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第8話:再会の依頼と、猫の爪研ぎ

 迷宮都市アルカディアの朝は、石畳を叩く馬蹄の音と、市場へと急ぐ人々の活気で始まる。

 ギルド指定の高級宿屋の一室。柔らかな朝陽が差し込むベッドの上で、フィオーレは穏やかな目覚めを迎えていた。

「……あ、おはよう。クロちゃん」

 胸の上には、心地よい重み。

 黒猫――クロが、彼女の喉元に顔を埋めてまどろんでいた。

 フィオーレがその艶やかな背中を撫でると、クロは喉の奥から「クルル……」と、鳩のような愛らしい鳴き声を漏らす。それは箱庭の主としての威厳など微塵も感じさせない、甘えたような、平穏な響きだった。

 だが、その平穏は不意のノックの音によって破られる。

「……うにゃ?」

 クロが不機嫌そうに顔を上げ、耳をピンと立てた。

 ドアの向こうに立っていたのは、フルプレートアーマーを完璧に着こなしたレオン。そして、彼の後ろには見覚えのある、だがひどく疲れ果てた男の姿があった。

「フィオーレ、朝早くにすまない。……リーダーが、どうしてもお前に相談したいことがあるって」

 かつてのパーティー『銀翼の旅団』のリーダー。彼は、かつての傲慢さは消え失せ、必死な面持ちでフィオーレを見つめた。


 一行が案内されたのは、ギルドの特別解体場だった。

 そこには、直径二メートルはあろうかという、鈍い銀色の輝きを放つ「岩塊」のようなものが置かれていた。

「『アダマン・タートル』の甲殻だ。……深層で見つけたのだが、どんな名工の刃も、最高位の分解魔法も通用しない。これの解体バラしができなければ、旅団は多額の違約金を背負うことになる」

 リーダーの声は悲痛だった。

 アダマンタイト。それは神話の金属であり、この世界の物理法則を超越した硬度を誇る。

 レオンがウォーハンマーを軽く叩きつけてみるが、火花が散るだけで傷一つ付かない。

「……ウニュ?」

 クロがフィオーレの肩から飛び降り、銀色の甲殻に近づいた。

 そして、その表面を前足でチョイチョイとつつく。

 リーダーが慌てて手を伸ばした。

「おい、危ない! その猫が怪我を――」

「シャーーッ!!」

 クロが牙を剥き、凄まじい威圧感と共に威嚇した。

 リーダーは、まるで巨大な捕食者に睨まれたかのように硬直して動けなくなる。

 クロにとって、この伝説の金属は「硬い」のではない。「手入れがされておらず、表面がガサついている」不潔な代物に見えたのだ。

 クロは不機嫌そうに尻尾を振ると、フィオーレのストレージを前足でパシパシと叩いた。


「わかったわ、クロちゃん。……これを使え、っていうのね?」

 フィオーレはクロの意図を汲み取り、鞄の奥――クロの広大なストレージへ手を伸ばした。

 彼女の手が引き出したのは、この世界には存在しない質感を持つ、青く輝く金属の棒。

 現代世界の英知が生んだ、ダイヤモンド粒子を電着させた『超硬工業用ヤスリ』。そして、未知の合金で作られた『超精密ボルトクリッパー』だった。

「……フィオーレ、それは何だ? 魔導具なのか?」

 レオンの問いに、フィオーレは首を傾げる。

「わからないけれど……クロちゃんの宝物庫にあったの。すごく『切れる』感じがするわ」

 フィオーレは『魔手』を多重展開した。

 以前の彼女なら、道具を握るのが精一杯だった。だが今の彼女は、工業用ヤスリの微細な凹凸の一つひとつにまで魔力を通し、その「摩擦」を魔法的に増幅させることができる。

 キィィィィィン!!

 鼓膜を劈くような高音が響く。

 伝説の金属アダマンタイトが、フィオーレの振るうヤスリによって、まるで「粘土」のように削り取られていった。

 彼女の『分解』の魔法が、ヤスリの硬度をさらに引き上げ、金属の結合を分子レベルで断ち切っていく。

「ば、馬鹿な……。伝説の金属を、削っているだと……!?」

 リーダーが腰を抜かす中、フィオーレはさらにボルトクリッパーを操り、厚い甲殻の継ぎ目に刃を滑り込ませた。

 ――パキン。

 乾いた音と共に、いかなる魔法も通さなかった甲殻が、綺麗に二つに割れた。


「終わりました。魔核も傷つけずに取り出せますよ」

 フィオーレが微笑む。

 解体場は、静まり返っていた。

 かつて彼女を「臨時メンバー」として扱っていたリーダーは、その圧倒的な『技術の暴力』を前に、もはや言葉を失うしかなかった。

 だが、当のクロはそんな賞賛には興味がない様子だった。

 彼は二つに割れたアダマンタイトの、滑らかになった断面に歩み寄ると。

 ガリッ、ガリガリガリッ!

 あろうことか、世界で最も硬い金属を『爪研ぎ』として使い始めたのだ。

「……ウニュ……♪」

 満足げに、少しだけうっとりとした声を出すクロ。

 伝説の金属を贅沢に削りながら、自分の爪を整えるその姿は、あまりにも傲慢で、そして愛らしかった。

「……フィオーレ。あいつ、あの金属を気に入ったみたいだぞ」

 レオンが苦笑しながら、ウォーハンマーを肩に担ぎ直した。

 フィオーレはクロの元へ駆け寄り、その小さな頭を撫でる。

「よかったね、クロちゃん。……リーダー、この削りカス、頂いてもいいですか? クロちゃんが欲しがっているみたいなので」

「……あ、ああ……。好きなだけ、持っていってくれ……」

 こうして、旅団の危機は救われ、クロのストレージには「神話級の金属の削りカス」という新たなコレクションが加わった。

 そして何より、クロは最高級の爪研ぎ場を手に入れたのである。


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