と言ってましたから」
そこまで話したジェニフィの顔が、急に曇った。
「でも、5年ぐらい前だったかしら。キャロルの前で墜落事故がありましたの。その事故でキャロルにグライダーを教えてくれた教官が亡くなったんです。そのすぐあとですわ。キャロルがいきなり医療係を目指すことにしたのは。理由を聞いたら、救急医療の必要性を強く感じたからだそうですの」
「救急医療……。サクラスにもいたわね。同じことを考えてた先輩が……。ティア先輩、今ごろどうしてるかなぁ〜……」
話を聞きながら、メイベルはふと帝都サクラスのことを思い浮かべた。
メイベルが思い浮かべた先輩は、魔導師の訓練で仲良くしていた修道女だ。メイベルに心臓の病気について詳しく教え、サクラスの中央市場でテロ事件が起きた時には教会まで事件を伝える伝令として飛んで救急箱を持って戻ってきて、そして救世の旅の時には第5次調査隊の一員としてヴァレーの町まで行っている人だ。
「キャロルは見た目キャピキャピしてますけど、陰ではすごい努力家ですのよ。あの若さで杉2本なんて、あまりいませんわ。それに発明家の血筋かしら。今、急患のところまでグライダーで急行できないかって考えてるそうですの。どこに着陸するか、帰る時はどうするか、が解決できない大きな問題らしいのですが……」
「ますます、ティア先輩に似てるわね。先輩は一刻も早く患者のところへ向かうために、必死に飛行魔法を練習してたけど」
そう言ったメイベルが、ジェニフィに顔を向けてニコッと微笑む。
「ジェニフィさん、けっこうキャロルさんを自慢しますね」
「はい。それはもちろん自慢の大親友ですもの」
メイベルの言葉に、ジェニフィが満面に笑みを浮かべてきた。そのジェニフィが、
「聖女さまにも、自慢できる大親友はいらっしゃいますか?」
と、問い返してきた。
「いるわよ。勉強では一度も勝てなくて、それでいながら本人はふわふわぽわぽわしてて、とても優秀には見えない超優等生がね」
「超優等生!? サクラスに集められるのは、帝国中の教会から選ばれた、特に優秀な人たちでしょう。その中でも更に超優等生ですか? それはムチャクチャ優秀では……」
「そうよ。大司教さまが国賓をお世話する給仕係として、直々に選ぶぐらいにね」
そう答えたメイベルが、自慢げに口許をゆるめた。
「だけどさ、性格的に人の上に立てないから、いつまでもお皿1枚なんだけどね」
「うふふ。聖女さま、その方を本当の家族のように思われてるみたいですね。見ていて感じますわ」
「そりゃね。何年も同じ部屋ですごした、最高のルームメイトだもの」
今度はメイベルが満面の笑みを向ける番だった。そんなメイベルの雰囲気に、ジェニフィが温かいものを感じて微笑み返す。
「聖女さま。次の停留所で降りますわ」
雑談をしてる間に、馬車を降りるところまでやって来ていた。停留所のあるところは、大通りに面したやや大きめの広場のあるところだ。
そこで馬車を降りた2人は広場に入っていった。広場には屋台が並び、その周りにいくつものテーブルが置かれている。2人はそんな広場を突っ切り、奥に並んだ商店の間にある狭い道へと入っていった。そして建物の間を抜けると、その先には街を囲む盛り土があった。そこは洪水から街を守る、五角形に作られたうち北東側にある堤防だ。
堤防の内側は、ゆるやかな坂になっていた。高さは6mほどだろうか。登るための階段が何本も作られ、離れた場所には馬車で荷物を運び上げる道も作られている。
「ナバル、今ごろは飛んでるのかしら?」
階段を登るメイベルの目に、駐められたグライダーの姿が飛び込んできた。そのグライダーの翼は折りたたみ式なのだろう。機体の上で万歳をするように曲がっている。そんなグライダーが坂に向けてお尻を出す恰好で、盛り土の端の方に並べられていた。
「ここは外側と違って、ゆるやかな坂なのね」
メイベルが上のグライダーを見ながら、後ろを登ってくるジェニフィに声をかけた。
「昔は内側も外側も、高さに対して3倍の幅を持った斜面だったそうですわ」
「3倍? そんなにゆるやかなの? 何か理由があるのかな?」
「もちろんありますわ。経験的に高さに対して幅が3倍以上あれば、盛り土が崩れる危険性が著しく小さくなると言われてますの」
そう説明するジェニフィは、腕を後ろで組むような恰好で階段を登ってきている。
高さに対して3倍の幅を持つ斜面というのは、だいたい18度の傾斜だ。
「経験則ってことは、それだけ堤防決壊の被害に遭ってきたのかしら?」
いきなり足を止めたメイベルが、振り返ってジェニフィに顔を向ける。
「たぶん、そうではないかと思いますわ。それでわたしたち土木係では斜面を作る場合、斜面が崩れない目安として、1対3となるように作ってますの。これより急な斜面では、水を含むと崩れることがありますわ」
「へぇ〜。そういうものなんだ……」
傾斜角の理由を聞いたメイベルが、感心したような顔で再び階段を登り始める。そのメイベルの目に、堤防の上にある広い道のような光景が飛び込んできた。
「うわぁ〜。すごい……」
広い道にグライダーが舞い降りてきていた。そのグライダーから出ている固定の脚が、地面に着いて機体が弾む。そして、そのまま滑るようにメイベルの前を通りすぎていった。
「グライダーって、ここに降りるのね」
降り土の上は着陸用の滑走路になっていた。幅は40mほどだが、長さは何kmもありそうだ。
「ジェニフィさん。ここは堤防の上よね。堤防の上って、もっと幅が狭いと思ってたわ」
「ここも昔は狭かったそうですわ。でも、今は夏の洪水だけでなく、冬の備えも必要です。それで堤防の外側を急な斜面にしたために、堤防の上が広くなったそうですの」
メイベルの目は、まだ滑走したまま止まらないグライダーを追っている。そのメイベルの疑問に、ジェニフィも目でグライダーを追いながら答えた。
「冬の備えで、外側を急に?? 冬に何かあるの?」
「戦争ですわ」
「…………はぁ!?」
ジェニフィの口から出た思わぬ答えに、メイベルが驚いた顔を向ける。
「戦争って、どういうこと? というか、どうして冬に……」
「それは簡単な理由ですわ。堤防の外側がゆるやかな斜面でしたら、攻めてきた人たちが楽に街へ入れるでしょう? そうならないための防壁ですの」
