第23話:鏡の古城と、猫の記念写真(シャッター)
白金の飛行船『まどろみ・エアライン』の優雅な船室。
朝食を終えたクロは、姿見の前に座り込み、じっと自分の姿を凝視していた。
「クルル……。ウニュ……」
右に首を傾げ、左に尻尾を振り、時には前足で鏡の中の自分をパシパシと叩く。
その金色の瞳には、自分の艶やかな毛並みへの満足感と、同時に一つの「不満」が浮かんでいた。鏡は、この場を離れれば見ることができない。そして、今この幸せな「朝食後の毛繕いタイム」を永遠に保存する術を、この世界の住人は持たなかった。
「……どうしたの、クロちゃん。自分の可愛さに惚れ直しちゃった?」
フィオーレがクスクスと笑いながら歩み寄ると、クロは不機嫌そうに鼻を鳴らし、影の中に深く手を突っ込んだ。
取り出したのは、重厚な質感を放つ黒い箱――現代世界の光学技術の結晶、『デジタル一眼レフカメラ(フルサイズ機)』。そして、いくつかの交換レンズと、液晶画面を備えた『ポータブルフォトプリンター』だった。
「……ウニュ!」
クロはカメラをフィオーレの足元に転がし、窓の外に見える、断崖絶壁に建つ『鏡の古城』を指し示した。
「なんじゃ、その巨大な目玉のついた箱は。……ほう、このレンズ、驚くほどの透明度と、光を集めるための複雑な曲率を持っておるわい」
ガラムがカメラのレンズを覗き込み、その精密な研磨技術に感銘を受けた。
リリアーネも、カメラの背面液晶に映し出された船室の様子を見て、耳をピクリと動かす。
「……鏡より正確だわ。これに私の『視界共有』の魔法を組めば、一瞬の光を紙の上に定着させることができるわね」
フィオーレは、クロの持ち込んだ『記録』という概念を形にするべく、魔力を解放した。
「『精密画像定着』、および『魔力現像』。……ガラムさん、シャッター幕をアダマンタイトの極薄膜で作ってください。リリアーネさんは、この板に『色彩再現の術式』を」
数時間の共同作業。
完成したのは、デジカメの高速連写能力と、異世界の画像投影技術が融合した魔導カメラ、通称『一瞬の記憶』である。
フィオーレが試しにクロに向けてシャッターを切ると、その瞬間にポータブルプリンターから、陽だまりの中で欠伸をするクロの姿が鮮明に印刷された。
「……うにゃ! クルル……♪」
クロは、吐き出された自分の「肖像」を前足で器用に扱い、満足げに喉を鳴らした。
これで、自分と、自分のお気に入りのコレクション(人間たち)の今を、いつでも見返すことができる。
一行が『鏡の古城』に降り立つと、そこは無数の鏡の壁が、侵入者の「過去」を映し出す幻惑の空間だった。
だが、今の彼らにとって、過去の未練など、クロがストレージから出す『高性能なレンズクリーナー』で拭き取れる程度の汚れに過ぎない。
城の最上階。かつての王の寝室だった場所に、その主はいた。
過去の栄光に執着し、死してなお王座を離れぬ強力なリッチ(不死王)。
リッチは、鏡の壁に映る数千年前の自分の姿を愛でながら、侵入者を冷たい眼差しで射抜いた。
「――愚かなる生者ども。この永遠の記録の城を穢す不届き者め。貴様らの無価値な『今』など、灰にして過去の屑に加えてくれよう」
不死王が杖を掲げ、鏡の破片を弾丸のように放とうとしたその時。
「シャーーーッ!!」
クロが、フィオーレの肩から飛び降り、城全体を震わせるほどの威嚇音を上げた。
クロにとって、過去の栄光に縋って、今を生きる自分の「モデル(仲間たち)」を汚そうとするこのカサカサの骨屑は、ストレージのゴミ箱さえ拒否する産業廃棄物だった。
「レオンさん、鏡の弾丸を防いで! 私はこの方の『執着』をフラッシュで洗い流します!」
「了解だ! ……死人の戯言など、この盾の向こうへは一文字も通さん!」
レオンが漆黒の盾を構え、鏡の弾丸をすべて弾き飛ばす。
その隙に、フィオーレが魔導カメラを構え、リッチに向けてレンズを向けた。
「『全周光・最大出力』――強制露出!!」
フィオーレがシャッターを切った瞬間。
カメラから放たれたのは、太陽の輝きをも凌駕する、究極の聖なるフラッシュ。
それは単なる光ではない。被写体の「今」を無理やり現実に定着させる、理の強制執行。
「ぬ、ああぁぁぁぁっ!? 過去が、わしの記録が……消えていく――ッ!!」
過去にのみ執着していたリッチにとって、圧倒的な「今の輝き」は毒そのものだった。
不死王の肉体は、カメラが放つ絶対的な光によって『過去の遺物』として正しく浄化され、一筋の灰となって消え去った。
「ウニョ……」
クロは、静かになった王座の間を見渡し、不満げに耳をパタつかせた。
どうやら、せっかくの「最高の背景」が、骨屑のせいで少し埃っぽくなったのが気に入らないらしい。
夕暮れ時。
古城のテラスからは、雲海に沈む見事な夕日が見えた。
クロは満足げに尻尾を立て、フィオーレたちを自分の周りに集めた。
「クルル……。うにゃう!」
「えっ、私たちみんなで撮るの? ……セルフタイマーね、わかったわ」
フィオーレはカメラを三脚(ガラムがアダマンタイトで自作した超軽量モデル)にセットし、タイマーを起動させた。
夕日を背に。
漆黒の盾を抱え、誇らしげに立つレオン。
黄金のポットを大事そうに持つドワーフのガラム。
焼きたてのお菓子をカゴに入れたエルフのリリアーネ。
そして、中央で微笑むフィオーレと、彼女の腕の中で、あざとくカメラ目線を決める黒猫のクロ。
――パシャリ。
吐き出された一枚の写真。
そこには、伝説も、歴史も、神話も関係ない、ただの「家族」の姿が、鮮やかに定着されていた。
クロは満足げに、自分の肖像が写った写真をストレージの特等席へ仕舞い込んだ。
飛行船は、夕焼けの空をのどかに進み続ける。
「うにゃう」
満足げな声が、古城の空に響き渡った。




