第35話:星降る天文台と、猫のモニター(展望)
白金の飛行船『まどろみ・エアライン』は、大陸の北端に聳える、天空を貫く槍のような巨山『天柱峰』の頂を捉えていた。雲海は遥か眼下に沈み、そこにあるのは、永遠の静寂と、昼間でも星が瞬くほどに澄み切った、薄く鋭い空気だけだ。
その絶頂に、石造りのドームが静かに佇んでいた。伝説の『星降る天文台』。かつて神々の瞬きを数え、世界の運命を記録したとされる聖域である。
「……空気が薄いな。だが、ここなら『まどろみ・エアライン』の展望も最高だぜ」
レオンが、魔力で強化された防寒服の襟を立て、漆黒の盾を杖代わりにして甲板に立った。
クロは、フィオーレの肩の上で、身を乗り出すようにして天文台を眺めていた。だが、その金色の瞳には、期待よりも「整理整頓への欲求」が強く宿っていた。
「うにゃ……。クルル……」
クロは天文台の入り口へ向かうよう促す。
内部に足を踏み入れると、そこには数千年の時が止まったままの、巨大な青銅製の望遠鏡が鎮座していた。しかし、レンズは曇り、魔力式の連動機構は錆びついている。
何よりクロが気に入らなかったのは、この望遠鏡が「一度に一人の目しか通さない」という非効率な構造であることだ。
病的収集家であり、自分の「庭(世界)」を余さず監視・管理したいクロにとって、のぞき窓一つで星を追うなど、不便の極みであった。
クロは不機嫌そうに影の中に手を突っ込むと、いくつかの「電子の眼」を取り出した。
現代世界の光学技術の粋――『デジタル天体望遠鏡・無線接続モデル』、そして光を電気信号に変える『高感度CMOSセンサー』。さらには、それらを映し出すための『大型曲面液晶モニター』だった。
「なんじゃ、その薄い板の山は。……ほう、この『センサー』という小石のような部品、光を魔力のごとく精緻に捉えるのか」
ガラムが、クロから手渡されたセンサーをルーペで覗き込み、その微細な回路に唸った。
リリアーネも、大型モニターの表面をなぞり、耳を震わせる。
「……鏡じゃないのに、自分の顔が映らない。それなのに、スイッチを入れれば『世界そのもの』を映し出すというの? ……よし、私の『視覚同期』で、ノイズを一切排除しましょう」
フィオーレは、クロの持ち込んだ『展望』という概念を形にするべく、魔力を解放した。
「『理の受像』、および『広域遠隔投影』。……ガラムさん、このモニターをアダマンタイトのフレームで固定し、船室の壁一面に並べてください。リリアーネさんは、このセンサーに『星霊の視界』を上書きして」
数時間の共同作業。
古い青銅の望遠鏡の接眼部に、現代のCMOSセンサーが魔法的に結合される。
フィオーレが魔導板を操作し、クロのデジタル技術と異世界の遠見魔法を同期させた。
――ピッ。
船室の壁一面に、息を呑むような「宇宙」が広がった。
それは肉眼では決して捉えられない、星々の真の色彩。爆発する星雲の赤、冷たく澄んだ恒星の青。そして、地上の隅々までをズーム一つで映し出す、圧倒的な情報量。
「ウニュ……!」
クロは、船室の特等席(猫用ソファ)に座り、壁一面の「モニター」を眺めて満足げに喉を鳴らした。
これこそが、王の求めていた「世界のライブカメラ」である。
だが、その『究極の展望』が起動した瞬間、天文台の奥に隠されていた隠し部屋の扉が弾け飛んだ。
現れたのは、星の動きを独占し、偽りの運命を人々に売りつけてきた『占星術師の魔女・カシオペア』。
彼女は、何千年もかけて隠し通してきた「星々の真の姿」を、一匹の猫が勝手にモニターに映し出したことに、激しい怒りを露わにした。
「――おのれ、不届きな『盗み見者』め! ……運命は、選ばれた者のみが知るべきもの。……すべてを、この『星霜の霧』で覆い隠してくれるわ!」
魔女が杖を振り、天文台全体に、あらゆる視界を遮断する魔力の霧を放った。
モニターの映像が砂嵐のように乱れ、レオンたちが視界を失う。
「シャーーーッ!!」
クロがソファの上で立ち上がり、最大級の威嚇音を上げた。
クロにとって、自分の「庭」を再び霧で隠そうとするこの独占欲の塊は、即座に『排除・清掃』すべきノイズに過ぎなかった。
「レオンさん、霧の侵食を盾で防いで! フィオーレ、センサーの感度を上げて! 霧の向こう側を『現像』するわよ!」
「心得た! ……この盾に映る星、曇らせると思うなよ!」
レオンが漆黒の盾を掲げ、魔女の霧を物理的に跳ね返す。
フィオーレは、魔導板を通じてセンサーに直接魔力を叩き込んだ。
「『光子強制増幅』――不可視光域、開放。……『霧の消去』!」
フィオーレが放ったのは、攻撃魔法ではない。
センサーに届く光の情報を、魔女の霧という「不純物」を透過して、直接『真理』として受信するための絶対的な観測波動。
――ピカァッ!
船室のモニターが、一瞬だけ眩く輝き、次の瞬間――霧の向こう側にある魔女の姿を、赤外線と魔力波形によって、骸骨のように赤裸々に映し出した。
「な……ッ!? 私の隠蔽(霧)が、透けている……!? 世界のすべてを、暴き出すというのか――っ!」
魔女は、自分の秘密がデジタル信号として処理され、大画面に映し出された羞恥と恐怖に耐えきれず、そのまま光の中に霧散して消えた。
隠された運命など、クロの持つ「高精細モニター」の前では、ただの粗いドットデータに過ぎなかったのだ。
夕暮れ時。
天文台を制圧した一行は、飛行船の船室で静かな時間を過ごしていた。
壁一面のモニターには、今夜の星空と、遠く離れた迷宮都市アルカディアの賑わいが、マルチウィンドウで鮮やかに映し出されている。
「クルル……。ウニュ……♪」
クロは、モニターの一つに映し出された『まどろみ亭』の入り口で、ゴーレム・ルンバが健気に掃除をしている姿を見て、満足げに喉を鳴らした。
これで、どこにいても自分の城とコレクションを監視できる。
「……きれい。星が、こんなにたくさんあったなんて」
フィオーレが、聖水で淹れた紅茶を飲みながら、モニターに映る天の川を見上げる。
レオンは、盾を磨きながら、モニターに映る地上の「美味しいそうな店」をチェックしていた。
「……やれやれ。これで世界中、猫様の目から逃げられる場所はなくなったな」
クロは、フィオーレの膝の上で、ハンドクリームを塗った柔らかな手で撫でられ、至福の時を過ごしていた。
飛行船は、星空のモニターを夜の闇に輝かせながら、さらなる未知へと、のどかに進み続ける。
「うにゃう」
満足げな声が、世界の屋根に響き渡った。




