それぞれの過去 増山編
◼️ 訃報
「タク殿、これはどちらに運んだらいいですか?」
「それは、あっちでやんす」
”紙工房”の準備は順調だった。
ただ、設備の大枠は外山の造形魔法でサッと出来上がっていたが、それ以外の物は人力で運ぶ必要があった。
━━ 和田殿、ちゃんと葉山殿に会えただろうか?
なんとなく、落ち着かない。
あの時もそうだったから。
増山タエのいつもの回想だった。
何かにつけて、思い出してしまうこと。
終わらない悪夢のような、辛く悲しい回想。
『じゃあ、ちょっくら行ってくるよ』
いつものように、あの人は車に乗った。増山繁晴は、料亭の料理人だ。この時間、いつも軽トラックに乗ると、市場へ買い出しに出かける。
『はい、貴方気をつけていってらっしゃい』
━━ ププッ
短く小さくクラクションを鳴らし、窓から突き出たてがバイバイしてる。
このいつもの光景であったが、最後の光景でもあった。
しばらく見送ると、料亭へと戻った。
━━ 何時かしら?
しばらく掃除してみたり、車が帰ってこないか見てみたり、そんな事を繰り返していた。
その合間で時計を確認する。先程の確認から二分も経ってないのだが、つい何度も時計を確認してしまう。
いつもならとっくに帰ってきている時間。
渋滞とか、なにかあったんだろうと思うのだが。渋滞? 早朝に?
━━ 不安を打ち消すためにも、できることやってしまおう
気を取り直したタエは、皿を出して確認したり、仕込みの鍋を出したり、無心に動き回った。
━━ ガチャン
やってしまった、繁晴がこだわって買い求めた小鉢。梅の花をあしらった形と、ほのかなピンクの小鉢。
繁晴には、職人らしい小さい所までのこだわりがあった。
それもあってか、そこそこ名の知れた料亭となって来ていた。
━━ やだ、よりによもって、この小鉢割ってしまった
タエの心配がますます募る結果になった。
電話に手が伸びる。
馴染みの魚屋に電話する。仕入れでは必ず寄る魚屋だからだ。
『おお、タエさん。おはようさん』
『あの、ウチの人まだおりますか?』
『え、繁ちゃん?いや、今日はきてないよ? 俺もさ、おかしな日もあるもんだって、さ』
タエの心にあったわずかな細波が、少しずつ荒れ狂う嵐に変わる、そんな予感があった。
『もしも、ウチの人来たら電話入れるように言ってもらえますか?』
『おお、いいけどよ。何かあったんかな?』
『まだ帰って来ないんです。この時間とっくに帰ってきてる時間なのに…』
話もそこそこに、タエは電話を切った。
料亭の従業員もちらほら出てきていたので、事情を話す。
『私、ちょっと探してきます…』
そう言って店を出ようとした時だった。
電話が鳴った。
なんだか、不吉な音に聞こえて仕方がない。
━━ 警察!? 電話口から確かに警察と聞こえた
◼️ 別れ
私、何してた?
ここどこだろう?
繁晴さん、早く帰って来ないかしら。
『タエさん、気持ちをしっかりな…』
タエの肩に置かれる手。
魚屋の大将だった。
『え? 大将、どうしたの?』
『タエさん…何も覚えてないのか? まあ無理もないな。落ち着いたら、ゆっくりするといい』
タエの心は壊れかけていた。
何も信じられない。実感がない。
だって、繁晴さんは帰って来るはずだもの…
『早朝帰りのトラックの居眠り運転が原因でして…』
突然、警察の話しが蘇ってくる。
そうなの?
本当に?
不思議と涙は出なかった。それは帰ってくるという、確信、いや執着と言った方がよいだろうか。
その思いだけがタエを支えていた。
━━ 繁晴さん帰って来るから、私がしっかりしないと
葬儀を終え、周囲の反対を押し切ってすぐに店に出る。
繁晴さんが帰ってくるまでお店守らないと。
その気持ちだけで動いている。
周りもその事を言うのはやめていた。
朝から深夜まで、一心不乱に働く。しかし、調理師免許はあるにしても、板前ではないのだ。
その事も影響してか、客足は徐々に落ち行く。
それでもボロボロになりながらも、働き続けていた。
売り上げが立たなくなり、従業員も一人、また一人と辞めて行く。
やがて、資金も底をつき、開業の借入返済もままならなくなった。
今度は金策に駆け回るタエ。
だか、先行きの知れた料亭経営から、資金援助は全て断られた。
この頃なると、繁晴が帰ってくるということも、無くなったんだと、思い知らされていた。
━━ 繁晴さん、どうしたらいいの?
