第20話:天空の図書館と、猫の司書(整理)
白金の飛行船『まどろみ・エアライン』は、海のように広がる雲を切り裂き、さらに高度を上げていた。
一行の目の前に現れたのは、雲海を突き抜け、天空を支える柱のように聳え立つ巨大な塔――伝説の『魔導図書館・アーカーシャ』である。かつて神に背き、世界の理を書き換えようとした魔導師たちが築いたとされる知識の聖域だ。
「……あれが、天空の図書館か。あんな高さまで、よく石を積み上げたもんだぜ」
レオンが漆黒の盾を背負い直し、圧倒的な威容を見上げる。
甲板に降り立ったクロは、塔の入り口を飾る、風化し、崩れ落ちた魔導師たちの石像を金色の瞳で見つめていた。その表情は、期待に満ちているというよりは、むしろ不機嫌そのものだった。
「クルル……。ウニュ……」
クロが塔の中へ一歩足を踏み入れると、そこには地獄のような光景が広がっていた。
数千年の月日が、整然としていたはずの知識の殿堂を、巨大な「古紙のゴミ捨て場」に変えていた。棚から崩れ落ちた魔導書、湿気で固まった羊皮紙、そしてそれらを苗床にして繁殖した『書食い虫』。
病的収集家であり、究極の整理魔であるクロにとって、この「知識の無秩序」は、宇宙が崩壊するほどの不快事であった。
「……うにゃ! シャーーーッ!」
クロが最大級の威嚇音を上げた。
彼は影の中に深く手を突っ込むと、現代世界の英知が生んだ、赤い光を放つ『ワイヤレス・バーコードスキャナー』。そして、それらと連動する『ノートパソコン』を取り出し、フィオーレの足元へ投げ出した。
「なんじゃ、その光る棒と、光る板は。……ほう、この板、中には数千万、数億の文字を記憶できる回路が組み込まれておるのか」
ガラムがノートパソコンを覗き込み、その演算能力の高さに唸った。
リリアーネも、スキャナーの赤いレーザーを指でなぞる。
「……本の内容を読み取るんじゃないわ。この『存在』そのものを符号化して、並び替えるための道具なのね。……合理的すぎて、ゾッとするわ」
フィオーレは、クロの持ち込んだ『図書管理システム』という概念を、この図書館の膨大な蔵書に適用させるべく、魔力を解放した。
「『精密結合・概念拡張』。……ガラムさん、このスキャナーの光を『魔導解析光』に変換してください。リリアーネさんは、この板に図書館全体の棚の座標をリンクさせて」
フィオーレの背後から、数百本の『魔手』が放たれた。
それは図書館の一階層分を丸ごと包み込む、巨大な魔力の多足獣のような姿となった。
「『自動スキャン(インデックス作成)』、そして……『空間並び替え(ソート)』開始!」
数百の魔手が、一斉に崩れ落ちた本を拾い上げ、スキャナーの光を潜らせる。
スキャナーが本の魔力的特徴を一瞬で数値化し、パソコン内のデータベースへと記録していく。同時に、フィオーレの魔法が、そのデータに基づいて本を「作者別」「属性別」「出版年別」に瞬時に仕分けし、磨き上げられた棚へと、物理法則を無視した速度で戻していく。
――ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ!
小気味よい電子音と、本が棚に吸い込まれる風切り音が、巨大な吹き抜けに鳴り響く。
数百年かけても終わらないはずの整理作業が、現代のロジックと異世界の魔力によって、数分ごとに一階層ずつ完了していく。
「ウニュ……!」
クロは、ルンバ型ゴーレムの背に乗り、整理されていく本棚の間を優雅に巡回し始めた。
埃は消え、秩序が戻る。これこそが、王の求めていた「知識の書斎」である。
最上階。そこは『禁じられた知識』が収められた、特殊な結界区域であった。
整理の手がそこに及ぼうとした時、一冊の巨大な魔導書――図書館の管理者である『自我を持つ魔導書』が、ページを激しく羽ばたかせて襲いかかってきた。
「――愚かなる侵入者め! 混沌こそが深淵の美。並び替えなどという冒涜を許さぬぞ!」
魔導書から放たれる、数千の呪言の弾丸。
レオンが即座に前に出た。漆黒の盾を構え、ウォーハンマーを地響きと共に叩きつける。
「混沌が美だあ? 笑わせるな。俺の主は、お前のような『整理の邪魔』が一番嫌いなんだよ!」
レオンの盾が、呪言を反射して魔導書自身へと突き返す。
魔導書が怯んだ隙に、クロが最大級の威嚇を放った。
「シャーーーッ!!」
その声は、魔導書が数千年にわたって蓄積してきた「意味」を強制的にリセットする、理の崩壊音だった。
クロにとって、自分勝手な理屈で「未整理」を正当化するこの本は、シュレッダーにかけるべきゴミに等しかった。
「フィオーレ、全データを吸い出して! この本の『背表紙』も綺麗に洗い流すわ!」
「はい、クロちゃん。……『一括ダウンロード(知識抽出)』、そして……『表紙洗浄』!」
フィオーレの放った波動が、管理魔導書を包み込んだ。
本に染み付いていた傲慢な意識は、クロの管理システムという「絶対秩序」に飲み込まれ、ただの、綺麗に装丁された一冊の空白の本へとリセットされていった。
一時間の作業。
かつて古紙のゴミ捨て場だったアーカーシャは、世界で最も美しい、一点の曇りもないクリスタルな図書館へと変貌していた。
クロは、整理された棚の最奥から、フィオーレが「スキャン中」に見つけ出した一編の記述を眺めていた。
それは、禁呪の一節として封印されていた――『究極の猫撫で用・薬草調合レシピ(肌質改善ハンドクリーム)』。
「うにゃう……♪」
クロは満足げに、フィオーレが早速そのレシピで作り出した、バニラが香るハンドクリームを塗った手で、喉元を撫でられる。
フィオーレの魔力が、クロの毛並みをさらに艶やかにし、精神を至福へと導いていく。
「……まさか、あんな物騒な場所に、こんな平和なレシピが眠っていたなんてね」
フィオーレが微笑みながら、整理されたパソコンの画面をチェックする。
ガラムは「このデータ管理の仕組み、わしの工房の部品整理にも使えるわい」と喜び、リリアーネは「次は本を読みながら食べられる、手の汚れないお菓子を作るわ」と意気込んでいる。
クロは、フィオーレの膝の上で「クルル……」と幸せそうな声を漏らし、静かな図書館の最上階で、深いまどろみの中へと落ちていった。
彼らのコレクションには、今日、ついに「世界の全知(整理済み)」が加わった。
天空の巨塔は、今や一匹の猫の巨大な書斎として、雲海の上に静かに佇んでいる。
「うにゃう」
満足げな声が、知識の静寂に響き渡った。