「えっと、わたしが聞きたいのは、そういうことじゃなくて……」
会話の喰い違いにメイベルが質問の仕方を模索する。だが、メイベルが問い直す前に、
「あ、キャロルたちがいましたわ」
と言って、ジェニフィが見つけたキャロルとナバル、それとエミリオを指差した。
3人がいるのは街の外に向かって右側の滑走路の先だった。3人の背後には外に向かって突き出した短い滑走路──蒸気カタパルトがある。
「ナバ……。あ、あれ……?」
ナバルを見つけたメイベルが、不意にイヤな違和感を覚えた。
ナバルは手を大きく動かしながら、これまでメイベルが見たこともないような表情でキャロルと話していた。真剣であり、それでいながら妙に生き生きした顔をしている。
そんな表情を見たメイベルの胸が、突然ズキンと痛んだ。
「聖女さま。どうかされましたか?」
「ゑっ!? ううん、何でもないわ」
ジェニフィの問いかけに、メイベルが慌てて首を振る。だが、声をかけられた時に肩がビクンと動いたことといい、声が上ずったことといい、明らかに動揺が表に出ている。
そのメイベルが来たことに気づいたのだろう。キャロルが顔を向けて、2人に手を振ってきた。そのキャロルが滑走路の安全を確かめて、2人のいる場所へ小走りで渡ってくる。そのキャロルに続いて、ナバルとエミリオも滑走路を横断してきた。
「あれ!? 聖女さま、服が替わりました?」
最初にきたキャロルが、メイベルの服が替わったことに気づいた。そのキャロルが、
「あ、ひょっとして司教さまに呼ばれたのって、新しい服のことだったの?」
と、メイベルではなくジェニフィに顔を向けて尋ねる。
「そうですわ。聖女さまのお召し物、クモの糸で仕立てたそうですの」
「クモの糸!? すっご〜い。超高級品じゃないの。あたし、初めて見るかも……」
ジェニフィから話を聞いたキャロルが、目を真ん丸にして胸許のあたりをジロジロと眺めまわした。それから吟味するような目で背中にまわり、そこにしゃがみ込んでスカートに触れてみる。その手触りに心地よさを感じたキャロルの口から、
「うわぁ〜。いいなぁ〜〜〜〜〜……」
と、羨望と溜め息の雑じった言葉が漏れて出た。
そこにゆっくり歩いてきたナバルとエミリオが、ようやく到着する。
「あ、勇者さま。聖女さまの新しい服を見てくださいよ。クモの糸で作った服ですよ」
顔を上げたキャロルが、ナバルに明るく声をかけた。その声を聞いたメイベルの胸が、またズキンと小さく痛む。
だが、ナバルはそんな様子にはまったく気づかないのか、
「クモの糸!? あのベタベタしてる糸のことか?」
と言いながら、メイベルの袖に手を伸ばしてきた。それを見たメイベルが、ナバルが触りやすい高さまで腕を上げる。
「お、さらさらしてるな。これ、本当にクモの糸のなのか?」
「らしいわ。ちゃんと処理して、ベトベトを取ってるそうよ」
ナバルの疑問に答えつつも、メイベルはキャロルが気になっていた。そのキャロルはしゃがみ込んでスカートを触っている。しかもナバルとメイベルの間に割り込んで、邪魔してるような位置関係だ。
「ナバル。どうかな?」
ナバルの手が袖から離れた頃合いを見計らって、メイベルがくるっと回ってみせた。
スカートに触っていたキャロルの手から、布がするっと逃げていく。その布がふわりと膨らんで、キャロルの顔にパチッと当たった。
「メイベルが着ると可愛いだけで、神々しさのかけらもないな」
ナバルが腰に手を当てて、メイベルの仕種を見ている。そのナバルの言葉に、メイベルがようやくニコリと微笑んだ。
その横ではスカートに当たって驚いたキャロルが、目を真ん丸にして尻もちを突いている。そんなキャロルを、ジェニフィとエミリオが笑いを殺しながら見ていた。
そしてメイベルも、尻もちを突いているキャロルに目を落とす。
2人の目が合った。そのまま黙ったままの緊張した時間が流れる。
「ははぁ〜ん……」
この様子を横で見ていたジェニフィが、急にニヤニヤし始めた。その前で、
「そうだわ。ナバル、一緒に来て!」
急にメイベルが、ナバルの腕をガッシリと摑む。
「どうした」
「まあまあ、いいから、いいから」
そのままメイベルが、ナバルを引っ張って階段を駆け降りていった。そんな状況を、
「え? あれ!? ちょっとぉ、何なのよぉ〜」
キャロルはわけもわからず、不満そうな声を誰にとはなくぶつけていた。
「いったい、なんのつもりだ?」
メイベルがナバルを連れていった先は、大通りに面した広場だった。そこに並べられたテーブルの1つを挟んで、ナバルとメイベルが向かい合うように座っている。
「いやぁ〜、あまり深い意味はないんだけどね。なぁ〜んかラクスに来てから、2人だけでいる時間がなくなっちゃったでしょ。だから、久しぶりにナバルと2人だけでお話しがしたいなぁ〜なんて……」
ナバルの質問に、メイベルが必死に言い訳を探している。そこに、
「お待たせしました。コーヒーとカップ2つでございます」
店の人が注文したコーヒーを持ってきた。その店員が2人の前にコーヒーカップを置いた。それからテーブルの真ん中にコーヒーサーバー置き、その横にシュガーポットとミルクピッチャーを並べる。
「では、ごゆっくりお寛ぎください」
品物をすべて並べ終えた店員が、2人に一礼して戻っていった。
「ナバル。これ、コーヒーよ。飲んだことある?」
「知ってる。経理を手伝った時に飲んだ」
メイベルの言葉に、ナバルがいつものぶっきらぼうな口調で答える。
「これ、苦いわよね」
「そうだな。だが、飲むと頭がスッキリする。事務仕事には良い飲み物だと思う」
そう言いながら、ナバルがコーヒーサーバーに手を伸ばした。
「待って! わたしが淹れるわ」
ナバルがサーバーを手にするより早く、メイベルが奪うように取った。そして、2つのカップにコーヒーを注ぎながら、
「ナバルは、お砂糖はいくつ?」
と尋ねる。
「ああ、俺はブラックで……?」
「い、いらないの!?」
コーヒーを注ぐ手を止めて、メイベルが訴えるような視線を向けてきた。メイベルの目は、まるで「入れなきゃダメよ」と脅迫しているようだ。その迫力に負けたナバルが、
「じゃ、じゃあ、2つ……。頼む……」
と注文して、肩を軽く上下させる。
