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第6話:市場の目利きと、泥の中の国宝

 迷宮都市アルカディア。その中心部に位置する『大市場』は、朝から熱に浮かされたような熱気に包まれていた。

 迷宮から運び込まれたばかりの未鑑定品。異国の商人が持ち込んだ見たこともないスパイス。焼きたてのパンの香りと、家畜の鳴き声、そして値切り交渉に励む商人たちの怒鳴り声。

 大気中には多種多様な魔力が混ざり合い、それが市場特有の、生き生きとした——そして少しばかり鼻を突くような「生活の匂い」を作り出している。

「……すごい人ね。レオンさん、はぐれないようにしないと」

 人混みの中、フィオーレは自らの鞄を大事そうに抱えながら歩いていた。

 彼女の肩の上には、一匹の黒猫——クロが、周囲の喧騒などどこ吹く風で、悠然と座っている。

 クロの金色の瞳は、せわしなく動く人々や並べられた商品には目もくれず、ただ一点、市場の「奥」を見据えていた。

「大丈夫だ、フィオーレ。これだけ注目の的になっていれば、迷子になる方が難しいさ」

 レオンは苦笑しながら、周囲の視線を受け流した。

 死地から生還し、ギルドの測定器を破壊したという噂の少女と、謎の黒猫。彼らが歩くたびに、市場の人々は波が引くように道を空け、遠巻きにその様子を伺っている。

 だが、当のクロはそんな視線に興味はない。

 彼は不意にフィオーレの肩から飛び降りると、目も眩むような高級品が並ぶ魔導具店を素通りし、市場の隅にある「ガラクタ通り」へと足を進めた。

「クロちゃん、そっちは……」

 そこは、探索者が迷宮で見つけたものの、価値がないと判断されて二束三文で投げ売りされた「ゴミ」の集積場だった。

 泥にまみれた錆びた剣、正体不明の石、ひび割れた瓶。

 店主ですらまともに管理していない、雨ざらしのガラクタたちが、山のように積み上げられている。

 クロは迷うことなく、その山の一つに歩み寄ると、前足で一つの『泥の塊』をチョイチョイと叩いた。


「おい、嬢ちゃん。そいつはただの鉄屑だぜ。昨日の大雨で流れてきたゴミを拾っただけだ。……まあ、五ルクでいいなら持ってっていいがね」

 店主の老人が、欠けた歯を見せて笑う。

 レオンが怪訝そうな顔で泥の塊を覗き込んだ。

「……どう見ても、ただの石か鉄の塊にしか見えないぞ。フィオーレ、本当にこれを?」

 フィオーレは答えず、クロの顔を見た。

 クロは無言で、一度だけ「ゴロゴロ」と喉を鳴らす。その音は、彼女の胸の奥にある魔力器官と共鳴し、彼女の感覚を極限まで鋭敏に研ぎ澄ませた。

「……いいえ、レオンさん。これ、たぶん……重層的レイヤーな構造になってる」

 フィオーレは泥の塊を拾い上げた。

 彼女の手のひらから、透明な魔力の糸——『魔手』が伸び、泥の内部へと浸透していく。

 以前の彼女なら、表面の硬さを測るのが精一杯だった。だが今の彼女には、泥と錆の層の奥深くに眠る、極めて緻密で、それでいて力強い「魔法回路の鼓動」がはっきりと見えていた。

「『洗浄ウォッシュ』、そして……『精密分解(マイクロ・ディスアセンブル』」

 フィオーレが静かに指先を動かす。

 彼女の周囲の大気が、一瞬にして澄み渡った。

 泥の塊に触れている指先から、目に見えないほどの微細な魔力の波が放たれる。

 ――パリ、パリパリッ。

 乾いた音と共に、表面の泥と、数十年分は積もっていたであろう厚い錆が、分子レベルで剥離していく。

 周囲にいた商人や通行人たちが、何事かと足を止めた。

 彼女が行っているのは、単なる清掃ではない。

 対象を構成する物質の「結合」を理解し、不要な不純物だけを選択的に取り除くという、神業に近い魔力操作。

 泥の皮を脱ぎ捨てた中から現れたのは、淡い翡翠色の輝きを放つ、掌サイズの『香炉』だった。

「……なっ!? そいつは……まさか」

 店主の老人が、椅子から転げ落ちそうになりながら目を見開いた。

 現れた香炉の表面には、現代の技術では再現不可能な、幾何学的な装飾が施されている。それは光を吸い込むたびに、まるで生きているかのように明滅を繰り返していた。

「……『失われた古代遺物ロスト・レガシー』……? 伝説の『静寂の香炉』じゃないか!?」

 通りかかった中年の鑑定士が、顔を真っ青にして叫んだ。

 それは、かつて大賢者が迷宮の最深部から持ち帰り、数百年前に紛失したとされる国宝級の触媒。

 ただそこにあるだけで、周囲の乱れた魔素を浄化し、平穏をもたらすと言われる伝説の逸品。

 市場は一瞬にして静まり返り、次の瞬間、割れんばかりのどよめきに包まれた。


「フィオーレ、これ……大変なことになってるぞ」

 レオンが周囲を警戒し、盾を掲げる。

 商人たちが、目の色を変えて集まってくる。

「嬢ちゃん! その香炉、十万……いや、百万ルクで譲ってくれ!」

「待て、俺が先に目を付けていた! 二百万だ!」

 喧騒が渦巻く中、当のフィオーレは、香炉を丁寧に布で拭くと、足元で退屈そうにあくびをしているクロの前に差し出した。

「クロちゃん、これで合ってる?」

 クロは香炉を一瞥し、その表面に残った微かな曇りを見つけると、不満げに「フッ」と鼻を鳴らした。

 そして、フィオーレのストレージを前足でパシパシと叩く。

「クルウ」

 うんと頷く。フィオーレは、クロの満足度を理解していた。

 彼女は周囲の価格交渉を一切無視し、香炉を鞄の中へと「収納」した。

 瞬間、数百万ルクの価値がある秘宝が、市場のど真ん中で忽然と消え去った。

「な、消えた……!? 空間収納か!?」

 人々が唖然とする中、クロはすでに次の獲物を求めて歩き出していた。

 彼が次に向かったのは、壊れた時計の部品ばかりを集めた箱だった。

「……レオンさん、クロちゃんが次に行きたがってる」

「……わかったよ。お前のその『収集癖』に付き合うのは、迷宮攻略より骨が折れそうだ」

 レオンは溜息をつきながらも、二人の行く手を阻もうとする野次馬たちを鋭い眼光で牽制した。

 

 一人は、生活魔法を究極の精密技術へと昇華させた天才サポート魔導師。

 一人は、それを見守り、守り抜く熟練の斥候騎士。

 そしてその中心にいるのは、世界のすべてを自分のおもちゃ箱に詰め込もうとする、わがままな黒い猫。

 市場の喧騒はさらに激しさを増していく。

 だが、その嵐の中心にある三人——いや、二人と一匹の空気は、どこまでも平穏で、のどかだった。

 

 クロの尻尾が、楽しげに左右へ揺れる。

 地上の「アイテム収集」は、まだ始まったばかりなのだから。

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