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第36話:疾風のサーキットと、猫のスクーター(疾走)

 白金の飛行船『まどろみ・エアライン』は、大陸の中央を貫く巨大な地溝帯、通称『疾風のサーキット』へと降り立っていた。

 そこは、かつて風の精霊を従えた伝説の騎士が、愛馬と共に速さを競ったとされる太古の円形競技場だ。数キロメートルに及ぶ滑らかな石造りの路面が円環状に続き、今なお精霊のいたずらか、猛烈な追い風が常に回廊を吹き抜けている。

「……凄まじい風だな。まともに立っているのも一苦労だぜ」

 レオンが漆黒の盾を風避けにしながら、足を踏み出した。盾の表面で風が渦を巻き、激しい風切り音が鳴り響く。

 一方で、クロはフィオーレの肩の上で、窓の外に広がる「どこまでも平坦な路面」を品定めするように眺めていた。だが、その金色の瞳には、期待よりも「移動効率へのこだわり」が強く宿っていた。

「うにゃ……。ウニュ……」

 クロは、フィオーレのストレージを前足で叩き、影の中に深く手を突っ込んだ。

 取り出したのは、現代世界の都市部で普及している機動性の塊――『最新型・折りたたみ式電動キックボード(オフロード仕様)』。そして、予備の『高密度リチウムイオンバッテリー』だった。


「なんじゃ、その二つの車輪がついた細長い板は。……ほう、このタイヤの素材ゴム、地面を掴むための独特な弾力があるわい」

 ガラムが、クロから手渡されたキックボードを手に取り、その軽量アルミフレームの堅牢さに唸った。

 リリアーネも、ハンドル部分の電子パネルを覗き込み、耳を揺らす。

「……生き物じゃないのに、自分の力で走るのね。これに私の『風読み』の術式を組み込めば、向かい風を加速に変えることができるわ」

 フィオーレは、クロの持ち込んだ『軽快な疾走』という概念を形にするべく、魔力を解放した。

「『理の慣性制御イナーシャル・ドライヴ』、および『摩擦係数固定』。……ガラムさん、車軸にアダマンタイトのベアリングを組み込んでください。リリアーネさんは、この板に『空気抵抗無効化』の結界を」

 数時間の共同作業。

 現代の電動スクーターに、異世界の魔導モーターと慣性制御技術が融合した。

 フィオーレがハンドルを握り、クロがデッキの最前部――「王の特等席」に飛び乗る。

 ――キィィィィィン。

 魔導モーターの静かな高鳴り。

 フィオーレがスロットルを回した瞬間、スクーターは重力を無視したような加速を見せ、疾風のサーキットを滑るように走り出した。

「ウニュ……!」

 クロは風を切り、流れる景色を満足げに眺めて喉を鳴らした。

 飛行船は大がかりすぎる。だが、この「魔導スクーター」なら、地上の隅々に落ちているガラクタを拾い集めるための「最高の足」となる。


 だが、その軽やかな疾走が最高潮に達した時、回廊の奥から銀色の光り輝く影が猛追してきた。

 かつてこのサーキットで不敗を誇った騎士の思念が形を成した『疾風の亡霊スカイ・ライダー』。

 亡霊は幻影の馬に跨り、自分を追い越そうとする異質な乗り物に対し、誇り高き拒絶の咆哮を上げた。

「――止まれ、地を這う無粋な影よ! ……速さこそが我が存在の証。……我を越えられぬ者に、この先の『栄光(お宝)』は渡さぬ――」

 亡霊が手にした魔導槍から、進路を妨害する巨大な突風が放たれた。

「シャーーーッ!!」

 クロが、スクーターの前部で立ち上がり、最大級の威嚇音を上げた。

 その声は、亡霊の放つ「風の壁」を、ただの「向かい風」へと格下げする絶対的な支配の咆哮。

 クロにとって、自分の快適なドライブを邪魔し、あまつさえ「速さ」という抽象的な概念で通行を阻もうとするこの亡霊は、即座に『排除・清掃』すべき障害物に等しかった。

「レオンさん、横からの突風を抑えて! フィオーレ、慣性を最大に固定して! 亡霊ごと『追い越し』ますわよ!」

「心得た! ……追い風だろうが嵐だろうが、この盾の後ろは常に静寂だぜ!」

 レオンは、並走するスクーターの横で漆黒の盾を掲げ、亡霊の妨害をすべて物理的に弾き飛ばした。


 フィオーレは、魔導モーターにクロの魔力を直接流し込んだ。

「『空間慣性・完全同期』――摩擦ゼロ。……『風を食らえ(ウィンド・イーター)』!」

 フィオーレが放ったのは、攻撃魔法ではない。

 スクーターの周囲の気圧を操作し、亡霊が放つ「風の抵抗」をそのまま「前進する力」へと変換するための、絶対的な加速回路。

 ――バシュゥゥゥン!!

 スクーターは音の壁を突き破るような勢いで加速し、亡霊の幻影馬をあっさりと抜き去った。

 亡霊は、自分の「速さ」という理が、一匹の猫が持ち込んだ「電動の板」によって無造作に踏みにじられたことに絶句し、そのまま光の塵となって霧散した。

 執着など、クロの持つ「合理的な機動力」の前では、ただのブレーキでしかなかったのだ。


 サーキットのゴール地点。そこには、かつての騎士が愛用していたという伝説の『駿足の拍車』が、ただのガラクタのように転がっていた。

 クロはスクーターから降りると、それを前足で転がし、満足げにストレージへと吸い込んだ。

「クルル……。ウニュ……♪」

 クロは再びスクーターの特等席に戻ると、フィオーレの膝に顔を埋めた。

 これで、これからの買い出し(探索)がさらに捗る。

「……早い。早すぎるわ、これ。……でも、少しだけ楽しくなっちゃった」

 フィオーレが、上気した顔でハンドルを握り直す。

 レオンは、激しい疾走で火照った鎧を脱ぎながら、呆れたように笑った。

「……やれやれ。これで猫様に、追いつけない場所は本当になくなったな」

 クロは、フィオーレの膝の上で、ハンドクリームを塗った柔らかな手で撫でられ、至福の時を過ごしていた。


 飛行船に戻る道すがら、一行は夕暮れのサーキットを、のどかに(しかし猛スピードで)駆け抜けていくのであった。

「うにゃう」

 満足げな声が、風の回廊に響き渡った。

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