「お砂糖は必要よ。ブラックで飲むのは胃に悪いって言う人もいるわ」
メイベルがニコッと微笑みながら、サーバーをテーブルに戻した。そしてシュガーポットを持って、角砂糖を小さなトングでつまみあげた。
「見て、ナバル。ラクスのお砂糖って、四角くなってるの。面白いわよね。はい、1つ」
そう言ったメイベルが、その角砂糖をカップに落とした。
「スプーンですくって、さらさらと入れるのも良いけど、2つ、こういう四角いお砂糖っていうのは、使ってみると便利ね。3つ……」
メイベルが話しながら、2個、3個と角砂糖を放り込んでいく。
「おい、メイベル」
「5つ……。あっ、いけない!」
メイベルはつい話に夢中になるあまり、砂糖を入れすぎていた。
「ゴ、ゴメンなさい。これはわたしが飲むわ。替わりにナバルはこっちを……」
慌てたメイベルがカップを入れ替えた。そして、
(話に夢中になったから失敗したのかしら? 違うわ。きっと1つ、2つ、3つなんてかぞえたのが間違いなのよ。だから、今度はカウントダウンで……)
先ほどの失敗を反省して、あやまちを繰り返さないようにと対抗策を講じる。
「2、1、ゼロ……」
直後、メイベルはテーブルに突っ伏していた。
その様子を、離れたテーブルに座ってキャロルたちが見ている。
「聖女さま。何やってんのかな?」
「うふふ。聖女さま、気持ちが空回りされてますわ♪」
不思議そうに見ているキャロルとは対照的に、ジェニフィは楽しそうだ。そして、
「困りました。勇者さまから、どうやって秘術を教えてもらえばいいか……」
エミリオはナバルからどうやってメルキアの秘術を教授してもらうか。そのことに頭がいっぱいになってるらしい。
「ねえ、ジェニフィ。ひょっとして聖女さま、勇者さまのことが好きなのかな?」
「えっ!? それは見てれば一目瞭然ですわ。キャロル、気づいてませんでしたの?」
キャロルの何気ない言葉に、ジェニフィが驚いた顔をする。そのジェニフィが、
「聖女さま。キャロルと勇者さまが妙に親しそうに話してたのを見て、思わず嫉妬したみたいでしたわ」
と、またニヤニヤした表情を浮かべてきた。
「何よ、それ? あたしは勇者さまと、操縦について話してただけで……」
不意に不愉快な気分にされたキャロルが、テーブルに頬杖を突く。そのキャロルが、
「それにさ、あたしはあまり好きとか嫌いとか、そういうのに興味はないなぁ……」
とぼやいた。その言葉をジェニフィが、
「キャロルはグライダーに恋してますものね」
と茶化してくる。
その時、広場に激しい半鐘の音が鳴り響いた。
音の出所は、大通り沿いに建てられた櫓だ。そこに登った兵士がカンカンカンカンと、4回ずつ区切るように早鐘を鳴らしている。それを2回打って、カンカーンカーンと変則的な鐘を叩き、再び4連打の早鐘を叩く。あとはその繰り返しだ。
その響きに応じるように、遠くにある鐘も同じように鳴り始める。
「敵襲!?」
テーブルを突いてキャロルが立ち上がった。
「何!? 火事なの? それとも重大事件??」
離れたテーブルに座っていたメイベルは、この早鐘の意味がわからないでいた。それに気づいたキャロルが、メイベルのところへ駆け寄っていく。
「聖女さま、勇者さま。敵襲です。北西の方角から敵が攻めてきたみたいよ」
「敵襲だってぇ!?」
キャロルの言葉に、メイベルの声が裏返った。
「急いで教会へ避難してください」
「キャロルさんたちは?」
メイベルに教会の方を示したキャロルが、それとは反対方向へ駆けていこうとする。そのキャロルに、メイベルがどうするのかと尋ねた。
「あたしは戦闘になったら、軍医としての役目があります。ジェニフィとエミリオにもそれぞれの役目がありますから、今日はここでお別れです」
そう説明するキャロルを待たず、ジェニフィとエミリオはすでに広場からいなくなっていた。その2人は、先ほどの堤防へ向かう狭い道を駆けている。
「メイベル。俺たちも加勢するぞ」
ナバルが腰に下げた剣に手をかけて、キャロルのあとを追おうとする。メイベルも、
「それはもちろんよ」
と言って、ナバルについて駆けていった。
戻ってきた堤防の上は大変な騒ぎになっていた。
鐘が鳴る前はグライダーの離着陸だけに使われていた場所を、今は大砲を牽いた馬車や銃や弓を持った兵たちを乗せた馬車が慌ただしく通りすぎていく。
それを目で追うメイベルに、
「聖女さま。教会へは戻らなかったのですか!?」
とジェニフィが声をかけてきた。
「敵襲と聞いて、戻れるわけないわ。それより2人は何をしてるのですか?」
顔を向けたメイベルが、ジェニフィとエミリオの持っているものに目を向けた。2人は円錐形をした大きな金属を1つずつ抱えていたのだ。しかもエミリオの右手には電線を巻いたリールが提げられ、どこかからずっと線を引っ張ってきている。
「これは実況を聴くための準備ですよ」
そう答えたエミリオが、電線を伸ばしながら仮設テントに向かって駆けていった。
「実況って、何の?」
「戦況ですわ。本部に情報が集められて、それを前線に詳しく伝えるのです」
エミリオに代わってジェニフィが、メイベルの疑問に答えてきた。その間にエミリオは仮設テントに到着し、そこにあるテーブルに持ってきた金属を置いている。
「実況を? どうやって?」
「聖女さま。まあ、見ててください」
一緒に仮設テントまで駆けてきたメイベルに、ジェニフィがエミリオを指差した。
エミリオは持ってきたリールから、電線を長めに引き出してニッパーで切った。そして絶縁用の被膜を取り去り、むき出しになった線を金属の後ろ側にある端子につなげる。
『……に……ジジ……きた…………。ジジジジ……である。現在、所属不明の熱気球がラクスの北西8kmまで迫っている。また未確認であるが、フレキ川を強襲揚陸艇が下っているとの報告もある。各自注意警戒されたし。繰り返す。午前10時18分発表。……』
エミリオが線をつないだ途端、金属から声が流れてきた。声はややくぐもっているが、言葉を聞き取るには十分な音質だ。広報用の大型スピーカーであるらしい。
「声が流れてきてる……。これ、まさか電話の応用!?」
「電話? 聖女さま、それはどのようなものですか?」
「えっ!? 声を電気信号に変える機械を口に当てて、耳には電気信号を音に変える機械を当てるのよ。で、相手も同じものを持ってると、離れててもお話しできるんだけど……」