いつも繁晴とよく歩いた大きな橋で立ち止まる。
下を見下ろすと、かなりの高さだ。
━━ 繁晴さん、ごめんなさい。わたし…
橋の欄干に手を掛け、足を乗せようとしていた…
『タエさん、バカなことするじゃない』
『あ…』
タエが振り返ると魚屋の大将だった。
『店にいないから、探したよ。そんな事、繁ちゃんが喜ぶとは思わねぇな』
『わたし…』
大将も少し涙ぐんでいる。
『辛かろう。それはわかる。でもな、繁ちゃんのためにも、いや、繁ちゃんの分も生きないと』
━━ ここで初めて、タエは号泣した。今まで溜めていた悲しみを一気に放出するように
その後料亭は売りに出された。
幸い立地はさほど悪くないため、買い手がつた。
ただ、借金は消えずに残ってしまった。
◼️ 赤島倉庫へ
しばらくは寝る間も惜しんで、働き続ける。
睡眠時間は明け方のほんの少し。
ダブルワーク、時にはトリプルワークをしていた。
借金も残り半分くらいまでは減っていた。
やる事もない、寝て、わずかな食事をし、そして働く。
給与を使うこともなく、返済はかなりすすんだ。
早朝の飲食のバイトでの仕込みをしていた時だった。
寸胴鍋に水を入れ、火にかけようとした時だった。
持ち上げたその瞬間から、記憶が無くなっていた。
━━ ここは?どこなの?
タエが目を覚ます。独特な消毒のような匂い。
病院なの?
起き上がって、しばらくぼーっとしていた。
『増山さん、大丈夫ですか?』
『はい、あの、私どうしたんでしょうか?』
巡回なのか、看護師がやってきたのだった。
『後で先生とお話ししましょうね。そこで詳しくお話しはあると思いますが、過労ですね。かなり無理されていたんでしょう?』
『私… 早く借金も返済したくて…』
看護師は体温計を見ながら、ため息をつく。
『増山さん、過労って心筋梗塞になったりもするんですよ。無理し過ぎは本当に良くないですからね』
『…』
タエとしては、あまり生きることに執着はないが、責任は果たさないと、そう思っている。
でも、確かにこんな働き方では行けない、そう気がついた出来事でもあった。
━━ この仕事ならいいかも
入院中はやる事もないため、色々と仕事を探してみた。
とある会社の社員食堂の従業員だった。給与も良く、お昼と夜の提供で、これまでのような深夜までかかる事もないだろう。
料亭の経営や、多くのアルバイトも経験したこともあり、面接後あっさりと採用された。
━━ なんか、最近社食美味しいよね
タエが勤務となってから、そんな口コミが広がっていた。
食堂の主任も、ほんと良い人が来たと満面の笑みだ。
タエとしては、普通に働いて特別な事もしていない。それでこの結果である。
━━ この職場で良かった
そう安心していた矢先だった。
『豚汁つくったの、増山さんよね』
『はい、そうですが…』
食堂の一番の古株である荒川というおばさんが、何やら手を差し出す。
『これ、入ってたわよ!』
手のひらの上に、スチールウールのかけらが載っている。
『私はスチールウールなんて、使ってません。全部確認してますから、何かの間違いでは?』
『は? じゃあこれはなんなのよ? 間違って食べたらあなた、どうなるかわかるでしょ?』
入るはずがない、これはなんだ、と二人の押し問答が始まる。
少し前から、荒川は新参のタエの人気が気に食わなかった感がある。
言動からタエも気がついていた。
この件は、荒川が大騒ぎした結果、一旦主任預かりとなり、タエは一時帰宅を命じられる。
━━ どうなるのかしら?
翌日、恐る恐る出社する。主任に呼ばれたので、話を聞きに行く。
『弱ったな。僕はね、増山さんがそんなミスをするとは思わないんだけどね…』
『どういうことですか?』
苦渋の表情の主任が、困ったなぁと上を見る。
そして、意を決するように話す。
『荒川さんとね、ほかの何人かが、増山さんがスチールウールを使っていた、そう言うんだよね…』
『…』
もう、何を言っても変わらないんだろうと、タエは諦めた。
━━ また私は奪われるの? いったい、主人、仕事場、どこまで奪われればいいの?
『僕としては、残って欲しいんですけど…。問題が何故か本社の人事、総務あたりにも流れてて…』
『…』
荒川がやったんだろうな。もちろん断定は良くない、そう言われるかも知れないが…
『そういう訳でね、赤島倉庫ってところにも食堂があるのでね、そこに行ってもらえる?』
もうどうでも良い。
赤島倉庫がどこか知らないが…
疲れ果てたタエは、甘んじて受け入れることにしたのだった。
━━ ほんとに、ここなの? 崩れそう…
赤島倉庫の第一印象は、酷かった。
だが、疲れ果て、裏切られ、奪われ、そんな末の今なら、厨房と食材がある━━
それだけで構わないと思った。
ほとんど崩れかけた酷い倉庫だったけど、不思議と落ち着いている自分がいた。
誰も邪魔しないし、とても静かに暮らせている。
葉山室長は、何を考えているかわからなかったが、食べ終えてぺこりと頭を下げた。
嫌な感じはしなかった。
タエも誰とも話したくないし、関わりもいらない、そう思っていたから…
だって、私が口を開かなければ、誰にも傷つけられ無いし、裏切らない、そんな癖がついてしまっていた。
ある日の食事の後片付けの時、外山の言葉を思い出していた。
『タエ様、小生こんな美味しいご飯は、初めてでやんす。ありがとうございます。ごちそうさまでした』
はっとした。報われた気がした。
私も繁晴さんも、誰かの『美味しかった』を聞きたくて仕事をしていたのだから。
━━ 繁晴さん、私、あなたの分まで、生きていけそう
自然と穏やかな笑顔が浮かんでいた。
本作品の世界観や設定の補足情報、登場人物についてまとめました。
あれ、これなんだっけ、誰だっけ、そのようなときにご覧ください。
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