第9話:至高の盾と、猫の昼寝(シエスタ)
午後の陽光が、宿屋のテラスを穏やかに照らしていた。
黒猫――クロは、最高級のシルクを幾重にも重ねた特等席で、丸くなってまどろんでいた。
「クルル……。ウニュ……」
寝返りを打つたびに漏れる、幸せそうな鼻鳴らし。
その前足の先には、昨日手に入れたアダマンタイトのハギレが、おもちゃのように転がされている。神話の金属を贅沢に使った「爪研ぎ」を終え、今は食後のシエスタの真っ最中だった。
その傍らで、レオンは愛用の大盾を膝に置き、真剣な面持ちでフィオーレの作業を見つめていた。
「フィオーレ、本当にいいのか? こんな、伝説の金属の破片を、俺の盾なんかに使って……」
「いいんです。クロちゃんが、レオンさんの盾をパシパシ叩いて『これを使え』って合図してくれましたから」
フィオーレは微笑みながら、クロの影から取り出した「謎の青いスプレー」――現代世界の工業用セラミックコーティング剤――を手に取った。
「『魔手』――多重展開。……『構造分解・再結合』」
フィオーレの指先から、数十本の不可視の腕が伸びる。
彼女はアダマンタイトのハギレを宙に浮かべると、それを分子レベルまで細かく粉砕し、レオンのシールドの表面に均一に配置していった。
本来、アダマンタイトを他の金属と結合させるには、伝説の『神火』が必要とされる。だが、フィオーレはクロから分け与えられた「箱庭の魔力」を使い、金属同士の結合を無理やり繋ぎ変えていく。
そこに、クロが差し出したコーティング剤を「魔手」で霧状にして吹き付ける。
「ウニュ?」
クロが片目を開け、作業の様子をチェックするように喉を鳴らした。
フィオーレがその合図に合わせて、最後の一押しとして魔力を流し込む。
――キィィィィィィン!!
一瞬、盾が眩い銀色の光を放ち、次の瞬間、マットな質感の、しかし不気味なほどの重厚感を持つ『漆黒の盾』へと変貌した。
「……完成です。レオンさん、持ってみてください」
レオンが恐る恐る盾を手に取る。
「軽い……。いや、重さは変わっていないのに、腕に吸い付くようだ。それに、この表面……」
彼が軽く指で弾くと、コン、と、現実離れした硬い音が響いた。
物理攻撃を完全に弾き、魔法を拡散させる。猫の気まぐれと、現代の科学、そして異世界の魔法が融合した、文字通りの『至高の盾』だった。
その時。
宿の廊下から、騒がしい足音が近づいてきた。
ドアが乱暴に開かれ、豪華な装飾鎧を纏った一団が踏み込んでくる。迷宮都市の治安を司る『黄金騎士団』の精鋭たちだった。
「貴殿が、アダマンタイトを解体したというフィオーレか。……そして、それが例の盾か」
先頭の男――騎士団の分隊長が、傲慢な視線でフィオーレを見据えた。
「その技術、都市の利益のために供出してもらう。……おい、その盾をこちらへ渡せ。鑑定のために没収する」
騎士が、レオンの手から強引に盾を奪おうと手を伸ばした。
レオンは咄嗟に身を引こうとするが、それよりも早かったのは、特等席で寝ていたはずの「王」の反応だった。
「シャーーーッ!!」
クロが弾かれたように立ち上がり、背中の毛を逆立てて威嚇した。
同時に、部屋全体の空気が「物理的な重圧」となって騎士たちにのしかかる。
デス・ナイトを平伏させたその威圧感に、騎士たちは膝をつき、呼吸を止めた。
「ウ、ウニュ……ウニュウ……!」
クロが不機嫌そうに、しっぽでピシピシと床を叩く。
彼にとって、お気に入りの昼寝を邪魔されただけでなく、自分の「コレクション(フィオーレと盾)」に無断で触れようとする不届き者は、排除すべきゴミに等しかった。
「ひっ……な、なんだ、この猫は……!?」
騎士たちが恐怖に顔を歪める中、フィオーレがクロをそっと抱き上げた。
「すみません。クロちゃん、お昼寝を邪魔されるのが一番嫌いなんです。……御用件が『没収』なら、お引き取りください。この盾は、クロちゃんがレオンさんのために作ったものですから」
騎士たちは、フィオーレの静かな、だが逃げ場のない魔圧を前に、這々の体で退散していった。
彼らが去った後、部屋には再び平穏が戻る。
「……助かったよ、クロ。フィオーレも」
レオンが苦笑しながら、新しい盾を磨き上げた。
クロはフィオーレの腕の中で一度だけ「うにゃ」と不満げに鳴くと、再びシルクの寝床へと戻り、何事もなかったかのように丸くなった。
「クルル……」
すぐに聞こえてくる、安らかな寝息。
その足元には、先ほど騎士が落としていった「金細工のボタン」が転がっている。
クロは眠りにつく直前、ちゃっかりとそれをストレージへと吸い込んでいた。
「ふふ、新しいコレクションが増えちゃったね」
フィオーレはクロの寝顔を見ながら、優しくその耳の後ろを撫でた。
都市の権力争いも、伝説の金属の価値も、この猫にとっては関係のないこと。
ただ、お気に入りの人間に囲まれ、美味しいものを食べ、面白いガラクタを集める。
それが「箱庭の王」が選んだ、地上の過ごし方だった。