「帝都では、そんな機械が発明されてましたの!? あ、声を電気信号に変える機械って、マイクのことですわね。それで、電気信号を音に変える機械というのはスピーカー?」
一瞬、驚いた顔をしたジェニフィが、一転してマヌケな顔になって抱えている大型スピーカーを指差した。どうやら互いに同じ技術を持ちながら、帝都とラクスでは別の使い途に気づいてなかったようだ。
「これはあとで市長さまにお伝えしませんと……」
ジェニフィが持ってきたスピーカーをエミリオに渡すと、次にポケットからメモ帳を出して今の話を書き留めた。
「メイベル。所属不明の熱気球ってのは、あれじゃないか?」
堤防の外側まで行っていたナバルが、横を向いて空を指差してくる。
熱気球は赤い色をしていた。数は確認できるだけで3つ。その周りをラクスから飛び立った白いグライダーが飛び、何やら接触を試みているようだ。ところが、
「やられたぞ!」
突然、周囲が騒がしくなった。熱気球の近くを旋回していたグライダーが、いきなり発火したのだ。それで尾翼から炎を上げるグライダーが、黒い煙を吐きながら離れていく。
「グライダーって燃えちゃうの?」
メイベルも堤防の外側まで来て、落下防止用の壁から身を乗り出した。
グライダーの吐く黒い煙が炎を掩って一瞬見えなくする。だが、炎はどんどん大きくなり、ついにはグライダーの尾翼がもげ落ちた。それで制御不能になったグライダーが、黒い煙の帯を残して湖の中へ墜ちていく。
「鉄で補強されてるけど、ほとんど木で作られてるからな」
そう言ってきたのはナバルだ。そのナバルの見てる前で、2機目のグライダーも撃墜され、炎を吐きながら湖の間にある草原に不時着する。
「気球に魔導師が乗ってるのか?」
「急いで迎撃用のグライダーを出せ!」
グライダーの後部座席に銃や弓、ボウガンを抱えた人たちが乗り込んだ。そんな装備を載せたグライダーが、蒸気カタパルトによって次々と射ち出されていく。
それを見送ったメイベルが、
「ジェニフィさん。何度も聞きそびれちゃったけど、冬の戦争って、いったい何なの?」
と、ようやく聞きたいことを尋ねた。
「何なのと尋ねられても、いつの頃からか冬になると戦争が起こるようになったとしか聞いてませんので、わたしには何と答えれば良いか……。まあ、夏の洪水のようなものかと……」
「そんなわけないでしょ!」
戦争を災害の1つとしか捉えてないジェニフィに、メイベルがツッコミを入れる。
その時──
「強襲揚陸艇が来たぞ!」
カタパルト付近にいた係員が、そう叫んで川の方角を指差した。
ラクスを囲む街の壁は、川からもっとも近いところでも3km近く離れている。しかし水はけと水運の利便性を考えて、川から大きな水路が引かれていた。その水路は街を五角形で囲む堀の1つの頂点へつながっている。そこはメイベルのいる所から右に見えている。
その堀につながる水路を今、3隻の底の平らな船が猛烈な速さで走っていた。まるで水切りしてるように水面を弾み、白いしぶきを上げている。
「何なの、あの速さは?」
「あれはたぶん蒸気ジェットで走る船ですよ。まさかラクス以外でも、あれの開発に成功した国があったとは……」
メイベルの疑問に、エミリオが少ししかめた顔で答えてきた。
「蒸気ジェット? それ、市長さんが開発してた……」
「強い火力で沸かした蒸気を、船の後ろへ噴き出すんです。それで水の上を時速60km以上で走る、とんでもない船ですよ」
「時速60km!? そんなに速く走れる動力があるの?」
「走れますよ。ただし、メチャクチャ燃費が悪くて、せいぜい10kmぐらいしか走れないのです。だから、あのような使い方しかできない技術ですけどね」
エミリオが顔をしかめたのは、戦争にしか使えない技術に嫌悪感を覚えたからだ。
その水路を走る揚陸艇のはるか後方で水柱が上がった。続く砲弾は水路を逸れたのだろう。水路の手前で土煙を上げている。
弾を撃ったのは、メイベルのいるところから、ずっと水路に近いところにある大砲だった。小さく見える大砲から、黒い煙が出ているのが見て取れる。そして、更に数秒ほどしてから、ようやくドンドンと小さな砲声が聞こえてきた。
その間にも大砲が次々と火を噴いている。しかし揚陸艇が速すぎるのか、まるで見当違いの場所に水柱や土煙が上がっていた。
先頭の揚陸艇が堀に出る手前で、いきなり向きを変えて陸に乗り上げた。そのまま艇は勢いをつけて陸上を滑っていく。そして100mほど進んだところで動きを止め、艇の前が開いて50人ほどの兵士たちが武器を持って飛び出してきた。
その兵たちに向かって防壁の上から弓やボウガンが射られた。その矢が弧を描いて飛び、地面に突き刺さっていく様子が見える。他にも音の小さな銃でも応戦が始まった。だが、上陸した兵たちが散開したため、まったく戦果を出ていない。
更に2番目を走っていた揚陸艇は反対側の陸に乗り上げ、防壁の向こう側へ消えていった。あちらでも同じような戦いが始まっているだろう。そして──
「防壁に取りつかれたぞ!」
3番目の揚陸艇は陸へは上がらず、防壁に取りついてきた。そこからハシゴなどで兵たちが壁を上り始める。先の2艇の兵たちは、それを援護するために散開したようだ。
「どうしたんだ? すぐ下なのに応戦できないのか?」
壁から身を乗り出したナバルが、壁の上にいる兵たちが登ってくる兵に気づきながらも何もできてない様子をいぶかしんだ。
「勇者さま。やられました。壁の下は防御の死角です」
そう言ってきたのは、街の警備兵と思われる男だ。
「死角って、どういうことだ?」
「上からでは壁に生えてる草が邪魔で見えない……というのもあるのですが、それよりも銃や弓では武器の性格上、真下を狙えないのですよ」
「そういうものなのか? それでも上に登ってきたら、ただの標的だと思うが」
「勇者さま。敵だって、そのぐらいわかってますよ。よくご覧ください。敵の狙いは壁を登ることではなく、壁を崩すことです」
かなり遠くであるためにハッキリとは見えないが、取りついた兵たちは壁を途中まで登ったところで止まっていた。そこで壁に穴を掘ってるらしい様子が感じられる。しかも頭上には盾を向け、上から何かを落とされることに対抗してるようだ。
「この壁が崩せるのか?」
「さすがに1日では無理と思いますが……。同じ攻撃を繰り返されれば、いつかは……」
警備兵と思われる男がナバルの疑問に答えてる時、取りつかれてる壁で異変が起きた。
いきなり壁の側面から、白く大きな煙が上がったのだ。と同時に、その上の壁が崩れて堀へ流れ落ちていく。それと一緒に壁の上にいた人や大砲も堀の中へと落ちていった。
「何だ、今の爆発は!?」
男が壁から身を乗り出して、壁が落ちていく様子に目をみはった。
それから少し遅れて、大きな爆音が轟いてきた。
「魔法!? それともガス爆発? ううん、煙が白かったから水蒸気爆発じゃ……」
メイベルも壁から身を乗り出して崩れていく壁に目を向けた。そのメイベルの疑問に、
「あれは新型火薬が使われましたね。たぶん、間違いなく……」
と、エミリオが言ってくる。
「新型火薬!? 火薬って、銃や大砲から弾を撃つ……あれ?」
「そうです。サンスタグの新型火薬は、黒色火薬の3倍の爆発力があるそうです」
そこまで話したところで、エミリオが壁から離れていった。そのエミリオが、
「聖女さま。たぶん、今、攻めてきているのは、南アルテースでもっとも大きな都市国家サンスタグを中心とした連合軍でしょう。だとしたら銃火器の威力は生半可なものではないので、気をつけてください」
とだけ言って、仮設テントへ戻っていった。そのエミリオを見送るメイベルに、
「そういえば、聖女さま。エミリオが発明家を目指さなくなった理由は、お話ししてませんでしたわね」
とジェニフィが話しかけてきた。
「エミリオが発明家を目指さなくなったのは、せっかく考えた技術が戦争や悪いことに使われるのに嫌気が差したからですわ。それでエミリオは技術者から離れて書記係になりましたの。今、市庁舎で財務を任されているのは、市長さまがエミリオを手放すのは惜しいと思われているからで……」
「そっか……。科学や技術って、わたしたちの生活を豊かにするだけじゃなくて、あまり好ましくないことにも使われるのよね」
ジェニフィの言葉に、メイベルが少し考え込んだ。
ラクスに来てから、メイベルは見知らぬ技術に好奇心を躍らせてきた。だが、その中には生活を豊かにする以外の目的に使われるものもあると、改めて意識させられたようだ。
さて、ラクスで攻防戦が始まった頃、北西から迫ってきている熱気球では、
「おやっさん。地上の総司令からの伝令です。『予定通りに進め』だそうですよ」
後方を飛ぶ気球に、飛行魔法の使える伝令兵が命令書を届けに来た。伝令兵はメガネをかけた長髪の優男だ。その男が気球に追いつき、ゴンドラへと乗り込んでくる。
「お、ブルーノじゃねえか。おめえ、今日は戻りの船でサンスタグへ行くはずじゃなかったか?」
「昨日はそのつもりだったんですけどね。やっぱ、前線ってヤツを見たいと思いまして」
乗り込んできた優男はブルーノ・アサッシニオ。ドラゴン教の中にある過激な宗教一派──アサッシニオ派の宗教的指導者だ。
そのブルーノの乗り込んだ気球に乗っていたのは、軍服に準将軍の階級章を付けた壮年男だった。黒く日焼けした顔と、筋骨たくましい体格をした気球隊の現場司令である。
「久しぶりの帰省じゃねえか。そのまま生まれ故郷へ向かうと思ってたんだがな。まさか前線へやって来るとは……。戦争と聞いて、血が騒いだか?」
「それもあるでしょうがね」
そう肯定したブルーノが、ゴンドラを吊るロープをなでながら顔を上に向けた。
「それより何年かぶりに故郷へ帰ってきたら、空を飛ぶものが発明されてて……。それが前線へ出ていくと聞きましたので、この目で見たくなったんですよ」
「おいおい、ブルーノ。この熱気球なら、おめえが生まれる前からあるぜ。それに周りを飛んでるグライダーも、南アルテースじゃ古くからある技術だ」
そう言った司令が、白い歯を見せながらニヤニヤと笑う。だが、
「つっても、サンスタグが熱気球を使えるようになったのは、3年ぐれえ前からか? ラクスから珪油バーナーの技術を手に入れる前は、熱気球ってヤツは浮かぶしか能のねえ、使えねえシロモノだったからな。おめえが知らなかったのも仕方ねえかもな」
と言いながら、バーナーの火力を調整した。そして、ブルーノから命令書を受け取り、それに軽く目を通す。
「予定通りラクスの街を爆撃して、あとは適当に銃を撃って帰ってこい……か」
「おやっさん。爆撃って火炎瓶でも投げ込むのですか?」
ブルーノがそう言って、命令の内容を尋ねた。
「爆撃ってのは、火炎瓶じゃなくて爆弾を落とすんだ」
「爆弾?」
「おうよ。ゴンドラの外側に壺みたいなモンがぶら下がってるだろ。そいつが爆弾だ。あん中に火薬が詰め込まれててな。それを落としてドカンとやんだよ」
説明する司令の背後を白いグライダーが通り抜けていった。それに目を向けた司令が、
「ったく、うっとうしいな」
口径の大きな銃を持ち、グライダーに向けて引き金を引く。
火を噴いた銃口から白い煙が伸びていった。それがグライダーに迫り、回避行動を取るグライダーの翼の先に当たって発火した。
被弾したグライダーがその場できりもみを始める。そのため炎から出た黒い煙が空中に螺旋を描いた。その螺旋が途切れた。どうにか火を消せたようだ。それで被弾したグライダーは、気球から逃げるように離れていく。
「おやっさん。その銃は?」
司令の持つ銃が、根元から折れ曲がっていた。そこからまだ煙の出ている鉄くずが出てくる。弾を撃ち終えたあとの薬莢だ。
「新型の銃だ。なんか弾の底んとこを叩くと火薬が爆発して、弾丸を撃ち出すとか言ってたかな。こいつは極秘兵器だから、まだサンスタグ以外じゃ使われてねえはずだぜ」
そう説明しながら、司令が薬莢が出てきた筒に、別の弾を詰め込んだ。そして折れ曲がった銃の根元を元に戻し、力を入れて留め金で固定する。
「今詰めた弾はグライダー専用の、当たったら発火する火炎弾だ。こいつが使われるのは今日が初めてだが、なかなか効果があるみたいだぞ。おめえも撃ってみるか?」
そう言って司令がブルーノに銃を渡した。その間にも、また1機のグライダーが炎を上げて墜ちていく。新兵器の登場に、まだラクスのパイロットたちは気づいてないようだ。
「くっ。まったく当たりませんね」
ブルーノの撃った弾はグライダーの後ろへ飛んでいってしまった。それを見た司令が、
「あっはっはっ。おめえ、ヘタクソだな」
と、楽しそうにバカ笑いする。
「そんなに笑わないでください。わたしは銃なんか滅多に使わないのですから」
「知ってるよ。おめえは飛行剣士だからな。銃なんてオモチャは、新兵や雑魚の持つものだって叩き込まれた口だろ」
ふてくされた顔をするブルーノに、司令が優しい目を向ける。
「だがな、これからの時代は剣よりも銃だ。新しい火薬が発明された。これまでの黒色火薬より、3倍の爆発力がある火薬だ。そいつを使う銃も変わった。今までは筒の先から火薬と弾を詰め込んでいたが、さっき見ただろ。新型の銃は後ろから弾を込めるんだ。弾もあらかじめ弾丸と火薬を仕込まれた筒を入れるだけだ。あとはしっかり留め金で止めて、引き金をひくだけ。しかも射程は400mだ。これまでの銃の10倍以上飛ぶ。しかも砲身に煤が溜まらないように、内側に溝が彫ってある。だから手入れも楽だ。ついでに溝は螺旋状に彫られてるから、それで弾はまっすぐ飛んでくそうだ。これまでの銃のように、20mも離れたら当たらないなんてこともない。原理はよく知らんが狙いも正確だ。まだサンスタグでしか実用化されてない兵器だが、こんな銃が他の街からも出てきたら剣なんか相手にならんぞ。ラクスじゃ、火薬を使わない新型銃が出てるしな」
そう諭しながら、司令がブルーノの撃った銃からカラ薬莢を出した。そして次の弾を込め、カチリと留め金をする。そして、それをブルーノに返しながら、
「しかしなんだ。おめえが南アルテースを出てってから、アサッシニオ派なんて宗教一派を立ち上げるとはな。それでソルティス教を相手に、派手に暴れたそうじゃないか」
と、話題を変えてきた。
「で、昨日はゆっくり話せなかったが。そのおめえが、どうして今ごろになって帰ってきたんだ? まさか親父の跡を継いで、技術者になるのか? まあ、南アルテースに帰ってきたんなら、宗教指導者でいるにしても技術者の方が尊敬され……」
「おやっさん。わたしは科学技術が自然を破壊するから、父とは別の道を進むつもりで街を出たのです。なので今さら技術者などと……」
「おめえも頭が堅ぇなあ。科学技術が何でも自然を壊すわけじゃねえだろ」
そうぼやいた司令が、バーナーの火力を強めた。それで少し高度を落としていた気球が、再び空へと昇っていく。
「まあ、おめえが住んでたカルシボで、とんでもねえ悲劇があったからな。カルシボは炭鉱と銅鉱山の町だったか? そこに来たソルティス教徒の資本家たちが、異教徒の町だからと乱暴な開発をして、それで毒の煙と鉱山の毒で町も自然も壊されちまったらしいな。そんだから、おめえが科学技術とソルティス教に憎悪を感じるのも仕方ねえけどさ」
そこで話を一度区切った司令が、バーナーの火を弱めた。その気球に高さを合わせようと、周りの気球たちもバーナーを強めて空に上がってくる。
「あまり短絡的に考えっと、技術者だった親父まで否定することになるぜ。あいつはカルシボで一番の技術棟梁だったが、敬虔なドラゴン教徒だからな。自然と共存できない技術には口やかましかっただろ?」
司令が目を向けても、ブルーノは黙ったままだった。その様子をチラッと見た司令が、
「ん、少し西側を飛んでるな……」
地上に目を向けて、今の場所と流されている方向を目で確かめる。そこに、
『司令。地上付近では、北風が強くなっているようです』
高度を上げてきた気球の乗員が、大声で風向きを報せてきた。見れば攻撃を受けて墜ちていく気球が、隊を離れてどんどん南に流されている。
「地上は北風、上空は西風……か」
バーナーに手をかけて、司令が周りの気球に合図を送る。そして、
「高度を上げて西風に乗せろ。ラクス上空を通過次第、ただちに爆弾を投下。あとは地上を銃撃にて牽制しつつ、一気に離脱せよ!」
と命令を伝えると、バーナーの火力を最大にして一気に上昇していく。
「え〜い。迎撃はどうなってるか!?」
ラクスを囲む防壁の上で、守備隊の兵たちが戦況にやきもきしていた。
ラクスに迫っている熱気球は5つ。そのうちの1つが落とされ、西の草原に墜ちた。墜ちる寸前、ゴンドラから爆弾や砂袋が落とされ、地上で大きな爆発が2つ見られた。それで軽くなった気球は落下速度を弱めて、そのまま草原に墜ちて横になっている。
そして、もう1つが墜ちてきた。その気球も浮力を回復させようと、ゴンドラに下げていた爆弾を切り離した。その爆弾が堀の向こう側に落ちて爆発し、2つのクレーターを作る。しかし気球は北風に流されたまま墜ちてきて、ラクスの北西側にある防壁の西のはずれ付近に激突した。その直前、ゴンドラに乗っていた乗員は堀の中へ投げ出されている。
一方で残る3つの気球は高度を上げていた。迎撃に上がったグライダーは一度気球と同じ高さで上昇をやめると、それ以上の高さへは容易に上がれない。そのため方向を変えるために高度を上げた気球を迎撃できなくなっていたのだ。上空には何機ものグライダーが飛んでいるが火矢を放っても届かず、気球の下を虚しく通りすぎるしかない。
その気球から、ついに爆弾が投下された。筒型の後ろに十字の羽根のある爆弾だ。それが防壁のすぐ内側に落ちた。直後、激しい爆音が轟き、付近にあった建物の壁が崩れていく。
「何が落とされたの?」
メイベルにとって、初めて目にする攻撃だった。
マウンテン・ドラゴンの火炎攻撃よりは威力は小さい。だが、その爆発によって、間違いなく街に被害が出たのは確かだ。更に落とされた爆弾が、街の通りや水道高架を破壊していく。最終的にラクスには計6発の爆弾が落とされた。
それらを落とした気球は、爆弾を捨てて軽くなったために空高く舞い上がっていく。それで上空を流れる西風に乗って、東へ向きを変えてきた。それをメイベルから見れば、急に向きを変えて自分に向かってくるような感じだ。
同じ頃、気球では、
「よし。攻撃終了だ。地上を銃撃しつつ、一気に離脱するぞ」
司令が攻撃の成果を確認し、あとは部下とともに生還することを考えていた。
別の気球では銃を構えた乗員が、地上に向かって適当に弾を撃っている。運悪く標的にされた兵が、何があったのかわからないまま倒れていった。
気球を見上げる地上では、
「くそっ。好き勝手しやがって……」
大砲を上に向けている兵が、怒りで奥歯を噛みしめていた。ここで撃てば弾が気球に当たるかもしれない。だが、当たっても当たらなくても、ここで撃った弾は間違いなく街の中へ落ちてしまう。そのために反撃ができないことを悔しがっているのだ。
「おい、どうしてグライダーは、あそこまで飛べないんだ?」
蒸気カタパルトのところへ駆け寄ったナバルが、係員に気になることを尋ねた。
「それは仕方ないんですよ。グライダーは射ち出す時の加速に耐えられるように、金物で補強されて重くなってるんです。それで、あんなに高くまで飛べないんですよ」
ナバルに尋ねられた係員も悔しそうだった。
気球の動きはゆっくりだ。もしあの高さまで飛べれば、簡単に捕まえられそうな感じがする。だが、実際にはまったく手が出せない。
その気球から無差別に撃たれた銃撃で、また地上で犠牲者が出た。情けなくても今は逃げるしかない。そう思った人たちで、気球の下では大騒ぎになっていた。
「もう、許せない! 灼熱の炎よ!!」
いきなりメイベルが、空に向かって魔法を放った。一方的にやられる事態と、一般市民を巻き込む無差別な爆撃に、強い義憤を感じたようだ。
そのメイベルの放った火の玉が、向かって右側を飛んでいた気球を直撃した。
直後、気球が直撃部分から裂けていった。と同時に火の玉が引火したのか、気球全体が炎に包まれていく。
「うわぁぁぁ〜〜〜〜〜……」
ゴンドラに乗っていた乗員が悲鳴を上げた。炎がゴンドラを吊り下げているロープのうち2本を焼き切っている。それでゴンドラがひっくり返され、乗員が空へと投げ出されそうになっていた。今はかろうじて残ったロープに摑まって、身体を支えている。
それを見たブルーノが、
「おやっさん救けてきます!」
と断って、ゴンドラから飛び出していった。
飛行魔法で身体を浮かせるブルーノが、バランスを失って不安定になったゴンドラへ近づいていく。そして、残っているロープを摑んだ直後、
「ちっ!」
ブルーノが舌を打った。ゴンドラを吊る4本のうち、3本目のロープも焼き切られたのだ。そのロープに摑まっていた乗員が、空へ投げ出されていく。
「手を伸ばしなさい!」
乗員を追って、ブルーノが再び宙へ飛んだ。落ちていく乗員が、必死に腕を伸ばしてくる。その乗員と一緒に落下するブルーノが、がっしりと腕を摑んだ。
その横を、浮力を失った気球が炎に包まれながら墜ちていく。
「おやっさん。救助成功だ!」
乗員を救けたブルーノが、司令の乗るゴンドラに戻ってきた。
「ご苦労だった。だが、ゴンドラに3人は重え。ブルーノ。おめえはあっちに移れ!」
乗員をゴンドラに乗せたブルーノに、司令が隣へ行くように命じた。その司令が、
「さっきの火の玉を撃ったの、あの黄色い服のヤツだな。ラクスに聖魔導師がいるなんて聞いてねえぞ!」
と苦虫を噛み潰したような顔で地上を見ながら、バーナーの火力を最大にする。
その司令の乗る気球に、地上から次の火の玉が迫ってきた。司令が火力を最大にしたのは、火の玉からの回避運動のためだ。上昇とともに風向きが変わり、気球が横へ流れていく。火の玉はその気球のゴンドラをかすめた。それでゴンドラに吊られていた砂袋が1つ落ちていく。それで少しだけ軽くなった気球が、上昇速度を上げていく。
「くそっ! あの聖魔導師め」
一方、ブルーノが乗り込んだ気球では、乗員が銃を構えて地上を狙っていた。照準をしっかりと見定め、メイベルの頭を撃ち抜こうとしている。
その標的の動きが止まった。魔法を撃つために、魔力を蓄える一瞬だ。そこを狙い、
「覚悟しろ!」
銃口が火を噴き、その反動でゴンドラが大きく揺れた。
「クレマリィ・フレー……あ…………!?」
魔法を放とうとした寸前、メイベルの左肩に衝撃が走った。
敵の狙いは少しだけ横にズレた。だが、そこは左肩の首に近いところ。気球からそこを撃ち抜けば、かなりの高確率で心臓を射貫ける人体の急所の1つだ。
そこを撃たれたメイベルが、弾かれたように仰け反りながら弧を描いて倒れていく。
「仕留めた!」
狙った場所とは違うものの、銃を放った乗員は手応えを感じていた。倒れていくメイベルの姿に、興奮した面持ちで拳を強く握る。その理由は、
「ソルティスの聖者を仕留めた! こりゃあ、勲章モノだ!!」
ドラゴン教徒にとって、異教の聖者を倒すことには大変な価値がある。それを達成できたことで、強い興奮を覚えていたのだ。
「俺もトドメを刺してやる!」
ブルーノに助けられた乗員も、司令のゴンドラにあった銃を持って地上を狙っていた。
標的は仰向けに倒れたままだ。まったく動いていない。乗員は照準の真ん中に、その標的の左胸を置いている。
「お返しだ」
乗員の指が動いた。銃口が火を噴き、その衝撃でゴンドラが揺れる。
この銃撃の弾はわずかに流れた。だが、弾はメイベルの右脇腹に命中していた。衝撃でメイベルの身体が弾む。それを見た乗員が、仕返しできたことを確信して満足する。
「ソルティスの聖魔導師ですか。名も知らない異教の聖者よ。立派な最期でしたよ」
ブルーノが地上に向かって敬意を払った。そのブルーノを乗せた気球は、風に乗ってラクスから離れていく。そして残った2つの気球は、そのまま東の空へ飛び去っていった。
「大変だ!! 聖女さまが撃たれたぞ!」
「救護班を呼べ! 大至急だ」
気球が飛び去ったあとの防壁の上では、大変な騒ぎになっていた。
「退いて! 道をあけて!!」
大きな救急箱を持ったキャロルが、報せを聞いて駆けつけてきた。そのキャロルが人込みを掻き分けて、倒れているメイベルのところへ急ごうとする。
そのキャロルが、動かないメイベルを見て愕然とした。
周りにいる者たちは、あまりの出来事に誰もメイベルに寄ってこない。そのためメイベルを囲むように厚い人の壁ができていた。ただ1人ジェニフィだけが、
「聖女さま! しっかりしてください! 目を開けてください!!」
と、メイベルの肩を揺すりながら泣き叫んでいる。
そのジェニフィの横に腰を落としたキャロルが、メイベルの手を取って脈を診た。そのキャロルが静かに目を閉じ、
「良かった。まだ脈はある……」
と、小さな声で安堵する。
そこにナバルがキャロルとは反対側の人込みを掻き分けて、メイベルに駆け寄ってきた。そのナバルがキャロルの表情から、取り敢えず命はあると声ではない言葉を聞き取る。
「聖女さまは、気を失ってるだけよ」
やってきたナバルに、キャロルが今わかる事実を伝えた。その言葉を、
「気を失ってる……だけ? 2回も撃たれたのに……ですか?」
ジェニフィが驚いた顔で尋ねてくる。
「聖女さま。咄嗟に魔法で防いだんじゃないのかな? ほら、こことここに焦げたあとがあるけど、服に穴は空いてないでしょ」
冷静になったキャロルが、服についた汚れを指差した。左肩の首の近く。それと右の脇腹のあたりだ。それを指摘されたジェニフィが、脇腹の焦げ目をそっと触れる。出血した様子はない。それでようやく安心したのか、
「よかった……ですわ」
と零して、メイベルのお腹に頭を載せて泣いている。
「ったく、驚かせやがって。おい、メイベル。起きろ!」
腰を落として片膝を突いたナバルが、そう言ってメイベルの頬を優しくつまんだ。
それに応じるように、メイベルが「う〜ん」と唸って、ゆっくりと目を開ける。
「あれ、ナバル!?」
「おい。『あれ、ナバルぅ』じゃねえよ」
ぼうっとしてるメイベルを見て、ナバルが口許をゆるめる。
それを周りで見ていた人たちが、
「おおお、聖女さまは無事だぞ」
「すげえ。2回も銃で撃たれたんだろ。聖者の奇跡じゃねえのか!」
メイベルの無事を知って歓喜の声を上げた。
「動けるか?」
「うん、たぶん。……あれ!?」
起き上がろうとしたメイベルが、やにわに変な声を出した。
「どうした? 動けないのか?」
「それが……」
ナバルの確認に、メイベルが不思議そうな顔で返事をよどませてくる。
「おいおい。また魔法の使いすぎで動けなくなったのかよ」
「違うわ。そうじゃなくて……」
またいつものことと抱き上げようとしてくるナバルを、メイベルが止めた。
「腕は動かせるけど、上がらないのよ」
メイベルが地面の上で腕を転がすように動かしてみせる。動かそうと思えば動く。この感じは魔力の使いすぎで脱力した時とは、明らかに違う感覚だ。
そんなメイベルをじっと見ていたキャロルが、突然、目を丸くして、
「聖女さまの、鎖骨が折れてる……」
と言ってきた。
「聖女さま。魔法で防いだんじゃなかったの? なんで骨が折れてるのよ!?」
キャロルが「わけがわからない」と言いたいような声で、メイベルに質問をぶつけてきた。キャロルが見つけたのは、メイベルの肩のあたりの不自然な膨らみ具合だ。それを確かめようと、キャロルが服の上から患部を触診する。
「魔法で何を防ぐって? わたし、そんなこと何も……」
メイベルが何のことかわからず尋ねた。しかし、キャロルはその質問には答えず、
「間違いないわ。左の鎖骨が、ポッキリと折れてる」
と症状を口にする。この骨が折れたため、メイベルの腕が上がらなかったようだ。
「勇者さま。応急手当てしますから、聖女さまの身体を起こしてあげてください」
軽く息を吐いたキャロルが、そう言って救急箱を開けた。その中には注射器や薬、包帯などがギュウギュウに詰め込まれている。そこからキャロルは、幅が広めの帯を出してきた。それでメイベルの肩を固定するつもりだ。だが、
「あ、キャロルさん。治療はいいわ。具合いがわかってれば、自分で治せるから」
手当てを受けるメイベルが、そんなことを言ってきた。
「自分で治す!? ……ああ、聖女さま、治療系の魔法も使えたんだ……」
手当ての準備をする手を止めて、キャロルがメイベルが何を言おうとしたのかを理解した。そのキャロルがメイベルを起こそうとするナバルに、
「勇者さま。聖女さまは起こさなくてもいいです。寝かせてください」
と、元のように寝かせるように言ってきた。そして骨の折れた場所に手を当てて、
「その代わり聖女さまが治癒魔法を使いやすくするために、折れた骨を正しい場所に戻すお手伝いをお願いします。聖女さまの両肩を手で押さえて、左右に引っ張ってください」
と、骨の位置を元の位置に近づけるための方法を教える。
「両肩に手を押さえて、外へ引っ張ればいいのか?」
両肩を押さえるために、ナバルがメイベルの身体をまたいだ。そして肩を摑んで、優しく外側へ引っ張っていく。その具合をキャロルが触診で確かめている。
「勇者さま。そこで止めてください。聖女さま。あとは骨をくっつけるだけですよ」
「あ、うん」
声をかけられたメイベルが、キャロルの呼びかけに答える。ところが、
「……えっと……。ゴメン。魔法に集中できないわ!」
いきなりそんなことを言い出したメイベルが、顔を真っ赤にして目を閉じた。
「ちょっと、どうしたの!?」
突然、魔法が使えないと言われて、キャロルがわけがわからないという顔をする。そのキャロルの肩をちょんちょんと突っついてきたジェニフィが、
「聖女さま、勇者さまが上にのしかかってるから、意識したんじゃありませんの?」
などと言ってきた。その言葉にメイベルが図星を指されて「うっ」と短く呻く。
「このぉ、おバカ!」
思わずキャロルが、メイベルの頭をポカンと叩いた。ナバルもメイベルの反応に、
「おまえ、痛くないのか? 妙に余裕があるみたいだな」
と、呆れた声をかけてくる。
「聖女さま、今はまだ神経が興奮してるから痛みを感じてないのよ。この様子だと……」
キャロルがぼやくような口調で、ナバルの疑問に答えてきた。そのキャロルが、
「でもね、聖女さま。早く手当てしないと、痛みを感じてからじゃ魔法を使うどころじゃなくなるわよ。マジメにやって!」
とメイベルに文句を言う。それで2人から冷たい視線を浴びたメイベルが、
「うん。ごめん……」
と顔を真っ赤にしたまま、そうっと2人から視線をそらせた。
「聖女さまって頭がすっごく良さそうに見えるけど、ホントはバカじゃないの?」
「あ、やっぱり、そう思うか? 俺も一緒に旅をしてきて、ひょっとしたらバカじゃないかと思ってたんだ」
「ひ、ひどい……」
2人から言いたいことを言われてしまったメイベルが、顔をそむけたまま涙を流した。
そんなやり取りを横で笑いを堪えながら見ていたジェニフィが、
「あら!? これは何かしら?」
メイベルの近くに転がっていた、グシャリと潰れた小さな金属の塊を見つけた。




